クラシック名曲の森・06

05年に引き続き名曲に関する感想や思い出など思いつくまま書き連ねました 

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木陰でひと休み 木陰でひと休み2 シベリウスのある部屋 

<2006年メニュー>

1・ニューイヤー・コンサート  2・レオニード・コーガン  3・スラヴァが歌うアヴェマリア  4・映画オーケストラの少女  5・1756年1月27日  6・ハイドン・チェロ協奏曲 7・カルミナ・ブラーナ  8・魔術師?チェリビダッケ  9・あふるる涙  10・好きなオーケストラは?その1  11・好きなオーケストラは?その2   12・リストの交響詩  13・個性的な演奏家が多くいた時代  14・モーツァルト交響曲第1番  15・ディズニー「ファンタジア」  16・ヴィヴァルディ:ラチェトラ   17・異色のブラームス  18・ヴィオラ協奏曲の魅力  19・おひな祭りの歌  20・フルートの魅力  21・悪妻が大作曲家を作る?  22・オーボエの名曲  23・鬼才!カルロス・クライバー  24.ロシア民謡  25・演奏会の拍手  YouTube(クヴァンツ:フルート協奏曲)

26・モーツァルト協奏交響曲  27・武満徹の音楽  28・ピアノ曲ベストテン  29・バッハ・トランスクリプション  30・トリヴィアの泉  31・ショスタコーヴィチ  32・サンスーシー宮殿の音楽会  33・ヴィヴァルディの四季  34・春初めてカッコウを聞いて 35・春の祭典 36・輸入盤LPの魅力  37・フルートとハープの為の協奏曲 38・バッハの息子たち 39・J・C・バッハ  40・タイケ旧友  41・ホフナング音楽祭 42・未完成交響曲  43・ラテン音楽の魅力  44・フォルクローレ 45・歌劇「魔笛」 46・魔笛の魅力 47・ベートーベン交響曲10番 48・ケテルビーの音楽  49・イケメンNo1は?  50・クレンペラーの芸術 51・メンコンって何? 52・私を泣かせてください 53・帝王カラヤン 54・フルート協奏曲・夜  55・総譜つきレコード  56・6月に似合う音楽は?  57・名プロデューサー  58・白夜のアダージェット  59・岩城宏之   60・ショパン:ノクターン  

39,J C バッハ:シンフォニア作品18全曲 (BGMとしてお聞きください)

カール・ミュンヒンガー指揮シュトゥッツガルト室内管弦楽団


1・2006年ニューイヤー・コンサート

皆様は今年2006年のお正月はいかがでしたでしょうか?
例年にない寒波の為大雪で各地で被害が出ていますが、今年も異常気象の前触れでしょうか?お正月も雪のためあちこちで交通が混乱していましたが、サラーリマンにとっては貴重な休みなのでこのときはどんな事があっても田舎に帰郷する人が多いのでしょうね。幸い私は住んでいるところが故郷なので毎年お正月は家でゆっくりしていますが・・・・。

特に今年は娘が久しぶりに留学から帰国したので、賑やかで楽しいお正月を迎えましたが、その後風邪をひいて寝込んでしまったり、溜まっていた仕事に追われてHPの更新が全く出来ませんでした。
でもお正月には毎年楽しみにしている「ウィーンフィル・ニューイヤー・コンサート」はしっかり見ました。いつかは実演をこの目で見たいと思っているのですが今のところはテレビで我慢しています。

この演奏会は音楽ファンの年頭を飾る重要な行事です。何しろあの有名なウィーンフィルの世界同時生中継なのですから・・・。
今年は今話題の”マリス・ヤンソンス”が振るというので楽しみにしていました。 

選曲はヤンソンス好みのテンポ感あふれる軽快な曲を中心にプログラムを組んでいましたね。旧ソビエト出身とあってロシアに関連した曲もあり、また今年のモーツァルト・イヤーにちなんでランナー作曲の「モーツァルト党」というモーツァルトの有名曲をワルツに編曲した楽しい曲もありました。
ヤンソンスといえば私のような年代では、マリスの父、アルヴィド・ヤンソンスを思い出します。

以前、ムラヴィンスキーの来日公演に同行していて、私も彼のチャイコフスキーの交響曲を聴いた思い出があります。レニングラード・オーケストラの繊細さと大胆な強奏の入り混じった迫力満点の演奏に度胆を抜いた覚えがあります。
B000CBNYPK ニューイヤー・コンサート2006
ヤンソンス(マリス) ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 J.シュトラウス
ユニバーサルクラシック 2006-01-28

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ところでウィーンフィルは相変わらず誰が指揮してもウィーンそのものの響きを出しているので安心して聴けますね。ビロードの衣擦れのような音色の弦楽器、玉を転がすような木管楽器の音色、筋の通った凛とした金管楽器の輝かしさ。どれをとっても惚れ惚れする演奏です。

このウィンナワルツの演奏に関してはウィーンフィルの右に出る楽団はないでしょう。それにあの会場であるウィーン楽友協会の金色に輝く彫像と音響の素晴らしさはどうでしょう。まるで建物自体が巨大な楽器のように鳴り響いていました。

ワルツといえばウィーンが有名で、アメリカやイギリスの楽団ではあのウィーンの優雅さを表現するには難しいでしょうね。たとえカラヤンのベルリンフィルでも同じ事です。やはりウィンナワルツはウィーン・フィルじゃなければ話になりません。

私の愛聴盤はウィリー・ボスコフスキー指揮のウィーンフィル・ワルツ集です。そして何百曲もあるワルツの中でベストワンをあげるとワルツ「南国のバラ」です。優雅で洗練されていて旋律も美しく気分を高揚させてくれます。
★春の声〜ウィンナ・ワルツ名曲集
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 J.シュトラウス ボスコフスキー(ウィリー)
さて皆様はどんな曲がお好きですか。  06・1・15

2・レオニード・コーガン

ソヴィエト時代にふたりの偉大なヴァイオリニストが生まれています。ひとりはダヴィッド・オイストラッフ(1908−74)で、もうひとりはレオニード・コーガン(1924−82)です。

戦後、鉄のカーテンで覆われていた共産ソヴィエトが最初に西側に送り込んだのがオイストラッフでした。デビュー早々その完璧な技術と暖かいトーンに世界中の人々は魅了されてしまいました。CBSレコードで今でもカタログに残っているチャイコフスキーやシベリウスのVn協奏曲は当時ベストセラーでした。

ところがその後ソヴィエトはオイストラッフと全く違った個性をもったヴァイオリニストを送り出したのです。
それがレオニード・コーガンでした。コーガンはオイストラッフに比べれば人気はなかったのですが度々来日してその素晴らしい演奏を披露してくれました。

私も彼が弾くベートーベンのVn協奏曲を聴いたことがあります。(確かスヴェトラーノフ指揮のソビエト国立交響楽団の来日公演だったと思います。)その時の印象は感情に傾かないやや冷たい響きで、強靭な意志を感じる演奏だったと記憶しています。

写真にあるCDは1953年から55年ころのモノーラルのバロック音楽の協奏曲のCですが、コーガンでは珍しいバッハとヴィヴァルディの協奏曲が収録されています。

イムジチやイタリア合奏団の弾く底抜けに明るいヴィヴァルディを知っている者としては、このヴィヴァルディは一体なんだろう?と異様な感じのする演奏でした。とにかくこれはコーガンの感じるままに演奏した彼のヴィヴァルディでありバッハなのです。

このCDは最近買ったのですが、やはり昔の実演で聴いたイメージどおり線の太い、強靭な意思を感じる演奏です。
特に第2楽章など綿々と歌いこむ情緒的な演奏は、イタリアバロックを聴き慣れた耳では、全く異質な音楽と感じるでしょう。ポルタメントを時折使用し、むせび泣くように演奏するさまは、もうロマン派の時代の協奏曲だと思うほどです。

バロック音楽の短調の緩徐楽章はさわやかな哀愁が漂っているものですが、この演奏は、
心の奥底までぐいぐい悲しみでいっぱいにしてしまうほどの寂謬感を含んでいるのです。

一度耳にしてしまうと忘れられないほどです。
ふと、コーガンの弾くシベリウスも聴いてみたいなあと思いました。(CDは出てるのでしょうか?) 06・1・18 
ヴィヴァルディ:VN協奏曲1番 ヴィヴァルディ:VN協奏曲1番
コーガン(レオニード) パリ音楽院管弦楽団 ヴィヴァルディ

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3・スラヴァがアヴェ・マリアを歌う

カウンター・テナー歌手のスラヴァが去年のクリスマスに、私の大好きな「カッチーニのアヴェ・マリア」をテレビの番組で歌ってくれました。
どうして今ごろこんな事を言うのかと思われるでしょうが、テレビの「題名のない音楽会」という番組をビデオ録画していたのに、見たのが今日だったからです。

民放の数少ないクラシック番組は日曜日の楽しみですが、たった30分しかないのでたいていは、断片しか楽しめません。

今日ビデオを再生して見た番組の最後に思わず”スラヴァ”が「カッチーニのアヴェ・マリア」を歌ってくれたのです。
伴奏はオーケストラ曲に編曲してありで16世紀の古臭い音楽が見事によみがえっていました。思いもよらずこの曲に出会えて本当にうれしかったです。

以前スラヴァが12人の作曲家による「アヴェ・マリア集」のCDを聴いていて、この中の”カッチーニ”のアヴェ・マリアに一目(耳?)惚れしていたので、実際の映像つきの歌声を聴いて感激もひとしおでした。

男性としては少し線が細く、やはりカウンターテナーだなあと思うほどの中性的な容貌ですが、歌声は素晴らしくオーケストラの大音響にも全く引けを取らないほどの声量でした。

4分足らずの曲で歌詞はただ一言”アヴェ・マリア”と歌うだけなのに、このメロディの美しさは例えようがないほどで一度耳にしたら決して忘れられないほどです。
女声のソプラノの澄んだ歌声も素晴らしいのですが、カウンター・テナーの太く少しハスキーな歌唱は、女声にはない迫力があり、ぐいぐい心に迫ってきました。

そして中盤のオーケストラの盛り上がりに伴って歌われる、この美しくも哀しい音楽はずっしりと感動を与えて暮れます。聴いていておもわず目頭が熱くなったほどです。
歌っていた若い”スラヴァ”も曲が終わっても手を組んで目を閉じていて、心なしか涙が光っているように思えました。

本当に音楽の素晴らしさを感じた一瞬でした。そして、この美しい曲が終わらずにずっとこのまま浸っていたいと思われたほどです。 06・1・22  <ページトップに戻る> 
B00005GXYA ave maria
スラヴァ /カッチーニ、グノー
ビクターエンタテインメント 1995-11-22

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4・映画オーケストラの少女

今日、有名な音楽映画「オーケストラの少女」を見ました。
母が女学生の頃、唯一見たアメリカ映画の話をいつも聞いていたので、どんな映画だろうかとずっと思い続けていた映画でした。

母は昭和15年に見たといっていました。当時としては破格の入場料金だったけど未だに忘れられない思い出の映画だと言っていたのです。

先日レンタル屋を覗いたらこのビデオを売っていたのです。解説を見たらなんと1937年(昭和13年)公開と書いてありました。

早速母と一緒に再生して見ましたが、70年も前の映像だとは信じられないくらいの美しいもので、主人公のソプラノ歌手の少女”ディアナ・ダービン”の愛らしさと名指揮者ストコフスキーの才気あふれる指揮振りと役者顔負けの演技に、圧倒されたり感動したりで本当にあっという間の夢のようなひと時でした。

お話は、失業したトロンボーン奏者の娘が、資産家夫人の甘言に乗って失業者を集めてオーケストラを結成し、有名なストコフスキーに指揮を承諾させようと奔走する・・・といった夢のような音楽物語です。ディアナ・ダービンの美しいソプラノの歌もあり、ストコフスキーの指揮やピアノを弾く場面が見られ音楽ファンにはたまらない作品ですね。

ストコフスキーは当時50歳代で歯切れがよく実に生き生きしていました。指揮棒を持たずに長い腕を大きく振りかぶる様はまるで剣舞を舞っているようで最近の指揮者では見られない独特の指揮ぶりでした。

挿入曲も全てストコフスキーの得意曲ばかりで、チャイコフスキー交響曲5番、ワーグナー:ローエングリン第3幕への前奏曲、リスト:ハンガリー狂詩曲第2番、バッハ:トッカータとフーガ(これはピアノで弾いていました)、モーツァルト:ハレルヤ・ヘ長調、そして最後はヴェルディの乾杯の歌をディアナ・ダービンが歌って終わっていました。

オーケストラはフィラディルフィア管弦楽団でしょうが各演奏家が実に生き生きとうれしそうに演奏する様も見るのも本当に楽しいものでした。

出演している演奏家もダービンも全て、吹き替えではなく本物の音楽を奏でているので見ごたえがありました。この映画が出来てしばらくして、あの不幸な戦争が始まったとは信じられないほどの明るく希望に満ちた物語にびっくりし、また感動したのです。

70年ぶりにこの映画と再会した母は涙を流さんばかりに感激していました。
私も初めてこの映画を見て本当に感動しました。脚本もいいし役者も一流だし、なんといっても主人公の少女の愛らしさと歌のうまさに惚れ惚れしてしまったのです。 06・1・25 
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5・1756年1月27日

この日付はなんでしょうか?
そうです。モーツァルトの誕生日です!今年は生誕250年です。

レコード業界では既に、去年からCDを発売したり、全集を組んだりしてなんとか商売に結び付けようとしていますね。

最近のクラシックCDの売上の減少を防ぐ為の、格好の「ビッグ・イベント」ですから各社必死にセールスを仕掛ています。

モーツァルト・ファンを自認する私にとってはうれしい事ですがこんな時でもなければ、クラシック音楽が注目されないのかと思うと少し寂しくなりますが・・・。

とにかく各地の演奏会場でも今年はモーツァルトがあふれかえるでしょうし、テレビなどの放送も普段にはなくよくモーツァルトが登場しています。

先日からBS深夜にオペラを放送していますが、今日は「魔笛」が予定されています。深夜なので見れないので録画して後でゆっくり楽しもうと思っていますが、あとどんなオペラを放送してくれるのか楽しみですね。

モーツァルトは映像で見るなら「オペラ」が一番楽しいですね。彼一流のウィットと諧謔にあふれた歌劇は超一流のエンターティナーといえるでしょう。
「後宮からの誘拐」「フィガロの結婚」「コシファントゥッテ」「ドンジョバンニ」などこんなに楽しいオペラがあるでしょうか。
生き生きした軽快な音楽と美しいアリアの数々。そして気の効いた台本の素晴らしさ、3拍子揃った名作ばかりでどの作品も甲乙つけがたい傑作だと思います。

苦労に苦労を重ねて、やっと出来上がり初演後も序曲を何度も書き換えたベートーベンの「フィデリオ」に比べて、モーツァルトはほとばしる楽想を何のためらいもなく楽譜に書きとめ、名作を次々と生み出してゆく様はまさに天才というベきでしょう。

もう少し長生きしていれば、ヴェルディよりも多くのオペラを生み出していたに違いありません。返す返すも残念な事でした。

ところでモーツァルトのオペラで最も好きなのは「魔笛」です。メルヘンの殻をかぶってはいますが、深遠な精神も感じる傑作で聴けば聴くほど味が出てきます。

特に、陽気でお人好しで調子がよく憎めない、鳥刺し男・パパゲーノは何と生き生きとしている事でしょうか、まるでモーツァルトの分身ではないかと思うほどです。06・1・27 
B000FDF4EY モーツァルト:歌劇「魔笛」(全曲)
アーノンクール(ニコラウス) グルベローバ(エディタ) ボニー(バーバラ)
ワーナーミュージック・ジャパン 2006-06-21

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6・ハイドン・チェロ協奏曲

「交響曲の父」といわれる、偉大な交響曲作家のハイドン(1732-1809)が残した2曲のチェロ協奏曲は聴くものの心を明るく伸びやかにしてくれますね。
1761年から90年にかけて、エステルハージー侯爵家に仕えた30年間に6曲を書いたとされているのですが、現存するのは2曲のみです。(4番はまだ偽作とされています)

第1番は200年近く貴族の文庫に眠っていましたが1961年にチェコのプラハ国立博物館で発見されました。1765〜7年頃の作と推測されています。
バロック時代の名残があり、軽快で技巧的な独奏が印象的な作品です。

2番も長い間、ハイドンの真作か?という疑いがもたれていましたが1964年にハイドンの自筆譜がウィーン国立図書館で発見されついに決着がつきました。

のどかな第1主題と柔らかく歌うような第2主題からなり、チェロの技巧的な活躍も目覚しいチェロ協奏曲の傑作です。

私はこの2曲の協奏曲が大好きで、時間があれば聴いています。世間では「癒し」の音楽が流行っていますが、私にとってはハイドンの曲を聴くのが一番の癒しになります。気分が落ち込んだり、悩みがあるときなどハイドンの屈託のない、美しい音楽に耳を傾けます。
これほど明るく心の中の不純なものを浄化してくれる音楽があるでしょうか。聴き終われば、何ともいえない爽やかな気分になるから不思議です

一番のお気に入りは、天才ジャクリーヌ・デュ=プレのチェロの感動的な演奏です。音色に艶があり張りのある響きと柔らかい表情がしなやかに交錯する様はまさにチェロ協奏曲を聴く醍醐味です。

最近の録音ではハンガリーのミクロシュ・ペレニーのふくよかで深い響きのするチェロがたまりません。共演のフランツ・リスト室内管弦楽団のサポートに乗って縦横無尽に弾きまくる超絶技巧はハイドンの楽しさを100%表現しています。
その他古楽器ではクリストフ・コワンのひなびた音色も魅力的ですね。  06・1・31 
B000228W74 ハイドン:チェロ協奏曲第1番&第2番
デュ・プレ(ジャクリーヌ) イギリス室内管弦楽団 バレンボイム(ダニエル)
EMIミュージック・ジャパン 2004-06-23

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*ハイドン:チェロ協奏曲第1番(チェロ)ニコラス・アルスタット
古楽器独特の形状の弓で自由奔放に歯切れよく弾きまくる爽快感!

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7・カルミナ・ブラーナ

このところカール・オルフ作曲の「カルミナ・ブラーナ」にはまっています。第1曲目から強烈なリズムと旋律で最後までドキドキ・ハラハラするほど異常に興奮してしまいます。
最近テレビの番組でもよくこの部分は使われているので、オルフを知らない方も一度は耳にしたことはあると思います。

オルフは1895年に生まれて1982年に亡くなった
ほぼ20世紀の作曲家だと言ってもいい人です。現代音楽の作曲家だと思いきや、実は20世紀の現代音楽の潮流から全くはずれた「原始主義」ともいえるプリミティヴな世界を確立したのです。

この世俗カンタータ「カルミナ・ブラーナ」は1937年に完成されオルフの代表作となっています。

和声やリズムは単純で、旋律も素朴でまた簡明である事が特徴です。主題を展開せずに反復させ単旋律によるリズムを強調し、打楽器を多用してより原始的な土着のイメージを高めています。音楽が生のまま何の装飾も与えられていないので、ダイレクトに聴くものの心に飛び込んできます。

オルフのこの音楽はバイエルン州のボイロンのベネディクト教団修道院で発見された13世紀の古い写本を元に作曲されました。それには修道学生たちがラテン語、古代ドイツ語、古代フランス語で書かれた詩選集で、酒、女、恋、といった卑俗な題材が集められていたのです。これにオルフは興味を覚え、創造力を刺激されこのような傑作を生み出しました。
( なお、カルミナ・ブラーナとはラテン語で「ボイロンの歌」という意味です。)

初めてこの音楽を聴いた時は、ストラヴィンスキーの「春の祭典」を思い出しました。春の祭典は管弦楽による原始の音楽の再現ですが、カルミナ・ブラーナは合唱が効果を高めていてより人間臭さを表しています。

全世界の支配者なる運命の女神の章の「おお、運命の女神よ」で始まる第1曲目から、この原始的な音楽の強烈な世界に引き込まれてゆきます。


打楽器の強烈な一撃で始まり合唱団が呪文のような言葉をささやくようにつぶやき、やがては全オーケストラの最強音をともなった大合唱に突入してゆく第一曲めから、私はもうこの音楽の虜となってしまいました。

これを聴いて、インドネシアのバリ島で行われる「ケチャ」という儀式の音楽を思い起こしました。言葉とも音楽とも区別のつかない掛け声を何十人の男たちが延々と、掛け合っていってついにはトランス状態になってしまう・・・そんな状況を思い浮かべたのです。

レコード時代はヨッフム指揮ベルリン・ドイツオペラ管弦楽団の名盤がありましたが、最近ではシャイー指揮ベルリン放送交響楽団、やプレヴィン指揮ノウィーン・フィルのデジタル録音の素晴らしいCDがあるのでいろいろ楽しむ事ができますね。
お聴きになっていない方は、一度聴いてみてください。きっとこの音楽の虜になってしまうことでしょう。


B00006BGTI オルフ:カルミナ・ブラーナ
プレヴィン(アンドレ) ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 ボニー(バーバラ)
ユニバーサルクラシック 2002-09-25

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でもステレオ装置の音量には気をつけてくださいね。家族または隣近所からの苦情が来る恐れがあるからです。     06・2・2 <ページトップへ>

8・魔術師?チェリビダッケ

チェリビダッケはレコード録音を嫌い、実際の演奏でしか感じることが出来ない芸術的出会いを重視したことは有名です。
若い時はともかくシュトゥッツガルト、ミュンヘン時代はスタジオ録音をしなかったし、レコードとして出版することも許しませんでした。
こういうわけで、放送音源などから大量の海賊盤が出回ることになったのですが音の状態の悪い海賊盤ではその真価は良く分からないという弊害がありました。

私も海賊盤を買って聴いていましたが、1996年に亡くなったあと、遺族の認可がおりて、正規盤が多く発売されました。そして録音状態の良いCDが発売されてやっとチェリビダッケの真価が分かる時が来たのです。

またCDで晩年のミュンヘン・フィルとの演奏を聴きましたが、若い時に比べてテンポは極限まで遅くなり、その演奏スタイルは雄大そのものの「大河」を連想させるものでした。

そしてリハーサル風景のテレビ番組も見ましたが、オーケストラに異常なまでの長いリハーサルを課し、細かい指示を執拗に繰り返してゆく姿にびっくりしてしまいました。なるほど、チェリビダッケが振った音楽は、完全に彼流に染め上げられたはずです。

現在、CDやDVDで接することの出来る演奏はどの部分をとっても、スコアをそのまま鳴らすのではなく、チェリビダッケ色に染め上げられています。楽器の鳴らし方や、恣意的なダイナミックスの変化は並みの練習では不可能だと思われるほどです。

ベートーベン、ブラームス、チャイコフスキーなどあまりのスローテンポに違和感があるのですが、聴き進んでゆくうちに彼の術中にはまってしまい異常なほどの興奮を覚えるほどです。
こういった、主観的な解釈を違和感なく、無条件で楽しめるのはブルックナーの交響曲ではないでしょうか?

音のダイナミックスが異常に大きく、止まるかと思うほどの雄大なテンポに知らず知らずに引き込まれ最後には身も心も委ねたくなるほどの興奮に包まれてしまうのです。

とにかく、どの曲を聴いても癖のある一筋縄ではいかない演奏であることは確かです。これからもじっくり時間をかけて聴いて行きたいと思っています。 06・2・3<ページトップへ>
 
B00005HWWP ムソルグスキー/ラヴェル編:「展覧会の絵」&ラヴェル:「ボレロ」
チェリビダッケ(セルジュ) ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団 ラヴェル
EMIミュージック・ジャパン 2001-04-18

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9・あふるる涙〜アダージヨ

ヴェネチア生まれのトマゾ・アルビノーニ(1671-1751)はヴィヴァルディより7歳年上でしたが、イタリアを代表する作曲家でした。
当時ヴェネチアがイタリア・オペラのメッカであったことから、アルビノーニは50曲近いオペラを作曲したそうですが、多くの楽譜が失われ今日では聴くことが出来ないのは残念なことです。

気品をたたえた甘美なオーボエ協奏曲や合奏協奏曲で有名ですが、一般的にはアルビノーニといえば「弦楽とオルガンの為のアダージョ」になるでしょう。
バロック名曲集のCDがあれば、必ず収録されるほどの有名曲ですが、実は20世紀の作曲家ジャゾットが、アルビノーニの残したトリオの断片をもとに、創り上げたものでした。

1963年のオーソン・ウェルズ監督作品、映画「審判」(カフカ原作)の中で効果的に使われて、そのロマンティックで心を揺さぶるほどの哀切なメロディーは一躍有名になりました。いまではバロック音楽に欠かせない重要なレパートリーになっています。

弦楽合奏とオルガンのための、この哀愁ただようメロディは一度聴いたら、決して忘れられないほど深く心に染み込んできますね。これほど、心の中をかきむしる哀切のメロディがあるでしょうか。

「アダージョ作家」として、優れたアダージョ楽章を作ったアルビノーニはこの曲以外にもたくさん美しい曲があります。
シモーネ指揮イ・ソリスティ・ヴェネティの演奏で、アルビノーニの合奏協奏曲や協奏曲などから第2楽章のアダージョとアンダンテ、ラールゴなどのゆったりしたテンポの楽章ばかりを集めたCDが出ています。
全曲70分を超える長時間ですが、メロディスト、アルビノーニの真骨頂がうかがえる面白い企画の一枚です。

聴き終えると、知らぬ間に清らかな感動で心が癒されていることに気づくでしょう。
エラートの海外盤ですが、もし手に入れば一度聴いてみてください。
きっとあなたのお気に入りの一枚になることと思います。   06・2・4<ページトップへ>
 ★こころにアダージョを/アルビノーニのアダージョ
イ・ソリスティ・ベネティ アルビノーニ シモーネ(クラウディオ)

10・好きなオーケストラは?その1

音楽雑誌の企画で、「私の好きなオーケスストラ・ベスト10」という著名評論家たちが人気投票をして、世界中のオーケストラの中からベスト10を選んでいるのをみました。

一位はダントツでウィーン・フィルでした。あとベルリン・フィル、コンセルトへボウ、シカゴ交響楽団、・・・と続いていました。この順位をここで発表してもしょうがないので書きませんが、この順位は指揮者との相性とか合奏技術の高さ、またCDなどの録音媒体の売上の多さなども影響を与えているでしょう。

実際の演奏を鑑賞せずにこういう順位をつけることは、ナンセンスでしょうが、クラシックファンとしてはこういう企画は楽しいですね。

主観に基づいた勝手なランク付けは人それぞれの基準があってとても面白いですね。

全国吹奏楽コンテストのように、毎年試合があれば客観的に順位が出るのですが、プロ野球やサッカーでもあるまいし芸術に順位などあるはずはないので、この企画はどうしても多数決で決めるしかないでしょうね。

評論家の一番投票した、ウィーンフィルと2位のベルリンフィルは確かに、どの演奏を聴いても水準以上の演奏をしています。ウィーンフィルでいうと古くはクラウス、クナッパーツブッシュやフルトヴェングラー、ワルターなどからカラヤン、アバド、など出来の悪い演奏が全くありません。またベルリン・フィルも同じですね。

カラヤンはじめラトルにいたる常任指揮者のCDはもちろんの事、客演指揮者のヨッフム、ベーム、クリュイタンスなど全てが素晴らしい演奏と言っていいでしょう。

私はオーケストラの個性というのは常任指揮者によって決まるので、指揮者とオーケストラと一対で考えなければ意味がないと思うのですが、如何でしょうか。
オーマンディのフィラディルフィア、ショルティとシカゴ交響楽団、クレンペラーとフィルハーモニア、バルビローリのハルレ管弦楽団など本当に個性がありました。アンセルメのスイスロマンド管弦楽団など技術的には劣るオーケストラなのに強烈な個性を発揮して次々とベストセラーを続けました。

以前はレコードを聴いたらすぐにどこのオーケストラか分かったものです。それくらいオーケストラの体臭がぷんぷんしていたのです。

でも最近のオーケストラは演奏は上手くなったのですが個性が薄くなったようですね。これは指揮者にも責任があるのでしょうか?なにが原因か私にはよくは分かりませんが聴いていても面白くなくなったのは確かです。

映画、演劇界で味のある名優が少なくなったのと同じ状況と言えるでしょう。個性が尊ばれない時代になったのでしょうか。
音楽を聴いていてこのように感じる今日この頃です。 06・2・5 <ページトップへ>
B00005HSXE チャイコフスキー / バレエ 「くるみ割り人形」作品71 : 全曲
アンセルメ(エルネスト) チャイコフスキー スイス・ロマンド管弦楽団
ユニバーサルクラシック 2001-01-25

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11・好きなオーケストラは?その2

クラシック・ファンなら誰でもお気に入りの指揮者とオーケストラはきっとあるでしょう。音楽雑誌などでも評論家の投票でオーケストラの人気投票の企画が記事になったりしています。

これではベストテンの1位はウィーンフィル、2位はベルリンフィルといつも不動の順位になっています。私もこの結果にはまったく異議はありません。確かにこの2つのオーケストラの演奏は誰が振っても駄演はなく素晴らしいものですね。
本当にこの2つのオーケストラを振れる指揮者は幸せものですね

さて私の最も好きなオーケストラはヨッフム、クーベリック、マゼールと有能な指揮者が続いて常任をしたバイエルン放送交響楽団です
弦楽器、管楽器のバランスがよく音色がチャーミングでまた迫力にも不足していない優秀なオケだと思います。

ヨッフムが指揮をしたブルックナー交響曲、クーベリックのベートーベンやモーツァルトの交響曲、そしてマゼールのブラームス交響曲など名演が目白押しです。駄作が全くないといっていいほどです。
また最近マリス・ヤンソンスが常任に就任したのでますます発展してゆく事に違いはありません。ゆくゆくはベルリン・フィルを越す人気と実力を備えるかも知れません。

さてヤンソンスは他に、アムステルダム・コンセルトへボウ管弦楽団の常任も兼ねているのでますます忙しくなりますね。
ところで指揮者界でも人気芸人と同じで、すこし視聴率が上がったりするとテレビ各局で引っ張りだこになるのと似ていますね。

これだけたくさんの指揮者がいるのに兼任するとは分からないものです。他の有能な指揮者に譲ればいいのに・・・などと思ったりしましたが・・・。
B000B9F2P8 シベリウス:交響曲第1番
ヤンソンス(マリス) バイエルン放送交響楽団 シベリウス
ソニーミュージックエンタテインメント 2005-11-02

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こうして実力と人気のあるオーケストラを見てゆくと、指揮者選びに成功しているといえるでしょう。もしこれに失敗すると長い間、演奏会の客の入りとかレコード(CD)販売に響いてきて経営が傾かないとも限りません。

例えていうと、ラインスドルフ時代のボストン交響楽団、ブーレーズのニューヨークフィルなどがあります。これは指揮者の実力というより聴衆と感性がかみ合わなかったので人気がありませんでした。
また前任指揮者(ミュンシュ、バーンスタイン)の人気があまりにも大きすぎた理由もあるようです。

このようにオーケストラも生き残る為には優秀な団員と指揮者をいかに確保するかにかかっています。サッカーやプロ野球チームとおなじです。多少、年俸は高くとも監督と選手は優秀なのを集めないと経営も危うくなります。

わが日本でもNHK交響楽団はアシュケナージが常任指揮者になるので期待が出来ます。前任のデュトワがフランス、スペインなどのラテン系だったので今度は、ロシア、北欧などの北ヨーロッパ系の音楽が多くなるでしょうね。

ところで私の希望はアシュケナージのもとシベリウスとショスタコーヴィチの交響曲全集を出してもらいたいものです。    06・2・8 <ページトップへ> 
ショスタコーヴィチ:交響曲第14番「死者の歌」 ショスタコーヴィチ:交響曲第14番「死者の歌」
アシュケナージ(ヴラディーミル) ロジャーズ(ジョーン) レイフェルクス(セルゲイ)

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12・リストの交響詩

ピアノの天才的技巧と、多くのピアノの名曲を残したリストは、交響詩という分野を創設したことでも有名です。
ベルリオーズの幻想交響曲の影響を強く受けて、標題音楽的な交響曲「ダンテ」や「ファウスト」を作曲しました。文学や神学と深いかかわりを持った彼は標題を描写するするよりも文学的、詩的に扱うといった斬新なアイディアを曲に盛り込んだのでした。

13曲作られた交響詩のうち最も有名な3番「前奏曲」はフランスの詩人ラマルティーヌの詩的瞑想録に基づいて作曲されました。
第1番「山岳交響曲〜山上で聞きしこと」は30分もある大作で、哲学的な渋い曲なので決して人気曲になることはないだろうと思われるのですが、じっくり聞けば聞くほど味のある作品です。

その他全て内省的で20分近くもある作品ばかりなので、全13曲を聴くには相当体力が必要ですが、ベートーベン、ベルリオーズがお好きな方はきっと気に入るはずです。

音楽史におけるリストの功績は交響曲や交響詩の各部を同じテーマで統一するとか、斬新な管弦楽法を駆使した色彩感あふれる音楽はまさにベートーベンからワーグナーへの橋渡しをしたといえるでしょう。

これら13曲の交響詩は傑作の割には人気がなく、「前奏曲」のほかには6番「マゼッパ」がわずかにCDで出ていたくらいで、私も全曲はつい最近聴いたほどです。

国内盤では全曲は出ていなかったのでマズア指揮ゲヴァントハウス管弦楽団の輸入盤を買いました。その他廉価盤のブリリアントからもアルパド・ヨー指揮ブダペスト交響楽団のハンガリーの本場盤も出ています。

題名は「タッソー嘆きと勝利」「祭典の響き」「ゆりかごから墓場まで」「理想」などの観念的な題材が多く、単なる描写音楽に終わっていないところが画期的でした。またオーケストレーションも近代的でR・シュトラウスに大きな影響を与えたのではないでしょうか。音楽の骨格が太くたくましいのでまるでワーグナーを聴いているような錯覚に陥るほどです。

私は昔から第3番「レ・プレリュード」が大好きだったのですが、この歳まで他の交響詩に接する機会がなかったので、改めて全13曲を聴いてみてこのリストの偉大さを思い知りました。とにかく聴けば聴くほど味わい深いのです。

交響詩がお好きな方はぜひ聴いてみてください。きっと新しい感動に出会えるはずです。06・02・14  <ページトップへ>
 ★リスト:交響詩集
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団 リスト ショルティ(サー・ゲオルク)

13・個性的な演奏家が多くいた時代

HPでクラシックの話題を気楽に書いて楽しんでいますが、こうして書き進んでいるうち気がついたことがあります。
それは、ここで取り上げる演奏家のことです。そのほとんどが過去の指揮者だということです。

私が中年だということもありますが、今まで実演に接してきた有名指揮者の大部分が天国に召されたという事実に愕然としました。
オーマンデイ、ムラヴィンスキー、スヴェトラーノフ、バーンスタイン、ノイマン、ヤンソンス(父)、シノーポリ、朝比奈隆、など思い出しても亡くなった指揮者ばかりです。

以上にあげた実演に接した指揮者以外にレコードやCDで楽しんでいた大好きだった指揮者はほとんど過去の人となってしまいました。
(最も残念だったのは、カルロス・クライバーの実演が体験できなかったことです。伝説のバイエルン国立管弦楽団の来日演奏会の興奮はものすごいものでしたね。)


何も現代の音楽家が劣っているとは思いませんが、昔の演奏家は個性が強かったことは確かでした。

怒りの音楽のトスカニーニ、ロマンティックなアプローチで演奏不可能なくらい燃え上がるフルトヴェングラー、弦楽器のポルタメントを多用するメンゲルベルク、リハーサル嫌いで本番の一発勝負的な即興性を重んじたクナッパーツブッシュ、慈愛に満ちた温かい音楽を奏でたブルーノ・ワルター、どんな曲も自己流にアレンジするストコフスキーなど、上げればきりのないくらい個性的な指揮者ばかりでした。

もちろんこれらは、レコード、CDで聴いただけですが、リアルタイムで実演に接したかったなあと思わせる本物の芸術家ばかりです。

この頃のレコードは録音技術も稚拙でモノラルの上、低域高域の両方が寸詰まりのお粗末なものです。このような音でも演奏をききわけていた昔の愛好家の耳は素晴らしいものでしたね。実際の演奏に接したらどれほど素晴らしかったことでしょうか。

21世紀になり、アーノンクール、ラトル、ゲルギエフ、ヤンソンス、サロネン、ケント・ナガノ、など有望な指揮者が目白押しですが、私はどうしても古い指揮者ばかりを聴いてしまいます。

今日も、クレンペラー指揮のベートーベン交響曲を聴いたのですが。古典的造形の美しさと厳しさが同居したベートーベンの運命は聴いていて背筋がピンとするくらい威厳に満ちていました。改めて最近の若い指揮者からは感じることの出来ない魂の芸術だと思ったのです。

画家、小説家などでも作品からにじみ出る人格が感じられるように、指揮者がつくる音楽からもその人格が色濃く出てきます。我々はそれも含めて音楽を鑑賞しているので感動したり、つまらなく感じたりするのでしょう。     06・02・15  <ページトップへ>

14・モーツァルト交響曲第1番

仕事が休みなので久しぶりに本を読みました。バック・グランド・ミュージックには頭の働きが良くなると評判のモーツァルトを選びました。

後期の有名な交響曲では意識がそっちに行ってしまうので、めったに聴かない初期の交響曲を1番から順に聴いて行きました。

そのお陰かどうか、難しい本が2冊もすらすらと読めました。いつもなら眠気が来て2〜3ページも読むとダウンしてしまうのにモーツァルトの効果は抜群でした。

8歳で最初の交響曲を書いたとは、信じられない出来ですが、クルスチャン・バッハのシンフォニアの影響があるのでしょうか、実に晴朗で軽快な交響曲でした。

私はモーツァルトの交響曲全集を4種類持っているのですが、初期の曲はつまらないのでほとんど聴かなかったのです。でも今日は一日かけてじっくり聴きました。

そして今までの「聴かず嫌い」の状態を残念に思いました。作品の出来も良く、快速楽章は実に爽やかで緩徐楽章も若々しい抒情が漂っているのに気がついたのです。つまらないと決め付けていたのは自分の鑑賞力が無かっただけでした。

演奏はカール・ベーム指揮のベルリン・フィルの堂々たる演奏です。最近のオリジナル楽器の演奏が出現する前の、一つの基準を打ちたてた名演奏です。

25番以降の堂々とした演奏はもちろんのこと、初期の作品もじっくりと腰を落ちつけて説得力豊かに歌い上げています。

25番以前の曲もこれからはじっくり聴いてゆこうと思いました・・・・・・・。
そういうわけで今日ははからずも、モーツァルトの天才ぶりに改めて驚かされた一日になったのです。06・02・17  <ページトップへ>
モーツァルト:交響曲全集 モーツァルト:交響曲全集
ピノック(トレヴァー) イングリッシュ・コンサート モーツァルト

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15・デイズ二−映画「ファンタジア」

子供の頃テレビで「三菱ディズニーアワー」と言う番組が金曜日の8時から1時間ありました。これは2週間に一回の放送でその次の週は力道山の出てくる「プロレスアワー」との交代番組でした。
大人たちはプロレスに夢中でどこの家のテレビもこの日だけは大人たちに占領されたものです。

私はこのプロレスがなぜ人気があるのか理解できませんでした。いつも反則の応酬で最後には決まってリング外での乱闘になるのです。本当にばかばかしく次の週のディズニーアワーが待ち遠しかったものです。

話をファンタジアに戻しますが、この番組でこのアニメを見た瞬間にクラシック音楽の虜になってしまいました。一目惚れと言いましょうか最初のバッハ、トッカータとフーガが始まった途端電気に打たれたように衝撃を受けました。光と色と線のみが綾なすバッハの名曲はまさに私の心を捉えたのです。

ディズニー自身が語っていましたがバッハから何らかのイメージを受けてアニメにしようとしたけど音楽そのものしかイメージ出来なかったそうです。バッハは音そのものの純粋な完全な音楽なのでしょう。

つづくチャイコフスキーのくるみ割り人形のこんぺいとうの踊りや花のワルツは幻想そのものの素晴らしさでした。カバとフラミンゴとワニが出てくる、ポンキュエリの時の踊りはディズニー一流のおふざけで大笑いしました。

つづくムソルグスキーの禿げ山の一夜では一転して地獄の様相になり恐ろしさのあまり小さい妹などは泣き出したほどです。ギリシャ神話から取ったベートーベンの田園交響曲ののどかな音楽で夢心地になり、デュカスの魔法使いの弟子で大笑いしてクライマックスのストラビンスキーの春の祭典では恐竜の姿とあの野蛮な曲に腰を抜かさんばかりのショックを受けました。

おおげさだとお思いでしょうが、まだクラシックを知らない子供がこんなにも素晴らしいアニメと音楽を同時に吸収したのです。とても口には言い表せられないくらいのショックを受けたのでした。

それからと言うものこれらの曲を聴くたびディズニーのアニメを思い出してしまいます。もうすっかり頭に刷り込まれてしまっています。この作品が1940年の作品だと後に知ってまたびっくりしたものです。日本では白黒のお粗末な映画しか作っていない時代によくもこれほど立派な映画が出来たものだと感心します。

何かの本で読んだのですが日本が戦争中、シンガポールを占領した時の戦利品の中にこの映画フィルムがあって、それをちょうど戦地の慰問中だった人気女優の高峰秀子さんが将校から呼ばれてこの映画を軍人たちと見たそうです。その時の感動を語っておられましたが、軍人たちもあまりの素晴らしさに席を立つのも忘れてしばらくは声も出なかったということでした。

この映画は歴史に残る名作だと思います。大げさではなく人類の宝として後世に伝えていくべきものでしょう。2000年に発表された続編はこれもまた素晴らしいものでしたが、前作に比べたら感動の大きさではだいぶ落ちます。音響もよく映像もCGを使っての驚くべき美しいアニメなのですが・・・・。

写真:左1940年作品ストコフスキー指揮フィラディルフィア管弦楽団。右は2000年版ジェイムズ・レバイン指揮シカゴ交響楽団、収録曲は運命第1楽章、レスピーギ・ローマの松、サンサーンス・動物の謝肉祭、ストラビンスキー・火の鳥ほか。
     06・02・18   <ページトップへ> 
B000FEI530 ファンタジア
ベン・シャープスティーン ウォルト・ディズニー
ブエナ・ビスタ・ホーム・エンターテイメント 2006-07-26

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16・ヴィヴァルディヴァイオリン協奏曲集作品9・ラ・チェトラ

有名な協奏曲集「和声と創意への試み」Op8「四季」の後に出版された協奏曲集で、ヴィヴァルディが50歳の最も円熟した頃の作品は非常に聴き応えのある協奏曲になっています。

題名の「ラ・チェトラ」とは弦楽器の名でこの時代はシターンと呼ばれるギター系の楽器を指すのが普通でした。果たしてヴィヴァルディはどの楽器を念頭に置いて作曲したかは不明ですが、今では全曲ヴァイオリンで演奏しています。

個人的な意見ですが私はヴィヴァルディの作品の中でこの曲集が一番の傑作だと思います。特に第12番は素晴らしいの一言です。ロ短調のこの曲はVnの調弦が普通とは違います。

「スコルダートゥーラ技法」と言われる調弦法で演奏されます。普通弦は下からG−D−A−E(ソ、レ、ラ、ミ)となるところシーレーラーミと変則的になるのです。困難なパッセージを弾きやすくしたり音色に変化を与える時に使用されます。

その効果として第1、3楽章のアルページョ奏法が延々と続く所など耽美的でさえあります。全くヴァイオリンの美しい音色にうっとりして我を忘れてしまうほどです。私はこの12番だけの為にあらゆるCDを買い求めて聴き入っています。

ヴィヴァルディはヴァイオリン協奏曲の完成を成し遂げた作曲家です。作品3、4では一部合奏協奏曲的な部分もあり、発展途上という感じがするのですが作品8の「四季」を含む12曲で完成をみました。

そのあとに出版されたこの作品9では独奏ヴァイオリンがより輝かしく円熟に向かいつつあるのが感じられる実に味わい深い作品群です。
全12曲全て素晴らしいのですが。特に短調の5曲はほのかな哀愁が漂い幾ら聴いても飽きる事がありません。

私の最も好きなのはシモーネ指揮のイ・ソリスティ盤です。バロックらしくないテンポの揺れを用いて感情を高める現代的な抒情をかもし出しています。また思い入れたっぷりに間をいれ、音が消えるかと思うくらいのデミヌエンドをかけたり、突然テンポが速くなったりでほとんど即興演奏のように感じるほどです。

その他古楽器のホグウッド指揮エンシュエント・ミュージックのビロードの衣擦れのような優雅な響きの演奏も聴き逃せません。現代楽器ではマリナー指揮アカデミー管弦楽団のかっちりした構成の中にも音楽の遊びがあり、いかにもセンスのよいスマートなイギリス人を彷彿とさせる演奏です。

私はイタリアの澄み切った青空のような(行ったことはないけれど・・)美しいヴィヴァルディの音楽が本当に大好きです。 06・02・19 <ページトップへ>
ヴィヴァルディ:ラ・チェトラ ヴィヴァルディ:ラ・チェトラ
スタンデイジ(サイモン) エンシェント室内管弦楽団 ビバルディ

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17・異色のブラームス交響曲を聴きました

先日、ちょっと変わったブラームス交響曲全集を買いました。全曲が4枚組で3000円未満と、安かったのが購入理由ですが、クリストフ・エッシェンバッハ指揮のヒューストン交響楽団の演奏でした。エッシェンバッハはもともとピアニストとして有名でしたが、ほどなく指揮者に転向し最近ではもっぱら指揮活動のみ重点を移しているようです。

はじめに「変わった」と書きましたが、交響曲1番を聴いたとたん「これはなんだ?」とびっくりしたです。いつも聴きなれた冒頭部分の熱狂が全くなかったからです。

スローテンポで淡々と進んでゆく第1番はかなり異様なものです。反復記号を忠実に再現している事もあって、一楽章だけで19分もあるのです。13〜4分が通常なのに5分も差があるなんてちょっと異常ですね。

バルビローリなどは晩年、極度にスローテンポの演奏でしたが、それはロマンティックな演奏を心がけた結果そういうテンポになっただけでした。でもエッシェンバッハの演奏はロマンティックでもないのです。
とにかく「暗い」演奏です。内省的ないぶし銀のような渋い演奏だと言えばよく聞こえますが、そんな単純な言葉ではいい表せないような、「癖のある」異色の演奏でした。

他の曲も同じような暗い情念の渦巻いた演奏でした。ところが初めは違和感があったのですが聴き進んでゆくうちに、今まで味わった事のない新鮮さを感じだしたのです。

どうやらエッシェンバッハの、術中にはまったのかも知れません。
もう少し、じっくりとこの異色の演奏を味わおうと思ったのです。
ところで最近はこういう異色の演奏が増えましたね。アーノンクール、ジンマンなどが思い浮かびますが、このエッシェンバッハもこれから注目してゆきたい指揮者のひとりになりました。

最後にお口「耳」直しに、カール・ベームのブラームス交響曲を聴いて「やはりこうでなくちゃあ〜」と妙に安心しました。 06・02・20   <ページトップへ> 
シューマン:交響曲全集 シューマン:交響曲全集
北ドイツ放送交響楽団 シューマン エッシェンバッハ(クリストフ)

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18・ヴィオラ協奏曲の魅力

ヴィオラ協奏曲が4曲収録されたCDを聴きました。バロックのテレマンから近代音楽のヒンデミットまでが収められていました。

曲目はテレマン、クリスチャン・バッハ、ホフマイスターそしてヒンデミットです。テレマン以外はめったに聴かれない珍しいものなので興味深く鑑賞しました。

ビオラはオーケストラでは縁の下の力持ち的な目立たない楽器ですが、このパートがオーケストラの技量を決めるといわれるほど重要な楽器です。

普段は生でメロディが聴こえる場合が少ないのですが、ソロとなるとこの楽器の特徴が際立ってきます。「すこし鼻にかかったような艶めかしい音色」は他の楽器には代え難い独特の魅力がありますね。

クリスチャン・バッハのヴィオラ協奏曲は確か、チェロ協奏曲としても出ていたように思いますがヴィオラの方がずっと華やかで美しいと思いました。

また、モーツァルトより2歳年上の楽譜出版社を創設したことで有名なホフマイスターのヴィオラ協奏曲も憂いを含んだなかなかの優れた作品でした。特に第2楽章アダージョはモーツァルト、ハイドンにも負けないほど魅力にあふれていて、これほどの傑作があまり有名でないことに驚いたほどです。

このホフマイスターの曲があまりにも気に入ったので、エームス・レーベルで出ていたホフマイスターヴィオラ協奏曲全集をすぐに買ったほどです。

全集といっても協奏曲2曲と12のエチュードだけですが・・・。これがまた予想以上に良くて目下のところこればかり聴いています。演奏はホグウッド指揮のピライのソロです。

ヴィオラ協奏曲は本当に少ないのですが、最も印象に残っているのはモーツァルトの協奏交響曲K,364(ヴァイオリンとヴィオラの為の)です。

特にヴァイオリンとヴィオラがしみじみと語り合うアンダンテの第2楽章は全ての音楽の中で最も美しいものではないでしょうか。(私の独断ですが・・・)この曲では明らかにヴィオラが主演でヴァイオリンは脇役でしかありません。ヴィオラの深い心の奥底をえぐるような哀切の音色はいつまでも心から離れません。モーツァルトはなんという美しい音楽を残してくれたのでしょうか。神に感謝したいほどです。

オイストラッフ親子がこの協奏曲を演奏したのを聴いた事がありますが、息子のイーゴリがVnで父親のダヴィッドがヴィオラを弾いていました。息子は親を思いやり父親はやさしく息子を見守るような情景が思い浮かびほのぼのとしたものです。

本当にヴィオラの音色は心に染み入りますね! 
        
06・02・21<ページトップへ>
 

19・おひな祭りの歌

今日は3月3日。おひな祭りですね。
女の子をお持ちの人とか女性の方は、家でお雛様人形を飾っておられるのでしょうね。
でも3月3日が終われば、すぐにかたづけないと婚期が遅れるという、迷信がありますが皆様はすぐに片付けられるのでしょうか。

私はもう少し娘に結婚して欲しくないので片付けるのをちょっと遅らそうと思っています。


さて、お雛様の歌はたくさんありますが、いちばん有名なのは昔からある「うれしいひな祭り」(河村光陽・作曲 サトウ・ハチロー作詞)ではないでしょうか。

  「あかりをつけましょ ぼんぼりに お花をあげましょ 桃の花・・」

この曲は日本的な典雅さと優しさにあふれたうつくしい童謡ですね。男の子の私でもこの曲は好きでよく、口ずさんだものです。
特に3番の歌詞
  「金の屏風に うつる灯を かすかにゆする 春の風・・・・」というところが大好きでした。

なんという美しい表現でしょうか。春の情景が目に浮ぶようです。この美しい歌詞が短調のメロディに乗って歌われるのを聴いた時は子供心にも感動したのを覚えています。

でも2番の歌詞 「お嫁にいらした ねえさまに よく似た 官女の 白い顔 」「官女」を「感じ」と聞き違えていたことを大きくなるまで気が付きませんでした。

童謡 「赤い靴をはいてた 女の子・・・」の「偉人さんに連れられて・・」のところを「いい爺さん」とか「ひい爺さん」などと聞き違えるのと同じですね。歌詞を見ずに耳で聞き覚えるのでこういう間違いが起こるのでしょう。

今日は娘のために久しぶりに雛人形を飾って「お雛様」のレコードをかけたので昔のことを思い出してしまいました。(なお、写真のキティちゃん雛人形はイメージ写真です。)
06・03・03  <ページトップへ戻る>

20・フルートの魅力

最近、うれしい事がありました。私が昔から好きだったフルーティストのひとり、ハインツ・ツエラー(カラヤン時代のベルリンフィル・トップ)の孫弟子の方とひょんなことでお知り合いになれたからです。アマチュアの方ですが今では市民オーケストラで時々演奏されているとお聞きしました。

これがきっかけでしばらく聴いていなかった、ツェラーの演奏するCDを引っ張り出して聴いてみましたが、あいかわらずふくよかな中低音で情感込めて朗々とフルートを演奏する様は21世紀の現代でもこれを超える演奏家はそんなにはいないなあと思わせるほどの見事さでした。バッハのブランデンブルク協奏曲第5番、ロ短調組曲、やモーツァルトの協奏曲と改めて聴きなおしました。

私はオーボエはやっていましたので他の人よりはオーボエの音楽をよく聴きますが、このオーボエの音色は硬質でしばらく聴いていると耳が疲れてきます。

楽器自体がそういう風に出来ているので仕方が無いのですが長時間の観賞は疲れますね。実際にやっていた本人が言うのですから間違いありません。

未完成交響曲や白鳥の湖などの美しいテーマで有名ですが、あれもオーケストラの合奏の合間にかすかに出てくるから美しいのです。いわば刺身のツマのようでしょうか。(オーボエファンの方すみません)あまり出てくると飽きられます。

その点、フルートは実に耳に優しいですね。何時間、聴き続けても疲れることがありません。リードを振るわせて音を出すのではなく、空気を振るわせて音を出すのですから自然の音に近いのでしょう。まさに風の音ですね。協奏曲の中で一番よく聴くのはやはりフルート協曲でしょうか。ピアノ協奏曲より好きです。

このところのお気に入りは、ヨハン=ヨアヒム・クヴァンツ(1697−1773)のト長調協奏曲です。何種類かの演奏を聴き比べていますが、テレビで放送されたのを録画したのをよく聴きます。

プロイセン王のフリードリッヒ大王の作ったロココ調のサンスーシー宮殿(「憂いを知らぬ」と言う意味)での実況録音です。ハルステッド指揮、ハノーバーバンドでフルートはレイチェル・ブラウンでした。

大王のフルートの教師であったクヴァンツの作品がここで演奏されるにはこれ以上のところは無いでしょう。豪華な宮殿で演奏する様はニ百数十年前もこんな風だったんだろうなと思わせる見事な情景でした。

そしてこの宮殿の美しさにも増して印象的なのは、このソロ演奏のレイチェル・ブラウンのフルートを吹く姿の美しいこと!音楽の美しさにも匹敵する気品に満ちたこの奏者の魅力に、ただただうっとりしてしまいました。

楽器はキーの無い古楽器でしたので早いパッセージの指使いの妙味がより鮮明に見られました。NHK-BSで2回放送がありましたのでまた再放送するかもしれません。皆様もチャンスがあればぜひご覧下さい。

フリードリッヒ大王自身がフルートの名手でまた作曲もしていることもあってこの時代は、フルートの黄金時代と言ってもいいでしょう。

フランツ・ベンダ、C・P・E・バッハ、カール・シュターミッツ、など数多くあります。クヴァンツなどは300曲もフルート協奏曲を作曲したと伝えられているのですが今、聴くことが出来るのは3曲ほどです。

もっともっとこの時代の協奏曲が聴きたいものです。この他、時代はバロックですがヴィヴァルディ、テレマン、ヘンデル、などもフルート協奏曲多くあり全てが名曲ですね。全部聞きたい衝動にかられるほどです。

写真のCDはパトリック・ガロワの「サンスーシー宮殿のフルート協奏曲集」です。エマヌエル・バッハ、ベンダ、フリードリッヒ大王、クヴァンツと4人の作曲家の作品が収録されています。

この頃のサンスーシー宮殿ではなんとすばらしい音楽会が開かれていたのでしょうか。こうして思い浮かべてもため息が出るほどの豪華さでしたね。
     (この記事は以前書いたものの再録です。)<ページトップへ>

 ★サン・スーシ宮殿のフルート協奏
ガロワ(パトリック) C.P.E.バッハ シュレーター(カール=ハインツ)

21・悪妻が大作曲家を作る?

5日の日曜日のTBSテレビ「題名のない音楽会」という番組で、悪妻と作曲家というテーマで放送していました。音大の青島広志教授が面白おかしく講義してくれたので本当に楽しい30分間でした。

最初は先生の娘を妻にしたビゼーでした。この女性はビゼーの才能を全く評価せずに馬鹿にして、家事も一切せずにぐうたらな性格だったそうです。彼女はビゼーの作品を紙くず同然に棄てたともいわれています。(あ〜あ、もったいない!)

「交響曲の父」ハイドンの悪妻は有名ですが、この女性も音楽には理解がなく、ハイドンが書いた楽譜を包み紙にしたりケーキをオーブンで焼く時の下敷きにしたり髪を巻くカーラに使ったりしたほどです。

これらの楽譜が残っていればハイドンの音楽はもっともっとあったかも知れません。この夫人が亡くなったあと、ハイドンは”悪妻の歌”という輪唱の小品を作っていますがきっと積年の恨みを晴らしたのでしょうね。

それからプッチーニの奥様は異常に嫉妬心が強くて、もてもてのプレイボーイだったプッチーニの周りに寄ってくる女性達をことごとく中傷したそうです。この中傷で誤解された女性が自殺をしたということでプッチーニは大いに悩まされました。

マーラーの19才年下の奥様”アルマ”は美貌と才能豊かで、いろいろ浮名を流したという事です。妻の浮気に悩まされたマーラーは神経衰弱になり病気の為若死するのですが・・・。

最後に有名なモーツァルトの妻、”コンスタンツェ”が紹介されていました。浪費家で遊び好きの子供のような天才モーツァルトに輪をかけて浪費家だったコンスタンツェはモーツァルト家の経済事情を破綻させ、結果的に寿命を縮めてしまった元凶としては「悪妻」の代表格でしょうね。

こうして見て行くと、有名作曲家がこんな女性を妻に迎えたからこそ、いい作品が出来たのではないでしょうか。生活に追われて食べる為に必死に作品を書き続けたモーツァルト。

浮気者の悪女、カルメンを実感を持ってオペラに出来たビゼー。
妻の浮気を知って、精神衰弱に陥ったマーラーの複雑怪奇な交響曲群。これらは全て悪妻を持ったからこそ出来たのではないでしょうか。

もし、そうだとしたら後世の我々は、大作曲家の「悪妻」に感謝しなければなりませんね。06・03・06 <ページトップへ>

22・オーボエの名曲

今日は、昔好きでアマチュア・オケで吹いていたオーボエの名曲のことについてちょっと聞いてください。全くの自分勝手な好みの問題ですので「それは無いだろう」と言われるお声はこの際一切無視いたします。

まず一番好きなのは、ドイツバッハ・ゾリステンのオーボエ奏者・ヘルムート・ヴィンシャーマンです。1970年代にコロンビアから出ていたLP、バッハのObとVnの為の協奏曲を聴いたときからこの楽器が好きになりました。愛くるしい優しさに溢れた音色は他の奏者には感じられない愉悦感を感じたものです。

ハインツ・ホリガーの完璧なテクニックと繊細な表情のオーボエも捨てがたいのですが、やはりヴィンシャーマンとは暖かさが違います。特にお気に入りはバッハのフルート・オーボエ・ヴァイオリンの為の協奏曲BWV1064aです。(3つのチェンバロの為の協奏曲からの編曲です。)

この曲の3つの楽器がからみあう様はまるで3匹の蝶が舞う草原で、横たわっている幸せな自分を感じます。悲しい時つらい時この美しい音楽が、どれだけ慰め励ましてくれたことか・・・。忘れられない一曲です。

今でもこの曲を聴くのが好きです。全く飽きることがありません。
同じ曲をヴィンシャーマン以外の演奏で聴いたことがありますが、やはり彼の音色じゃなくてはなりませんね、どこがどう違うのか私みたいな素人には分かりませんが全然違うのです。リードの硬さ、ビブラートのかけ方、色んな原因で違うのでしょう。(あたりまえです。それだからこそ人それぞれ音色が違うわけですね。)

★バッハ : フルート・オーボエ・ヴァイオリンのための三重協奏曲
ドイツ・バッハ・ゾリステン ヘンデル(ゲオルク・フリートリヒ) ヴィンシャマン(ヘルムート)

この他、カラヤン時代のベルリンフィルのトップ、ローター・コッホ。この人の音色はまた違います。
甘いとろけるような優雅な音色でした。下手な人が吹くとペーペーとガチョウが鳴いているような音がしますがコッホの場合はリードの音は感じず、まるで空から音が舞い降りてくるような柔らかい音色でした。だからと言って弱い音かと言うとそんなことはありません。あのベルリンフィルが大音響で演奏していてもその音の波の上をすいすいとオーボエの音が響き渡るのです。

まさに天上の音楽とはこの事を言うのでしょう。

カール・ベームの指揮シューベルトのグレイト交響曲のオーボエのソロはコッホの真骨頂です。他の誰にも真似の出来ないみごとな演奏です。特に第4楽章など同じリズムと主題が何度も何度も繰り返されてしまいには恍惚感すら感じる交響曲ですが、オーボエが美しい歌謡的なメロディを奏する所などまさにコッホの独壇場です。私は色んな演奏で聴きましたがこれにまさる演奏は無いと信じています。
シューベルト:交響曲第8番&第9番 シューベルト:交響曲第8番&第9番
ベーム(カール) ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 シューベルト

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最近は、古楽器で演奏されることも多くなり、現代楽器も昔のようにビブラートを多用することがすくなくなり(ノンビブラート奏法)すっきりとした演奏が増えてきています。鄙びた音色の古楽器も捨てがたい魅力がありますが、昔の個性溢れる自己主張の大きい演奏は本当に素晴らしかったですね。

ついこの間購入した、「ナクソス」のイタリアン・オーボエ協奏曲集第2巻のアンソニー・キャムデン(1972〜88年ロンドン響トップ)というイギリスのオーボエ奏者のCDには思わず聴き惚れてしまいました。

バロック時代のジョヴァンニ・プラッティ(1692〜1763)という人の協奏曲をはじめて聴きましたが、ホリガーとコッホのちょうど中間くらいの音色でとても澄み切った美しい音色にうっとりしました。曲は短調とあって澄み切った中にも一抹の愁いを含んでいてとても心に残る協奏曲でした。

演奏者はさておいて、オーボエの名曲は数多くありますね。トマゾ・アルビノーニの協奏曲はこのオーボエの魅力を広く世間にひろめてくれましたし、またソロ楽器として完成させたヴィヴァルディにも沢山名曲があります。バロック時代はヴァイオリンに次いで重要な楽器であったオーボエは古典派以降ソロ楽器としての使命は終え、もっぱらオーケストラの一員としてしか活躍の場はありませんでした。

だから、どうしてもバロック時代が主になりますね。
古典派でもハイドン(疑作)・モーツァルトと有名曲はありますが、フルート、ヴァイオリンに比べてはるかに少ないのが残念でなりません。けれど贅沢言っても仕方ありません。今ある曲で満足しましょう。06・03・06 <ページトップへ> 
ヴェニスの愛~オーボエによるバロックの調べ ヴェニスの愛~オーボエによるバロックの調べ
コッホ(ローター) ベルリン弦楽合奏団 シュバルツ(ペーター)

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23・鬼才!カルロス・クライバー

後のカリスマ指揮者といわれて久しいカルロス・クライバーが2004年に亡くなりました。長寿が多い指揮界ではまだまだ若い年齢だったのに残念でなりません。

1968年にバイエルン国立歌劇場と契約しそのときの活躍で決定的な名声を確立し、74年には初来日して日本でも大成功を収めました。その後はどこの音楽監督のポストにも就かずフリーな立場を貫いていましたがミラノ・スカラ座、ウィーン・フィル等の一流オーケストラとの共演が話題になりました。

ワーグナー、R・シュトラウスが有名で、ベートーベン、ブラームスの名演も残っています。
初来日で振ったのも最後の94年の公演もR・シュトラウスの「ばらの騎士」で、歴史に残る名演とされ日本にも熱狂的なファンも多くいます。

カラヤン、バーンスタイン亡き後、最後のカリスマ指揮者といえる大指揮者が遂に亡くなったという事は、クラシック界において大きな痛手となるでしょう。
クライバーは先の二人に比べたら極端に演奏会も録音も少なく、「キャンセル魔」の彼の実演に接することが出来るのは本当に運がよかったといえるほどの少なさでした。

数少ない録音もその全てが、緻密な設計で音楽が内蔵するエネルギーを最大限まで発揮させるその手腕には驚かされます。

テレビで70年代のリハーサル風景を何度か見ましたが(曲はこうもり序曲、魔弾の射手序曲)、それはそれは、微に入り細に入り細かく指示し、音楽をどんどんクライバー流に変えてゆく様を目の当たりにして驚きました。

音楽のエキスパートの有名楽団のメンバーに向かってあれほどの厳しい指示や要求をやれるなんて驚いたほどです。

一流のオーケストラがまるで学生オケのように大人しく従順に従っているのが信じられませんでした。見ていても執拗で細かいことにこだわりすぎてうんざりするほどなのですが、そこはカリスマ指揮者ですね、出来上がってくる音楽は見事なものでした。一流のプレイヤーをも唸らせる指揮技術を持っていることは確かです。いや、音楽性と言ったほうがいいでしょう。

10分足らずの序曲でもあれほど時間をかけて細かく指示するのです、オペラのような大曲だったらどれだけの時間が費やされたことでしょうか。想像しただけでもうんざりして来そうです。(オケのメンバーの立場になっています。)

クライバーがあれほど人気と実力があったのにめったに演奏会も録音もなかったところには、彼の異常なくらいの音楽へのこだわりが災いしたかも知れませんね。完璧主義者の天才ほど扱いにくいものはなかったのでは・・・・と思わずにはいられません。

ベートーベン、モーツァルト、ブラームスの交響曲も素晴らしいのですが、やはりクライバーはオペラが最も輝いていましたね。「魔弾の射手」「こうもり」などの歌劇も彼独特の音楽の弾みと絶妙な間合いが、束の間の感動を味あわせてくれて理屈ぬきに楽しませてくれます。

しかしながら残念なことは一曲もモーツァルトのオペラを録音してくれなかったことです。
もしも残っていたら、さぞかし素晴らしい演奏だったことでしょう。<ページトップへ>

★ウェーバー:魔弾の射手 全曲
ライプツィヒ放送合唱団 ヤノビッツ(グンドゥラ) マティス(エディト)

24.ロシア民謡の決定盤 大地を揺るがす圧倒的な声の力!

黒い瞳、カチューシャの歌、トロイカなどのロシア民謡はもう既に日本の曲のように、あらゆる所に浸透しています。ダークダックスやボ二−ジャックスなどの男性コーラス・グループが頻繁に取り上げていたので、よけいに有名になりました。

帝政ロシア、共産独裁のソビエト時代と、過酷な運命を余儀なくされた民衆の魂の叫びというべき民謡の数々が、我々日本人の魂をも揺さぶったのでしょう。

17世紀にドン河流域のコサック(農奴の群れ)すなわちドン・コサックの首領・ステパン・ラージン(日本ではステンカ・ラージン)が農民の反乱を組織しました。その時の英雄の功績をたたえた叙事詩の形態が後のロシア民謡の原型になったという事です。そしてその後、歌は民衆の生活に入り込み、苦しい時、悲しい時、嬉しい時の感情をうたい込みました。

ロシア民謡の特徴は、自分の心の内に向かって歌い込むのではなく、他人に向かって歌いかける内容が多いこと、自然をうたった歌の中にも必ず人間が存在するなど、他の国の民謡には見られない特徴です。

国立アカデミー・ロシア合唱団や国立モスクワ合唱団など日本に何回も来日してその素晴らしい歌声を披露してくれました。アカペラ演奏の粋を誇るその重厚な低音と澄んだ女性コーラスのアンサンブルは聴く者を、あの広大な荒涼としたロシアの大地を連想させたものでした。

私は、昔からこのロシア民謡が好きでよく聴いてきましたが最近、ロシア民謡の決定盤といえるほどの素晴らしいCDを手に入れました。

それは右の写真にあるポリャンスキー指揮のロシア国立交響合唱団という団体です。

初めて聴いた時その合唱能力の完璧さに驚きました。ノンビブラート奏法を用い全てのパートが絶対的な音感の良さでまるで楽器で演奏しているような錯覚にさせるほどの見事なアカペラ演奏なのです。
その表現はロシア的な厚化粧を洗い落としているのですが、さっぱりとした古風で味わい深い民謡の本質はきちんと残されています。

このCDと出会えた事を神に感謝しながら、いつも聴いています。大げさだとお思いでしょうがそれほど素晴らしい演奏なのです。

「暗い森」「誰がために鐘は鳴る」「母なるボルガを下りて」などの伝統的な民謡も従来の古めかしい衣を脱ぎ捨てたかのような爽やかな清新な味わいを見せています。まさに人間の声を持ったオーケストラです。これはロシア民謡ファン必聴のCDでしょう!

06.03.07 <ページトップへ>
 ★ロシア民謡名曲集~母なるヴォルガを下ル 〔暗い森/誰のために鐘は鳴る/他〕ボリャンスキー/ロシア国立交響合唱団
ヴァレリー・ポリャンスキー ロシア国立交響cho.

25.演奏会の拍手について

名演奏や感動させてくれた演奏には盛大な拍手を送りたいものです。たまには熱狂してブラボー!と声が出ることもあります。まあ大抵は終楽章が派手で特に最後のコーダから畳み込んで来るような曲には、誰でも次第次第に熱狂していって感動のフィナーレとなる訳ですが・・・。

こんな曲の代表曲としてはベートーベンの第9やショスタコーヴィッチの第5、ベルリオーズの幻想交響曲、ストラヴィンスキー春の祭典などはどうしても最後には感動の嵐になるように出来ています。

これらに対してチャイコフスキーの悲愴、シューベルトの未完成、シベリウスの第6交響曲のように最終楽章が静かに余韻をもって終わる曲の場合は拍手のタイミングが難しいですね。あまりの美しさにもっと余韻に浸っていたいのに、まだ指揮者が指揮棒を降ろしていない内から拍手をする無粋者が後をたちません。こんな時にはせっかくの名演奏なのにがっかりしてしまう事があります。皆さんもそういう経験をしたことがあるでしょう。

何もそんなに焦らなくてもいいのに、まるで拍手の競争をしているようです。よく海外の演奏会の様子をFM放送などで聴きますが、あちらでは静かな曲の場合全曲が終わってだいぶしてから、おもむろに拍手が起こりますね。何かとてもゆったりとした大人の雰囲気を感じるのは私だけでしょうか。

それから、拍手のタイミングというより、全く違う場所で拍手が起こりびっくりしてしまう曲もあります。そんな曲の代表曲がチャイコフスキーの第5交響曲です。

この曲の第4楽章は一度ゼネラル・ポーズしてしばらくしてから最後のコーダに入ります。ここの場面で全楽器が休止するので観客は終わったと勘違いして拍手をしてしまいます。今までこの曲を聴きに行って、ここで拍手のフライングを聞かなかったことはほとんどありません。

ところで最も驚いたのは2003年のウィーンのニューイヤー・コンサートで起こりました。アーノンクールがウィンナワルツの数々を演奏してくれて全てが素晴らしいコンサートだったのですが、1部の最後にウエーバーの舞踏への勧誘を演奏したところ、この曲の最後の部分でまだ終わっていないのに、会場で拍手が盛大に起こりました。

慌てたアーノンクールが体を観客の方に向け急いで拍手を制していました。(この曲はワルツが華々しく終わると、男性が踊りの相手の女性にうやうやしく挨拶し、席までエスコートしてゆく情景がチェロのソロで奏されるのです。)

私はてっきりこのようなクラシック音楽界のビックイベントであるニューイヤー・コンサートにこれほど有名な曲を知らない人が多数いることにびっくりし、またがっかりもしました。高い入場料を払って来ているだろうに、本当のクラシックファンにもっと来て欲しいものですね。

ひょっとしてこのコンサートは金持ちのステイタス・シンボルとしてのイベントとなっているんでしょうか?そう思わずにはいられない出来事でした。
写真はヒューズ指揮のフィルハーモニア管弦楽団のポピュラー名曲集です。中でも「舞踏への勧誘」の名演奏が最大の魅力です。06・03・09 <ページトップへ> 
B00008CH48 ニューイヤー・コンサート2003・DVD
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 アーノンクール(ニコラウス)
TDKコア 2003-03-26

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YOUTUBE 間奏曲 〜しばらくお休みください〜クヴァンツ:フルート協奏曲ト長調
(ウクライナの演奏家)

32.のサンスーシー宮殿の音楽会 の項をごらん下さい 【ページトップへ


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26.モーツァルト協奏交響曲K・364”ヴァイオリンとヴィオラのための”

モーツァルトは協奏交響曲は2曲書いています。一曲は管楽器の為のK・297bで、もう一つはヴァイオリンとヴィオラのための曲です。このK・364は1779年にザルツブルクで作曲されましたが、直前の旅行を通して知った「マンハイム楽派」の影響が反映されているという事です。

この協奏曲はモーツァルトの作品の中でも特異な雰囲気を持っています。以前のヴァイオリン協奏曲のような明るさはなく、ヴィオラを独奏楽器の一つとしていることもあって、地味で落ち着いた雰囲気があります。

若いときはこの音楽のレコードを持っていましたが、派手さがなくなんとなく暗いのであまり聴くことはありませんでした。

ところが、歳を重ねるごとに「鑑賞力」が変わってきたのでしょうか?昔聴いても感動できなかったこの曲が、とても心に響いてくるようになったのです。

1楽章ははじめの頃はモーツァルト本来の明るさがあるのですが、ヴィオラの音色から来る印象でどこか哀しい雰囲気を持っています。1楽章の中間部でオーケストラの伴奏が消えるようになくなり、静かな中からおもむろにヴィオラが主題の短調の変奏が姿をあらわすところなど思わず涙がこぼれそうになります。

続くアンダンテの第2楽章はモーツァルトの最も美しい楽章ではないでしょうか?ふたつの楽器が詠嘆的な旋律を歌い交わすところなど、モーツァルトの哀しみの心の奥底を覗くようでたまらなくなってくるほどです。

底抜けに明るく、冗談ぽい姿を見せるモーツァルトの音楽にも、こんなに気持ちをさらけ出す音楽も書いていた事に驚きました。若いときはただ美しい曲だなあと思っていただけなのに最近では、この曲を聴くと涙が出て仕方がありません。

特に夜中に聴くとダメですね。「美しいとか素晴らしい」という言葉すら、空々しく感じるほど心に染み渡ります。優しく温もりのあるヴィオラの中低音が、ヴァイオリンの奏でるメロディを支える様は、まるで優しい父が私に語りかけているように思えてなりません。

若くして死ななければならなかった優しい父の声。この曲を聴いていてふと思い出したのです。目を閉じて聴いていると〜ふたりの父子が霧の深い森の中を思い出を語りながら歩くさまが思い浮かびます・・・・。

モーツァルトは明るく屈託がない曲が多いのですが、よく聴いてみると必ず日が陰るような暗いところが顔を出します。ピアノ協奏曲20番、24番など短調の曲は数が少ないのですが、そんな曲の中にモーツァルトの本質が隠れているのではないでしょうか?

本で読んだのですが短調の協奏曲を発表したとたん、それ以降の演奏会の予約がさっぱりで、それ以降聴衆の好みの曲を書いたと言う事です。当時の聴衆の好みが明るい曲を望んでいたので、自分の本音を押し殺して長調の明るい曲を書き続けたのかも知れませんね。

CDではグリュミオーのVn、ぺリッチャのヴィオラ、ディヴィス指揮のコンセルトヘボウ管の演奏が一番好きです。美音で有名なグリュミオーが音をセーブしてヴィオラの引き立て役に徹している演奏に好感が持てます。併録されているヴィオッティのVn協奏曲22番は一転してロンマンティックに美音を駆使して楽しませてくれます。この名演が1000円で買えるとは信じられないくらいです。

最近の録音ではクレーメルVn,カシュカシアンVla,アーノンクール指揮ウィーン・フィルが意欲的なアプローチで聴かせてくれます。06・03・11
モーツァルト:協奏交響曲 モーツァルト:協奏交響曲
ロンドン交響楽団 グリュミオー(アルテュール) ペリッチャ(アリゴ)

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モーツァルト:VN協奏曲全集 モーツァルト:VN協奏曲全集
クレーメル(ギドン) ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 キム・カシュカシャン

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27・武満徹の音楽・「弦楽の為のレクイエム」

フォ−クソングの「死んだ男の残したもの」という歌が、武満徹の作曲だと今日知りました。


実はクラシックのお好きな方とのメールのやり取りで知りました。
早速、CDを探してみたところ、ボニージャックスの歌のCDが出てきました。原曲は誰が歌っていたのか思い出せませんが、確か森山良子、加藤登紀子などの歌手も歌っていたように思います。

曲はベトナム戦争を意識した静かな反戦歌ですが、私は今ではクラシック界の巨匠である
「武満徹」がフォークソングも作曲していたと言う事に驚きました。

武満徹といえば数多くの映画音楽が有名で、黒澤監督の「どですかでん」や「太平洋ひとりぼっち」「怪談」「黒い雨」といった名作の映画音楽を担当していました。
テレビ時代にもNHKの大河ドラマ「源義経」「春の坂道」「秀吉」など重厚で日本的な音楽を付けていました。

私が初めて武満の音楽を知ったのは、高校生の頃 小澤征爾指揮トロント交響楽団とのレコードで「ノヴェンバー・ステップ」「弦楽の為のレクイエム」などの音楽を聴いたときからです。
琵琶と尺八を独奏楽器とした「ノヴェンバー・ステップ」はその斬新な管弦楽法に驚いたものです。これこそ日本の「わび」「さび」の世界と西洋音楽との融合だと思いました。

また忘れられないのは、1983年に小林正樹監督のもと作られた、記録映画「極東国際軍事裁判(東京裁判)」という映画に使用された「弦楽のためのレクィエム」の音楽です。

この悲痛な音楽と映画の悲惨な場面との相乗効果で身の毛もよだつほどの恐ろしさを感じたものです。

「東京裁判」という戦勝国が一方的に敗戦国日本の指導者を糾弾する裁判を通して、日本軍が行った残虐な戦争行為を記録映画を通して描いた4時間半もある映画なのですが、この曲を使用した事で「戦争の悲惨さ」が一層増したように思います。実際は百何時間もあったフィルムを4時間半に縮めたと言う事ですが、充分に戦争の悲惨さが理解できました。

何年も前にこの映画を見たのですが私は「弦楽の為のレクィエム」を聴くたび悪夢のように思い出します。映画では日本の戦争行為を描いてあるのですが、またアメリカ軍の市民を巻き込んだ無差別爆撃、原爆投下、ソビエトのシベリア抑留などの映像もあり、これらの戦争犯罪は一切糾弾せずに、まるで戦勝国のリンチのような裁判の様子も克明に描いてありました。
とにかく戦争には一切のルールはないということです!


話が横道にそれました・・・。「弦楽のためのレクィエム」は57年に結核の病床で作曲されたと言う事です。どうりで「死の影」が全編に漂っているわけです。当時評論家に酷評されたのですが、59年に来日したストラヴィンスキーが絶賛をした事から世界中に知られる事となったのです。

まさに「天才は天才を知る」ということですね。世界的に有名になった武満は以後、ジョン・ケージとの交流を通じて「偶然性の音楽」の影響も受けました。


最近は優れた演奏がたくさんあり、だれでも接する事が出来るのですが、深刻で情緒的な日本の「わび」「さび」が感じられる作品ばかりです。はたして外国人が理解できるのか危惧をしましたが、今では日本より外国の方が「タケミツ」の芸術は理解され認められているようです。

写真のCDはBISレーベルの尾高忠明指揮紀尾井シンフォニエッタ東京の演奏です。
「幽玄」の境地に遊ぶかのような名演です。     06・03・12  <ホームへ戻る>
 
B00005FGG6武満徹 : ノヴェンバー・ステップス / ア・ストリング・アラウンド・オータム / 弦楽のためのレクエイム 他
横山勝也 小澤征爾 サイトウ・キネン・オーケストラ
ユニバーサルクラシック 2000-04-26

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28・ ピアノ曲ベストテン

少し前、朝日テレビ「題名のない音楽会」の番組を見ていたら、日本人の好きなピアノ曲ベストテンを発表していました。この番組は民放テレビでは珍しいクラシック音楽をテーマにした番組です。私が学生のころは作曲家の黛敏郎氏がメイン司会を勤める結構ヘビーな内容のクラシック番組で毎週日曜日には楽しみに見たものです。

しかしながら時代と共にその内容も大衆向け路線に変更してゆき、黛氏が降板してからは何回も司会者も代わり私も興味が無くなりしばらく見ていなかったのですが、たまたまこの回はピアノ曲のベストテンが発表されるとあって興味深く見ました。

その時の曲をここに書き出します。(10位)ジムノペディ・(9位)乙女の祈り・(8位)映画・菊次郎の夏よりサマー・(7位)別れの曲・(6位)Your song, エルトン・ジョン・(5位)ドビュッシー/月の光・(4位)ラプソディ・インブルー・(3位)ラ・カンパネラ・(2位)レット・イット・ビーで、そして(1位)ですが、これがなんと坂本隆一のエナジー・フローでした。

これを見て正直のところ、がっかりしました。視聴者のリクエストとか応募で決めるとこんな結果になるんですね。
1位のエナジー・フローって何?ましてや北野たけし監督の菊次郎の夏ってなんでしょう?ベストテンに入るほどいいんでしょうか?これらの曲を聴いていないから何とも言えませんが・・・。

ポピュラーっぽい曲ばかりで、クラシック・ファンの私には納得のいかないベストテンでした。

こういう調子で大衆のリクエストで演奏会のプログラムが決められるから、どの演奏会でもバロックならヴィヴァルディの四季、シンフォニーなら新世界、ブルックナー、マーラーなどとどこを見ても同じような曲目になる訳ですね。

芸術と言っても商売なのですから大衆迎合主義になるのは当たり前です。日本では国の援助が少ないのでオーケストラは客の入りそうなプログラムを組んで、現代音楽とかマイナーな曲はなかなか演奏は出来ません。

その点ヨーロッパのオーケストラはこういう援助の体制が整っているので、自由に意欲的なプログラムが組めるわけです。羨ましい限りです。たまにはマイナーな曲も実演で聴いて見たいものです。

話が横道にそれてしまいました。
私ならピアノ曲のベスト・ファイブはこうなります。
(5位)チャイコフスキー・ピアノ協奏曲第1番・・・第1楽章の大胆なテーマの出だしから圧倒されます。(4位)グリーグ・ピアノ協奏曲、北国のリリシズムがひしひしと感じられる冷たさがたまらない。(3位)ショパン:ワルツ集とノクターンがすばらしい。これ以上の美しいメロディがあるでしょうか。(2位)モーツァルト:ピアノ協奏曲第21番・・・・モーツァルトはどれもいいのですがこの曲が一番メロディックで親しみやすいですね。

そして(1位)はモーツアルト「コンサート・ロンドニ長調K382」
・・・昔、NHK・FM「朝のバロック」のテーマミュージックでした。この曲を聴くと、生きている幸せを感じます。なんと清純な美しい調べなのでしょうか。まさに天上の音楽とはこういう音楽のことを言うのでしょう。私は誰がなんと言おうがこの曲がベストワンです。

でも条件があります。アルフレード・ブレンデルのピアノでマリナー指揮のアカデミー室内管弦楽団の演奏です。他のでしたら順位は少し落ちます。

こうして好き勝手に選びましたが、他に幾らでもいい曲はあります。ベートーベンやシューマン、シューベルト・リストなど。ただ今日の気分で選んだに過ぎませんのでいつ変動があるかも知れません。

皆様もこうしてたまに自分のベストテンをあげてみても面白いのではないでしょうか。
06・03・14            
 ★モーツァルト:ピアノ協奏曲〜ロンド/第2集
ブレンデル(アルフレッド) アカデミー・オブ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズ モーツァルト
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29・バッハ・トランスクリプション(編曲)

バッハほど多くの「パロディ作品」すなわち”トランスクリプション”編曲作品を書いた作曲家はいないでしょう。その中には他の作曲家の作品までも改作したものがたくさんあります。例えばヴィヴァルディのVn協奏曲の調和の幻想からの何曲かはバッハの習作として色んな楽器で編曲されています。

そしてバッハ自身のチェンバロ協奏曲はその殆んどがヴァイオリン協奏曲からの改作である事は既に有名ですが、彼の教会カンタータも以前の音楽の使いまわしである事が多いのです。そういう背景を考えれば現代においてもバッハの音楽をさまざまに編曲して管弦楽にしたり楽器編成を変えるという行為は、バッハ自身の芸術的、精神的なありかたと同じなのではないでしょうか。

昔から色んな人々が編曲を試みてきましたがストコフスキー、オーマンデイ、クルト・レーデルの3人は特に有名です。その原曲はさまざまでオルガン曲ありカンタータなどありで非常に多種多様で楽しめます。

映画「ファンタジア」で一躍有名になったストコフスキーのトッカータとフーガは彼の生涯を通じての十八番といわれてもいい名アレンジです。レコード時代の到来と共に多くのバッハの編曲を録音していました。

1930年代のSP時代の演奏をCDで聴きましたが、バッハへの畏敬の念をいっぱいに称えた素晴らしいものでした。後のステレオ時代でも節目節目にこのバッハの編曲を録音してくれていたので我々もその音楽に触れることが出来ます。

またフィラデルフィア管弦楽団をストコフスキーから受け継いだオーマンディも同じようにバッハ作品を盛んにオーケストレーションしていました。同じ曲でもオーマンデイの場合は少しボリューム感がありより華美に聴こえる編曲ぶりでした。

最近発売されたクルト・レーデル盤は最もテンポが速く原曲のオルガンからの脱却を図ったユニークなトッカータとフーガでしたが、バッハの曲はどのような編曲でもその音楽自体が持っている本質は全く損なわれる事もなく聴く者を感動の渦に巻き込んでゆきます。これらどの演奏もバッハへの愛情があふれた心温まる演奏です。

バッハの時代に現代のようなオーケストラがあったならきっと彼自身もこのように華麗にオーケストレーションしたことでしょう。

写真左上から レオポルド・ストコフスキー指揮チェコ・フィルハーモニー管弦楽団(1972年ライブ録音デッカ原盤)  ストコフスキー指揮ロンドン交響楽団(1974年録音)RCA  ユージン・オーマンディ指揮フィラディルフィア管弦楽団(1960・68年録音)ソニー クルト・レーデル指揮プロアルテ管弦楽団(1996年録音)エラート <ページトップへ> 
B00069BO0K バッハ:トッカータとフーガ
ストコフスキー(レオポルド) レオポルド・ストコフスキー交響楽団 バッハ
EMIミュージック・ジャパン 2004-12-08

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30・「へぇ〜」のトリビアの泉

フジテレビ系列の「トリビアの泉」と言う番組にこのあいだからはまっています。この「トリビア」とは些細な事、つまらない事という意味だそうです。
この生きてゆくうえで役に立たない面白い知識を視聴者が投稿して みんなに「へぇ〜」と言わせる度合いを競う番組です。意外な事柄を発表してタモリ氏を筆頭とするタレントのパネラー5名が「へぇ〜」と驚いた数だけボタンを押してゆきます。

そしてその合計数が一番多い投稿者に商品を与えるといった たわいもないバラエティ番組ですが、見ていて、なるほど「へぇ〜」と思わせる事実が次から次から出てきて結構面白くあっという間に1時間過ぎてしまいます。

驚いてボタンを押すごとに気の抜けたような「へぇ〜」という音がでて笑わせるのですが 内容はいたって真面目で思わず身を乗り出して見てしまいます。

”水戸黄門は諸国漫遊などしていなくて最も遠方に出かけたのは箱根まで”とか、”宇宙までの距離は、東京、熱海間の距離とほぼ同じ”とか、本当にへぇ〜と思う事ばかりです。

音楽ネタとして、印象に残っているのは、”モーツァルトは「俺の尻をなめろ!」と言う曲を作った”ということを取り上げていました。2分くらいの短い輪唱の曲で実際にオペラ歌手がそれを歌ってくれたのには驚きまた大笑いしました。

天才ゆえの天衣無縫なモーツァルトが結構下品な行いをしていたとかいう事実は知っていましたが、まさか”尻をなめろ”などの歌があるとは知りませんでした。まさに20「へぇ〜」です。


それから”指揮棒が刺さって死んだ音楽家がいる”という紹介をしていたときも、とても驚きまた大笑いしました。

その音楽家とはフランス・バロックの大家リュリ(1632−1687)なのです。バッハより50年程前に生まれた、ルイ14世の寵愛を受けて宮廷作曲家に登用されたフランスの大作曲家です。

指揮棒が刺さるなんて大したことがないとお思いでしょうが、番組によると長い杖のような棒で先がとがっている指揮棒なのです。それを上下に振って床を叩いてテンポをとって指揮するのですが、王の前で勢い余って自分の足を思い切り突き刺してしまい、その怪我が元で55歳で死亡したという事です。

番組ではその場面のフランス映画の一場面を紹介していましたが曲のクライマックスに勢い余って自分の足を思い切り刺してしまった場面など、可哀想やらおかしいやらとても印象に残っています。この事実は本などで知っていましたが映像で見ると印象がもっと深いですね、これからリュリの作品を聴くと指揮棒を突き刺して痛がってもだえるリュリの顔が思い出される事でしょう。

太陽王の為のバレエ音楽集 ケヴィン・マロン指揮アレイディア・アンサンブル(ナクソス盤)フランス宮廷で人気のあった絢爛豪華なバレエ音楽は聴くものをなんとも優雅な気持ちにさせてくれます。06・03・18 
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31・ショスタコーヴィチ〜心のそこから冷え込む音楽

三月だというのに、まだまだ冷え込んでいます。いつになったら春になるのだろうか?今年は桜の開花も遅れることでしょう。

こんな厳しい寒い冬にふと思い起こす音楽は、ショスタコーヴィチではないでしょうか。
冬の雰囲気をもった音楽としては、チャイコフスキー、シベリウスが代表格ですがショスタコーヴィチはまさに暗い暗い日の差さない極寒の荒涼たる風景が広がっているようです。

シベリウスの暗さは極北のフィンランドの清涼な大自然の風景から来るのですが、ショスタコーヴィチは何かに圧迫された心の奥底から冷え冷えとする「心理的に寒い」音楽です。

ソビエトの社会主義体制からたびたび批判を受け、自らの芸術性を犠牲にして(一見)体制に迎合した音楽を作り続けてきた音楽は、屈折した心情があちこちにちりばめられているように思います。


交響曲第4番の前衛的な響きを駆使した意欲作が、ソビエト当局に「ブルジョワ的過ぎる、退廃的だ」と批判を受け、危うく粛清されるところを批判をかわすために起死回生の願いで発表された交響曲第5番で彼は命拾いをしました。

この交響曲には「革命」とかいう副題が付いていましたが「革命」とは似ても似つかないその内容はまさに人間の悲劇を描いてるようです。


以前初めてこの交響曲を聴いた時、全体をおおう暗さに驚きました。特に3楽章の永遠に続くかのようなラールゴ楽章に、わけもわからず心のそこから冷え冷えしたのです。

後年ヴォルコフの「証言」というものが発表されてショスタコーヴィチの真実が語られた時には「なるほどな」と思いました。こんなにも屈折した心情が隠されていたのかと改めて驚いたのです。


ショスタコーヴィチの暗さは、当時の社会主義体制から来るものなのか、彼自信本来の性格の暗さから来るのか、判然としませんが、私は多分両方が作用してこんなに暗い曲を作ったのだと思います。

後期の10番以降は全く救いのないほどの暗さです。特に11番「1905年」の第2楽章「1月9日血の日曜日」のロシア皇帝の軍隊が民衆を弾圧する場面は、私が今まで聴いてきた音楽中で最も悲惨で最も恐ろしい音楽でした。「何か目に見えない大きなものが」襲ってくる恐怖を感じたのです。

寒いというより背筋が凍りつくほどの心理的恐怖感です。20分もある第2楽章の中間部分から突如大音響で、まるで戦車が民衆をなぎ倒してゆくような恐ろしい地獄絵に変わるところは、悪夢を見ているようです。そしてこの大合奏が終わると、死の静寂があたりを覆っている・・・・。
私はこの音楽を聴くと、89年の中国天安門での民衆への弾圧を思い起こしてしまいます。
1905年の状況は見ていないのですが、89年の天安門事件はテレビの報道を通じてこの目ではっきり見ました。独裁政治が反対勢力を弾圧して政治生命を延命してゆく恐ろしさをまざまざと見せ付けられたのです。

この交響曲からそんな恐ろしい情景をイメージしてしまいました。

とにかく暗いやりきれない交響曲が多いショスタコーヴィチですが、音楽的に最も美しく叙情的なのは交響曲第8番ではないでしょうか。第2次世界大戦中に作曲されたこの曲は戦争の悲惨さを訴えながらも、芸術の崇高さを追求したかのような澄んだ響きは心に迫ってきます。

演奏はプレヴィン指揮のロンドン交響楽団がこの世とは思えない美しい響きでこの悲惨な交響曲を不朽の名曲まで高めています。そして全曲はバルシャイ指揮ケルン放送交響楽団がブリリアント・レーベルから廉価で出ています。演奏・録音・値段三拍子揃った全集といえるでしょう。4000円ほどで全曲が買えるもの魅力です。.

寒い北国の曲がお好きなファンの方、幾ら好きでも気分の陥った時には絶対にショスタコーヴィチは聴かないでください。あまりに暗くて救いがないのでもっと深みにはまってしまう恐れがあるからです。 06・03・23 <ホームに戻る>
★ショスタコーヴィチ:交響曲全集
ハイティンク(ベルナルト) ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団 ショスタコーヴィチ

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32・サン・スーシー宮殿の音楽会

18世紀サン・スーシー(憂いを知らぬ)宮殿で連日行われたであろう豪華な演奏会を再現したCDが最近何枚か出ています。

私は以前NHK衛星放送でこの宮殿での演奏会を再現した放送をみたことがありますが、黄金に輝くホールに当時の一流の音楽家が集まった映像はまさに夢のような演奏会でした。

プロイセン王フリードリッヒ・ヴィルヘルムU世(フリ−ドリッヒ大王)が1740年の在位後まもなく47年にベルリンの郊外ポツダムに、フランスのヴェルサイユ宮殿にならって建てたロココ風の宮殿で”憂いを知らぬ”という意味の”サン・スーシー”と命名されました。音楽に並外れた関心と才能があった王は、多くの才能にあふれた音楽家を雇い入れて夜毎の演奏を楽しんだという事です。

自身もフルートの名手であったフリードリッヒ大王をはじめそのフルート教師であったクヴァンツ、チェンバロの名手、バッハの次男CPE・バッハ、やゼレンカ、ベンダ、キルンベルガー、グラウン、ブラヴェなどの錚々たる作曲家が一堂に会していた情景はどれほど素晴らしかったことでしょうか?

このロココ時代の音楽はあまり取り上げられる事もなく、CDもめったに出ていませんでしたが聴いてみると、思いのほかに充実した音楽にびっくりしたものです。なぜ、今まで忘れられていたのだろうかと信じられないほどでした。

最近ではこの時代の音楽を盛んに録音してくれてCDもリリースされだしたのでファンとしてはうれしい限りです。

私は優雅で活力がありフリードリッヒ大王のお気に入りだったクヴァンツのフルート協奏曲が大好きです。彼は300曲ものフルート協奏曲を書いたといわれているのですが現存するのは数曲のみということです。(あちこち探してやっと6曲聴く事が出来ましたが・・)何とかもっともっと発掘してもらってたくさん聴きたいと思っています。

写真のCDはCPEバッハ、フランツ・ベンダ、フリードリッヒ大王、ヨハン・ヨアヒム・クヴァンツのフルート協奏曲集です。パトリック・ガロワのフルートソロです。この演奏によって当時の宮廷の贅を尽くした演奏会を垣間見ることが出来ます。
 ★サン・スーシ宮殿のフルート協奏
ガロワ(パトリック) C.P.E.バッハ シュレーター(カール=ハインツ)
この時代の音楽は春の気配がある爽やかな日にこそふさわしい、まさに憂いを知らぬ(サン・スーシー)音楽ですね。06・03・25  <ページトップへ>

33・ヴィヴァルディ「四季」の楽しさ

厳しい冬の季節もようやく終わり、あちこちで春の息吹を感じる今日この頃ですね。こんな日和にはたとえまだ春が来ていなくとも私の心の中ではヴィヴァルディ四季の春のメロディが鳴り響きます。

花の咲き誇る草原を渡る爽やかな風が吹く中、森の鳥たちの歌う声を表現した「春」で始まるこの名曲は日本のクラシックファンの心を瞬く間に捉えてしまいました。そして戦後のバロックブームのさきがけを作ったのもこの曲でした。

季節の変わり目がはっきりしている日本だからこそ人気になったのでしょうが、この曲を聴いているとそれぞれの季節折々のイメージがわいてとても共感できますね。

イ・ムジチ合奏団のCDはいまだにベストセラーを記録していてもう何百万枚売ったか分からないほどです。イムジチが来日するたびにこの曲を演奏しているにもかかわらず毎回満員になるというほど、みんなこの曲が好きなのです。

ところがこの曲ほど演奏によって変わる曲も珍しいです。楽譜が単純なうえに演奏家による即興が許されたバロック時代の作品なので、様々な演奏のCDが出ています。

オーソドックスでスタンダードともいえるイムジチ盤、ドイツ的なごつごつしたアクセントを強調したミュンヒンガー盤、テンポの爽やかなマリナー盤、古楽器演奏のアーノンクールのドラマティックさ、など様々な演奏があります。

そして最も衝撃的なのはビオンディのエウローパ・ガランテの演奏でしょう。まさに21世紀のバロックはこれだと言わんばかりの大胆なテンポで躍動するヴィヴァルディです。このようにざっと挙げてもいろんな「四季」がありこれら全てが同じ曲とは思えないほど、それぞれに個性があって興味が尽きません。「クラシック音楽ってなんて奥が深いんだろう」とつくづく思わせてくれます。

この四季は全曲素晴らしいのですが私は特に「冬」が好きです。凍てつく寒さに歯の根があわずにガチガチなる様を描いたVnソロの面白さはたまりません。続く2楽章のラルゴでピチカート伴奏が戸外の冷たい雨をあらわす中、部屋の中では暖炉を囲む憩いのひととき。このメロディはヴィヴァルディの全作品の中でも最も美しいといえるでしょう。

それに、この曲集には14行詩ソネットが添えられています。各曲はこのソネットを踏まえた描写的な内容になっていて、標題音楽の先駆的な作品として知られています。

写真のファビオ・ビオンディ(Vn)指揮エウロパ・ガランテ(1991年録音)はイタリア人による古楽器演奏の爽やかなヴィヴァルディです。大胆なテンポと独自のアイデアが盛り込まれた新時代のバロックの登場です。聴き飽きた感のあるこの曲なのに聴くたびに新鮮な感動を与えてくれます。 06・03・30 <ページトップへ> 
B00005GK1K ヴィヴァルディ:海の嵐(協奏曲集)
ビオンディ(ファビオ) チョメーイ(セルジョ) パグナーティ(ティツィアーノ)
EMIミュージック・ジャパン 2000-07-19

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34・春初めてカッコウを聞いて

この春らしくて愛らしい曲を聴いた事がありますか?
この曲を作ったディーリアスはドイツ人を両親にイギリスで生まれた最後のロマン的音楽詩人ともいえる音楽家でした。(1862年〜1934年)  21歳の時にアメリカに渡り果樹園経営の勉強をしますが、音楽に興味を持ちドイツで音楽院に入学して正式に音楽を学び1897年35歳の頃から作品を発表し始めました。

音楽家としては非常に遅くデビューしたせいか、その作品は抑制が効いていて決して神経を刺激しない心地よさにあふれています。

1912年に作曲した「小管弦楽のための2つの小品」の中の第1曲目がこの曲でした。純粋で繊細このうえなく全編に静かな抒情が漂っています。

この「春初めてカッコウを聞いて」という曲は、穏やかな春の温もりにまどろむ弦楽器群をバックにクラリネットがカッコウの鳴声を静かに奏で、まるで暖かい春の野山を行くようです。

ディーリアスはこのような自然を描写したような穏やかな音楽が多くイギリスの演奏家が好んで取り上げています。

ロンドン・フィルとロイヤル・フィルを私財をつぎ込んで創設した指揮者トーマス・ビーチャムはディーリアスと親交があり、彼の音楽を紹介し続け、今日イギリスでのディーリアス人気の発端を築きました。

その他バルビローリも生涯ディーリアスの音楽を愛し続け優れた録音を残しています。ディーリアスは20世紀の音楽家と言えるでしょうが、作風は後期ロマン派の系列で無調の時代とは無縁の保守的なもので、穏健な楽想と田園的な抒情にあふれたものです。

まだお聴きになっていないのでしたら一度聴いてみてください。サクラ咲く今の日本の春にぴったりの美しい音楽です。06・03・31  <ページトップへ> 
ディーリアス:管弦楽曲集 ディーリアス:管弦楽曲集
バルビローリ(ジョン) ロンドン交響楽団 ディーリアス

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35・春たけなわ!ストラヴィンスキー:春の祭典

今、桜前線が日本列島を縦断している真っ最中です。日本中のあちらこちらで花が咲き乱れ、いよいよ春になりました。こちらでも桜並木が一斉に花開き、まるで生の喜びをその木々いっぱいに謳歌しているようです。寒い冬には外に出るのはおっくうでしたが、この頃は何かしら理由も無いのに体の奥から力が湧きあがるのを感じます。

音楽では、こういう気分を表す代表曲として、ストラヴィンスキーの春の祭典を思い起こします。
はじめてこの曲に出会ったのは、以前書きましたように、子供の時に見た「ディズニーのファンタジア」でした。このアニメではこの曲を古世代の地球を舞台にしていました。

宇宙の成り立ちから地球が出来その50億年も前の地球が冷えて海が出来、アメーバーのような原生動物がやがて進化して、魚類、両生類となり恐竜が出てくる時代までを描いた、地球の大叙事詩だったのです。

とにかくそのアニメを見たときのショックはいまだに抜けなくて、この曲を聴くたびにあの巨大な恐竜の姿が目に浮かぶほどです。

後年、この曲のレコードを買って聴いて、この曲のテーマは原始人が汚れない乙女を狩猟・農耕の豊作を願って生贄に捧げ、この乙女が踊り狂い死に至るまでを描いたものだと知りました。

この曲には「異教徒ロシアの情景」という副題が付いています。異教徒ロシアとはまだキリスト教が入ってこない時代のロシアのことです。かつての原始民族には春を迎えるにあたって処女を生贄にする習慣がありました。だから「春の祭典」と言う題名はちょっとあいまいなもので正確には《生贄の祭典》とすべきでしょう。ストラヴィンスキーは《選ばれた処女の犠牲の踊り》をクライマックスに置き原始人の大地崇拝の儀式をバレエ音楽として再現したのです。

ところで、1913年5月13日パリのシャンゼリゼ劇場での初演は大変な騒ぎになったそうで、聴衆が演奏会場の床を足で踏み鳴らし、口笛と怒号の中で演奏が聞こえなかったということです。

さすがにこの曲を100年も前の人が聴いた驚きと戸惑いは想像を絶するものだったのでしょう。

今では既に古典となり、ちょっとした学生オケでも演奏できるくらいの普及曲なのですが、やはり今でも聴いているうちに体の奥底から突き上げてくる原始の力というか、何かしら得体の知れない感情をもたらす音楽ですね。

最初に聴いたレコードは、この曲の初演者と演奏団体であるピエール・モントゥー指揮のパリ音楽院管弦楽団でした。中学生の頃はこの演奏で相当興奮したものですが、今となってはとても優雅で大人しい演奏だと思います。その後は圧倒的な迫力の暴力的な演奏がめじろ押しでしたから、かえってこのレコードの古典的で音楽的な解釈が好ましく思われます。

圧倒的迫力の演奏の最右翼は、ちょっと録音が古いのが気になりますが、マルケヴィッチのフィルハーモニア管弦楽団(1959年録音)でしょう。今でも迫力十分の原始的演奏だと思います。

   ★ストラヴィンスキー:ペトルーシュカ&春の祭典
   モントゥー(ピエール) パリ音楽院管弦楽団 カッチェン(ジュリアス)

さて、桜が満開の今日この頃、みなさんも桜の咲く木の下でお酒を飲む機会があるかと思いますが、この春の祭典の曲のテーマのように我を忘れて踊り狂わないようにしてください。      06・04・07    <ページトップへ>

36・輸入盤LPの魅力

以前の国内盤LPジャケットはたいてい指揮者の顔写真か風景写真であまり面白くなかったですが、海外盤になるとイラストやデザインが面白く、その魅力でついつい買ってしまいました。特にアメリカの”ノンサッチ”というレーベルは奇抜な面白いジャケットがたくさんありましたね。

以前デザインを勉強していた時期もあったので、ちょっと粋な色使いや構図が珍しくてよく参考にしたものです。肝心の演奏は一流どころではないのでちょっとがっかりするレコードもあったのですが、国内では聴けない楽団も多くあったのでとても興味深かったです。

ちょっと思い出しても、ピエール・ブーレーズ指揮のハーグ・フィルハーモニック管弦楽団のヘンデル「水上の音楽」などもありました。

フランスの現代音楽の旗手だった若き日のブーレーズが振った一風変わったバロックは本当に貴重なものでした。

このように輸入盤の楽しみと言えば日本では買えない珍しい曲やマイナーな(名前が知られていないだけの)指揮者の演奏が聴けることでした。

ここにある写真のジャケットはアメリカの”クロスロード”というレーベルのものです。あまりにもジャッケットのイラストが面白かったので購入しました。それもそのはずでホフマンと言う有名なイラストレータの作品だったのですから。アメリカのデザイン年鑑などにもよく登場していた有名イラストレーターなのです。

このようにいろんな画家やイラストレーターがジャケット絵を作っていたので本当に楽しみでした。今のCDとは大違いです。CDは画面が小さいうえ、風景写真か指揮者の写真ばかりで全く面白くありません。

さてこのレコードの演奏はドボルザーク交響曲第7番、ズデネック・コシュラー指揮のチェコ・フィルハーモニック管弦楽団です。原盤はチェコ・スプラフォンですが、自国の大作曲家の作品を歯切れのよいきびきびした演奏で最後まで飽きさせずに聴かせてくれました。

当時初めて聴いた曲なのに私をこの曲のファンにさせたほどの名演奏でした。CD化されたらもう一度買って聴いてみたいと思っています。何しろレコードは古くて傷だらけなので・・・・。 06・04・08  <ページトップへ>

37・フルートとハープの為の協奏曲K・299

モーツァルトは50曲を越す協奏曲を作曲しましたが、そのうちの半数はピアノ協奏曲でした。モーツァルト自身がピアノの名手で自分で演奏する為に作曲をしたので多く残っているわけです。

その他の楽器の為の曲は、その楽器の達人や依頼をもとに作られたので少ないのは仕方のないことでした。でも残っている作品は全て、傑作と言ってもいいほどで、これ以上の作品はないといわれるほどの出来です。モーツァルトの力量たるや、まさに驚くべきものといっていいでしょう。

協奏曲といえばピアノかヴァイオリンの為の協奏曲が最も多く、また有名ですがモーツァルトの作品のなかでも、また全てのクラシック音楽の中においても非常に珍しい組み合わせの協奏曲があります。それが「フルートとハープの為の協奏曲」です。私の知る限りではこの曲が唯一だと思います。

フルートとハープの為の協奏曲という、変わった組み合わせの音楽が出来たのはちゃんとした理由があったのです。モーツァルトが21歳の時、素人音楽家のド・ギーヌ公爵より娘の結婚式で披露する音楽を書いてくれと依頼があったからです。

公爵はフルートが達者で、娘はハープが上手かったと言う事です。娘はモーツァルトの作曲の生徒で当時父親に宛てた手紙で「公爵は素晴らしい腕を持ったフルートの名人です、またその僕の弟子になっている娘さんは、ハープが上手で200曲くらい暗譜で弾きます・・」と記しています。

こうして、公爵家の令嬢の結婚式で父娘が仲良く演奏する為に作曲されたので、弾きやすいハ長調という調性にし、フランス人好みの華やかなギャラント・スタイルの協奏曲が作られたのです。


この頃のモーツァルトはパリにおいて条件の良い就職口も得られず、また同行した母親をパリで失うなど、経済的にも家庭的にも恵まれない時期でした。
でも、少なくとも作曲の上では成果がなかったわけではありません。この「フルートとハープの為の協奏曲」「管楽器のための協奏交響曲」と「交響曲第31番パリ」などが作曲されたからです。

モーツァルトは初めはフルート協奏曲とハープ協奏曲の2曲を作曲する予定だったそうですが、18世紀末のパリではバロック時代のコンチェルト・グロッソ(合奏協奏曲)の伝統がまだ残っていたし、これが変質した協奏交響曲(サンフォニー・コンセルタント)が愛好されていたという背景があったのでこのような作品が誕生したのでしょう。

現在のフルートとハープは改良されてあらゆる表現が出来ますが、当時の楽器は性能上の制約が多く、モーツァルト自身フルートが好きではなく、父親に手紙で「がまんの出来ない楽器」と訴えているほどなのですが、さすが天才ですね今残っているフルートのための音楽は全て傑作としてフルート音楽の最高峰に置かれているほどです。

いま、この曲を聴きながら書いていますが、21歳の溢れんばかりの才能が泉のように湧き出て後世の私たちの心を幸せに満たしてくれます。なんという美しさでしょう、そしてなんというはかなさでしょう。
まるで満開の絶頂期にはらはらと散ってゆく桜の美しさにも匹敵するようです!
        06・04・09        <ページトップへ> 
モーツァルト:フルートとハープのための協奏曲 モーツァルト:フルートとハープのための協奏曲
オルフェウス室内管弦楽団 パルマ(スーザン) アレン(ナンシー)

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38・バッハの息子たち

バッハの偉大さは音楽だけではありません。多くの子供をもうけその子供たちを皆立派な音楽家に育てあげたと言う事でも偉大です。

まず長男のフリーデマン、残っている作品は少ないのですが、バッハ一族で最も天才肌と言われるだけあってロマンチックな時代を超えた新しい感覚の曲を残しています。
次男のカール・フィリップ・エマヌエル
は父バッハの対位法の権化のような作品からの対極にある、自由な感情からしか生まれない「多感様式」と言われる情熱的作風で協奏曲を多く残しました。

これら(特に短調の曲)は後のシュトウルム・ウント・
ドランク(疾風怒濤)
の時代を予感させるものでした。

そしてバッハが五十歳の時に生まれた末っ子クリスティアンは後にロンドンのバッハといわれたほどの大作曲家になり少年モーツァルトに大きな影響を与えたバッハ一族では最も国際的に活躍した芸術家です。

 偉大な芸術家のDNAを受け継ぐと、こういう立派な子供ができるという証明のようなバッハ一族ですが、やはり芸術でも何でも遺伝が一番重要な要素なのでしょうか?私のように両親ともごく平凡な人間では芸術家なんて夢なのでしょうね。(学生のころちょっと演奏家のプロにあこがれた事があったもので)

歌の上手さや声のよさなども持って生まれた才能だと聞いたことがあります。テレビなどで歌っている歌手の声のいい人は多分遺伝の要素が大いにあると思います。美空ひばり、都はるみ、氷川きよしなど多分みんな親も歌が上手かったのでしょうね。

今有名な森山直太朗などはお母さんが森山良子ですからね、そりゃ歌は上手いはずですね。これから自分の子供を音楽家にしたいのなら音楽に素養のある人と結婚することが一番です。間違っても「音痴」とは結婚してはだめですね。

さてバッハの息子たちの曲ですが、長男フリーデマン・バッハの曲ではアダージオとフーガニ短調が彼のロマンチックな一面が窺われてとても面白いです。厳格な父バッハとは全く違う、苦悩にあふれた感傷的な人間がひっそりと佇む、美しくも悲しい音楽です。

性格破たん者と言われて晩年は貧困と孤独の中で終えたという事実がよけいにこの曲を聴く者を感傷的にさせます。

 エマヌエル・バッハ
フルート協奏曲全5曲とチェンバロ協奏曲がお薦めです。長調の曲は明るく爽やかですが、短調の曲になると一変して情熱的になりソリストの腕の見せ所の多い曲です。弦楽器のみの伴奏なのに非常に迫力のある協奏曲です。

音量より音楽の持っている力がそれまでの時代の協奏曲とは格段に違うのです。まさに当時の前衛芸術だったと言えるでしょう。

 最後のクリスチャン・バッハはなんと言ってもシンフォニアが素晴らしい。混じり気のない晴朗な響きの中に新しい時代の音が聴こえてきます。モーツァルトは少年時代彼からシンフォニーの書き方を吸収しました。クリスティアン・バッハのシンフォニーを聴けばモーツァルトが彼の遺志を継いで音楽を発展させていったということが良く分かります。私は作品18の6曲のシンフォニアは傑作だと思います。

この曲集は3曲が2つのオーケストラの為のシンフォニアになっていて2つのオーケストラが互いに呼応しあうところなどたまらなく感動してしまいます。なんと音楽の楽しさに溢れているのでしょか!

写真は左からフリーデマン、C・P・エマニエル、クリフトフ・フリードリッヒ、クリスティアン、です。みんな決して美男子とは言えないけど個性的でいい顔をしています。これこそ真の芸術一家ですね。
06・04・12  <ページトップへ>
                      ★バッハの息子たちの作品集
                      バッハ J.C.F.バッハ W.F.バッハ

39・ヨハン・クリスティアン・バッハ

ヨハン・セバスチャン・バッハの2度目の妻との間に生まれた10番目の末っ子、クリスティアン・バッハは15歳の時父バッハが亡くなったので、当時既に大作曲家として有名であった異母兄のエマヌエル・バッハのもとで作曲とクラヴィーア演奏の教育を受けたということです。

この兄の下でオペラに接して強い刺激を受けて、19歳のときにイタリアへと旅立ちました。イタリアの各地でオペラが成功してオペラ作曲家としての名声を獲得し、やがてロンドンからの招聘があり1762年27歳の時にイギリスに活躍の場所を移す事になりました。

ロンドンでも作品が大成功して、こうしてクリスティアン・バッハは「ロンドンのバッハ」と呼ばれる人気作曲家になったわけです。(ベルリンで活躍していた兄、エマヌエルが「ベルリンのバッハ」と呼ばれていたのでそれに対してこう呼ばれたのです。)

ロンドンを訪れた8歳のモーツァルトが彼と会ったというのは有名な話で、9歳の夏までの1年半の間何回となく彼の教えを受けたことでしょう。以前クリスティアン・バッハを知らないとき、音楽を聴いて、てっきりモーツァルトの作品だと思ったものです。それほどよく似ているのです。

この肖像画を見てください。凛々しい自信に溢れた眼差しはどうでしょう、功なり名をあげた男らしい表情ですね。私は高校生の時、シンフォニア作品6−6と作品18の何曲かをFM放送で偶然テープに録音して聴くうちに大ファンになってしまいました。

演奏はコレギウム・アウレウム合奏団の1970年の録音でした。その後何十年もしてからこのCDを手に入れたのですが、古楽器で典雅な雰囲気の美しい音楽に改めてうっとりしてしまいました。

父バッハは音楽の向こうにある深遠な精神を感じさせてくれる深い音楽でしたが、クリスティアンの音楽は音をありのままに感じさせてくれる純粋で無垢なものです。主義とか思想などない純粋な音楽の楽しさに溢れていて、生きる事の素晴らしさを感じさせてくれます。

クレッシェンドするテンポに乗せて、木管楽器群の和音が美しく音を伸ばすところなどたまりません。また緩徐楽章アンダンテの親しみやすいメロディはどうでしょう。速い楽章との対比が見事で幾ら聴いても聴き飽きるという事がありません。このまま何時間もこのメロディに浸っていたいと思うほどなのです。

作品6の6番は、彼のシンフォニアで唯一の短調の曲ですが、調性が「ト短調」でモーツァルトのト短調交響曲(25番と40番)と非常に似通った悲劇的情念の音楽です。
青年モーツァルトはクリスティアンのこの曲を聴いて触発されたのでは?と思わずにはいられないほどよく似ていると思いました。

こんなに素晴らしい音楽なのに、晩年は人気を失い、多額の債務を残したまま世を去りました。48歳でした。この訃報を聞いたモーツァルトは大いに嘆き悲しんだということです。

以前はなかなかバッハの息子たちのレコードがなかったのですが、最近ではCDがよく発売されるようになりました。お陰で私のライブラリーは増える一方ですが、どの演奏を聴いてもあまりにも素晴らしいので、ため息ばかり出てしまいます。

CD屋で見つけたら買ってしまうので今では30枚ほどになってしまいました。出来れば全作品を聴いてみたいと思っています。今のところの愛聴盤はミュンヒンガー指揮シュトゥッツガルト室内管弦楽団のとハルステッド指揮ハノヴァーバンドの演奏です。
06・04・13   <ページトップへ> 
B000001RZ0 J.C. Bach: Symphonies, Op. 6, Nos. 1-6
Johann Christian Bach Anthony Halstead Hanover Band
CPO 1996-01-23

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40・タイケの行進曲「旧友」

クラシック音楽には興味がなくても、行進曲は誰でも聴いた事があるでしょう。学校の運動会でも、甲子園の高校野球での入場の時などよく耳にしますね。でも、一番印象に残っているのはオリンピックの選手団入場の行進曲ではないでしょうか。各国の選手が国旗を持って入場してくる姿はいつ見ても感動するものですね。

そしてどこの中学・高校でもブラスバンド部があって、運動部の応援や運動会には必ず行進曲を演奏します。私の中学でも当時、優秀な指導者がいて何年も連続してブラスバンド・コンクールの金賞を受賞するほどの実力校でしたが、何か行事があるごとにその見事な演奏を聞かせてくれました。

運動会の時はスーザの行進曲やボギー大佐とか双頭の旗の下になどの勇壮な行進曲を披露してくれました。

軍楽隊の衣装で着飾った部員が運動場を行進しながらこれらの音楽を奏でてくれるのです。このときの情景を未だに忘れる事が出来ません。

私もこのクラブに入ってクラリネットが吹きたかったのですが家庭の事情でクラブ活動は出来ませんでした。でも仲の良い同級生がフルートをしていたので時々、練習風景を覗いたりしました。(彼は後に音大に進みドイツに留学して、ドイツ女性と結婚して今ではドイツの音楽学校のフルート課の教授になっているそうです。)

このお陰か、今でも行進曲が大好きでレコード、CDをたくさん集めました。数多くある行進曲の中で、一番好きな曲はというと・・・タイケ作曲の旧友、になるでしょう。

親しみやすいメロディでまた、いかにもドイツらしい歯切れのよさがあり主題をクラリネットで奏されている裏にホルンとトロンボーンの副主題が優しくサポートしてゆく進行は聴くたびに惚れ惚れとしてしまいます。今まで何千回聴いたか分からないけど聴くたびに感動してしまいます。


このように今ではマーチの代表曲になっているのですが、この曲は出来た時、タイケが所属していた軍楽隊の楽長には全く認められなかったということです。25歳のタイケは失望して軍楽隊を辞めて警察官となったそうです。

「旧友」という名前は、軍楽隊を辞める時、仲間たちが彼の才能を惜しんで送別会でこの曲を演奏してくれた事に由来しています。

苦楽を共にしてきた旧友たちの温かいまごころを胸に、これからの人生を行進してゆこうとするタイケ青年の心意気を表したような勇壮な行進曲ではありませんか。


CDはどの演奏も素晴らしいのですが、イギリスの名門フィリップ・ジョーンズ・アンサンブルの輝かしい音色のブラス演奏が最高です。06・04・15 <ページトップへ> 
星条旗よ永遠なれ~世界のベスト・マーチ集 星条旗よ永遠なれ~世界のベスト・マーチ集
ハワース(エルガー) フィリップ・ジョーンズ・ブラス・アンサンブル ヴェルディ

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41・ホフナング音楽祭

バイロイト音楽祭、ザルツブルク音楽祭などは皆さんご存知でしょう。でもこのホフナング音楽祭はご存知でしたか?

イギリスの風刺漫画家で音楽家のジェラード・ホフナング
(1925−57)が1956年にロンドンで開催したユーモア・コンサートのことなのです。

彼本人は急逝した為この音楽祭は2度しか開催しませんでしたがあまりにも好評だったので彼の遺志を継いでその後も度々開催されました。

私はFM放送で聴いていっぺんにファンになってしまいCDまで買った程です。

とにかく取り上げられている音楽が本格的で面白いのです。1988年の公演ではフィルハーモニア管弦楽団が登場していました。実況録音盤2枚組のCDの中で私が一番大笑いしたのは、ベートーベンの死後?に書かれたとする序曲「レオノーレ第4番」です。

この曲は最後の方で舞台裏からトランペットのファンファーレが鳴りとても印象的なのですが、ところが何かの手違いで街の乞食楽士たちを雇ってしまい一番肝心なところで登場し無茶苦茶にしてしまうのです。いつも聴き慣れた名曲なので安心していると突然異様な連中が出てくるので会場は爆笑の渦です。

その他レオポルド・モーツァルトのホルン協奏曲を水道ホースで吹いたり、ハイドンの「びっくり交響曲」の本当にびっくり仰天させる仕掛けなどが数多くあり、クラシックに詳しい人であればあるほど楽しめる趣向になっています。まさにイギリス人のユーモア・スピリットにあふれた傑作?でしょう。

たまにはこんなユーモアにあふれた演奏も楽しいものですね。日本ではよく山本直純氏がテレビでこういう趣向の演奏会を指揮していましたが、それの原型だと思っていただければいいでしょう。

CDで聴いていてもこれほどおかしいのに、実際に会場で聴いたらきっと腹がよじれるほど大笑いしているでしょうね。 (1988年ロンドン・ロイヤル・フェスティバル・ホールでのライブ、デッカ原盤2枚組)06・04・19 <ページトップへ>
 
ホフナング音楽祭 1988 ホフナング音楽祭 1988
フィルハーモニア管弦楽団 レントン レントン(フランク)

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42・シューベルト未完成交響曲

昔はよく演奏されたし、レコードもたくさん出ていた未完成交響曲は最近では人気が落ちて、めったに耳にかかることがなくなりましたね。レコード屋さんに行くと、運命交響曲とこの未完成がカップルになって各社から何枚も出ていたものです。私もこのレコードを買って聴きましたが、中学生には未完成交響曲のよさが分からなくて、もっぱら迫力のある運命ばかりを聴いていた記憶があります。

でも年齢を重ねるにつれて、このロマンにあふれた静かな交響曲に感動できるようになりました。

ところでこのあまりにも有名な「未完成」というのはどんな作品なのでしょうか?未完成なのにそもそもなぜこれほど有名なのでしょうか。とても謎めいていて好奇心をそそりますね。文献で調べたらこういう経緯がありました。・・・・・・

シューベルトが26歳の時、その音楽的実績を認められオーストリアのグラーツにあるシュタイアーマルク音楽協会の名誉会員に選ばれました。早速その返礼として協会の会長ヒュッテンブレンナーに楽曲を贈りましたがそれが2楽章までの交響曲だったので受け取った会長はまだ後2楽章分が送られてくるのだと思って机の中にしまっておきました。ところが5年後にシューベルトは亡くなりこの楽譜は完全に忘れられてしまったのです。

そしてこの2楽章の交響曲が発見されたのは1864年になってからでした。シューベルトが亡くなって38年も経ってようやく初演され日の目を見ることとなったのです。

この交響曲についてはいろいろ謎があり、なぜ2楽章だけなのか?作るのを忘れてしまったのか?それともこの2楽章で非の打ちようのない出来なのでその先の楽章が作れなかったとか、様々な説がありますが未だに解明できていません。

このようなことで現在では《未完成交響曲》と呼ばれていますが、聴く限りこの2楽章で充分完結していてこれ以上何を付け加えるんだ?と言いたいくらいの完成品だと思うのですがそこはシューベルトです、もし全4楽章を完成させていたらあっと驚く素晴らしい作品が残っていたかも知れません。

CDではベームとベルリンフィルのロマンティックで味わい深い名演があります。併録されている交響曲9番「ザ・グレイト」もベルリンフィルの圧倒的な熱演で未だにこれを凌駕する演奏はないほどです。
      06・04・20 <ページトップへ>
                ★シューベルト:交響曲第8番&第9番
              ベーム(カール) ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

43・ラテン音楽の魅力〜アルゼンチン・タンゴ

ラテン音楽といっても、人種的要因で分けると、大きく3つに分類できると思います。まずは「インディオ」と呼ばれてきた中南米の先住民、そして1492年のコロンブスの新大陸発見以降ヨーロッパから移住してきたイベリア半島(スペイン・ポルトガル)を中心としたヨーロッパ系の人々、そして白人が奴隷として連れてきたアフリカ系の人々です。

これらの人種が長い時代を経て混血を繰り返してきて現在のように多種多様の文化を形成してゆき、それによって音楽も必然的に多様に発展してゆきました。

このような歴史があるのでまさに南米は民俗音楽の宝庫といえるでしょう。

人文地理のお話はさておいて、私はこの南米の音楽が大好きです。黒人系のリズムを基調にしたサンバ、マンボ、ルンバなどキューバ、ハイチ、そしてブラジルのリオのカーニバルでよく目にする熱狂的な音楽にも心を奪われます。でも最もよく聴くのはアルゼンチン・タンゴです。ピアノ、バンドネオン、弦楽器からなる歯切れのよいリズムと、哀愁を含んだメロディは心を捉えて離しません。

実は、タンゴ音楽が好きになる前は、タンゴなんて喫茶店のバック・グランド・ミュージックくらいにしか思っていませんでした。ところが友人に誘われて仕方なしに行った本場のタンゴ・オーケストラの演奏を聴いてその魅力に取り付かれたのです。

それは忘れもしません、1974年アルゼンチンのカルロス・ガルシア・タンゴ・オールスターズの初来日演奏でした。リーダーで編曲もしピアノを弾くカルロス・ガルシアと5人のヴァイオリニストと4人のバンドネオン、そしてベースのこじんまりした編成ですが、その即興性にあふれた音楽に瞬く間に心を奪われてしまいました。また曲によっては男女のタンゴ・ダンサーが出てきてその妖艶な踊りを披露してくれて演奏に花を添えていたのも昨日のことのように思い出します。

そしてなんといっても圧巻は、「ラ・クンパルシータ」でした。幾分遅い目のテンポに乗ってバンドネオンが刻むタンゴのリズムの上をヴァイオリンソロが、あの有名なメロディを即興的に変奏して切々と奏でたのです。このときの感動は言葉には出来ないほど大きいものでした。
このときの演奏が忘れられずそれからこの演奏家のレコードを探し回り、やっと手に入れ毎日家で楽しめる幸福に酔いしれたものです。

タンゴには、ヨーロッパ系のコンチネンタル・タンゴと本場アルゼンチンのタンゴとに別れますが、大オーケストラと美しいアレンジで聴きやすいコンチネンタルに比べて、小編成でリズムの刻みが激しいアルゼンチン・タンゴにより民族音楽としての迫力を感じます。(写真はオルケストラ・ファン・ダリエンソです)06・04・23  <ページトップへ> 
〈COLEZO!〉アルゼンチン・タンゴ! 〈COLEZO!〉アルゼンチン・タンゴ!
オムニバス セステート・スール フリアン・プラザ楽団

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44・フォルクローレ〜インカの音楽

前回、アルゼンチン・タンゴの事を書きましたが、実はこのタンゴ・オーケストラがもう一つ楽団を連れて来ていたのです。

タンゴ・オーケストラが1部の曲目を演奏し終わると、舞台の袖から異様な身なりの連中が数人出てきたので私はあっけにとられました。
なぜならその連中は、細い竹で作ったような短いたて笛とパンフルートのようなものと、太鼓と異様な形をしたマンドリンのような楽器を持っていたからです。


ところが奏でられた音楽を聴いたとたん、今度は感激に変わってしまったのです。曲は有名な「コンドルは飛んでゆく」他でした。確かに音楽はサイモンとガーファンクルのレコードで知っていましたが、その尺八のような息のスカスカするパンフルートの音色と玉を転がすようなたて笛のおりなす哀愁感にすっかり感激したのです。初めて接した本場のインカの民俗音楽に圧倒されてしまいました。

その後、たて笛が「ケーナ」という楽器で、マンドリンのような楽器はアルマジロの甲羅を使った「チャランゴ」だと知ったのですが、そのときははじめて聴く楽器と音楽に、心を捉えられてしまいました。「この生活感とこの哀愁のある音楽はなぜこれほど感動させるのだろう・・・」とちょうど、日本の民謡を聴くように懐かしさが心にいっぱい広がりました。

この日以来、「インディオ」の音楽に興味がわき、アンデス、ボリビア、ペルーなどの民族音楽のレコードを聴きあさりました。
尺八のような息の音しか出ない楽器があるかと思えば、リコーダーのような済んだ音色の「ケーナ」があり、また哀愁ただよう「オカリナ」の曲もあり幾ら聴いての興味が尽きません。

アンデス地帯いわゆる旧インカ帝国圏内の音楽の特徴は、半音なしの五音音階「ドレミソラ」で構成されている旋律が多く、これが「東洋的」に感じられるのかもしれません。だから聞いていても全く違和感がないのでしょう。

私はこれら「インカの音楽」を聴くと、ペルーの「マチュピチュの遺跡」を思い起こさずにはいられません。この遺跡は1911年に発見されましたが、16世紀スペイン軍の攻撃を逃れて築かれたインカ帝国最後の都市だと聞いた事がありますが、証明されておらずいまだに謎になっています。

あのケーナの澄み切った哀愁のメロディを聴いていると「絶滅のインカ帝国の悲しみ」がひしひしと伝わってくるような気がします。・・・・・アンデスのフォルクローレを聴いていてふとそんな事も思い浮かべました。

私はクラシック音楽と同じくらい民族音楽が好きです。インド、インドネシア(バリ島の音楽)、台湾の山地族の音楽、ブルガリア、ロシア、中国の少数民族の音楽などそれぞれの民族独特のリズムとメロディと楽器は心を捉えて離しません。

そしてこれらの音楽の共通点は、貴族を慰める為に出来た音楽ではなく、庶民が生きていく上で、恋愛や悩み、作物の豊作を願ったものやお祭りの為の音楽といったものが多く、貧しくとも生きる喜びに満ち溢れています。楽譜もなく楽器も不完全で同じ曲でも演奏家によって違う曲の様に聴こえるほど即興的なのも大きな魅力ですね。06・04・24 <ページトップへ> 
B000BR2Q7W フォルクローレ
オムニバス インティ・スマック クリスティーナとウーゴ
EMIミュージック・ジャパン 2005-12-14

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45・モーツァルト歌劇「魔笛」

モーツァルトの死因について、秘密結社「フリーメイソン」の人たちから殺されたという説もあります。その理由として、決して外部には漏らしてはならない秘密を歌劇「魔笛」で公開したからだといいます。その真偽のほどは分かりませんが、このオペラの依頼をして、また台本を書いたシカネーダーもまた「フリーメイソン」だったと言う事です。

確かにこのオペラは不思議なお話で、最初はおとぎ話かな?と思っていたのが第2幕から急に、説教がましくなり不思議な儀式などが行われ、聴くものを戸惑わせます。凡庸な作曲家が作ればまとまりのない、荒唐無稽の退屈なオペラになるところをさすがはモーツァルトです。美しく楽しい音楽と場面展開の巧みさで、一瞬たりとも飽きさせません。

私はモーツァルトのオペラの中で最も好きな作品で、今までたくさんの演奏家で聴いてきましたが、全てにおいて満足できる演奏には出会わなかったのですが、たまたま昨日買った輸入盤は聴くなりあまりの素晴らしさにとりこになりそうです。

サヴァリッシュ指揮バイエルン国立歌劇場管弦楽団の演奏で、タミ―ノにペーター・シュライアー、パミーノはアンネリーゼ・ローテンベルガー、夜の女王はエッダ・モーザー、ザラストロにはクルト・モル、弁者にはテオ・アダムという錚々たる歌手陣です。

オペラに詳しい方がご覧になれば、このメンバーを見て相当古いなと感じるでしょうが、それもそうで録音は1973年なのです。33年も前の録音なのに非常に鮮明な録音で迫力も充分あります。

この演奏を聴いていっぺんに魅了されてしまいました。なぜならパパゲーノ役にワルター・ベリーが歌っているからです。私はこのオペラを聴く時は、まず”鳥刺し男”のパパゲーノは誰が演じているのかで決めるのですが、ワルター・ベリーが歌っているのを聴いてみて、やはりこの役は”ワルター・ベリー”以外には考えられないなあと思いました。

柔らかく深いバリトンの歌声は温かい人間味すら感じ惚れ惚れとしてしまいます。台詞回しも上手く、このいいかげんで憎めないパパゲーノを素晴らしく演じています。

ワルター・ベリーは1964年のロベルト・シュトルツ指揮のヨハン・シュトラウス歌劇「こうもり」の中の刑務所長フランクを演じていて笑わせてくれたのですが、驚いた事に1994年のウィーン国立歌劇場来日引越し公演の「こうもり」も同じフランクを演じていて、その朗々としたバリトンの深い歌声と、達者な演技で大いに楽しませてくれました。
アイゼンシュタイン役のへルマン・プライとの掛け合いはいままで聴いた「こうもり」の最高の演奏だったと思っています。

さて、歌劇「魔笛」は真面目くさった主人公”パミーノ王子”に対して卑しい鳥刺し男”パパゲーノ”の人間的な役割によってこのオペラに活気を与えています。彼が歌う「私は鳥刺し」「恋人か女房があればいいが」「パ・パ・パ」のアリアはこのオペラの白眉です。途中で急に教訓じみてくるこのオペラに人間味を与え観客を飽きさせない重要な道化役を演じています。

私はこのオペラは、悪役とされている”夜の女王”とザラストロの家来の”モノスタートス”の歌によほど共感します。黒人の家来モノスタートスが美しいパミーナに恋焦がれ、母親の夜の女王に取り入るところなどとても面白く、また娘をザラストロに奪われた怒りと復讐に燃えて歌う夜の女王の「復讐心は地獄のように胸に燃え」はいつ聴いても圧倒的な迫力があります。

いままで、カール・ベーム、クレンペラー、フリッチャイ、アーノンクール、スウィトナーなどいろんな魔笛を聴いてきましたが、この演奏が一番気に入りました。クレンペラーは素晴らしいキャストだったのですが、残念ながら全ての台詞が省略されていたので味気ないオペラになっていました。(クレンペラーの指示だそうです。)

また、たいていは歌手と台詞とのダブルキャストなのですが、このCDは歌手が台詞もしゃべっていて違和感がありません。それになんといっても、往年の名歌手たちの最盛期の録音とあって力のある素晴らしい歌唱です。

そして、今では巨匠となっているサヴァリッシュの若々しい、ダイナミックな指揮ぶりにも驚きました。このときバイエルン歌劇場の音楽監督に就任したばかりで余計に力がこもっていたのでしょう。因みにサヴァリッシュは92年までこの歌劇場の監督をしていました。
とにかく歌手陣、演奏、録音と3拍子揃った、最高の演奏だと思いました。まさに歌劇「魔笛」の決定盤と言ってもいいでしょう! 06・04・30 <ページトップへ>
 

46・オペラ・魔笛の魅力

高校生の時、フリッチャイ指揮のベルリン放送交響楽団のモノラル3枚組を聴いてからずっと、お気に入りのオペラでした。モーツァルトの死の年、すなわち1791年(35歳)に書き上げられた最後のオペラというのに興味がありましたし、魔法の笛の力を借りて、悪魔にさらわれている妖精の女王の娘を救い出すと言うメルヘンチックな単純な筋書きにも子供っぽい興味があったことは確かです。

ところが聴いてみると、初めの予想とは全く違う複雑な筋書きにびっくりしてしまいました。モーツァルトはこの子供っぽい単純な物語に「フリーメイソン」の精神を注ぎ込み、善と悪の関係を逆転させて、音楽による生と死の深遠な世界を象徴するオペラを作り上げたのです。

ところで秘密結社「フリーメイソン」というと、つい名前から悪の犯罪集団、または血なまぐさい陰謀の渦巻く秘密組織のイメージを抱きがちですが、犯罪的な秘密組織ではなく、人道主義を中心とする知的な思想団体なのです。16世紀ごろイギリスで誕生しその思想がヨーロッパに渡り、フランスではやがて革命の思想的背景になりました。

フランス革命のスローガン「自由・平等・博愛」は実はフリーメイソンの思想だったのです。こういう思想とモーツァルトの健康の悪化から来る「死」の影の味付けをたっぷり施したこのオペラは、聴くたびに味わい深く「生と死」のあり方を考えさせてくれます。

美しいアリアが次から次へと飛び出す夢のようなこの歌劇は、音楽も全編、清楚で透明な響きで覆われていてどの部分を聴いても珠玉の名作です。私はこのオペラの全てを愛しているのですが、特に美しいのは、パパゲーノがモノスタートスの率いる兵隊に捕まりそうになると取り出して鳴らす魔法の鐘「グロッケンシュピール」のメロディの美しさと、パミーノ王子が吹く魔法の笛の音楽は、一度耳にしたら忘れられないほどの天国的な美しい音楽です。

鐘の音を聴いた兵隊たちは「これは素晴らしい音、美しい音!トラララ・・・・!こんな美しい音は聴いたことがない!・・トラララ!・・・・!」と歌い踊りながら去ってゆきます。そして魔法の笛が鳴るとライオンや鹿、熊などいろんな獣が静かに寄ってきます。まるで音楽に惹かれるかのように優しい気持ちになって・・・・。

音楽の力によって、争いや醜い欲望などどこかに吹き飛んでしまう理想郷はモーツァルトが目指した世界でしょう。その崇高な音楽世界を自らの残り少ない人生をかけて作り上げてくれたモーツァルトこそ、神がこの世に送り込んでくれた「天使」ではなかったのでは・・・?と思わずにはいられません。(CD写真はクリスティ指揮レザール・フロリサンの古楽器演奏です)
        06・05・01   <ページトップへ>     
B00005FFV3 モーツァルト:歌劇「魔笛」
レイミー(サミュエル) アンブロジアン・オペラ・コーラス アカデミー・オブ・セント・
マーティン・イン・ザ・フィールズ
ユニバーサルクラシック 1996-01-25

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47・ベートーベン交響曲第10番

ベートーベンの最後の交響曲は第9番と決まっているのですが、「第10番」スケッチによる復元版というふれこみにつられてCDを買いました。イギリスの音楽学者バリー・クーパー博士が、ベートーベンが最後まで構想を練りながら完成されなかった第10番目の交響曲を断片的な数種類のスケッチから第1楽章のみをまとめたものです。

第一楽章は20分もあり大作の気配がありますが、聴いた感想を言いますと、ベートーベンがこれを聴いたらあのライオンヘアーを逆立てて激怒しただろうなと思いました。

またあの感動的な第9交響曲のあとにつづく傑作は「こんなものではないだろう!」と思いました。確かに主題はベートーベンらしいのですが、展開に迫力がなく凡庸な出来栄えにがっかりしました。

響きはシューベルトの交響曲の雰囲気があり、知らずに聴いたらシューベルトかな?とも感じるかもしれません。

ベートーベンは数少ない主題をそれこそ手を変え品を変えて、いろんな展開を繰り広げてゆきあの感動的な交響曲群を書き上げたのです。たとえスケッチが見つかってもその展開がうまく行かなければ決してベートーベンにはなるはずはありません。例えば第5交響曲運命の「ダダダ・ダーン」の単純な主題をあれほど有機的に全楽章に展開させ交響曲史上の大傑作にまで作り上げるのです。並みの才能では復元は不可能でしょう。

料理も音楽と同じですね、同じ材料を使っても、包丁さばき、微妙な味付けなど調理人で全く料理の味が違うように、たとえスケッチ(素材)が残っていても凡才がその素材に肉付けをしても傑作は出来るはずもなくベートーベンの名前にキズをつけるものだと思いました。

でも、こんなスケッチをベートーベンは残していて、いずれは交響曲に仕上げようとしていた事は確かで、その断片でも感じる事が出来たのはうれしい事でした。
もしベートーベンが10番を作曲していたらどんな曲になったのだろうとスケッチの復元版を聴きながら想像するのも楽しいものですね。 06・05・09  <ページトップへ>

48・ケテルビー(1875〜1959)の音楽

ケテルビーといえば「ペルシャの市場にて」という曲で有名ですが、その他「中国寺院の庭で」や「牧場を渡る風」「心の奥深く」「エジプトの秘境で」などの今でいうムード音楽のはしりのような曲が多くあります。

異国情緒たっぷりのエキゾチックな曲ばかりなのですが、実は想像とイメージで書上げた空想の異国情緒音楽なのです。

情報が発達し異国への憧れも薄れた現代 ではありえない音楽でしょうがそれでも聴き続けているとその不思議の国に行っているような気にさせるから立派なものです。

響きが美しくメロディも単純で耳当たりの良い音楽ばかりです。 「ペルシャの市場にて」などいかにもあの埃っぽい砂漠の町の雑踏が目に浮ぶよ うな楽しい曲ですね。

途中ペルシャ美女が踊るベリーダンスのようなリズムが顔 を出したり、砂漠をラクダの商隊がゆったりと行くようなメロディがあったりしてひと時のあいだの異国情緒が味わえます。・・・クラシックを聴き始めた頃この音楽ばかりを聴いていた記憶があります。

中部イングランドのバーミンガムで生まれたケテルビーは10代の頃から教会オルガニストを務める一方作曲でも認められ、やがてピアノ、クラリネット、オーボエ、ホルン、チェロの名手として知られたといいます。

作曲ではオペラ、宗教音楽、吹奏楽をはじめ、ミュージカル、無声映画の伴奏音楽なども次々と書きましたが、20世紀のレコードの発達と共にレコード会社のディレクターをしたり放送局の音楽監督もしたりしました。そして晩年にはヨーロッパの一流オーケストラの指揮者も務めたということです。

あらゆる方面に才能を発揮したケテルビーは今でいう「マルチ人間」というべき多才な人物でしたが、こういう多才さがわざわいしたのでしょうか現在残されている音楽は、深い精神性とか強烈な個性にはいささか乏しいと言わわざるをえません。俗にいう「器用貧乏」でしょうか、どれも水準以上の出来なのですが、ずば抜けて素晴らしい傑作はありませんでした。

でも、クラシック音楽とポピュラー音楽の中間を行く「セミクラシック」というべき親しみやすい音楽を我々にたくさん残してくれました。
                 ************

ところで、 中学の入学歓迎会で在校生ブラスバンドが演奏してくれた曲が忘れもしませんこのケテルビーの「ペルシャの市場にて」でした。全国でもコンテストでベスト3に入るほどの実力校のブラスバンドが熱演してくれたのです。

初めて生演奏を聴いたこともあ ってその名演奏に心の底から感動してしまいました。よほど入部したかったのですが家庭の事情で果たせず、音楽と接するのは結局6年ほど後になりました。だから私にと ってはいろんな意味で忘れられない曲です。 06・05・14 <ページトップへ>
 ★ケテルビー:管弦楽曲集〜ペルシャの市場にて
ランチベリー(ジョン) フィルハーモニア管弦楽団

49・作曲家のイケメンNo.1は?

後世に名を残す芸術家はみな魅力的な容貌の持ち主ですが、そんな中でも現代でいうところの”イケメン”は誰だろうかと好き勝手に選んでみました。これは写真のない時代もあるので、肖像画とか伝記で残っている容貌の記述などから推測するしかない作曲家もいます。

残っている肖像画などで”美男子”と呼ぶにふさわしい作曲家をあげると、まず頭に浮ぶのが「シューマン」です。歌曲で有名だったシューマンはいかにも文学青年らしい夢想家肌で女性に持てそうです。

そのほか病弱で女性の母性本能をくすぐるような容貌の「ショパン」もイケメンにはいるでしょう。シューマンやショパンは有名で肖像画は良く見かけるのですが、めったに見ることのない作曲家の中にも、「イケメン」だと思う人がいます。

それはチェロ協奏曲で有名な「ボッケリーニ」(左写真)です。この横顔の他にチェロの名手であったボッケリーニがチェロを弾いている肖像画もありますが細面のさわやかな表情をした美男子だと思いました。 あとは、メンデルスゾーン、ベルリオーズ、マーラーなども美男子の範疇にはいるでしょう

でも私が一番美男子だと思う作曲家は「フランツ・リスト」だと思いますがいかがでしょうか?この右の写真をご覧ください。
まるで映画スターといってもいいくらいのいい男ではありませんか。こんないい男が颯爽と自作のピアノ曲を超絶技巧で披露してくれるのです。女性に持てないはずはありませんね。

・・・実際彼はいくつもの恋愛をし、華やかな女性遍歴を繰り返した事でもうなづけます。

もしリストが現在に生存していたら、間違いなく売れっ子ピアニスト兼作曲家としてテレビ、映画、コマーシャル、演奏会と引っ張りだこで寝る暇もないほどの忙しい人気者になったことでしょう。「天はニ物を与えない」とよく言いますが、リストには二物も三物も与えたようですね。醜男の私としては羨ましい限りです。

今回はちょっと息抜きで、こんな勝手なことをお話しましたが、私としてはイケメン達より、どちらかというと醜男の部類に入る、「ベートーベン、ブルックナー、ムソルグスキー、シベリウス、ドヴォルザーク」などの顔によほど親近感をもちます。女性には絶対にもてない顔でしょうが、これこそ個性的で魅力のある顔ではないでしょうか。
                  06・05・17 <ページトップへ>

50・クレンペラーの芸術

1973年に亡くなってもうだいぶ経ちますが、クレンペラーのCDは未だに盛んに復刻されています。ステレオ初期の録音にもかかわらずこの音楽の新しさはどうでしょう。何十年経っても全く古さを感じないのはなぜでしょうか?大げさな身振りで感動させるさせるわけではないのですが、私はバッハ、ベートーベン、ブラームス、メンデルスゾーンなどの音楽に接するたびに深い感動を覚えます。

クレンペラーが存命中にはたしか「悲劇の巨人」とかいうキャッチフレーズがあったように覚えています。この悲劇はユダヤ人であったことでナチスから迫害を受けたということもありますが、これより彼自身の身体的な打撃からくる事なのでした。

まず45歳の時、指揮台から落ちて頭を強打してこれがもとで脳腫瘍に冒され、右手がほとんど動かせなくなりました。その後65歳の時には飛行機のタラップから転落して大腿骨骨折し、74歳の時には彼が吸うパイプの寝タバコから出火して大火傷を負いました。

こうした数々の不運を乗り越えて素晴らしい演奏を続けていった不屈の精神力はまさに「悲劇の巨人」というべき不屈の指揮者だったのです。

フルトヴェングラーとほぼ同年代のクレンペラーは彼と比べると、晩年になるまで活躍の場所が恵まれていたとはいえない経歴でしたし、戦前はヒンデミット、シェーンベルクなどの現代音楽を盛んに取り上げ「現代音楽のチャンピオン」とも目されたのは戦後の録音からは想像も出来ないものでした。

最近海外盤でクレンペラーの若い頃の復刻CDが多く出ているので、買って聴きましたが、晩年のフィルハーモニア時代の演奏からは想像できないほどの早いテンポのそっけないものばかりで驚きました。

クレンペラーが真の巨匠
となるのは、カラヤンがフィルハーモニア管弦楽団を辞してベルリン・フィルに転出するのを待たなければなりませんでした。それまでカラヤンの下で第2指揮者の地位に甘んじていた長老指揮者は、事故と病気の為半身不随となって言葉も不自由になってから彼の芸術を急速に大成したのですから皮肉なものです。

身体が不自由になってテンポが遅くなったのは、一音一音を確かめるように指揮棒を振ったからでしょう。

私はブラームスの交響曲を聴きましたが、同じ雄大なスローテンポのバルビローリと比べてなんとそっけないロマンのかけらもない音楽だろうと驚きました。音を慈しむように奏でるバルビローリに対してまるでわざと感情を込めずに弾かせているとしか思えない演奏です。
この点では、アンセルメ、ギーレンのお株を奪うほどのアンチ・ロマンの音楽なのです。

この即物的な彼が得意としたのは、やはりハイドン、ベートーベンなどの古典派の音楽でした。でもこのイメージからほど遠いメンデルスゾーンの音楽に適性があったとは意外でしたね。実際このメンデルスゾーンの交響曲はクレンペラーの最高の遺産だといわれているほどです。

一貫したスローテンポでひたすら真摯に音楽と向かい合う厳しい姿勢が心を打つのでしょうか、その音楽の中にある落ち着きと風格は格別のものがあります。そしてクールな表面に隠されたすさまじい情熱・・・そんなことも感じる味わい深い演奏です。私はクレンペラーのベートーベンの交響曲を聴いていて・・・実際には情熱的な心の持ち主では?・・・と思う事がよくあります。

どの曲も聴き終えた後の爽快感は並の指揮者では決して味わえないものです。フルトヴェングラー、メンゲルベルク、などの音楽が今ではもはや古色蒼然としているのにひきかえ、とにかく、何年経ってもその音楽が全く古くならないのは見事と言うべきでしょう。  06・05・20  <ページトップへ>
 ★メンデルスゾーン:交響曲第3番&第4番
クレンペラー(オットー) メンデルスゾーン フィルハーモニア管弦楽団

51・メンコンって何?

音楽ファンはよくメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲のことを「メンコン」と言葉を省略して言いますね。こう言えばすぐに伝わる便利な言葉です。チャイコフスキーのVn協奏曲は「チャイコン」などと言って音楽談義に花が咲くのです。

モーツァルトのレクイエムは「モツレク」などと言いますが、ブラームスでは「ブラコン」、ドヴォルザークは「ドボコン」、ベートーベンに至っては「べトコン」など訳のわからない事になります。音楽ファン同士の「昨日フルヴェンのメンコンとベトコンのレコードは素晴らしかったよ」などと言う会話は音楽仲間以外には伝わらないことになってしまいます。

さて「メンコン」ことメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲ホ短調は35歳の時に書き上げたロマン派協奏曲の傑作です。曲が始まるなりいきなり、ソロヴァイオリンがもの悲しい美しい主題を奏でます。

この部分で聴衆は早くもこの協奏曲のとりこになってしまうのですが、その直後オーケストラによりもう一度このメロディが高らかに奏されたきりしばらく姿を現しません。

特にソロ・ヴァイオリンはこれっきりこの魅力的なメロディを弾くことはなく第一楽章の終了間際に木管楽器が主題を奏している後ろをアルペジオで主題を回顧するのみです。本当に口惜しい気がします。


私はこの曲を聴くたびソロヴァイオリンでもう一度最初の美しいメロディを聴きたいと願うのですがいつも叶いません。メンデルスゾーンは意図的にソロ・ヴァイオリンに二度と生のままの主題を弾かせないように仕組んだのでしょうか?

このため私は、街角で偶然見かけた「絶世の美女」にもう一度会いたい・・・でも二度と出会うことはできない。そんな思いにさせる心にくい仕掛けでは?と思わずにいられません。

この曲は3つの楽章で出来ていますが、途切れずに続けて演奏されます。まるで一曲のヴァイオリン幻想曲のようです。メンデルスゾーンはこの曲を作曲した2年後に亡くなりますが、1951年にメニューインがメンデルスゾーンの子孫の財産の中から一曲のヴァイオリン協奏曲を発見しました。これが13歳の時の作品だと分かり現在ではヴァイオリン協奏曲第1番ニ短調として発表されています。

私はこの曲も聴いた事がありますが13歳の頃の作品だとは信じられない出来栄えでメンデルスゾーンの天才ぶりがうかがえます。

ところでこの有名なVn協奏曲第2番ホ短調は現役盤だけでも50種類以上あると思いますが、天才ヴァイオリニストのチョン・キョンファとデュトワ指揮モントリオール交響楽団の女性らしい抒情的で柔軟な美しい演奏がひときわ他を圧倒している名演ではないでしょうか。聴くたびにメンデルスゾーンが想い描いた「絶世の美女」を頭のなかで想像してしまいます。 06・05・23   <ページトップへ>
 ★チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲
チョン・キョンファ モントリオール交響楽団 デュトワ(シャルル)

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52・私を泣かせてください〜ヘンデル

ヘンデルのオペラ「リナルド」のアリア「私を泣かせてください」という哀切の音楽がテレビでよく放送されていますね。テロで高層ビルが炎上している画面と子供が餓死しかけているのを抱きながら嘆く母の姿をバックに歌われるアリアです。

確か「公共機構のコマーシャル」だったと思いますが、世界平和を願う気持ちを表わした主張にこの哀切のアリアが心に響きました。

私はこのオペラを聴いた事がありませんがこの「私を泣かせてください」と訴える美しいアリアは何回も聴いた事があります。出来ればこの「リナルド」というオペラを見て聴いてみたいと思っています。


さて、この音楽のように序曲や間奏曲しか残っておらず本編のオペラが上演されない作品がいくつかあります。スッペの喜歌劇やロッシーニの歌劇なども序曲のみが有名でオペラはほとんど上演されません。こんな中で私が一番聴いてみたいのがボルフ=フェラーリ作曲の歌劇「マドンナの宝石」です。この歌劇の間奏曲はその美しさのあまり印象に残っています。

フルートのソロがハープの伴奏を伴って現われ、やがてヴァイオリンの高音のユニゾンでこれを引き継ぎ綿々ともの悲しいメロディを奏でてゆきます。そしてこの間奏曲のクライマックスに弦楽器群がひときわ感情を込めてフォルテッシモで歌い上げる部分ではもう我慢が出来ません。涙があふれてしまいます。それほどこの美しい間奏曲は私の心を揺さぶります。


ところで見たことも聴いた事もないオペラ「マドンナの宝石」とはどんなオペラなのでしょうか?

音楽の本で調べたところによるとこれは、ナポリ地方の民話を元にした三幕のオペラで、内容は・・・「悪い男にそそのかされて自分に思いを寄せる男を利用して聖母像にある首飾りを盗ませた女が、良心の呵責に耐えきれず身投げして死んでしまう。

それを知った男も後追い自殺をする」という「ロミオとジュリエット」のような悲劇ですが、オペラは忘れられてしまいましたがこの甘美で感傷的な間奏曲は残りました


名曲集の中には良く収録されていて、皆様もご存知でしょうが、これほど美しくて悲しいメロディは他には思い浮かびません。5分ほどの音楽の中にこのオペラのやがて訪れるであろう悲劇を暗示して悲壮感も哀愁も内に秘めていて、聴くたびに心が張り裂けるほど感動してしまいます。

今ではほとんど上演されないこのオペラの他の音楽も聴いてみたい衝動にかられますね。間奏曲がこれほど悲しく美しいのです。他も部分も素晴らしいに違いありません。いつの日かこのオペラ全曲のDVDが発売されるのを心待ちにしています。06・05・25 <ページトップへ>
 ★天国と地獄序曲/オペラ名管弦楽曲集
オムニバス(クラシック) ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団

53・帝王カラヤン 

数ある指揮者の中でカラヤンほどレコードを売り上げた指揮者はいないでしょう。EMI時代のフィルハーモニア管弦楽団との一連の録音は新しい時代の幕開けにふさわしい素晴らしいものでしたが残念ながらモノーラル録音が主体でした。でもその生き生きとした若さあふれる演奏からはその後のカラヤンの活躍を予感させたものです。

今では殆んど廃盤になっていますがベートーベン交響曲全集、やチャイコフスキー、シベリウスの交響曲など今聴いても堂々たる演奏でした。管弦楽団の機能美を最大限に生かした歯切れのいい演奏は、トスカニーニを彷彿とさせる解釈だと思いました。

その後ベルリンフィルを手に入れてこの世界最高のオーケストラを自由自在にコントロールしてきた彼はまさに音楽界の帝王と呼ばれるのにふさわしい活躍をしたと言えるでしょう。

1960年代にベートーベンの交響曲全集が発売された時などどれだけ話題になったことか。今では考えられないほどの熱狂を持ってファンはこのレコードに飛びついたものです。高校生だった私もこのレコードが欲しかったのですがあまりにも高価で手が出ず指をくわえて我慢するしかなかったのです。

ところが会社社長の息子であった同級生がこの曲のグラモフォン輸入盤を持っていたので時間があればしょっちゅうそこに行って聴かせて貰っていました。レコードに針を下ろす時の友人の嬉しそうな顔を今でもはっきりと覚えています。

その頃の国内盤は音質が悪く輸入盤の音質のよさを雑誌などで知っていたので実際に聴いたときの感激は今でも忘れられません。価格も当時一ドルが360円の円安だったのでどれほど高価なものだったか知れません。

当時は毎月音楽雑誌にカラヤンの記事が出ない時がないほど出るレコードが全て話題になりました。彼に対抗できたのはただひとりCBSのバーンスタインのみでした。

ミーハ−の私も例にもれずカラヤン、カラヤンと聴いて来ましたがある時ふと演奏が変化してきたことを感じました。オーケストラの機能美を追及するあまり過剰な美しさと音楽の角を取ってしまうというか何でもテヌート気味に処理する耳当たりのいい演奏に疑問が芽生えてきたのです。(これはあくまでも私個人の印象です)「これはちょっと違うんじゃないかな?」と思いました。

無骨なクレンペラーやベームなどの演奏が聴いていてより感動できるからです。今ではアーノンクール、ブリュッヘン、ノリントンなどの古楽器出身の新しい演奏があふれているので後期のカラヤンの演奏を聴いているとまるで前世紀の装飾過剰なドレスをまとった貴婦人を思い出してしまいます。

私はカラヤンだとフィルハーモニア時代と初期のウィーンフィル時代か60年代のベルリンフィルとの演奏までが好きです。70年以降はちょっとイメージが変わりましたね。

フイルハーモニアとのJ・シュトラウスの喜歌劇「こうもり」(1955年録音)などこれを上回る演奏など考えられないほど楽しくて生き生きとした指揮ぶりです。
     06・05・27  <ページトップへ>
 ★J.シュトラウスII:喜歌劇「こうもり」(全曲)
カラヤン(ヘルベルト・フォン) フィルハーモニア管弦楽団 フィルハーモニア合唱団

54・フルート協奏曲「夜」〜ヴィヴァルディ

ヴィヴァルディはヴァイオリン協奏曲ばかりを作曲していたイメージがありますが、決してヴァイオリン曲ばかりではなく、むしろ当時としては革新的なほど様々な楽器の為の曲を作っていました。ヴィヴァルディが協奏曲に使用した楽器をあげると、ヴァイオリンとファゴットの他、ヴィオラ・ダモーレ、チェロ、マンドリン、フルート、ピッコロ、オーボエ、ホルン、トランペット、リュート、そしてテオルボまであります。このようにあらゆる楽器の為の協奏曲を作っているのには驚かされます。

このようにヴィヴァルディがヴァイオリンの教師をしていた女の子の孤児院付属の「ピエタ音楽院」にはそれだけ優れたソリストが揃っていたと言う事でしょう。
さて、音楽史上初のフルート協奏曲の出版をしたのが作品10とされる全6曲の協奏曲集でした。そして注目するべき事はこの作品10の協奏曲はブロック・フレーテの為ではなくフルートのための曲だと言う事です。その上最初の3曲は<標題音楽>なのです。「海の嵐」「夜」「ごしきひわ」と言うイメージに沿って作曲されています。


私はこの協奏曲集が大好きなのですが、その中でも第2番<夜>が最も好きです。荘重な付点リズムに乗ってフルートが静かに夜の調べを奏でます。

その後<妖怪>という標題のついたプレストの不安な心理を表す部分があり、またラルゴの夜の夢が美しい和音によって静かに演奏されたかと思うと、最後はアレグロでフルートのソロが生き生きとした16部音符の連続がしっとりとした夜の雰囲気を演出しています。


フルートの技法をひけらかすのではなく静かに夜の情景に徹している、ヴィヴァルディの円熟の作曲技法がこの10分足らずの協奏曲にずっしりとした存在感を与えています。

私はこの曲を高校生の時、クルト・レーデルのフルート、ミュンヘン・プロアルテのモノラルレコードを聴いて以来この協奏曲のファンになりついにはブラスバンドの友人から、古いフルートを譲り受けて毎日練習しました。教則本を買い、初歩から練習したのも懐かしい思い出です

。私はその曲が好きになると楽器もやりたくなってしまうのです。(幾らすきでも出来ない楽器もありますが・・・)たとえ満足に演奏できなくても少しでも好きな音楽と触れ合える事の幸せを感じていました。今この曲を聴くと楽譜とにらめっこして練習に励んだ学生時代が懐かしく思い出されます。

写真のCDは今話題のエマヌエル・パユが縦横無尽にその美音で吹きまくっています。
06・05・27 <ページトップへ>
 ★ヴィヴァルディ:フルート協奏曲集「海の嵐」
パユ(エマニュエル) オーストラリア室内管弦楽団

55・総譜つきのレコード

このレコードは私の覚えている限りでは唯一の総譜付きのレコードではなかったでしょうか。

新進気鋭35歳の指揮者マゼールが名門ウィーンフィルを振ったこのチャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」は当時話題になったレコードでした。

その後彼は全6曲を録音して全集を作り上げましたが、このレコードは珍しい組み合わせと録音の良さとこの曲の楽譜が付いているというびっくり企画だったのです。

当時(1970年ごろ)価格は2000円でした。今なら楽譜だけで1500円(ポケットスコア)はするでしょう。私はこの珍しいレコードに発売と同時に真っ先に購入して、あまりよく分かりもしない楽譜を見ながらレコードを聴いたものです。

何回も何回も見ていると音符の流れが分かってきて自分が指揮者になったような気分になるから不思議なものです。これを買って音楽と音符とを見比べると聞こえてこない音が聞こえてきたり、此処はこんな風な楽譜になっているのか、などとちょっとした謎解きのような気分になり、音楽の楽しみが何倍にもなったことを覚えています。

それからというもの、ふところが許す限りレコードを購入したら、楽譜も一緒に購入するようになりました。音楽の友社版ポケットスコアがあればまだ安く買えたのですが、あまり有名曲じゃない場合は輸入専門の楽譜屋さんで買うことになり、結構金額が張りました。

学生の身分ではバイトに精を出さねば買えない様な高い楽譜もありました。今では日本版も出ていますがマーラーやブルックナーは本当に高かったです。シベリウスの交響曲の楽譜は珍しい事もあって一冊数千円もしてレコードより高かった思い出があります。

ところで最近知ったのですがパソコンのCD-ロムになった総譜が出ているのですね。チャイコフスキーの全交響曲と全管弦楽曲が1枚のCD-Rになって、たしか3000円くらいで売っていました。本当に便利になって安くなったものですね。一度買ってみて使ってみたいものだと思っています。

ロリン・マゼール指揮チャイコフスキー「悲愴交響曲」ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(1965年録音デッカ原盤)06・06・02  <ページトップへ> 
B00005FKZ2 チャイコフスキー:3大交響曲集
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 チャイコフスキー マゼール(ロリン)
ユニバーサルクラシック 1994-11-02

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56・ 6月に似合う音楽は?

早いものでもう今年も半分過ぎようとしています。世間では1日から衣換えがあり一気に夏らしくなりました。今日はもう夏日でちょっと動いただけで汗が出る始末です。

私の住んでいる所の郵便局の事務の人たちが全員「アロハシャツ」を着ているので驚きました。まさに「クール・ビズ」の最先端を行っていますね。
わが家でも応接間に敷いていたカーペットを夏物に換え、服も全て半袖に入れ替えました。今月はもうすぐ「ドイツ・ワールドカップ」も始まるのでさぞかし熱い6月になりそうです。

音楽も夏向きに代えなくてはなりませんね。さて、この時期の演奏会で取り上げる機会の多い音楽はなんでしょうか?今、家にある音楽会のスケジュール・パンフレットを見てみましたが、モーツァルト、チャイコフスキー、プロコフィエフ、ラヴェルなどと別に、夏だからといって特別な企画はありませんでした。

強いて言えば生誕250年のモーツァルトが群を抜いて多いかも知れません。

そこで、私が個人的な好みで6月に似合う音楽を選んでみました。・・・・じめじめと梅雨のうっとうしい気分をすっきりとさせてくれる、清涼な空気感をも連想させる北欧の音楽がいいでしょう。

まずプログラム第一曲目はアルヴェーンのスェーデン狂詩曲「夏の徹夜祭」の白夜を想わす美しい曲で始めます。
そして、北欧のピアノ協奏曲の最高傑作、グリーグのピアノ協奏曲のロマンチシズムにどっぷり浸り、そして後半のプログラムは大自然からの贈り物、シベリウスの交響曲第6番で薄暗い白夜の森にさまよっていただきます。この交響曲第6番は最後は静かに消え入るように終わるので聴衆はしばらくは夢心地から醒めないでしょう。

このプログラムではフル・オーケストラの出番が少なく管楽器メンバー特に金管楽器群は欲求不満に陥りますので、最後の曲は静かな中にも後半の情熱の爆発が激しい交響詩「エン・サガ〜伝説」で約18分間の北欧情緒に浸りましょう。・・・・・

と私はこんなプログラムを組みましたが、実際にはこんな演奏会は絶対にないでしょうね。多分お客が入らなくて大赤字になるでしょうから・・・・。06・06・03 <ページトップへ>
B000IJ7L3W シベリウス:管弦楽曲集
サージェント(マルコム) サージェント(サー・マルコム) ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
EMIミュージック・ジャパン 2006-11-22

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57・プロデューサーが創る名録音

皆様はCDを買うとき、録音プロデューサーの名前を気にしますか?今はデジタル時代になり録音の良し悪しを云々するほど差がなくなりましたが、レコードの時代ではこのプロデューサーで音が全く違ったのです。

昔のレコードの裏には指揮者のあとに小さくプロデューサー名と録音エンジニアの名前がありました。(廉価盤には載っていませんでしたが)カラヤンのシベリウス交響曲4番&6番の国内盤にはオットー・ゲルデス・プロデューサーの名前がありました。

我々素人の音楽愛好家は音楽雑誌で紹介される優秀録音のレコードを買い求めましたが、確かに有名プロデューサーの作るレコードは音も演奏も素晴らしいものでした。

ところで、このプロデューサーの分野を確立したのが、イギリスEMIのウォルター・レッグだと言われています。

ドイツの名歌手のエリザーベト・シュワルツコップの夫君としても有名なレッグは戦後ナチ党員疑惑で仕事がなかったカラヤンのために自ら創設したフィルハーモニア管弦楽団を与えて数々の名録音を作り上げました。

その後カラヤンがドイツ・グラモフォンと契約した為、クレンペラーを起用してフィルハーモニア管弦楽団の黄金時代を築いたのです。

その他、レコード時代の名録音としていまだに語り継がれている、英デッカのジョン・カルショー・プロデューサーとショルティ/ウィーン・フィルのコンビが作り上げた、ワーグナー楽劇「ニーベルンクの指環」全曲録音はレコード史上に残る仕事でした。

58年から64年の録音なのですが21世紀の現在でも遜色のない驚異的な名録音です。この他有名な録音としてはカラヤン/ウィーンフィル「アイーダ」、バーンスタイン/マーラー「大地の歌」、ショルティ/ロンドン響・マーラーー:交響曲第1番などがあります。

またデッカ・レーベルで忘れられないのが、指揮者イッセルシュテットの息子のエリック・スミスプロデューサーでしょう。彼はデッカとフィリップス社の両方で35年間に渡って名録音を作り続けてくれました。

代表作にはマゼール/ウィーンフィルとのチャイコフスキーとシベリウスの交響曲集やハチャトリアンの自作自演のガイーヌ、バーンスタイン/ウィーンフィル/モーツァルト交響曲36番、や内田光子のモーツァルト:ピアノソナタなどがあります。

このように有名プロデューサーが作り上げてくれたレコードは数多くありますが、いつもレコード購入の時の重要な要素にしていました。彼らの名前があれば、演奏も録音も全く申し分がなかったからです。

CD時代の今でも、時々往年の演奏家の復刻盤などの輸入盤を買いますが、解説書の最後に彼らの名前を見つけては「なるほどなあ、素晴らしい録音であるはずだ」と納得するこの頃です。06・06・07        <ページトップへ>
 ★ワーグナー:楽劇「ニーベルングの指環」~オーケストラル・ハイライツ
ショルティ(サー・ゲオルグ) ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
      (写真は上から、レッグ、カルショー、スミス)

58・白夜のアダージェット

もうそろそろ夏至になりますね。一年の内で昼間が一番長く、これが過ぎれば日本にも本格的な夏が到来します。この夏至は北欧では夜の無い白夜になるから幻想的ですね。フィンランドの友人に聞いたのですが白夜になると真っ暗にならないので寝る時は窓のブラインドを全部降ろして暗くして眠ると言っていました。

太陽が地平線上をスライドしてまた上がってくるなんて、我々には想像もできない世界ですね。その友人が言うには、まだ活動的な白夜はいいが反対の冬至の頃は暗黒の世界で気分も落ち込むと言っていました。想像してみてください。夜が明けないのですよ。ちょっと白々と明るくなったと思ったらもうすぐに夜がふけるのです。本当に気も滅入るでしょうね。

だから、過酷な冬を過さなくてはならない北欧の人々は、内省的で思慮深く優しい人が多いのでしょうか。テレビであるタレントの方が話していたことを思い出します。・・・・

ヘルシンキ空港での事でしたが、人が沢山いてどこの国でもざわざわとうるさいものなのですが、そこはしーんと静まり返って本当に誰もいないのかと思うほどだったそうです。
人々はみんな静かにひそひそとささやくように話をしていたそうです。

そのことは、音楽でも感じられますね。シベリウス、グリーグに代表される作曲家はすべて内省的で静かで優しい曲が多いです。

ここに紹介する、「白夜のアダージェット」というCDは最近買ったのですが、その収録曲全てが静かで抒情的で心に染み入る曲ばかりでした。
作曲家は、リンドベリ、マデトヤ、スヴェンセン、ニールセン、カヤヌス、シベリウス、グリーグと全て北欧の作家です。

私はこのCDを聴いていっぺんにこの演奏の虜になりました。ユハ・カンガス指揮のオストロボスニア室内管弦楽団という、聞いたことの無いフィンランドの片田舎のオーケストラの奏でる演奏に魅入られたのです。
この楽団は指揮者カンガスが1972年に10歳の子供たちで編成された音楽院の学生オーケストラが母体だということです。やがてセミプロになり1989年にはプロ・オーケストラとなりオストロボスニア室内管弦楽団という名称で新たなスタートをきったということでした。

いろいろ世界の名室内オーケストラを聴いてきましたが、これほど完璧な響きの整った、美しい演奏を知りません。心を一つにした演奏とはこのことを言うんだろうなと思わせるくらい完璧な演奏です。
カンガスが教え子たちを十数年かけて世界のトップレベルに育て上げた!というCDのセールス・コピーが嘘でない、本当に奇跡的な美しい演奏だと思います。

何の気なしに購入したCDでしたが、これは私の大切な宝物のひとつになるのは確かです。これからの暑い夏、これらの北欧の冷たい澄んだ空気をも感じられる音楽で心の清涼感を味わいたいものです。06・06・13 <トップページへ>
白夜のアダージェット~北欧管弦楽名曲集 白夜のアダージェット~北欧管弦楽名曲集
カンガス(ユハ) リンドベリ オストロボスニア室内管弦楽団

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59・岩城宏之氏の訃報を聞いて

6月13日の新聞報道で日本指揮界の重鎮である「岩城宏之」氏が亡くなられた事を知りました。享年73歳だということです。60年代のNHK交響楽団の指揮者を務め、ヨーロッパのベルリンフィル、ウィーンフィルなどにも客演した日本を代表する指揮者でした。最近ではオーケストラ・アンサンブル・金沢の音楽監督として現代音楽にも意欲的に指揮されていたのに残念でなりません。

私が初めて岩城氏を知ったのは、やはりN響の正指揮者になってからでした。打楽器奏者出身とあって軽快なテンポ感あふれる、躍動的な演奏は目を見張らせるものがありました。

68年録音のベートーベン交響曲全集は日本のオーケストラの優秀さを証明する名演でした。

特に私が一番思い出に残っているのは、中学生の頃「コンサート・ホール・ソサエティ」で出ていた岩城宏之指揮ウィーン国立歌劇場管弦楽団でリスト:ハンガリー狂詩曲集のレコードです。堂々とした風格のある演奏に毎日聴き惚れた思い出があります。日本人の指揮者がこれほど素晴らしい演奏をするのかと誇らしい気持ちでいっぱいでした。

最近では2005年の大晦日には病気を押してのベートーベンの全曲交響曲マラソン演奏会の成功を聞いていたので、なんという精神力の旺盛な人なのだろうかと敬服したものです。

命がけで挑んだこの演奏会が成功に終った時彼は「尊敬するベートーベンの音楽と一緒に死ねれば本望です」という意味のコメントを残していました。
今日長年にわたる闘病生活もとうとう終わりを告げたという報道を受けて、音楽とともに病気と戦って来られたのだなあと感慨もひとしおのものがあります。

以前偶然にも岩城氏指揮N響のチャイコフスキー交響曲第1番「冬の日の幻想」の実況録音を録音していたのでCDに起こして在りし日の岩城氏を偲びながら聴いています。ロシアの指揮者のように過激な演奏ではなく日本の冬景色を連想させる爽やかな演奏だと思いました。

また、テレビで追悼番組で同じチャイコフスキーの悲愴交響曲を放送すると新聞に出ていましたが、ドイツ古典派から現代音楽に至るまで、オールマイティな能力を秘めたすばらしい指揮者であったということを改めて実感した次第です。
ここに謹んでご冥福をお祈りいたします。06・06・14 <ページトップへ>
岩城裕之指揮NHK交響楽団/ベートーベン交響曲全集・6CDリハーサル風景つき
    

60・ショパン:ノクターン

6月の15日から10日間ほど台湾に行っていました。灼熱と喧騒の食の国「台湾」での10日間は夢のように楽しい日々でした。

留学している娘の卒業式という喜び事だったので、いつもの旅行とは気分的に違っていたのでしょうか。本当に楽しく10日間があっという間に過ぎてしまいました。

私は旅行に行く時には、その時点で一番好きな曲をCD-ROMにして持ってゆくのですが、今回はバロックが主体の曲にしました。寝る前は静かにバロック音楽を聴きましたが、どうも気分がクラシックを聴くモードになりませんでした。

南国台湾は多くの人々が夜遅くまで出歩き屋台の店で自分の気に入った軽い食事をしたりして過ごすのですが、毎晩遅くまで客の呼び込みや店屋の音楽が鳴り響き、静かな時はほとんどありませんでした。都会では静かに音楽を鑑賞するなどというのは本当に難しい事でした。バイクが多いのでエンジン音がうるさく一日中騒音がしているのです。(都会だけですが・・・)

日本に帰国してもしばらくは耳の奥がジ〜ンと鳴り響き、まるで耳鳴りがしているほどだったのです。こんな台湾ではヘッドフォーンで外の音を遮断して静かに音楽を聴くしかありません。

そうしないと部屋を締め切ってもクーラーないし扇風機の音がうるさくてクラシック音楽を聴く環境にはありませんでした。

台湾にどれほどのクラシック音楽ファンがいるのかは知りませんが、一般家庭では静かに音楽を鑑賞する環境にはないことは確かです。

ところで、日本に帰国して一番最初に聴いた曲はショパンのノクターンでした。冷え冷えと冴え渡る月夜に静かにピアノの音色が悲しく響くノクターンは亜熱帯の喧騒の坩堝では味わえない音楽だと思ったからです。

これを聴いてショパンとは清涼な冷え冷えした気温まで感じさせる音楽だとつくづく思いました。そして、やはり暑い国ではこんな曲は絶対に出来ないだろうな・・・などとも思ったのです。

寒く、暗い物想いに沈む夜があるからこそ、こんな曲が生まれたのでしょう。ショパンの美しい曲を聴きながら、音楽とは気候の影響は相当あるのだなあと思いました。暑い国では身体を動かせる音楽が多く生まれ、寒い国では思索にあふれた抒情的な曲が生まれると思ったものです。
★ショパン:ノクターン、即興曲全曲/2CD・アラウ(クラウディオ)

わたしはこのクラウディオ・アラウの弾く「ノクターン」を聴きながら、南国台湾で切り替わった耳のスイッチをクラシック耳にリセットしたのでした。06・06・30 <ページトップへ>

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