シベリウスのある部屋  

森と湖の国”フィンランドが生んだ20世紀最大のシンフォニスト
名曲の森の奥深くひっそりとたたずむ山小屋風の別荘”アイノラ荘”には
孤高の作曲家ジャン・シベリウスが住んでいます。
大自然からの音があるとすればこんな音楽になるのだろうと思われる人間の
俗世間を超越した名曲の宝庫です。
このコーナーではシベリウスの素晴らしい作品(管弦楽、交響曲を中心に)
を紹介してゆきたいと思います。

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森の小道07−1 ★森の木陰でひと休み

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1・交響詩「フィンランディア  2・シベリウスの音楽  3・クレルヴォ交響曲 4・交響曲第1番 5・交響曲第2番  6・交響詩「エン・サガ(伝説)」  7・交響曲第3番  8・交響曲第4番  9・交響曲第5番  10・ヴァイオリン協奏曲  11・カレリア組曲  12・四つの伝説曲  13・組曲「クリスティアン二世」」 14・芸術家と安定した生活  15・モートン・グールドのシベリウス 16・交響詩「ポヒョラの娘」 17・

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森と湖の国から生まれたシベリウスの音楽の魅力

音楽の辺境国フィンランドで生まれた、作曲家、シベリウスが好きになったのは確か中学生の頃だと思います。モーツァルト、ベートーベンしかクラシック音楽を知らなかったものにとって、シベリウスの「フィンランディア」を聴いたときのショックは大きいものでした。心の奥底から魂を揺さぶる音楽の力強さに打ちのめされたのです。それからはこの作曲家のことが知りたくなり、また生まれたフィンランドのことにも興味が出てきたのです。

交響曲第1番、カレリア組曲、いくつかの交響詩を聴いて行くうちに、いつしかシベリウスの虜になっていました。私はいろんな曲を聴きたいのである特定の作曲家だけを網羅しようとは思っていませんが、どうしてもシベリウスだけは、いろんな指揮者で同じ曲を聴き比べたいと思うようになりました。

世の中には、シベリウスの全ての曲を集めて、資料のようにして評論をされているファンも多くいますが、私は自分の琴線に触れる指揮者、演奏団体のみでまとめているのでその数はあまり多くはありません。
自分にとっての気持ちのいいテンポや、なるほどと思われる解釈など、全くの自分勝手な基準で選んでいます。

民族的な魂の叫びが感じられる初期の作品から、郷土愛に根ざした民謡風の主題が美しい中期の作品を経て、人間の存在しない大自然からの音楽のような後期の作品と、シベリウスの心象風景を辿りながらその音楽を鑑賞してゆくと有り余るほどの新しい発見があり、何回聴いても飽きない魅力があります。

シベリウスが第五交響曲を作曲した際に曲のテーマをこう書きました。「”自然の神秘と生への憂愁”これこそが第五交響曲のテーマなのだ」と。この言葉こそがシベリウスの後期の作品に一貫して流れるテーマと言えるでしょう。

1・交響詩フィンランディア・作品26

私が愛してやまない作曲家、シベリウス(1865〜1957)を中学生の時初めて聴いたのが、「フィンランディア」でした。カラヤン指揮ベルリン・フィルの圧倒的迫力の演奏でした。

ロシアの支配下にあったフィンランドの暗い世相を反映した愛国的なこの交響詩は、フィンランド人の愛国心と独立心を煽る曲として、ロシアから禁止されたのにもかかわらず国民の圧倒的支持を受けて演奏され続けシベリウスの代表曲になっています。

この曲はあまりに有名で、数多くの演奏がCDで出ていますが、私が聴いた1964年録音のカラヤン/ベルリンフィル盤は暗い情熱をたぎらした大熱演です。

マルコム・サージェントがウィーン・フィルと初共演した演奏はこのオーケストラがこんな迫力のある音を出すか?と思うほどの荒々しい演奏で心に迫ってきます。特に低弦とホルンの迫力は他を圧倒しています。1958年と少し録音の古いのが気になりますが。

バルビローリのハレ管弦楽団
は、私が聴いた中で最も迫力があり魂に訴えてくる強烈な演奏だと思います。ハレ管弦楽団は水準はそれほど高くはない楽団ですが、ことシベリウスの演奏になれば実力を発揮し巨匠バルビローリのもとすさまじい演奏を繰り広げています。うるさいほどバリバリに鳴らす金管、ざらついた弦楽器の響き、ティンパニーの強打、まさに怒りの「フィンランディア」です。中間部の民謡調の美しい調べも哀愁に満ちたものでフィンランド人ならずとも聴くものの魂を揺さぶる熱演です。

この他、最近ではベルグルンド、サラステ、サロネンといったフィンランド人指揮者の演奏が数多く出ていて、どれも全て素晴らしい演奏そろいです。中間部の静かな調べを合唱団が歌っている、オーマンディ指揮フィラディルフィア管弦楽団の演奏も心に残っています。
05・11・12       ページトップへ戻る
B00005GJX2 シベリウス・コレクション
ハレ管弦楽団 バルビローリ(ジョン) シベリウス
EMIミュージック・ジャパン 2000-03-08

by G-Tools

*フィンランディア:フランツ・ウェルザー・メスト指揮グスタフ・マーラー・ユース管弦楽団2009年ライヴ


2・シベリウスの音楽

中学生の頃、このカラヤンのフィンランディアのドーナツ盤を買って毎日聴いていました。
どういうきっかけで、この曲を知ったかは思い出せませんが、とにかくこの愛国的賛歌である交響詩に夢中になってしまったことは確かです。
大国ロシアの支配を受けて自由を奪われていた祖国フィンランドの絶望的な運命を呪うかのような冒頭の暗い金管楽器の咆哮で始まる曲は中間部で民謡調の美しい調べがとても印象的です。

やがてそのテーマが弦楽合奏で力強く奏されると冒頭のあの暗いムードから一変して明るい歓喜に満ちた調べで劇的に終わる8分足らずの交響詩にのめり込んだものです。

その後は明けても暮れても「フインランディア」でした。その頃出ていたLPを片っ端から聴きました。バルビローリ、サージェント、モートン・グールド、シルベストリなどそれぞれ立派な感動的な演奏ばかりでどれを聴いてもますます好きになるほどでした。
 
シベリウスはロシア帝国の属国で虐げられていたフィンランド人の祖国愛に訴えたこの交響詩で一躍有名になりたちまち国民的英雄になりました。この曲が自主独立の象徴となるのを危険視したロシアは演奏を禁止したといいます。それにもかかわらず曲名を変えて演奏し続け、独立の願いを奮い立たせ、フィンランドはついに1917年に念願の独立を獲得したのです。1919年の共和国独立式典の折にフィンランデァが演奏されたという事ですが、さぞかし聴衆は喜びの涙にくれた事でしょう。

このように一芸術作品が一国の国家的象徴として扱われるのは非常に珍しい事でした。それほどまでこの曲は聴くものの気持ちを奮い立ててくれる力を秘めています。以前フィンランドの友人に聞いたのですがこの曲は涙なくしては聴けないと言っていたのを思い出します。

シベリウスの初期の作品の多くはフィンランドの叙事詩「カレワラ」からの神話を題材にした作品を書き続けています。最初期の交響曲「クレルボ」、4つの伝説曲、エン・サガ(伝説)、組曲「カレリア」などの曲がそうです。これらに共通するのは全て民謡調の抒情的な調べが豊富で非常に親しみやすいという特徴をもっています。

初期の頃の愛国的な雄渾なフィンランディア、第1第2交響曲、中期の自然と人間の共生がテーマの第3、第4番交響曲など、後期の自然への回帰の第6番・7番、「タピオラ」などの変遷をたどって行くと、シベリウスの到達した境地に少しでも近づけるのを感じます。交響曲2番あたりまではチャイコフスキーやロシア国民楽派の影響がありその後は彼独自の姿をあらわしてゆきます。

交響曲第4番などは日の光のささない薄暗い森の中をさまよっているような不思議な交響曲です。
でもこの森は恐ろしいという雰囲気ではなくとても優しい威厳に満ちた森なのです。今でいう癒しの音楽でしょうか。私はこの音楽を聴く度に新しい発見があるような気がします。何回聴いても新鮮な驚きがあるからです。決して飽きる事がありません。

愛国的なフィンランディアを経て、Vn協奏曲、第2交響曲と名声を勝ち取ったシベリウスは、フィンランドが独立を成し遂げたのを見とどけた後、彼独自の境地へと向かい始めました。第4番から7番へと移行するうちに音楽の無駄なものを一切取り去った作風はもうこれ以上は無いという所まできてしまいました。そして最後の大作、交響詩「タピオラ」では彼自身はもう祖国フィンランドの森の神タピオに同化して奥深い森の中へと消えて行ったかのようです。

深い森から吹いて来た一陣の風が永遠のかなたへと向かうように終わるこの交響詩はシベリウス芸術の集大成でした。彼はこの後30年も長生きしましたがピアノ曲とかの小曲を除いては一曲も管弦楽を作らなかったのですから・・・。

ベートーベンから連なる山脈のはずれに、一際そびえ立つ孤高の峰、シベリウスの芸術はそのユニークさにおいて比べるもののないほど独特で素晴らしいものです。最初期のクレルボ交響曲、作品9の伝説から全ての交響詩、7つの交響曲までシベリウスの全作品が私にとっては特別なものとなっています。生涯ずっと大切に聴き続けていきたいと思っています。  05・11・12         ページトップへ戻る
シベリウス:交響曲全集
オラモ(サカリ) バーミンガム市交響楽団 シベリウス /最新録音!
B0000D8RLU

*カレリア組曲:アシュケナージ指揮フィルハーモニア管弦楽団


3・クレルヴォ交響曲・作品7

20世紀を代表する交響曲作家の最初期の作品である「クレルヴォ交響曲」は民族派作曲家の将来を暗示するような、見事な幻想的な交響曲です。
第3・5楽章で声楽が入ることから「カンタータ」に分類できるような作品ですが、性格的には交響曲と交響詩の中間のような幻想曲です。

あまり聴く機会のない「クレルヴォ交響曲」ですが当初”オーケストラと独唱と合唱のための交響詩”と呼ばれていました。後に作曲者自身が”交響曲”と銘打ちましたがシベリウス自身はこの曲に満足していなくて、1892から93年にかけて5回演奏されたきり突然演奏を禁止してしまいました。

しかし、作家の没後1958年にシベリウスの五女マルガレータの夫ユッシ・ヤラスの指揮で復活上演され今日にいたっているのです。

曲は、フィンランドの民族叙事詩”カレヴァラ”の悲劇的英雄クレルヴォをテーマにしています。第1楽章「導入部」で作品全体の悲劇的なテーマが奏されます。冒頭の美しいメロディはいつまでも心に残ります。第2楽章「クレルヴォの青春」は華やいだ明るいものではなく憂鬱な気分が充満しています。第3楽章「クレルヴォと彼の妹」は独唱と合唱を加えて美しく、哀しく進められてゆきます。

第4楽章「戦いに赴くクレルヴォ」は器楽のみの演奏で、最後の第5楽章「クレルヴォの死」は再び合唱を含んだカンタータで最後の自刃する場面は最初の悲劇のテーマが回想されこの70分を越す大作が締めくくられます。

この交響曲はベルリオーズの劇的交響曲”ロメオとジュリエット”やリストの”ファウスト交響曲”や”ダンテ交響曲”のような詩的な幻想曲に類似しているように思われます。

もしこの曲が大成功を収め、シベリウス自身も満足していれば、その後の作品にも大きな影響を与えたことは間違いありません。ロマン的ドラマ化の系譜、ベルリオーズ、リスト、ワーグナーの方向へ向かっていったかも知れません。

でも実際は、自己批判が厳しく生前はこの曲の演奏を禁じたばかりか、その後の作品もベートーベン、ブラームスの系譜、古典派への道を志向し最後には、簡潔な単一楽章の交響曲にまで至ってしまったのです。

作品は25歳のシベリウスの初々しい感情があふれたすがすがしいものです。70分もありすこし冗長な感も否めないので、大衆の支持は受けられないと思われるのですが、よく聴くとあちこちに後のシベリウスの顔が見え隠れしてとても興味深い作品であることは確かです。
特に第1楽章は充実していて交響詩として独立した作品といってもいいくらいです。

CDではエサ・ペッカ・サロネン指揮ロスアンジェルス・フィル&ヘルシンキ大学合唱団の心のこもった名演が最高です。   05・11・13  ページトップへ戻る
シベリウス:クレルヴォ交響曲
サロネン(エサ=ペッカ) ヘルシンキ大学合唱団 ロールホルム(マリアンナ)
B00005G8F5
シベリウス:クレルヴォ交響曲 シベリウス:クレルヴォ交響曲
フィンランド放送交響楽団 ヘンシンキ工科大学男声合唱団 グループ(モニカ)

by G-Tools

*「クレルヴォ交響曲」/エサ・ペッカ・サロネン指揮スウェーデン放送交響楽団

 


4・交響曲第1番ホ短調・作品39

シベリウスの最初の交響曲は1899年、33歳の時の作品です。第1番目の交響曲とはいえもう充分な人間的成熟と音楽的熟達を示している作品といえるでしょう。

自国の首都ヘルシンキ音楽院で4年間の勉学を終えた後、ベルリンとウィーンに留学し作曲技法を完全に習得してから、初の交響曲を完成させたいうことでもそれは理解できます。

もう既に、この最初の交響曲にはシベリウスの個性がいっぱいの、彼以外には誰にも生み出せないユニークな音楽になっています。
かつての「クレルヴォ交響曲」の標題音楽性を引き継がずに、純音楽的表現に置き換えての音楽になっています。しかしながら、この曲は純音楽で表現されてはいるものの、フィンランドの聴衆は祖国の民族的な思想を感じたのでした。

シベリウスの音楽を語るときには、当時のロシアとフィンランドの関係を知らねば成りません。1809年、対ロシア戦の敗北により、帝政ロシアの支配下に置かれることになったのです。当初はかなりの自由と権限を認めていましたが、19世紀の終わりころから、次第に支配強化が行われてきました。かつてはロシア皇帝から保証されていた、フィンランドの法律的自治は大幅に侵害され、議会政治は廃されて、新聞も言論の自由を制限されてきたのです。

こういう状況のもと、完成された交響曲が当時のフィンランド人の感情が込められていない筈はありません。フィンランドの聴衆はこの曲にこめられた、ロシアの圧制に対する抗議の精神を嗅ぎ取ったのは間違いありません。
今日、平和な日本で私たちはこの曲を聴くのとは、全く違う精神状態でこの曲と接したのでしょう。

チャイコフスキーの1番「冬の日の幻想」との類似点を指摘する評論家もいますが、チャイコフスキーの風景を描写した交響曲と、このシベリウスの交響曲1番は、精神の深いところで全く違う音楽なのです。そういう点では、後のショスタコーヴィチの交響曲と共通点があるでしょう。

私がこの曲をはじめて聴いたのは、ロリン・マゼールがウィーン・フィルを振った、ロンドンレコードでした。30歳代の若いマゼールが、オーケストラの老舗、ウィーン・フィルと残したこの録音は、大胆でシャープな切込みでウィーン・フィルの響きを最大限に生かしたスリリングな演奏でした。今聴いても血わき肉踊る熱い演奏です。

65〜68年の録音なのですが、英デッカの優秀な録音技術で、21世紀の現在でも水準以上の優秀な録音です。フィンランドの民族的な情感には乏しいけれど、純音楽的に充実した力強くたくましいシベリウスです。これほど迫力に満ちた演奏は他にはありません。
ウィーン・フィルはこの後・バーンスタインと何曲かは録音しましたが、全集には至らず、このマゼールとの全集が唯一の録音になっています。   05・11・16  ページトップに戻る
シベリウス:交響曲第1番&第5番
マゼール(ロリン) ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 シベリウス
B0000QWZKM

*交響曲第1番 ユッカ・ペッカ・サラステ指揮オスロ・フィルハーモニー管弦楽団

 


5・交響曲第2番ニ長調作品43

シベリウスの祖国フィンランドは第1次世界大戦のあと、共和国として独立するまで約8世紀もの長い間、スエーデンとロシアの二つの国のどちらかに支配されていました。

シベリウスの青年時代は、ロシア帝国の過酷な独裁政治下にあって、国内にはその圧制に対する民族的な意識が非常に高まっていた時代でした。こういう環境のもとに育ったシベリウスの音楽に旺盛な民族意識と反逆精神が込められないわけはありませんでした。

シベリウスの交響曲の中で最も有名で演奏回数も抜群のこの交響曲第2番は1901年に書き始められ翌年に完成しました。シベリウスの個性が発揮された独特の交響曲と言えるでしょう。第1楽章の断片的な動機の旋律が次第に有機的に発展してゆく手法は、後の交響曲の先触れとなった名作です。

フィンランドの自然や風土をイメージさせるこの第2番はフィンランドの民謡や民族舞曲を直接取り入れていると思われていますが、全ての音楽はシベリウスの創作です。

シベリウスの音楽にはフィンランドの民謡や舞曲などの音楽がそのまま取り入れられた事はありません。あくまでもシベリウスの頭の中を通過して生まれた音楽なのです。それにもかかわらず、出てくる音楽はフィンランドの精神と風景が感じられるということは、彼自身がフィンランドそのものだったからでしょう。

交響曲第2番はシベリウス自身の後の音楽にはない情熱というものが感じられます。虐げられた祖国の輝かしい未来を熱望したかのような憧憬にも似た熱い想いがこの交響曲には感じられます。特に3楽章から切れ目なく突入してゆく第4楽章には、厳しい冬の時代を乗り越えてゆきついには栄光を獲得するかのような心の高ぶりが音楽で表されています。

低弦、木管楽器、弦楽器と奏される哀愁を秘めたメロディが延々と続きやがて力強い金管楽器の栄光のメロディにかき消される圧倒的なコーダにはおもわず目頭が熱くなるほどです。
20世紀の初めにこの曲をはじめて聴いたフィンランド人の熱狂と感動はどれだけ大きかった事でしょうか。平和ボケの現代の日本人には想像出来ないほど大きかった事でしょう。

この交響曲は代表作であるだけにあらゆる指揮者が振っています。最初に聴いたのはカラヤンのフィルハーモニアの演奏でしたが、いちばん印象に残っているのはオーマンディの演奏です。70年代にフィラデルフィア管弦楽団と来日した時にこの曲を演奏してくれました。その時の輝かしいオーケストラの響きがいまだに耳に残っています。05・12・6
B000U7PEFE シベリウス:交響曲第2番&交響詩タピオラ
アシュケナージ(ウラディーミル) ロイヤル・ストックホルム・フィルハーモニー管弦楽団 レムケ(アンドレアス)
オクタヴィアレコード 2007-08-31

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*交響曲第2番 エサ・ペッカ・サロネン指揮ウィーン・フィル(2010年ライヴ)

フィンランドの指揮者とウィーン・フィルとの珍しい共演です


6・交響詩「エン・サガ(伝説)」作品9

シベリウスは交響曲作家として音楽史上に残る大作曲家ですが、交響詩の分野でも輝かしい成果を残しました。この交響詩最初の作品「エン・サガ」は初期の作品の代表曲となっています。<伝説>とは北欧に古くから伝わる英雄の武勇伝や言伝えを総称したもので、特定の人物を表したものではありませんでした。シベリウスの心象風景を吐露したものと言えるでしょう。聴くたびにずっしりとした感銘を受けます。

1892年作曲のこの作品は最初期にもかかわらず後の作品まで続く数々の特徴を備えています。例えば長く続く保持音の使用、楽想の大らかな盛り上がり、金管楽器の男性的な激しい強奏、打楽器の特徴的な連打など、この18分ほどの作品はシベリウスの醍醐味がぎっしりと詰まっているのです。

ほの暗い、寒々とした北欧的な息の長いロマン的幻想で覆われているこの交響詩は、弦楽器の分散和音の連続で森のざわめきを連想させるかと思えば、やがて感動的で悲劇的なクライマックスへと達し、最後はクラリネットのソロで静かに霧の中に消えてゆくようです。
北の国の厳しい自然と対決してきた人間の生活や意志と感情が込められた激しくも優しい一大叙事詩ともいえる作品です。

この曲をはじめて聴いたのは、ラジオでドラティ指揮ロンドン交響楽団の演奏でした。カセットテープに録音して、繰り返し繰り返し聴いたものです。

その後、サージェント指揮ウィーン・フィルの素晴らしい演奏に出会ってますます好きになりました。シベリウスの全作品の中で最も好きな作品かもしれません。手に入るレコード・CDはほとんど買って聴き比べをしたと言っても過言ではないでしょう。

弦楽器の繊細さと金管楽器の盛り上がりの桁外れの、サージェント指揮ウィーン・フィルがやはり一番ですが、弦楽器の充実したザンデルリンク指揮ベルリン交響楽団も素晴らしい演奏です。カラヤンのベルリンフィルは期待したのですが、洗練されすぎていて荒々しい民族精神が感じられない頼りないものでした。
その他、オーケストラの多彩な響きの美しいオーマンディのフィラデルフィア管弦楽団の演奏も魅力的です。・・・この曲ほど演奏者によって印象が代わる曲も珍しいですね。

実は、最も私のイメージに合っている演奏は、アシュケナージ指揮のフィルハーモニア管弦楽団の演奏です
名ピアニストだった彼は80年代に突然 指揮者に転向し初の交響曲を録音したのです。それがシベリウス全集でした。フィルハーモニアを完全にコントロールして澄み切った響きを生かした美しくも激しいシベリウス像を作り上げてくれました。(シベリウスを演奏したいがために指揮者に転向したんじゃないかな、と思わせるふしがあります。というのは後にストックホルム・フィルとも常任になったときにも録音していますから・・・。間違いがないでしょう。)

05・12・10
シベリウス:管弦楽曲集 シベリウス:管弦楽曲集
サージェント(マルコム) ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 BBC交響楽団
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*交響詩「伝説(エン・サガ)」:アシュケナージ指揮フィルハーモニア管弦楽団


7・交響曲第3番・ハ長調作品52

この曲はシベリウスの全交響曲の中では最も演奏機会のない交響曲といえるでしょう。
1904年から7年にかけて作曲され、1907年ヘルシンキで初演されました。第2番の大成功を経て一躍国民の英雄に登りつめたシベリウスはヘルシンキでのわずらわしい社交界から逃れて、作曲に専念する為に田舎に建てた山小屋風の家(夫人の名前からとった)アイノラ荘で書き上げられたのがこの交響曲第3番でした。

この作品は以前の曲とは大きく作風が変わり、一切の虚飾を削ぎ落とそうとする意思が感じられます。そういう意味では第4番から7番にいたる、単一楽章交響曲への出発点といえるでしょう。

交響詩伝説、フィンランディア、交響曲第1番と第2番と、民族的な意思や情熱をテーマとした雄渾な作風がこの曲では影をひそめ、純音楽的な古典主義に向かっていったのがよく分かる曲です。

3つの楽章に区切られたこの交響曲はハ長調の明るい主題で始まり、まるでフィンランドの短い春を謳歌しているような幸せな雰囲気にあふれています。続く第2楽章アンダンテはフルートの優雅で哀愁を含んだテーマが行く春を惜しんでいるかのようです。
私はこの楽章はシベリウスの全作品でも最も美しいものだと思っています。歌詞をつければ美しい歌曲が出来るほどなのです。

第3楽章はスケルツォとフィナーレを融合させたもので、交響曲5番はこの形式の発展させたものでした。曲想は幸せな前楽章とは打って変わって、来るべき過酷な冬を思い起こさせるもので一転して暗く激しくなり、この厳しい冬と対峙するフィンランドの人々の心意気が感じられました。

この交響曲はシベリウスにすれば美しいテーマが豊富なのに、なぜ演奏機会が少ないのでしょうか。確かに地味で派手なこけおどしの表現は全く出てきませんが、これほど味のある交響曲はないと思っています。私はこの曲を聴くたびベートーベンの「田園交響曲」をイメージしてしまいます。

ベートーベンは自然への感謝の気持ちを音楽にしましたが、シベリウスは北欧の厳しい自然への畏怖が込められているようです。極北の厳しい自然の中でも、美しい春が来る・・・そんなはかない安らぎのひと時を音で表現したのではないでしょうか。

演奏は最もスローテンポのバルビローリ指揮ハルレ管弦楽団・盤を愛聴しています。普通26〜7分の演奏時間のところ33分もかかってじっくり素朴に演奏しています。これによってシベリウスの描くフィンランドの大地の広さが実感されるのです。森と湖とオーロラの幻想の大地。こんなイメージがわきあがってきました。(実際には行った事がないので勝手にイメージしていますが。)06・03・04 <ページトップへ>
シベリウス:交響曲第3番 シベリウス:交響曲第3番
ハレ管弦楽団 シベリウス バルビローリ(ジョン)

*交響曲第3番/エサ・ペッカ・サロネン指揮スエーデン放送交響楽団


8.交響曲第4番イ短調・作品63

いよいよシベリウスの最高傑作、交響曲第4番の登場です。シベリウスのと書きましたが私個人はベートーベン以降、交響曲の分野でも最高傑作ではないかと思っているほどです。
ベートーベン、ブラームス、ブルックナーなどのドイツ・ロマン派交響曲の系列からは大きく離れた、孤高の佇まいがあり、全く官能に訴える事のない特異な交響曲なのですがその内容は驚くほど深く一度心を捉えたら決して忘れられないほどのインパクトがあります。
それに全4楽章が有機的に結びつき一つの世界を形作っているところはもう既に単一楽章の交響曲の気配すらあります。

シベリウスの作風は大きく2つの時代に分けることが出来ます。初期のフィンランディア、カレリア組曲、交響曲1〜2番から3番にいたる1907年頃までと、都会の喧騒を離れ山小屋で作曲活動を始めたころに作った交響曲4番の1910年以降とは全く作風が変わってしまいました。

社交的でサロンを好む活動的な性格が影をひそめ、内へ内へと自己の内面を見つめるかのような作品が増えてきました。カレリア組曲のような愛らしい単純な音楽は後期では全く作られませんでした。

また、シベリウスは20世紀の新しい音楽にも興味を示し、1908年のイギリス訪問の際ドビュッシーに出会い、彼が指揮する「牧神の午後への前奏曲」と「夜想曲」を聴いて大いに啓発されたということです。シベリウスの後期の音楽に共通する印象主義の影響を思わせる用法がそれを物語っています。

さてこの第4交響曲はある意味では、最もシベリウスらしい内省的な含蓄の深い音楽なのですが、演奏会ではめったに取り上げられないし、人気もありません。シベリウスといえば相変わらずフィンランディア、カレリア組曲、交響曲第2番ばかりです。もしあなたが本当のシベリウスに出会いたいと思うなら、この交響曲4番と6番を聴いてみてください。

この交響曲4番を聴いた人は皆「人と全く出会わない、人間の情緒とは無縁の世界の音楽だ」と言います。描写的でもなく標題的リアリズムもない(口では言い表せないのですが・・・)、言い換えれば「大自然からの音楽」とでも言うのでしょうか。自然の景色、光、風などの音ともいえない永遠に続く大自然の営みの音なのでしょうか。
そんな孤独な厳しい音楽なのですが、その中に身を置くと不思議に癒されている自分がいます。

私のつたない文章力では伝わらないでしょうが、今まで後期の作品を敬遠していた方、一度じっくり聴いてみてください。そうすればシベリウスが音で創り上げた大自然からの音楽に優しく愛撫されているのに気づくことでしょう。

演奏は65年に録音されたカラヤン指揮ベルリンフィルの圧倒的合奏力の名演奏が忘れられません。重厚で深い低音がほのくらいフィンランドの森の奥に誘うようです。この演奏ばかりを聴いてきましたが最近、アレキサンダー・ギブソン指揮ロイヤル・スコティッシュ・ナショナル管弦楽団の全曲を手に入れて聴いたところあまりにも素晴らしい演奏にびっくりしました。
引き締まった合奏で北国の凛とした空気感をも漂わせる音色にシベリウスの意図した音とはこんなのだろうなと思わせる見事なものでした。(英シャンドス輸入盤)06・03・30     <ページトップへ>
Sibelius: Symphonies: Symphonies 1 & 4 Sibelius: Symphonies: Symphonies 1 & 4
Jean Sibelius Alexander Gibson Royal Scottish National Orchestra

B00005FJBO シベリウス/交響曲 第4番 イ短調 作品63
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 シュテンプニク(ゲハルト) カラヤン(ヘルベルト・フォン)
ポリドール 1999-07-01

by G-Tools

*交響曲第4番 /エサ・ペッカ・サロネン指揮スェーデン放送交響楽団


9・交響曲第5番 変ホ長調作品82

第4番からほぼ4年後に完成された第5番は、前作とは全く違う作風です。第4番がシベリウスの心の奥底にひそむ、心象風景を音にしたものでしたが、5番では対照的にのびやかで開放的な明るい光に満ちています。

それもそのはずで、この曲はシベリウス50歳の祝賀音楽祭に合わせて作曲を進めてきたものだからです。1915年は国家的英雄の生誕50歳の祝賀行事が行われるにあたって新作が発表される運びになっていました。14年は初めてのアメリカへの演奏旅行などで忙しく過ごし15年の秋にやっと交響曲第5番が完成し12月の8日に初演されたということです。

このとき交響曲と交響詩「大洋の女神」作品73と「ヴァイオリンの為のセレナード」などがヘルシンキ初演されました。

この祝賀演奏会は大成功を収めたということですが、シベリウスは作品に満足できるものではなく翌年に校訂を加えて、形式的にもっと大きなものにしましたが、それも気に入らずさらに3年後まで改訂を続けました。今日演奏されるのは1919年の最終改訂のものです。

私は1915年原典バージョンの演奏のCDを買って聴きましたが、3楽章の交響曲が初版では4楽章に分かれていて、演奏時間も36分あり6分も長くなっていました。
聴く限りまことに素晴らしい出来で改訂する必要があったのだろうか?と思いました。とても新鮮な感じがしたほどです。

本当なら焼却にしたかったのでしょうが、既に初演をしているので楽譜が残ったので、後世の我々も1915年バージョンを聴く事が出来たということは新しい交響曲を聴くようでとても幸せに思ったほどです。

このようにシベリウスは自己批判が厳しく、何度も校訂を繰り返している作品が多いのです。作品9の交響詩「伝説」も「カレリア」の為の音楽、ヴァイオリン協奏曲などが改訂されています。BISレーベルでこれらのオリジナル・バージョンが素晴らしい演奏で発売されています。

さて、大成功を収めた交響曲第5番は後期の作品にしては、明るく輝きに満ちています。この作品のスケッチを進めているときにシベリウスはこう記しています。・・・・・

「日はくすみ、冷たい。しかし春はクレッシェンドで近づいている。今日十六羽の白鳥を見ていた。神よ、何という美しさだろう。白鳥たちは私の頭上を長い間旋回し、鈍い太陽の光の中に銀の帯のように消えていった。・・・・白鳥の鳴き声はトランペットに似ている、赤子の泣き声を思わせる・・・・自然の神秘と生の憂愁。これこそが第5交響曲のフィナーレのテーマだ!」・・・・

このイメージは19年バージョンよりも15年の初版バージョンのイメージにぴったりなので聴いてみてびっくりしました。後のバージョンは整理されすぎてこじんまりとしている感じがします。第五交響曲ファンの方は1915年バージョンをぜひ聴かれる事をお薦めします。荒削りで素朴な感じが魅力的です。

現行盤ではフィンランドの指揮者ベルグルンドがヘルシンキ・フィルを振った素晴らしい演奏があります。オーケストラの共感に満ちた冷たく冴えた響きは、清らかな詩情さえ湛えているようです。全曲が高いレヴェルに達している最高の演奏といってもいいでしょう。

(写真はシベリウスと指揮者パーヴォ・ベルグルンド) 06・04・15 <ページトップへ>
シベリウス:交響曲第3番&第5番 シベリウス:交響曲第3番&第5番
ベルグルンド(パーヴォ) ヘルシンキ・フィルハーモニー管弦楽団 シベリウス

交響曲第5番 マゼール指揮バイエルン放送交響楽団 日本公演
 


10・ヴァイオリン協奏曲 ニ短調 作品47

シベリウスの唯一の協奏曲に選んだ楽器はヴァイオリンでした。なぜならシベリウスは若い頃ヴァイオリン時夢中になって、ヴァイオリニストになろうと励んだ事があったからです。

結局は極度のあがり症の為ソリストの道は断念しましたが、作曲に専念してからも室内楽団のメンバーとして楽しんだりヴァイオリンの教師をしたこともありました。こういうわけでヴァイオリンには人一倍愛着があったのです。

曲は1903年に完成しましたが、2年後には全面的な改訂がなされました。作曲年代は第2と第3交響曲との中間ですが作風はどちらかと言えば2番に近くロマンティックさが前面に出ています。

ヴァイオリン技巧を駆使しなければ弾きこなせない難曲なのですが、単なる技巧だけを見せる曲にしなかったのはさすがシベリウスです。第1楽章冒頭の弦の和音のさざめきに乗って、ソロ・バイオリンが歌う哀愁を帯びた第1主題はまさしく北国のほの暗い森をイメージさせます。

この協奏曲はソロヴァイオリンが2次的な立場に置かれオーケストラのシンフォニックな響きの中に沈み込む場面がしばしばあります。この印象が強いのでヴァイオリン協奏曲というよりヴァイオリン独奏つきの交響曲というべきかも知れません。交響的な第1楽章から下ってゆくごとにヴィルトゥオーゾ性は増してゆきますが交響的要素は薄れてゆきます。

全曲の半分の時間を要する第1楽章の充実度は目を見張らせるほどで、ベートーベン、ブラームスのヴァイオリン協奏曲にも匹敵する出来栄えです。協奏曲といえば派手なカデンツァや腕の見せ所が随所にあるのですが内省的なシベリウスは全曲の有機的構成からは離れた音楽を作る事には耐えられなかったのでしょう。ソロヴァイオリンが単独で目立とうとするとすぐに、交響的な響きの中に取り込まれてしまいます。

結果的にはこういう作風がシベリウス的な北国のリリシズムを想わせるヴァイオリン協奏曲の傑作を生んだのです。1903年のオリジナル・バージョンの演奏も聴きましたが、改訂版よりソロ・ヴァイオリンの出番が多く幻想的な雰囲気があり同じ曲だとは思えないほどの変わりようにびっくりしました。

主題は同じなのですが展開が相当違います。
ブルックナーの交響曲などはいろいろバージョンがあって「一体どこが違うの?」と思うのですがシベリウスの場合徹底的に変えてしまっています。聴いた印象としては新鮮で新しい曲のようにも感じました。時間も5分も長くなっていました。私個人としては改訂版を作るのなら、その精力を新しいヴァイオリン協奏曲の作曲に使ってほしかったなあと思ったほどです。

さて20世紀のヴァイオリン協奏曲の傑作としてオイストラッフ、ハイフェッツを初めとする名ヴァイオリニストが数多く録音していますが、美音を駆使した、スターン、冴えた北国のリリシズムを想わすシェリングの熱演が特に印象的です。06・05・09<ページトップへ>
シベリウス:ヴァイオリン協奏曲 ニ短調/原典版&現行版 [Import]
B000027EBD

B00006HBA1 シベリウス & ウォルトン: ヴァイオリン協奏曲
諏訪内晶子 バーミンガム市交響楽団 オラモ(サカリ)
ユニバーサルミュージック 2002-09-21

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11・カレリア組曲作品11

シベリウスは1893年にロシア圧政下のフィンランド南東部のカレリア地方の首都ヴィポリで上演される愛国的な野外劇の付随音楽を書きました。
劇は大した評判にはならなかったのですが、曲をまとめて組曲としたのが現在シベリウスの代表作とされている「カレリア」組曲です。「間奏曲」「バラード」「行進曲風に」の3曲はカレリア地方の情感を盛り込んだ名曲として盛んに演奏されています。

ところでフィンランド人にとって「カレリア地方」というのは特別の意味を持っていて、フィンランドの民族文化伝承の地である事です。この民族の故郷ともいえる広大な土地を1939年にソビエトが割譲を要求してきたのでやむなく戦争になり破れてしまい、翌年の3月の休戦講和でカレリア地方を失ってしまったのです。その後1941年には、第二次ソ・フィン戦争が勃発し44年にはまたしてもソビエトに破れて、国土の12パーセントと2億数千万ドルもの賠償金を払わされる事となりました。

こういう複雑な事情が「カレリア地方」にはあり国民の郷愁と苦難の入り混じった特別な土地なのです。

我々はこのカレリア組曲を聴くと「なんと美しい音楽だろう・・・」と思うだけですが、フィンランドの人にとってはもっと複雑なやりきれない感情があるのでしょう。日本でいえば伝説と日本の基礎を築いた「奈良と伊勢地方」を取られたようなものではないでしょうか。

政治的にはソビエトの後を継いだロシアとは友好関係にありますが、その本心でははらわたが煮え返るほどの口惜しさだと思います。それが証拠にフィンランドのビールの銘柄に「トーゴー・ビール」というのがあります。このトーゴーとは極東の小国「日本」が大国ロシアのバルチック艦隊を破った日露戦争の「東郷元帥」に因んで命名したということを聞きました。戦争に破れて復興した日本とフィンランドはよく似ていて、今でも多くのフィンランド人が日本には親近感を持つということです。

音楽と少し離れてしまいましたが、こういうことを知ったうえでこの美しい「カレリア」組曲を聴けば感動がもっと大きくなるのは私だけではないでしょう。

CDは代表曲だけあって多くの指揮者が演奏していますが、最近写真に有る「カレリアの音楽」の全曲盤がフィンランドのオンディーヌから発売されました。世界初録音ということで買って聴きましたが、このカレリアの音楽がフィンランドの成り立ちの歴史を熱く語った愛国的な音楽だということがよく分かりました。
全曲で44分もあり最後はフィンランド国歌「わが祖国」の合唱で熱く終っているです。06・06・03 <ページトップへ>
Sibelius: Karelia Music / Press Celebration Music
Juha Kotilainen Jean Sibelius Tuomas Ollila
B000007TR9

*カレリア序曲 Fort Worth Civic Orchestra (ライヴ)

*カレリア組曲〜行進曲風に/レイフ・セーゲルスタム指揮エーテボリ交響楽団


12・四つの伝説曲 作品22

カレリア組曲で大成功した青年シベリウスはフィンランドの民族的叙事詩《カレワラ》をもとにしたオペラを作ろうと思い立ちました。英雄レンミンカイネンの冒険と恋をモチーフとした壮大なオペラを作ろうとしたのです。

このカレワラとは,古くからフィンランドで職業的吟遊詩人によって口伝されてきた英雄物語です。19世紀の中ごろに、エリアス・リョンロット博士によってこれを採取・整理して全50章にもなる民族的大叙事詩としてまとめ上げられたのでした。(以前は岩波文庫で出版されていました)

しかしこの《カレワラ》を読んで気がつくことは、物語が幻想的であり想像も飛躍しすぎてまとまりが悪く、舞台設定も複雑だと思いました。シベリウスのような内向的な作風の者にとっては適さない事を悟ったのでしょう。プロローグの部分を作曲したのみで放棄されたのです。

その曲が現在ではシベリウスの代表曲である「トゥオネラの白鳥」だといわれています。黄泉の国を流れる陰鬱なトゥオネラ河に静かにただよう白鳥をイメージする、美しくも悲痛な感情も込められた音楽です。

このプロローグで始まるオペラはもし出来ていたとしたら、どれほど素晴らしい作品になっていたことでしょうか。残念でなりません。オペラ作曲の挫折の原因としては、フィンランドの作家エルッコの助言をもとにしたものの台本をシベリウス自身が行ったからではないでしょうか。

専門的な劇作家の作る台本をもとにしていたら、作曲に専念出来て後世の我々にシベリウス独特のオペラを聴かせてくれたかも知れません。北欧神話をテーマに壮大な楽劇「ニーベルンゲンの環輪」を作り上げた”ワーグナー”とは全く違った”詩的”で味わい深いオペラが出来上がったことでしょう。

さて、オペラを断念したシベリウスはオーケストラ組曲として作られた3曲をあわせて「四つの伝説曲」(レンミンカイネン組曲)として発表しました。第1曲「レンミンカイネンとサーりの乙女たち」、第2曲「トゥオネラの白鳥」、第3曲「トゥオネラのレンミンカイネン」、第4曲「レンミンカイネンの帰郷」という構成です。

音楽は初期の曲らしくメロディックでロマンの香りもたたえた非常に美しい音楽です。特に第2曲の「トゥオネラの白鳥」が有名ですが暗い弦楽合奏をベースに、コールアングレイ(イングリッシュ・ホルン)が奏でるメロディはシベリウスの全作品の中でも最も神秘的で美しいものだと思います。
楽器の扱いも天才的でチェロ、ハープ、ホルンがこれ以上ないくらい効果的に使われており、後半に一瞬現われるほの暗い全合奏の盛り上がりは聴く者の感情を鷲づかみにするほどです。8分ほどの小品ですがずっしりと心に残ります。

カラヤン指揮するベルリンフィルのシベリウスはこの曲の最高の演奏だと思います。

CDはレンミンカイネン組曲全曲としては意外と少なく、78年のオーマンディ/フィラディルフィア管弦楽団、80年のシュタイン/スイスロマンド管弦楽団、92年サロネン/ロスアンゼルス・フィルなどが国内では発売されています。その他ウーヴェ・ムント/京都市交響楽団の素晴らしい演奏もあることをお伝えしておきます(アルテ・ノヴァ盤)。
06・07・30            <ページトップへ> 
シベリウス:四つの伝説曲
オーマンディ(ユージン) フィラデルフィア管弦楽団 ローゼンブラット(ルイス)
B000MQ50UM

*カラヤン指揮ベルリン・フィル


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13・組曲「クリスティアン2世」作品27

シベリウスはワーグナーの影響を受けたとはいえ、外面的な壮大なドラマを好まず、ワーグナーと同時代のブラームスにより共鳴していました。ブラームスの堅固な構成と内に秘めた情熱はシベリウスと共通するところがあったからです。

ブラームスがオペラを書かなかったようにシベリウスも、オペラでは目立った業績を上げていません。「カレワラ」に基づいたオペラ、<船の建造>を書き上げてすぐに中止したほどです。

ところで若いとき一曲オペラを書いていますがこれは1896年に上演された「塔の中の姫君」という一幕物のオペラで、成功しなかった為、二度と上演されることもなく作品番号も与えられていません。(CDが出ていれば一度聴いてみたいものです)

けれどもオペラ以外の劇音楽はたくさん書かれていて、20曲ほど残っています。
そんな中で最初の成功作は、「クリスティアン二世」ではないでしょうか。アドルフ・パウルの戯曲をもとに書かれた音楽は、後に7曲からなる組曲として広く愛好されています。
劇の内容はデンマーク、スェーデン、ノルウェーの王だったクリステァン二世の生涯を扱ったものですが、音楽は不幸な生涯を暗示させるような悲哀感あふれる音楽で占められていてシベリウス独特の北国の哀愁を感じさせます。

夜想曲、エレジー、ミュゼット、メヌエット、愚者の歌、セレナード、バラードと、静かな中にも内に秘めた情熱を感じる素晴らしい音楽ですが、シベリウス後期の作品のように主題が断片として現れるのではなく、息の長いロマン的情緒たっぷりの旋律が魅力です。

CDはほとんど出ていませんが、ベルグルンドがボーンマス交響楽団と5曲を録音しています。ぜひ聴いてみてください。シベリウスらしい冷たい肌さわりの佳品です。    <ページトップへ>
シベリウス:クリスティアン2世/歴史的情景他・劇音楽集2CD
ヤラス(ユッシ) ハンガリー国立交響楽団 シベリウス
B00092QR06

*クリスティアン2世よりエレジー/ リトアニア・アカデミー交響楽団


14・芸術家と安定した生活

1957年に亡くなったシベリウスは今年が没後50年の節目の年です。92歳の長寿を全うした大作曲家は、さぞかしたくさんの作品を残したと思われるでしょうが、60歳以降はほとんど作曲をせずに沈黙を通したことで有名です。

家族の証言によると、晩年シベリウスは交響曲第8番を書いていて近い将来完成して披露されるでしょうとのことでしたが、死後その楽譜は発見されませんでした。こうして全世界のシベリウス・ファンの期待が潰えたのですが、確かに楽譜は完成されていたようです。

シベリウスは若い頃から自己批判が強く、一度出版した楽譜を何度も書き直したり、演奏することを禁止したりしたことがありました。こういう性格が晩年、よりひどくなり未発表の曲を廃棄してしまったのかも知れません。残念でなりません・・・。

永く他国の支配を受けていて、音楽の辺境国フィンランドに生まれた大作曲家シベリウスにかける国民の期待は非常に大きいものでした。若くして政府から終身年金が与えられて生活には何不自由なかったのですが、それが大きな負担になったのではなかったのでしょうか。

国民の期待を一身に背負い、いい作品を書かなければならないシベリウスと、モーツァルトのように浪費家の嫁をもらって借金の返済の為、死の床まで作曲を続けたのとは雲泥の差です。

芸術家にとって安定した生活は果たして創造への後押しとなるのでしょうか

もうひとり、人生の半ばで富と名声を獲得しながら、音楽の道を退いた「ロッシーニ」も有名です。37歳の絶頂期にあっさりと作曲の筆を折り、後半生を旅と美食に明け暮れたというのにも驚いてしまいます。

晩年のモーツァルトのように、あまりにも貧乏で食うものにも困り、おまけに身体も壊すほどの状態では生きていくのすら難しくて、芸術どころではありませんが、中の下くらいの経済状態が一番いいのではないでしょうか? 
     *(この記事は名曲の森07年のNo23と同じです)      

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15、モートン・グールドのシベリウス

シベリウスの音楽のLPレコードを初めて買ったのは、「モートン・グールド:ミュージック・オブ・シベリウス」というタイトルのLPでした。曲目はフィンランディア、トゥオネラの白鳥、悲しきワルツ、ポヒョラの娘、レンミンカイネンの帰郷というプログラムでした。フィンランディア以外は聴いたことがなかったのですが、どうしてこのLPを買ったかというと、実はジャケットの美しさに一目ぼれをしたからでした。フィンランドの針葉樹林の森にたたずむ美しい(たぶん)乙女が目を引いたからです。レーベルはビクターのダイナグローヴと書かれていました。

実は、このLPははるか昔に処分して手元にないのですが、このたびネットで検索したら懐かしいジャケット写真が出てきたのです。

雄渾なフィンランディアの他の曲はこのフィンランド国旗のブルーのイメージどおり実に清々しい抒情性に溢れた音楽でした。もうシベリウスの音楽にのめり込んでしまいました。あけてもくれてもこのレコードを聴いたものです。いまでもこのジャケットを見ると当時を懐かしく思い出します。

指揮者のモートン・グールドはアメリカの著名な作曲家であり,自らの楽団も持ち編曲指揮する当時の売れっ子指揮者でした。

簡単な経歴を:1913年ニューヨークで生まれる。4歳の時にピアノを始め、6歳で最初の作曲を行う。8歳の時に奨学金を得て音楽芸術研究所(後の ジュリアード音楽院)でピアノと作曲を学び、不況の最中、10代で映画館などのピアニストとして働き始める。ラジオ・シティ・ミュージック・ホールが開館したとき、グールドはそこのピアニストとなった。
グールドは、純粋なクラシック音楽を初め、クラシック音楽とポピュラー音楽を組み合わせた作品、映画音楽・テレビ音楽・バレエ音楽・ジャズ音楽、ミュージカル音楽等あらゆるジャンルの作品を手がけた。作曲にあたってはピアノは使わず、頭の中に浮かんだものを譜面に書き留めると言う。ピアノを使って作曲を試みたものの、上手くいかなかったと語っている。指揮者としての活躍も顕著で、自作自演を含め、録音も数多く行っている。他にも自作自演、カヴァー等、レコード録音数は非常に多いが、自作曲を指揮するのは集中できないため余り好きではなく、他の指揮者に指揮してもらう方が嬉しいと語っており、自身も他の作曲家の作品を指揮する方が好きだと語っている。
1996年没

現在で言うと、アンドレ・プレヴィンが近いでしょうね。ただ単にジャケットの乙女の姿が美しいというだけで買った音楽の素晴らしかったこと!「ポヒョラの娘」という交響詩、こんな乙女だったのかしたらと勝手に想像しながら聴きました。その他「トゥオネラの白鳥」の幽玄の世界など当時聴いていたベートーベン、モーツァルトとは全く別の世界の音楽に魅了されてしまったのです。

さて、この指揮者グールドの作曲した行進曲「アメリカン・サリュート(ジョニーが凱旋する時」はオーマンディ指揮の行進曲集CDの中にも入っていました。是非お聴きください。<ページトップへ

*モートン・グールド:「アメリカン・サリュート


16、交響詩「ポヒョラ(ポホヨラ)の娘

交響的幻想曲《ポヒョラ(ポホヨラ)の娘》作品49は、シベリウスの1906年に作曲された交響詩で、フィンランドの民族叙事詩『カレワラ』に基づき、その英雄ヴァイナモイネンの物語が音楽によって繰り広げられて行きます。

以下のような物語に基づいています。

白髭を蓄えた不撓不屈の英雄ヴァイナモイネンは、暗い景色の中を橇で滑っているとき、虹に腰掛けて金糸で布を織り上げている「北国ポホヨラの娘」を見つける。英雄は娘に同行するように誘ってみるが、娘は「自分が課した3つの困難な試練を果たせるような男にしかついて行かない」と答える。その試練とは、彼女の糸巻き車のかけらで舟をこしらえるとか、目には見えない結び目に卵を結わえ付けるとかというものだった。ヴァイナモイネンは熟練した魔術によってこれらの試練を果たそうとするも、悪霊に裏をかかれて自分の斧で足を負傷してしまう。そしてヴァイナモイネンは諦めて試練を投げ出し、粛々と旅を続けるのであった。」

なぜか日本の「竹取物語(かぐや姫)」を思い起こしますが幻想的な展開と後期の簡潔な作風の中間にあり、前期から後期への過渡期の作品といえるでしょう。音楽の展開が劇的で非常に男性的な音楽だと思います。

このあと交響詩「夜の騎行と日の出」や組曲「テンペスト」などで顕著な簡潔で内容の凝縮化を強めてゆくような作風となります。【ページトップへ

*交響詩「ポヒョラの娘」/セーゲルスタム指揮デンマーク国立交響楽団


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