名曲の森06−2

7月になり早いもので2006年の後半に入りました。演奏会、CDなど音楽に関する
話題を思うままに書き散らしました。どうか引き続き気軽にお楽しみください。
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 森の木陰で2  シベリウスのある部屋

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61・ウィリアム・テル序曲 62・スペイン奇想曲 63・ブーレーズの水上の音楽 64・懐かしいジャケット 65・もうひとつの水上の音楽 66・恐るべき廉価盤 67・音楽の風景画家 68・クレンペラーの編曲 69・趣味が変わる? 70・名歌手シュワルツコップの訃報  71・ブルックナーには巨匠が似合う? 72・拍手入りのCD 73・天才モーツァルト入門 74・テレマンの管弦楽組曲 75・バッハ最古の直筆楽譜発見さる 76・秋に聴きたい曲 77・世紀のスキャンダル音楽 78・ホームシックから生まれた音楽 79・趣味人・アルビノーニ  80・オーケストラの楽器配置 81・ベートーベンの最も愛した曲 82・ヴィヴァルディ:オーボエ協奏曲 83・第2の国歌美しく青きドナウ 84・のだめカンタービレ  85・のだめ涙の最終回  86・アンセルメの芸術  87・アンセルメの禿山の一夜  88・ブクステフーデとバッハ  89・世界一幸せな指揮者 90・ハイドンのピアノ協奏曲 

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61・ウィリアム・テル序曲

七夕だというのにまだ梅雨は明けず、雨が降ったりやんだりの、うっとうしい毎日です。
何でも今年は、日照不足で米や野菜の成長が悪くなるだろうという予測が出ています。

こんな、じめじめとしたうっとうしい気分をスカッと晴らしてくれる曲はなんだろうと、CD棚から選んだ曲は、ロッシーニ作曲・歌劇「ウィリアム・テル」序曲でした。

ロッシーニ・クレッシェンドと言う言葉があるほど、彼の曲は音を徐々に大きくしてゆき、テンポも早くなり聴いていて”元気”になる曲が多いのです。

悪代官の暴政に対抗するウィリアム・テルが愛児の頭に乗せたリンゴを見事打ち落とす場面で有名なこの歌劇はロッシーニ最後の作品でした。

働き盛りの37歳に作曲活動を終え、その後は料理と旅に明け暮れる悠々自適の生活に入ったと言うから羨ましい限りですね。このオペラが出来る2年前に病苦で亡くなったベートーベンの生涯とあまりにも対照的なので驚いてしまいます。

このロッシーニのオペラは現在ではほとんど上演されませんが、序曲だけはよく演奏されます。特にこの最後のオペラの序曲は、ロッシーニ円熟の作風が全編にあふれていて素晴らしい出来になっています。

オペラの4幕の内容をそれぞれ「革命が起こる前の緊張」「闘争」「終結」「勝利」というようにまとめ、序曲もこれに対応して「夜明け」「あらし」「静けさ」「スイス独立軍の行進」と4部に分けられています。

チェロの4重奏で始まる「夜明け」の雰囲気からやがて「嵐」になり、この嵐が去った後のすがすがしい気分をイングリッシュ・ホルンの美しいメロディで表わす「静けさ」の場面はいつまでも心に残ります。最後の勇壮な「スイス独立軍の行進」は映画のテーマソングにもなった有名な曲で、この構成の見事さは後の交響詩を思わせるほどです。

この曲を聴くといつも身体中に元気が漲るのを感じます。梅雨のうっとうしさなんて吹っ飛んでしまいました。
ところで、これほどの素晴らしい音楽を書きながら作曲の筆を置いたロッシーニの潔さにも感心するのですが、彼には音楽より大事なものがあったのでしょうね。この序曲を聴きながらそんな事を思ったのでした。06・07・07 <ページトップへ>

62・スペイン奇想曲〜小学生の頃から好きでした

この曲を始めて聴いたのは、小学6年生の頃でした。母がレコード屋の廃盤セールで買ってくれた一枚のモノーラルレコードがその後のクラシック大好き人間を作ってくれたのでした。

父が亡くなって間がない頃だったので、この美しい音楽が私の心を慰めてくれました。それこそ毎日毎日飽きずに聴いたものです。演奏はジャン・マルティノン指揮のロンドン交響楽団でした。

当時はビクターレコードだったのですが、後にCDでプロコフィエフの交響曲第7番の付録として収録してあるのを発見した時はロンドン・レコード(デッカ)でした。
道理でモノラルとはいえ音が良かったはずです。またこれをステレオで聴いたときの驚きはとても大きいものでした。
想像以上の素晴らしい音で58年の録音だとは信じられないほどでした。

マルティノンの演奏を聴いてからというもの、このスペイン奇想曲が大好きになり、いろんな指揮者の演奏を聴いてきましたが(子供の頃の刷り込みが強烈だったのでしょうか)、これを上回る演奏には出会いませんでした。

きびきびとしたリズム感、洒落た節回し、これらの小気味よい指揮を的確に音に再現してくれるロンドン交響楽団の演奏の素晴らしさは他を圧倒していると思いました。
現在までいろんな演奏が出ていますが、リズム感や間合いなど、どうも全てしっくりしないのです。もしマルティノンのを聴いていなかったらこんな事にはならなかったのでしょうが・・・子供の頃に刷り込まれた印象は一生抜けないのでしょうか?

食べ物でも「お袋の味」と言って子供の頃に食べたものが一番美味しく感じるのと似ているのでしょうか?この点大人になってから聴いた曲は、そういうことがなくどんな演奏でも受け入れられますから不思議なものですね。

とにかく、誰がなんといおうがリムスキー・コルサコフ作曲の「スペイン奇想曲」はマルティノンでなければなりません!(残念ながらYouTubeではなかったのでブルゴスの指揮でどうぞ。これもテンポ、音の鮮明さ、など見事な演奏です。)


因みにレコードの余白に収録されていたコルサコフ作曲の「皇帝サルタンの物語」の第1幕への前奏曲(行進曲風のアレグレット)もすばらしかった事をお伝えしておきます。残念ながらこの曲はまだCDでは復刻されていませんが。06.07.09
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* ラファエル=フリューベック・ブルゴス指揮デンマーク放送交響楽団


63・ブーレーズの水上の音楽

60〜70年代に「春の祭典」や「火の鳥」などで衝撃的な現代的?解釈で多くのクラシック音楽ファンを驚かせたブーレーズがヘンデルの「水上の音楽」を2度も録音しているのをご存知でしょうか?

最初のは60年代のハーグ・フィルとの共演でレコードは「ノンサッチ」レーベルでした。その後72〜3年にニューヨーク・フィルと再録音しています。私はこの曲が大好きなのでレコードを持っていましたがレコードが聴けなくなってしばらく忘れていましたが、最近CDに復刻されたニューヨーク・フィル版を手に入れて久しぶりに聴きました。感想としては最近の古楽器演奏にありがちの即興的快速演奏ではなく、ゆったりとした抒情的な解釈に改めて驚いた次第です。

ビブラートを抑えた、そっけないほどで祝典的な弾んだ気分はほとんど感じられない、しっとりとした演奏だと思いました。以前のハーグ・フィルとの演奏よりゆったりしたテンポの演奏です。

現代音楽の作曲家として高名で指揮する音楽もストラヴィンスキー、ドビュッシー、ラヴェル、ベルク、シェーンベルク、などで譜面を細かく分析し知的な演奏をするブーレーズがなぜ、バロック音楽のヘンデルを2回も録音したのでしょうか?
それもなぜ「水上の音楽」でなければならなかったのでしょうか?とても興味深いことです。

ブーレーズ自信がこの曲に対して共感を持っていたことは確かで、他の録音曲目から考えて、この曲は彼にしては異質だと思わせるものです。

レコードを聴く前は、さぞかし前衛的なアッと驚かせるような奇抜な仕掛けがあるのだろうと(アーノンクール指揮の演奏のように)ほのかな期待を寄せていましたが、それは見事に裏切られました。
遅い目のテンポで一音一音をくっきり演奏させ、ノンビブラートの楽器群はこの祝典的な機会音楽にある種の重さを与えていました。バロック音楽なのに古典派、ロマン派を超越した現代音楽により近いものを感じました。

これほど喜ばしい気分のない「水上の音楽」も珍しいものです。暗いというものではないのですがとにかく重心が低く音楽が弾まないのです。

ヘンデルは不義理をしていた領主の怒りを解くためにこの曲を作曲したとされているのですが、このような演奏では、多分領主の怒りは解けなかっただろうと思われます。

この演奏の特徴は、緩徐楽章でより明確に現われ一音一音を確かめるように明確にして、ニューヨーク・フィルという大オーケストラを指揮しているにもかかわらず室内音楽的にすっきりとした組み立てをみせてくれています。

とにかくこれほど祝典的気分のない「水上の音楽」も珍しいものでした。でも聴くほどに味わいが出てきて魅力的になるのは否定できません。王の怒りを解くために一計をめぐらせてこのような曲を作ったという逸話など、一切感じさせない「音楽的」なものだけを感じさせるシンプルな解釈と言えるでしょうか。

因みに併録の「王宮の花火の音楽」も同じ傾向の演奏だったということを付け加えておきます。06・07・17  <ページトップへ>

64・懐かしいジャケット

最近のCDは新録音より、以前の名演奏の復刻盤が盛んに発売されていますね。値段も非常に安くなり音質もデジタル処理を施してとても聴きやすくなっています。私はこういう復刻盤もよく買うのですが、ついついジャケットにつられて買う事が多いのです。というのはこれらのCDは発売当時のジャケットをそのまま再現しているレーベルが多いからです。

東芝EMIの「決定盤1300」シリーズは全て発売当時のジャケットを再現していて、とても興味深いです。レコード盤は30センチもありジャケットが大きかったので音楽からの印象に加えて視覚的印象も少なからずありました。

最近のCDでは12センチ四方で小さすぎるのであまりジャケットから受ける印象はありません。

ところで最近購入した、カラヤン、シベリウス交響曲第2番とクレンペラーのブランデンブルク協奏曲全曲は発売当時と同じジャケットが使われていて、店頭で手に取ったとたん、高校生の時大事に聴いていたレコードの思い出がよみがえり、胸が「キュン」となるほどの懐かしさでいっぱいになり思わず買ってしまいました。

レコードは処分したりキズがひどくて長い間聴いていないものがあり、思わず出会った懐かしいジャケットにしばらくは見とれてしまいました。このシリーズのほかのCDではクリュイタンスの幻想交響曲、ミュンシュ:ラヴェル管弦楽曲集など私にとっては懐かしいジャケットばかりでした。

EMI以外にはCBSのブルーノ・ワルター集、BMGではオーマンディ集など発売当時の懐かしいジャケットを使用していて思わず何枚か買ってしまいました。
レコード時代に青春時代を過ごした方なら分かると思いますが、ジャケットの美しさはレコードを買う時の大きな要素でした。だから各社ジャケットには有名写真家を利用したりイラストレーターを使っていて力を入れていたのです。

「ジャケット・デザイン」というひとつのジャンルもあったほどです。30センチ四方もあれば立派な芸術作品であり、音楽を聴きながらプレーヤーの横に立ててよく眺めたものです。だからCDよりはるかに印象が残っているのです。

これから将来はCDでさえもなくなりつつあり、音楽はパソコンでインストールする時代になると思うので以前のように視覚でも音楽を楽しむ事は出来なくなるでしょうね。ちょっと寂しい気がします・・・・。06・07・19 <ページトップへ>

65・もうひとつの水上の音楽

今日は久しぶりにすっきりと晴れ渡って、青空に入道雲がくっきりといかにも夏らしい風景が広がりました。気温も30度を超える真夏の天気となりました。こんな時には、海や川の涼しげな水が恋しくなりますね。

音楽では水にかかわる涼しそうな曲があります。「水上の音楽」です。この曲名で多くの方は”ヘンデル”を思い起こすでしょうが、私はテレマンの「水上の音楽」を思い起こしました。これは1723年にハンブルク海軍鎮守府の設立百年祭が催された時に作曲され、副題に「ハンブルクの潮の満ち干」とつけられています。

ヘンデルの音楽は有名な逸話と共に頻繁に演奏されますが、テレマンのこの曲はめったに聴く事が出来ません。私は70年代にヴェンツィンガー指揮バーゼル・スコラ・カントールム合奏団の当時としては珍しい古楽器演奏のレコードを聴いた時からのお気に入りの曲でした。(録音は60年代)グラモォフォンレコードの古楽部門、輸入盤レーベル、”アルヒーフ”レコードで当時とても高価だったと覚えています。

川から海に注ぎ込む水辺の風景からやがて広々とした海を思い起こすかのような優雅な調べの”序曲”で始るこの組曲は、色々な海の表情を音で表わす見事なものでした。

高校生の頃これを聴くなりこの音楽の虜になったものです。それから数十年が経ちましたがヴェンツィンガー盤のほかにはレコードは一向に発売されませんでした。

トランペット、ホルンと派手な金管楽器の鳴り渡るヘンデルの曲に比べて、ブロック・フルーテ、オーボエ、チェロがソロ楽器として演奏するので少し地味に聴こえるのであまり人気が出なかったのでしょうか?

最近までほかに国内盤のカタログにはゲーベル指揮のアンティクヮ・ケルンのCDしかありませんでした。海外盤では他にも出ているのでしょうが、ヘンデルと比べてその数に差がありすぎると思うのですが・・・・。

アマゾンで”水上の音楽”とクラシックCDの検索しましたら270件ほど出てきましたが、ほとんどがヘンデルで一枚だけニュー・ロンドン・コンソートの演奏が出てきました。試合で言えばヘンデル対テレマンの対決は200対1となり、ヘンデルの一方的勝利ですね。

私個人の意見としては、人気と作品の出来とは関係ないと思います。派手で一般受けするヘンデルの水上の音楽も素晴らしいのですが、テレマンのこの曲がヘンデルのCDの数ほどの差があるとは思えません。いや、楽想の多彩さと優雅さ、斬新な楽器の使い方などヘンデルより優れているかもしれません。

これからは「水上の音楽」をリリースする時はヘンデルとテレマンを両方録音して発売して欲しいほどです。バロック音楽ファンならきっとこのテレマンの「水上の音楽」も好きになると信じています。まだお聴きになっていない方は一度聴いてみてください。
(写真はヴェンツィンガー指揮盤です)    06・07・27     <ページトップへ>

ゼフィーロ・バロック管弦楽団の演奏です


66・恐るべき廉価盤!

3年程前に買ったのですが、信じられますか?ワグナーの歌劇「ニーベルンゲンの指輪」全曲14枚セットがたったの2590円とは!レーベルはヒストリーという会社です。

ギュンター・ノイホルト指揮のバーデン国立歌劇場管弦楽団
です。もちろん対訳は付いていません。別で対訳本を買っても安いものでしょう。演奏も録音も優秀で物凄くお買い得です。こんなに安くして大丈夫かなと心配になるほどです。

最近ではショスタコービッチ交響曲全集全11枚組(ルドルフ・バルシャイ、WDR交響楽団)を4000円ほどで買いました。新録音の上、演奏も素晴らしいものです。

安いのはいいのですが悔しい事も度々有ります、例えばハイドンの交響曲全集が出ていますが33枚セット全部でたったの9800円です。
以前私は輸入盤で同じ演奏のCDを正価でだいぶ買っているのです。まあ安いから重複して買ってもいいかなとは思っていますが・・・。

昔LPの時代はステレオが1枚で2500円だったでしょうか。そしてその廉価盤は半分の1200円が相場でした。フィリップスのフォンタナ、ビクターのビクトローラ、グラモフォンのヘリオドール、コロンビアのダイヤモンド・シリーズなどが有名でした。でもその殆んどが再発の古い録音盤でした。

レコード時代は正規盤と廉価盤の住み分けがはっきりしていました。発売から相当年月日が経ったものや、マイナーな指揮者、楽団が主なラインナップでした。だから”安かろう悪かろう”というのは覚悟の上で買っているので、いい録音や演奏に出会ったときはとても感動が大きかったものです。(フォンタナ・レーベルのコンヴィチュニー指揮のベートーベン交響曲は一枚1200円でしたが、これほど素晴らしい演奏は未だにないと思っているほどです。)

ところが最近の廉価盤は以前とは全く違います。新録音、輸入盤と目白押しです。ナクソス、アルテノヴァは全て新録音で1枚が800〜1000円くらいで、ブリリアントというオランダのレーベルなどは(ライセンス販売ですが)新旧の名録音が1枚あたり500円くらいで出ています。このデフレの時代に有り難いのですが、これで採算が取れるのかなという心配がたってしまいます。それが証拠に昔の有名レーベル会社が次々と倒産してゆき新譜の発売もわずかになってしまいました。音楽ファンとしてはさびしい限りです。

これからも長時間録音可能のCD、DVDが発売されたりしているのでCD会社の経営は予断を許さないですね。私はお金に余裕があればなるべく国内のクラシックレーベルのCDを買おうとは思っていますが・・(あまり魅力的なCDは少ないですね)どうしても輸入盤中心になってしまいます。   07・07・29 <ページトップへ>

67・音楽の風景画家〜メンデルスゾーン

音楽と絵画どちらもイメージの世界で共通点がありますね。絵を見ていて音楽を感じたり、音楽を聴いていて絵を思い浮かべた事がありませんか?

メンデルスゾーンの音楽には一流の風景画を感じてしまいます。彼自身が水彩画家としても有名だったと言うのでなるほどな、と思うほどです。序曲「フィンガルの洞窟」を聴いているとスコットランドの荒涼とした海岸風景が目に浮かびます。

メンデルスゾーンは1829年に初めてイギリスへ演奏旅行し、半年あまり滞在しました。その時スコットランドのヘブリディス諸島のひとつ、スタッファ島のフィンガルの洞窟を訪れたのです。ここは海水によって浸食された巨大な岩窟と大小の奇岩で有名な場所でした。

この風景に感銘を受けた彼はたちまち楽想が湧いて家への手紙に最初の主題を書いて送ったという事です。

陽の光の薄いスコットランドの霧の向こうから、寄せては引く波を連想する冒頭部分からもう、この音楽のイメージの中に取り込まれてしまいます。

私は音楽を聴いていてこれほど鮮明に情景を思い浮かべる曲を知りません。

また、同じ頃作られた交響曲第3番「スコットランド」も第一級の風景画風交響曲だと言えるでしょう。霧の中に静かにたたずむ古城から、騎士達が勇壮に駆けめぐったいにしえの物語が聞こえてきそうです。

メンデルスゾーンはスコットランドのエディンバラの宮廷ホリルードの遺跡を見て、その神秘的な雰囲気からこの、素晴らしい交響曲の楽想が湧いたのでしょう。ところが作品26のフィンガルの洞窟と同じ頃に着想しながらスコットランド交響曲は完成まで12年かかり事実上最後の交響曲となってしまいました。

メンデルスゾーンの音楽は単純明快で陰鬱な影がなく優雅なのが災いして、音楽史では軽く見られていますが私はロマン派作曲家の中では最も好きな作曲家です。真夏の夜の夢、フィンガル、イタリア交響曲、スコットランド交響曲、ヴァイオリン協奏曲などの傑作を僅か38年の生涯に良くぞ残してくれたものだと神に感謝したいほどです。

                   *********

去年、輸入盤専門店でクレンペラー指揮バイエルン放送交響楽団の1969年のライヴ盤を手に入れて聴いて見たところ他の演奏のイメージが吹っ飛んでしまいました。

フィンガルの洞窟は雄大なテンポで12分もかかり他の演奏より2〜3分も遅いのです。その結果音楽がより優雅になり哀愁感さえも漂っていました。
これほどロマンティックな演奏は聴いた事がありません。

謹厳そのもののクレンペラーの心の中にはロマンの情熱が渦巻いていた証拠でしょう。最晩年の演奏なのに老いを全く感じさせないのも驚きでした。
同じ日に収録した「スコットランド交響曲」も同じく雄大なテンポですが一瞬たりとも気分が緩む事はありません。

そして、最も驚いたのは第4楽章のコーダに入り終結部に全曲を回想するメロディに編曲?が施されている事でした。いつも聴きなれた音楽に突然、全く新しいメロディが入り込んでいました。これはメンデルスゾーン自身の曲かそれともクレンペラーが編曲したのか、楽譜を見なければ分かりませんが多分後者だろうと思います。

このCDはオーケストラがバイエルン放送交響楽団と言う事で、合奏力はフィルハーモニア以上で誠に美しいものでした。第2バイオリンの音色が右チャンネルから聴こえてくるのもクレンペラー独特のオーケストラ配置だなあと思いました。
こう言うことで、このCDは私の宝物になっています。 06・08・01 
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68・クレンペラーの編曲版

前回、クレンペラーの指揮するスコットランド交響曲の第4楽章コーダの部分が編曲されているとお話しましたが、レコード芸術04年4月号のクレンペラーの特集記事の中で、69年のバイエルン放送交響楽団のライヴ録音でこれを聴く事が出来ると書かれていました。

やはり交響曲第3番の終結部を改竄(かいざん)していたのですね。年表によると69年の一月にロンドンで演奏されてロンドンの音楽界を驚かせる。となっていましたから・・・。

私のCDは69年5月23日ミュンヘンでのライブ録音なので、その後の演奏と言う事で、一月のロンドンでの演奏は単なる咄嗟の思い付きではなく、充分に確信犯的な犯行?(編曲)ともいえるでしょう。

クレンペラーはこの他に「自ら信じるわが道を行く」演奏をする指揮者でした。モーツァルトの魔笛ではセリフは音楽の妨げになると言い、全てをカットしてしまいましたし、ブルックナーの交響曲8番では大幅なカットを施しているのです。

クレンペラーの代表曲といえばメンデルスゾーンといわれるほど名演奏が多くありますが、特にスコットランド交響曲は不朽の名演奏でしょう。60年のフィルハーモニアとの演奏が現在カタログに残っていますが、霧のかなたから現われる古城を思い起こすような第一楽章の出だしを聴いただけで、彼ののファンになってしまうほどの名演です。同じユダヤ系の共感があるのでしょうか、メンデルスゾーンの「真夏の夜の夢」も素晴らしい演奏で代表曲になっています。

メンデルスゾーンについては同じ作曲家として一家言のあったクレンペラーが、思い入れが強く愛着のあった「スコットランド交響曲」を彼なりに変えてみたいとの願望があったのでしょう。それが69年の演奏会で発表されたのではないでしょうか?

私はこの編曲を初めて聴いた時びっくりしましたが、何度も聴きなおしてゆくうち、原曲の味を全く削がないばかりか、スコットランド交響曲のロマン性をより味わい深くしていると思いました。

原曲では回想場面が過ぎたとこから、曲想が変わり賛美歌風の主題が現われてコーダへと向かい荘厳な感じで終るのですが、編曲では、この部分はカットされ回想する場面を長くして終結部に至るのです。

そうする事によりスコットランドから去りがたい感情、この交響曲が終らないで欲しいと言うような、一種の惜別の感情があふれてきました。(これはクレンペラーの心情なのでしょうか)

第1楽章での霧の中から現われるような幻想的な雰囲気が、また再び霧の濃いスコットランドの夜の闇に消えてゆくような風情がたまらない素晴らしい編曲でした。

スタジオ録音では許されなかったでしょうが、一度限りの演奏会でこのような暴挙?にでたクレンペラーがとても人間らしく感じられたのでした。もしメンデルスゾーンがこのことを知ったらどう思うでしょうか。ちょっと心配にはなりますが・・・。私は大好きです!
 06・08・03 <ページトップへ>

69・音楽の趣味が変わってきました

このごろ聴く音楽が大体固定してきました。同じ系統の音楽をぐるぐる繰り返し聴いている様に思えます。

このホーム・ページを見られている方ももうお気づきでしょうが、バロック、古典派、もしくは前期のロマン派あたりを行ったり来たりで、とても偏向しているとお感じでしょうね。それも管弦楽曲ばかりです。室内楽もあまり取り上げていません。

クラシックを聴き始めた頃や、オーケストラ部に所属していた頃は、仲間たちの影響や張り合う気持ちもあって、わざと深刻な曲や、室内楽、現代音楽、などを顔をしかめてよく鑑賞したものです。

R・シュトラウス、マーラー、ショスタコーヴィチ、バルトーク、オネゲル、ドビュッシーなどです。でもこのところめっきり聴かなくなりました。

今日も聴いたのはハイドンの交響曲でした。どうしてもバッハ、ヘンデル、モーツァルトばかりになってしまいます。

上記した作曲家が嫌いではないのですが、聴いていても気分が盛り上がりません。
若くて何でも希望に溢れていた時は、これらの深刻で長大な音楽でも受け入れる余裕があったのでしょうか?楽譜とにらめっこしながら何時間も鑑賞したものです。昔のレコード棚を眺めてみると、シェーンベルク、マーラー、フランク、スクリャービン、メシアン、オネゲル、プーランク、バルトークなどがずらり揃っていました。

今ではほとんど聴かない作曲家ばかりです。マーラーは第1番は例外的によく聴きますがその他はもう何年も聴いていません。これら作曲家の作品のCDはとりあえず一種類だけは残して他は、ほとんど処分してしまいました。残しておいても多分聴かないでしょうから・・・・・・。CDが一枚あれば充分です。

若いときは知識欲にもあふれ聴いた事のない曲や、問題作、友人の薦める曲など何でも鑑賞してきましたが、次第に自分の心にぴったり来る、琴線をふるわせる曲がはっきりしてきました。

年齢とともに音楽の趣味が変わり、気楽な楽しい気分にしてくれるものや、自然を感じさせてくれる爽やかな音楽ばかりを好むようになりました。無理して顔をしかめて深刻な曲を聴く気にもならないし、そんな時間もありません。

これは・・・変な例えですが・・・飲めない酒(好きでない曲)なのに付き合いのため、または接待の為、無理して深酒をして気分が悪くなる様なものです。

多額の借金で精神的に参っていた時は、ヨハン・シュトラウスのワルツが心を癒してくれました。また仕事が上手くいかないときはバロック音楽が慰めてくれましたし、元気に頑張ろうとするときには、ハイドン、ベートーベンが力を与えてくれました。

また心を無にして自然の懐に入りたいような気分の時はシベリウスやディーリアスの音楽に耳を傾けました。そして全ての気分の時に癒してくれたのはモーツァルトだったのです。

このようにして、次第に繰り返して聴く音楽が決まってきて、それらのレコード、CDは一部屋を占領するくらい増えたのですが、もし前述した音楽も全て好きだったら、今の十倍はコレクションが増えていたでしょう。だからこれくらいでちょうどよいのかも知れません。

世の中のクラシック・ファンの方々はどういう聴き方をされているのでしょうか?作曲家や演奏家にこだわる人、ジャンルにこだわる人などそれぞれあるでしょうが、いずれにしてもクラシック音楽は大きな森のようなもので、あまり凝り過ぎるとどんどん奥に迷い込んでしまい自分を見失う恐れがありますね。・・・・・・・

でも、森の奥に咲く美しい花を見つけたときの感激は何にも替えがたいものです。今日もそんなきれいな花を探しに森の中を彷徨っています。 06・08・04 <ページトップへ>

70・名歌手シュワルツコップの訃報

昨晩、またまた悲しいニュースに接しました。往年のソプラノ歌手、シュワルツコップの訃報を見たからです。享年90歳とのことでした。私の敬愛する音楽家がひとり、またひとりと亡くなってゆきます。とても寂しい気持ちです。

彼女は中年以上のクラシック・ファンの間では女王様のような位置にあった名ソプラノ歌手でした。1970年頃には現役を引退したので我々が聴けるのはそれ以前の録音しかありませんが、残してくれた数々の演奏はまことに素晴らしいものばかりでした。

51年のフルトヴェングラー指揮のベートーベン合唱交響曲では、彼女の全盛期の張りのある声が聴けましたし、55年のカラヤン、フィルハーモニアのコンビの第9にも参加していました。私は彼女の声が聴きたいがためにこれらを購入したのですが、その後のオペラ作品にも素晴らしい録音が多くありました。

ジュリーニとのモーツァルト「フィガロの結婚」「ドンジョヴァンニ」なども発売されていました。

カラヤンとフィルハーモニア管弦楽団とのR・シュトラウス楽劇「バラの騎士」の元帥夫人は未だに語り草になっているほどの名盤です。おそらくカラヤンが残した録音では最高傑作になるでしょう。

またこの頃に録音したヨハン・シュトラウスの喜歌劇「こうもり」「ウィーン気質」「ヴェネチュアの一夜」、レハール「メリーウィドウ」なども気楽な喜歌劇とはいえ、気品あふれる美しい声と演技でオペレッタ・ファンを大いに魅了させてくれました。これらは残念ながら「バラの騎士」以外はモノラルでしたので、音質が悪いのが玉に瑕ですが・・・。

ステレオ時代にはマーラー、シューベルト、モーツァルトなどのリート曲を多く録音してくれて、その澄んだ美しい歌声を聴かせてくれました。私は中でもモーツァルトの「春へのあこがれ」が一番好きです。

クレンペラー指揮の「魔笛」(64年録音)では声の全盛期を過ぎていたからでしょうか、三人の侍女の第1の侍女役を見事に演じていて、私は彼女の所ばかりを繰り返して聴いたものです。

オペラではカラヤンと組んだ「こうもり」のロザリンデが最も好きです。色気と気品にあふれていて、一度聴いたら心を捉えて離しません。55年の録音ですが脂の乗り切った素晴らしい歌唱です。

今この「こうもり」を聴きながら、名歌手シュワルツコップを偲びながら書いています。本当に惚れ惚れとしてしまいます。カラヤンの指揮も溌剌としています。
 06・08・05 <ページトップへ>

71・ブルックナーには巨匠が似合う?

このような文句を何かで読んだ気がします。確かにブルックナー指揮者は巨匠と呼ばれる指揮者の録音盤が多いですね。今思い出しただけでも、朝比奈隆、ギュンター・ヴァント、クナッパーツブッシュ、ベーム、ヨッフム、シューリヒト、などの巨匠と呼ばれる指揮者が勢揃いしていました。現役ではスクロヴァチェフスキー、インバル、バレンボイムなどがいます。

ほかにも、ブルックナーを得意とする指揮者はたくさんいますが、私が独断でブルックナー指揮者として印象に残った人々を挙げたまでです。これら上記の指揮者に共通するのはみな相当高齢になってからこのブルックナー指揮者として名をあげたということです。言い換えれば歳を経なければブルックナーのよさが理解できないのではないでしょうか?

ワインでも何年も熟成させてこそいい味が出るように、音楽にも熟成期間が必要なのでしょう。

というのも、ブルックナーは交響曲を作曲したのは40歳を過ぎてからで、7番は60歳ころ、8番は66歳で最後の9番は72歳のときでついに完成せずに人生を終えてしまいました。要するに老人の音楽だということですね。

老人になって初めてブルックナーの真髄が見えてくるのでしょうか、それが証拠に70〜80の長寿の指揮者が素晴らしい録音を残してくれています。

昨年惜しまれて亡くなった、ティントナーはマイナーレーベルばかりで録音していてほとんど無名でしたが、晩年ナクソスから出たブルックナー交響曲全集はそれこそ、素朴を絵に描いたような演奏でした。

ブルックナーの交響曲は第1番から9番まで、その作風にあまり変化はなく、ロマンとかドラマには縁がなくただ音楽が大河のごとくとうとうと流れてゆきます。起承転結のまとまりを見せる他の交響曲作家に比べて、音楽が脈絡もなく分離しています。

まるで巨大な「パッチワーク」作品を見るような音楽ですが、聴いているうちにその巨大な音楽に飲み込まれていくのを感じます。ブルックナーには複雑な解釈は無用で譜面の通り演奏すればいいのであって、素朴で朴訥であればあるほど名演になるのです。上にあげた指揮者は全て、素朴に演奏しています。

面白く聴かせよう、構成に意味を持たせよう、などの色気を出すと、突然音楽が白々しく空虚に響きます。

終生オルガン奏者として教会で過ごした彼は当然、交響曲にもオルガン的な響きが込められていました。長大な交響曲を聴き終えた感想はまるで大きな伽藍で壮大なオルガンを聴くような気持ちです。

”ブルックナー休止”といってフォルティッシモで突然ぷつっと切って、3小節ほど音が空くところの多い交響曲ですが、まるでパイプオルガンの響きが何秒もかかって消えてゆくような錯覚に陥ります。

私は若い頃は第4番「ロマンティック」のみを聴くくらいで、後は退屈な代わり映えのしない交響曲だなあと、ずっと思ってきましたが、最近ブルックナーの作曲した歳に近づいてきたせいか、印象がかわってきました。思想とか哲学などに全く関係なく、ただ素朴な音楽に浸れる幸せを感じます。

目下のところ私の愛聴盤はヨッフム指揮ドレスデン国立歌劇場管弦楽団の全曲です。これさえあれば他はなくてもいいくらいに気に入っています。
06・08・15 <ページトップへ>

72・拍手入りのCD

8月16日朝日新聞の文化欄紙上で「拍手でライブ追体験」という記事を見ました。
・・・近頃クラシックCDで「拍手」を曲の最後に、独立した「トラック」で扱うケースが増えてきている。ライブ演奏の興奮を映す様々な拍手は、臨場感を疑似体験させてくれるちょっとお得な「サービス」でもある。・・・・と書かれていました。

レコード時代はこのように拍手が挿入されているレコードはほとんどなかったように覚えています。大部分がスタジオ録音で完璧な出来栄えのものばかりでした。以前は拍手はノイズ(雑音)の一種とみなされて、極力カットされていたからです。

でもその事でライブなのにノーミスの無菌室で作られた野菜のように味気のないCDがあふれることとなったのです。ライブとはいえ日にちを変えて何カットも録音しておき、ミスの部分を差し替えるという事が行われていました。

最近では、ミスも演奏の一部分だとして「部屋にいながらにしてライブを追体験できる」という聴き方に変わってきました。チェリビダッケが亡くなってから正規発売されたCDは全て、「拍手」が別トラックで入っており、非常に臨場感たっぷりのすばらしいCDとなっていました。

正規発売される以前は、海賊盤が横行していて、それらはほとんどが拍手を不自然にカットしていました。また、オルフェオ・レーベルから出ていた、カルロス・クライバーのベートーベンの交響曲4番や6番のライブ盤には、熱狂する聴衆の拍手が何分も収録されていました。

これらを聴いていると、例えその場にいなくても、まるで巨匠たちの生演奏に立ち会えたような錯覚に陥ったものです。

でも時々は、無粋な拍手で、せっかくの名演奏に水を注ぐ時もよくあります。まだ曲が終っていないのに大声で「ブラボー!」と声をかけられたらあ然としてしまいます。またチャイコフスキーの悲愴のように静かに終る交響曲の場合も拍手のタイミングは難しいですね。

その点最近のCDは拍手だけが別トラックに入れてあるので、聴きたくなければその部分を飛ばす事も出来るようになっているのも嬉しいですね。

最後の和音が響いて数秒間沈黙があり、その後津波のように起こる拍手とブラボーという歓声から、指揮者が何度も舞台に引き戻されている様が目に浮びます。
06・08・16 <ページトップへ>

73・天才モーツァルト入門

休日にNHKテレビで”天才モーツァルト入門”という放送をしていました。

お笑いタレントの笑福亭笑瓶氏がモーツァルトに扮していたのには、大笑いしてしまいましたが、番組は結構まじめに作られており、オーケストラの生演奏もありとても楽しい90分間でした。

番組によるとモーツァルトの音楽には頭をよくする働きがあり、マウスの実験によりドーパミンの分泌が12%も上昇するそうです。(ドーパミンというのは神経伝達物質で感情、思考能力を高めるそうです)

ベートーベンでは8%、バッハは7%という結果でした。医学的にも頭を良くする働きが証明されたので間違いはないでしょうね。

番組中では、モーツァルトの天才ぶりを象徴する事柄をいろいろ挙げていましたが、
中でも最も驚いたのは、5才のときに初めて作曲したピアノ曲のメロディが、最晩年に作曲した歌劇「魔笛」の鳥刺し男、パパゲーノが歌う「おいらは鳥刺し男でござる」のメロディとそっくりだったことです。

5才にしてすでにモーツァルトの最高傑作である歌劇のアリアの萌芽があっただなんて、それこそ神童に違いありません。とにかく私はこの事実を今日初めて知ってびっくりしてしまいました。

今まであらゆる機会でモーツァルトの天才ぶりを紹介していましたが、知れば知るほどモーツァルトの偉大さが理解できます。
道理でいくら聴いても飽きたりしないはずですね。  <ページトップへ>

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74・テレマンの管弦楽組曲

先日、とてもいい買い物をしました。というのは「テレマン:管弦組曲(序曲)集」の3枚組CDを買ったからです。
管弦楽組曲といえばバッハが有名で、全部で4曲あり、色んな演奏のCDが出ていますね。

それに比べてテレマンはターフェル・ムジークの中の何曲かが出ているだけで、一般的には有名ではありませんでした。ところが1705年から65年の60年にわたる創作活動の中で、まんべんなく管弦楽組曲を書き続けているのです。
多作で有名だったテレマンは何曲管弦楽組曲を作ったのかは不明ですが、驚くことに現存するのは134曲もあるそうです。

当時バッハ、ヘンデルをはるかにしのぐ人気作曲家であったので、大衆の要求のままに作曲していったのでしょうが、これほど多くあるのかと思うと驚くばかりです。

今回、オランダのブリリアント・レーベルがリリースしたCDは「序曲集(管弦楽組曲)全集Vol・1」となっていますのでいずれかは全曲が揃うわけですね。一体何枚のCD全集になる事でしょうか?
テレマンファンを自認する私としては、おおいに楽しみです。

テレマンの音楽はバッハのような深みと感動には乏しいけれど、音楽を聴く楽しみや演奏する楽しみが、心の底からあふれてくる元気になる音楽ばかりです。

ところでCD一枚に4曲録音するとしたら、現存するのが134曲として、全部で34枚ほどになりますね。今日買ったCDを聴いても、どれもこれも大体よく似た音楽ですので、全曲を聴くにはちょっと忍耐が要るかもしれません。

テレマンは当時の流行作家だったので、絶えず新しい嗜好を取り入れて、決して聴くものを飽きさせません。生涯で数千曲を作曲したと言われていて、同じような楽想の曲も多くありますが、このような「金太郎飴」的なバロック音楽の中にも、後世に残る珠玉の作品もちりばめられているので、これらを探す醍醐味もあります。
とにかく、このシリーズを注目していきたいと思っています。

下に紹介するのは、管弦楽組曲「水上の音楽」です。この組曲もヘンデルに負けないくらいのすばらしい曲です。とにかく一度聴いてみて下さい。      <ページトップへ>

テレマン/組曲ハ長調「水上の音楽」(ハンブルクの潮の満干) テレマン/組曲ハ長調「水上の音楽」(ハンブルクの潮の満干)
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75・バッハ最古の直筆楽譜発見さる!

”バッハ最古の直筆楽譜”という記事が9月1日の朝日新聞に掲載されていました。
それによると、バッハが少年時代勉強のため当時の音楽家の作品を書き写した2つの楽譜がワイマールで見つかった、ということです。

ひとつは13歳のころのもので、後に弟子入りを願い出た当時北ドイツでは絶大な人気を誇っていた”ブクステフーデ”のオルガン曲を筆写したものと、15歳ころの”ラインケン”のオルガン曲を写譜したものでした。

少年期のバッハは、両親を亡くし雑役などで生計をたていたとされています。新聞に載った写真を見ても、楽譜は丁寧な筆致で貧しい中にも音楽への情熱を捨てなかったバッハの努力がうかがい知れて感動的なものでした。

前述のブクステフーデはドイツ中に名声が鳴り響いていたオルガニスト兼作曲家で、青年バッハはどうしても実際にその演奏を聴いてみたいと思い立ち20歳のとき(1705年の10月)に4週間の休暇願いを出して、北ドイツ、リューベックへと旅立ったのです。

400キロもある距離を歩いたというから、その熱意はたいしたものだったのですね。約2週間かけて会いにいった甲斐はあったというもので、その演奏と技術には圧倒され、その作品にもすっかり魅せられてしまったのです。

当時68歳のブクステフーデもバッハの才能を高く評価して、あれこれと指導してくれたということです。

その結果、4週間という休暇はあっという間に過ぎ、滞在は3ヶ月以上にも渡り、バッハの勤め先アルンシュタットの教会より大目玉を食らったということです。やはり天才は天才を知ると言うことでしょう。

バッハの敬愛したブクステフーデの作品は当時の作曲家の中では並外れて優れています。(オルガン曲、カンタータなどが今でも聴くことが出来ます)

このように、(バッハ・ファンの方なら既にご存知でしょうが)バッハは多くの先輩作曲家の作品を編曲したり、模写したりしてどんどん自分のものにしていった努力家だったのです。
特に当時イタリアでは有名だった”ヴィヴァルディ”の協奏曲からは何曲も編曲して使っています。

戦後バロックブームになって、ヴィヴァルディが注目を浴びるようになってはじめて、バッハのオルガン協奏曲の何曲かがヴィヴァルディの協奏曲の編曲だとわかったくらいです。

バッハほどの偉大な芸術家が実は人並みはずれた努力家だったということがわかっただけでも、この直筆楽譜が発見された意義があるというものですね。   <ページトップへ>

ブクステフーデ:カンタータ「我らがイエスの四肢」 ブクステフーデ:カンタータ「我らがイエスの四肢」
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76.秋に聴きたい曲〜ブラームスー・クラリネット五重奏曲

この2、3日、連日冷たい雨が降り続け、太陽もほとんど姿を現しません。ついこの間まで暑い暑いと言っていたのに、町はもうすっかり秋色に染まってしまいました。近所の公園では桜、イチョウ、ケヤキなどが美しく紅葉しています。

来る冬に向けて、木々たちが最後の装いをして我々人間の目をを楽しませてくれるようです。・・・・

こんな静かで物想いに沈む秋に聴きたくなるのは、(私は・・・)ブラームスです。
ブラームスの作品は渋くて底抜けの明るさもなく、内面を見つめる暗くほのかな情熱を含んでいるので秋のイメージにぴったりなのです。

特にクラリネット五重奏曲・作品115はブラームスの晩年の作品とあって人生の秋を感じさせる、ほのかな憂いを含んでいます。

50歳を過ぎて創作意欲のなえていたブラームスが、ミュールフェルトというクラリネット奏者と出会い、その音色に惚れ込みたちまちその虜になってしまいました。その結果できあがったこの五重奏曲は、モーツァルトのクラリネット五重奏曲に比肩する傑作となったのです。

この曲を支配しているのは陰影であり、限りない優しさと深さです。第1楽章は静かに立ち上がり、まるで朝霧が晴れてゆくようです。
続く楽章も静寂が漂い、孤独な雰囲気が支配していてまるで、過ぎ行く人生を回顧しているような侘しさがあります。

若い頃は、この音楽は苦手で敬遠していましたが、最近ではブラームスがこの曲を作った年齢に近づいたせいでしょうかとても共感を覚えます。
最終楽章は最弱音の中を静かに消えてゆく・・・本当に秋にぴったりの曲ですね。<ページトップへ>
  
モーツァルト&ブラームス / クラリネット五重奏曲 モーツァルト&ブラームス / クラリネット五重奏曲
ライスター(カール) ウィーン弦楽四重奏団 モーツァルト


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77・世紀のスキャンダル音楽

これは、ストラヴィンスキーのバレエ音楽「春の祭典」のパリでの初演時の大騒ぎのことです。
1913年モントゥーの指揮のもと、この曲がもたらした大混乱はクラシック音楽史上最大のスキャンダルとなったのです。
あまりにも破天荒な音と不謹慎な内容に、当時の人々の怒号と抗議で演奏会は大混乱に陥ったということです。

20世紀とはいえまだ貴族文化が残っていた時代に、芸術的な音楽という概念を吹き飛ばしたこの前衛的なバレエ曲は人々を驚嘆させたのでしょう。

私も中学生のとき、初めてこの曲を聴いて、あまりの型破りの音楽に唖然としてしまいました。後に多くのオーケストラで実演に接するごとにますますこの音楽の巨大さが理解でき、初演当時の狂乱が分かるような気がしたものです。

ところが、それから数十年、最近CDなどで聴いても、あまり驚かなくなりました。いやそれどころかこれほど理路整然とした美しい音楽も無いような気がするのです。

私の中でも刺激に慣れっこになり、この過激な音楽が「結構、古典的な美しい音楽じゃないか・・・」などと思うように変化していったのです。
現在では、ラップ、レゲエ、ヘビメタといった自由奔放な音楽が氾濫しているいるので、この春の祭典もおとなしい「古典音楽」の範疇に入るのかも知れませんね。

この間久しぶりに聴いたモントゥー、やスゥイトナーの演奏はもはや前衛音楽ではなく、典雅な感じがするほどのおとなしい演奏に思えました。
春の祭典はこんなに美しい音楽だったのか!・・・と思ったのです。

さて、これからの時代、春の祭典が初演された当時の大騒動が起こるような前衛的な音楽は生まれるのでしょうか?
出来ればこんな、歴史的瞬間に立ち会いたいものですね・・・。 <ページトップへ>

              ★演奏、迫力、録音の三拍子そろった名演です!
ストラヴィンスキー:バレエ「ペトルーシュカ」,幻想曲「花火」<br>バレエ「春の祭典」,「火の鳥」(全曲),幻想的スケルツォ ストラヴィンスキー:バレエ「ペトルーシュカ」,幻想曲「花火」
バレエ「春の祭典」,「火の鳥」(全曲),幻想的スケルツォ

インバル(エリアフ) フィルハーモニア管弦楽団 ストラヴィンスキー

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78・ホームシックから生まれた音楽〜新世界交響曲

これほど有名な交響曲もないでしょう。テレビの番組やCMなどでもよく使われていることでも分かります。
初めて聴いたとき「新世界より」という題名から、この”新世界”とはどこなのだろうかと思っていましたが、”アメリカ”だと知って驚きました。19世紀ヨーロッパから見たら、アメリカは”新世界”だったのでしょうか。

ドヴォルザークは1892年にニューヨークの音楽院の院長の要請を受けました。破格の年俸の魅力もあったのでしょう、2年半アメリカに滞在しました。けれども深刻なホームシックに陥り悩まされたということです。

機械文明の発達したニューヨークと自然に囲まれたボヘミアとのギャップが大きすぎたのでしょう。現代のように国際電話が出来るはずも無く、故国のニュースも入ってこない100年以上も前のことです、明けても暮れても故国のことが思われたのでしょうね。

ところが、ドヴォルザークが学長に赴任した音楽院の26歳のバーレーという学生から非常に大きな影響を受けました。バーレーは黒人の歌、霊歌、ブルースなどに精通しており、ドヴォルザークによくその歌を披露したということです。

ドヴォルザークは彼の歌う黒人の歌と祖国ボヘミアの音楽との共通点を見いだし新世界交響曲の楽想が湧いたのに違いありません。
また、この交響曲のあと、すぐに四重奏曲も書き上げて「アメリカ」という副題がつけられました。この曲もアメリカの黒人霊歌の影響を多く受けていて新世界交響曲に通じる深い郷愁を感じます。

アメリカの民謡や黒人霊歌の影響は受けているとはいえ、出来上がった作品はチェコの音楽そのものでドヴォルザークの作品の頂点に立つ素晴らしい作品になりました。

新世界交響曲という副題はドヴォルザーク自身が総譜の扉に「新大陸から故郷ボヘミアへの音楽便り」と明記されたことから呼ばれるようになりました。まさに異国からの郷愁の音楽ですね。

有名な第2楽章「ラールゴ」にそのときの心情がこめられています。今現代この曲を聴くわれわれにもドヴォルザークの異国で感じた故郷への強い郷愁がひしひしと迫ってきます。聴けば聴くほど味わい深く美しい音楽です。

この交響曲は有名すぎてあらゆる指揮者が名演奏を繰り広げていますが、私が好きなのはチェコの指揮者クーベリックとベルリン・フィルの1972年の録音です。指揮、演奏、録音と3拍子揃った不朽の名演だと思います。<ページトップへ>

B00005FIEM ドヴォルザーク:交響曲第8&9番
クーベリック(ラファエル) ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 ドヴォルザーク
ユニバーサルクラシック 1996-10-02

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79・音楽の趣味人・アルビノーニ

哀愁ただよう美しいアダージョで有名なアルビノーニは、裕福な家庭に育ち(父親は製紙工場主)お金の為、あるいは生活のために作曲をしなかった芸術家でした。

こういう恵まれた環境で次々と作品を書き続けたアルビノーニは作品の表紙に”ヴァイオリン音楽家、ヴェネツィアのディレッタント(趣味人)”と自ら記していたのでした。

しかし、彼が37歳のとき父親が亡くなり、莫大な負債を背負い40歳の頃からは生活のために作曲をしたとされています。でも、商才もあったのでしょう、やがて音楽学校を開校して成功を収め、1750年79歳で生涯を閉じました。

ところで、アルビノーニといえばオーボエ協奏曲が有名ですね。私は学生時代この楽器を吹いていましたので、特に愛着があります。オーボエが得意の小気味のよいタンギングを生かした、明るい楽想はいつ聴いても心躍ります。

気分が落ち込んでいるときでも、この音楽を聴くとたちまち気分がスカッとします。

澄み切った秋の空を思わせるどこまでも透き通った曇りの無い音楽です。また緩叙楽章(多くはアダージョ)はほのかな哀愁が漂っていて聴く人の心を打つことでしょう。

”アダージョのアルビノーニ”といわれるくらい美しい音楽を書いたことで有名で、これら第2楽章ばかりを集めたCDが出ていたことがあります。(シモーネ指揮ベネチュア合奏団)

どの曲を聴いても豊かで、多感な青春時代をなに不自由なく素直に過ごしただろうと思わせる純粋な音楽に心が洗われます。
こんな、気持ちにさせてくれる音楽家は他にはメンデルスゾーンくらいでしょう。

ヴィヴァルディ、バッハに比べて現存する曲が少ないのですが、これから研究が進みどんどん発表されることと思います。これからも新発見の曲を聴くことが楽しみです。    <ページトップへ>
       <お薦めCD> ★アーヨ&ホリガー/イムジチ合奏団・協奏曲作品9全曲

*二つのオーボエの為の協奏曲作品9−9ハ長調/キングス・コンソート(注・冒頭が切れています)


80・オーケストラの楽器配置

今来日している、マリス・ヤンソンス率いるアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団の実演を聴いた友人からのメールで知ったのですが、ベートーベンの交響曲を演奏したときの楽器配置が特別だったというのです。

それはコントラバスとチェロが聴衆の向かって左に配置されていたということです。
私は実際に見ていないので良く分からないのですが、多分第1バイオリンの横にはチェロが座り、それらの後ろにコントラバスが配置され、チェロの横にはヴィオラそして、一番右側は第2ヴァイオリンだと思います。

なぜ、そう思うのかというと、レニングラード・フィルが来日したとき、そんな特別の楽器配置だったことを思い出したからです。ムラヴィンスキーの常任のとき、マリスの父、アルヴイド・ヤンソンスも指揮者をしていて一緒に来日していました。

そしてマリス・ヤンソンス自身もムラヴィンスキーの助手をして、彼からは多くのことを学んだと話しています。

こういうことで、コンセルトヘボウでもレニングラード・フィル独特の楽器配置にしたのかも知れません。(この配置はベートーベンのみでドヴォルザークでは普通の配置だったということです。)

楽器をどのように並べるのかは決まりはありませんが、音のバランスと視覚的な効果を考えて大体形が決まっています。この形は団で決まっていて、外からの指揮者で変わるということはほとんどありません。でもマリス・ヤンソンスは常任指揮者に就任したので変えたのでしょうか。

それによってどのような、響きになるのか実際に聴いてみたかったのですが、CDで聴く限りでは左側からバスの音がするので、ちょっと違和感があるかもしれませんね。

今、ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィルの60年録音のチャイコフスキーの交響曲5番を聴いていますが、普通どおり低弦は向かって右側から聴こえてきます。曲目によって配置を変えていたのでしょうか。
とにかく、今回は思わぬところからオーケストラの楽器配置について考えさせられました。
                           写真は近藤滋郎著「アマチュアオーケストラ入門」・音楽之友社ONブックスより
                                                  <ページトップへ>

81・ベートーベンの最も愛した曲

ベートーベンは死の床についているときに弟子に「《フィデリオ》は私の愛する曲のひとつだ。生みの苦しみが大きければ大きいほど、その子は可愛いものだ。」と語っています。

《フィデリオ》は1803年頃にフランスの作家ジャン・ニコライ・ブイーイの台本「レオノーレ、または夫婦愛」のオペラ化を依頼されてから1805年の初演の失敗から手直しをして、実に合計11年もの年月をかけて作り上げた唯一のオペラだったのです。

ベートーベンはオペラは不得意の分野でそれまで書いたことがないのに、無実の罪で投獄された夫を、男装した妻が救出するといった、夫婦愛と正義感あふれるストーリーに深く共鳴したからです。理想の女性像を求めて描いた渾身のオペラは、初演の失敗で公演は3日で打ち切られたり、序曲を変えたり、3幕を2幕に縮めたりして苦労しています。

現在残っている4曲の序曲を聴いただけでも、その苦労は分かります。最後のフィデリオ序曲は最も短いのですが、この程度でなければオペラ本編が食われてしまいます。特にレオノーレ2番、3番は堂々としていて時間も長く序曲としてはそぐわないかもしれませんね。

現在なら、ワーグナーの長大なタンホイザー序曲やニュルンベルグのマイスタージンガー前奏曲のような長大な序曲を知っている現代人にとってはたいした長さではないと思うのですが・・・・200年も前の聴衆は付いていけなかったのでしょうか。

お陰で、ベートーベンの名曲レオノーレ序曲が3曲も残ったことに感謝したいほどです。私はベートーベンの全作品の中でも、このレオノーレ序曲が最も好きです。特に2番と3番の2曲はベートーベンのあらゆる「エキス」の詰まった傑作ではないでしょうか。

緩やかな厳粛な雰囲気の序奏に始まり、アレグロの主部が魅力的な主題を奏でやがて壮大なコーダが来る。何度聴いても血湧き肉踊るほどの興奮に駆られます。コーダに入る前に、一瞬静かになり舞台後方からかすかに聞こえてくる「トランペット」のファンファーレはまさに暗闇からの解放のように聴衆の心を解き放ちます。

こんな壮大な素晴らしい序曲を聴いたらもうオペラは見なくてもいい気分になります。まるでひとつの大交響曲を聴いたような重みがあるからです。
第2番は3番よりも荒削りでまとまりに欠けるかもしれませんが、その分幻想的で迫力も抜群です。

完成度の高い3番の影に隠れた感がありますが私は2番のほうをよく聴きます。 <ページトップへ>

82・ヴィヴァルディ:オーボエ協奏曲

ヴィヴァルディといえば「四季」が有名ですが、今日はオーボエ協奏曲を紹介しましょう。
彼はほとんどの協奏曲を急−緩−急の三楽章形式で書いたので、アンチ・ヴィヴァルディ派からは「500回同じ協奏曲を書いた」と批判されていますが、よく聴くと驚くほど変化に富んだ、旋律と多彩な表現が盛り込まれています。

形式のパターンが似かよっているので、注意深く聴かないと、同じ曲がリピートされているように感じるのでしょう。

オーボエ協奏曲は現在二十数曲残されていますが、オーボエだけでなくヴァイオリンやバス−ンの為の2重協奏曲も含まれています。ヴィヴァルディがこれほど多く、オーボエ協奏曲を書いたとされるのは、優秀なオーボエ奏者がいたという証拠ですね。実際にこの音楽院には3人のオーボエ奏者が雇われていたことが大きく関係しているでしょう。

この当時までオーボエはヴァイオリンかトランペットを重複するものでしかなかったのを、ヴィヴァルディはソロ楽器として見事に、その固有の音色と技巧を駆使して、ヴァイオリン協奏曲に匹敵する協奏曲を作り上げたのでした。

同時代にアルビノーニもオーボエ協奏曲を作曲していますが、アルビノーニはオーボエと弦楽が合奏協奏曲的に強調し合い、決して伴奏とは対抗しません。その点ヴィヴァルディは、完全に独立した楽器として対抗しています。

そして、より「ヴィルトゥーゾ性(技巧的に優れた)」に富んでいるといえます。バロック音楽とはいえソロ楽器が縦横に活躍するこの協奏曲集は非常に先進的で、後の管楽器協奏曲の先駆的な作品になっているのです。

ヴィヴァルディはピエタ病院付属音楽院でヴァイオリン教師をしていたので、多くの曲がこの音楽院のためになされたものです。ここでは私生児や身寄りの無い女の子を集めて、音楽教育を施し優秀な奏者が何人も生まれたということです。
このような若い女性たちがヴィヴァルディのヴァイオリン協奏曲やオーボエ、フルート協奏曲を何の苦も無く弾きこなす風景はそれはそれは美しいものだったことでしょうね。当時の画家たちもその美しい演奏会の様子を描いたということです。

さて、CDでは完璧なテクニックの「ハインツ・ホリガー」の協奏曲集が、目下のところ最高の演奏でしょう。ヴィヴァルディのヴァイオリン協奏曲がお好きな方は一度聴いて見て下さい。オーボエ独特の哀愁にあふれた音色に魅了されることでしょう。<ページトップへ>

83・第2の国歌〜美しく青きドナウ

毎年新年になると、オーストリアのウィーンでニューイヤーコンサートが開催されます。これはワルツの音楽が主体で大部分は、ヨハン・シュトラウス2世の音楽で占められています。
2007年のコンサートは9年ぶりの登場となる、ズビン・メータです。豊穣な音楽を聴かせてくれるメータと世界の宝ウィーンフィルとの夢のような共演が1月1日にウィーンと同時に鑑賞できると言うことは、クラシックファンにとって最高のお年玉です。

そしてその音楽会の白眉が「美しく青きドナウ」です。この曲はこの演奏会の一番最後に演奏される事になっていて最初のヴァイオリンの一節が鳴り出すと会場からは「待ってました」とばかり盛大な拍手が起こるのです。ウィーンの人々にとってこの曲はなくてはならない宝物なのでしょう。

ウィーンの自然の美しさとそこに流れるドナウ川の素晴らしさを讃えたこの美しいワルツはなぜこれほどまでウィーンの人々に愛されているのでしょうか?そしてオーストリアの第2の国歌とも言われているのはなぜでしょうか?確かにこの曲は他に比べてずば抜けて美しいのですが、実はこの曲の誕生にはこういうことがありました。

1866年、ドイツ連邦の主導権をプロシアと争っていたオーストリアは、イタリアからも攻められ大きな痛手をこうむります。そのとき10万人もの兵士を亡くし、国中は悲しみにくれていました。

そんな時に国民を励ます為に作曲したのがこのオーストリアの自然を歌った名曲「美しく青きドナウ」だったのです。
辛く苦しい哀しみの中で、ふと気づいた変わりない祖国の美しい自然。国民は勇気づけられ慰められたのです。今ではこの曲は「第2国歌」として人々の心の中で鳴り響いているのです。
我々が聴くのとは違う特別な感情がこの曲には込められているのでしょうね。
ウィーンに行った事のない私でもこの曲を聴くと美しい森の間を流れるドナウ川の清流が目に浮ぶようです。

19世紀の後半ウィーンにワルツブームを巻き起こしたシュトラウス一族の頂点に立つのが、ヨハン・シュトラウス2世で、彼はウィーン市民だけではなく貴族など上流階級の人々をも熱狂させました。そういう人々に加えて当時の作曲家にも大きな影響を与えました。特にシュトラウスよりも8歳年下のブラームスはすっかり魅了されたそうです。

私もシュトラウスの音楽に魅了されて一時凝ったことがありましたが、どの曲を聴いても洒落た雰囲気にあふれていてメロディが湯水のように湧いてくる様は、驚くばかりです。少ない主題を手を変え品を変えて苦労して曲つくりをしているブラームスからしたら、本当にうらやましいことだったのでしょうね。 《ページトップへ

84・のだめカンタービレ

10月からはじまった、学園音楽ドラマ「のだめカンタービレ」(フジテレビ)は本当に面白いですね!ところで 「のだめカンタービレ」を知らない方は何のことか分からないでしょうね。
いま大人気の月曜9時の音楽ドラマのことです。”のだめ”とは野田恵という名の音大生です。漫画が下敷になっているので、コミカルな場面がありますが、内容は意外に真面目で音楽を学ぶ若者の生態が生き生きと描かれていて実に面白いテレビドラマです。

ドラマとはいえ、出演している俳優たちが本物っぽく楽器を弾くのでとてもリアルです。よほど訓練したのでしょう非常に上手く演じています。登場人物も漫画チックでこんなことはありえないだろうな、という設定ですが、音楽に情熱をつぎ込む若者の一途な思いがコミカルにに描かれていて一時も気をそらせません。

残念ながら第1回は見逃したのですが、第2回目の放送のとき、ベートーベンの第7番をリハーサルしていました。この曲は私も学生時代演奏したことがあるので懐かしくてたまりませんでした。

演奏する場面や練習風景はただのコメディーとは思えない迫力がありますし、また要所要所で出てくる名曲の数々につい耳をそばだててしまいます。五〜六十人もいるオーケストラには色んな個性の連中が集まっているのでドラマのような出来事は実際にも起こりえることでしょうね。

音楽を通じての友情や恋愛、また技術的な限界から来る挫折や、演奏会での成功など達成感も味わえて見ていても興奮します。音楽の力って本当に強いものですね。また、玉木宏演じる「千秋真一」の指揮ぶりもかっこよく惚れ惚れとしてしまいます。

先日は新オーケストラで披露されたモーツァルト:オーボエ協奏曲とブラームス交響曲1番には(断片しか出てこないのですが、)すっかり感動してしまいました。
福士誠治が演じる黒木が独奏するオーボエ協奏曲があまりにも素晴らしいのでCDを久しぶりに聴き、またブラームスの交響曲も忘れるほど聴いていなかったので全曲を聴きました。

このドラマは、バックに流れるクラシック音楽が素晴らしいので、いつも見た後で触発されて全曲が聴きたくなります。
また番組の最後には、「バーバーのアダージョ」も流れていたのでそれも聴きたくなりました。

こんな楽しいドラマはありませんね。終わらずにずっと続いて欲しいものです・・・・。ところで、私の母は「のだめ」って聞いて「なに?”のだめ”って肥溜めのようなものか?」と尋ねてきました、失礼な!!

                ***********************

いよいよ、テレビドラマ「のだめカンタービレ」はクライマックスにかかろうとしていますね。今週の放送は仕事で見られなかったので、留守録しておいたものを昨日見ました。「マラドーナ・コンテスト」の最終選考まで勝ち上がった「のだめ」ちゃんの教師が選んだ曲はなんと!シューマンのピアノソナタ第2番とストラビンスキーのペトルーシュカだとは。

この難曲2曲をたった2日間で仕上げるという過酷な試練に直面した「のだめ」の死闘が息を呑むような迫力で伝わってきました。

しかも体調不良の発熱の為、一日は練習できず、CDを聞いて覚え、後は会場に向かうバスの中で譜面をさらうという曲芸をやってのける「のだめ」ちゃんはきっと天才に違いありません。

ドラマでは順調にこなしていたのに途中でテレビ番組「今日のお料理」のテーマソングがペトルーシュカの音楽に紛れ込み、惜しくも入賞を逃すという結果でした。
この場面ではコンテストの緊張した雰囲気のところに、突然テレビのテーマソングが出てきたので、見ている家族も思わず大笑いしました。

なぜ、今日のお料理のテーマが紛れ込んだかというと、会場に向かうバスの中でコンテスト参加者の一人が持っていた携帯が鳴り出したからなのです。このときの呼び出しの音がのだめの頭に入り込んだからでした。

そして落選して意気消沈してどこかへ姿をくらますところで終わっていましたが、来週はどうなるのでしょうか?心配でなりません。

このドラマももう終わりそうな予感がするので、もしなくなったらとても寂しい気がします。こんな楽しくはらはらさせるドラマに出会ったのも久しぶりでした。もっともっと続いて欲しいと思うこのごろです。<ページトップへ>

85・涙の最終回〜のだめカンタービレ

とうとう終わってしまいました。私の大好きだったドラマ「のだめカンタービレ」が。
こんなに早く終わるなんて思ってもいませんでした。

漫画では16巻まで出ているので、少なくとも春まではあるものだと思っていました。
最終回の今日は、”のだめ”こと野田恵と先輩の千秋のふたりがお互いなくてはならない関係だと気づき、ふたりしてヨーロッパ留学を決意するというハッピーエンドでした。

そして指揮者千秋の日本での最後のコンサートに選んだ曲は、思い出深い、最初に指揮したベートーベンの交響曲第7番でした。この曲はこのドラマのメインテーマといえるくらい重要な曲で、学生オケとは思えない見事な演奏でこのドラマを締めくくっていましたね。

私も学生オケでこの曲を演奏した想い出があるので、つい感情移入してしまい最後にはウルウルしてしまいました。劇中でも楽団員の連中の瞳にも涙が光っていました。(これはどう見ても演技ではないような感じがしましたが、どうでしょうか?)

本当に音楽の力はすごいものですね。百人もの演奏者の心をひとつにして作り上げてゆく芸術の素晴らしさは、絵画や文学などにはない感動の大きさだと思いました。

みんなで作り上げてゆく達成感の大きさは音楽に勝るものはないですね。だから涙が出るほど感動させるのですね。

最初のほうは見逃したので、もう一度見てみたいのですがいつか再放送して欲しいものです。ドラマも面白いのですが、バックに流れるクラシック音楽もとても印象に残っています。

不安な気持ちを表わす時には「フィンランディア」の冒頭部分、恋心が芽生えるところではドヴォルザークのスラブ舞曲第10番のロマンティックな調べが魅力的でした。その他、バーバーのアダージョ、ブラームス交響曲1番、モーツァルトのオーボエ協奏曲などテレビドラマでは異例なほどの豪華なものでした。

毎回、どんな曲が出てくるか楽しみでたまりませんでした。とにかく、こんなに楽しいドラマが終わってしまったので残念でなりません。フジテレビさん早く続編を作ってください!待っていますよ!!

でも、言っておきますが決して「アニメ化」はしないでくださいね、お願いします! 《ページトップへ》

86・アンセルメの芸術

今日久しぶりに、アンセルメ指揮のベートーベンの交響曲を聴きました。
60年代の古い録音盤で長い間廃盤になっていましたが、数年前にCDとして復刻したのを買っていたものでした。

レコードのステレオが開発された頃ハイファイ録音で一世を風靡したアンセルメとスイスロマンド管弦楽団のレコードは、我々クラシックファンの垂涎の的でした。色彩感豊かなR・コルサコフのシエラザードやストラヴィンスキーの春の祭典などは当時ベストセラーでした。

金銭的に余裕のない学生だった私は、この頃もっぱら廉価盤ばかりを買っていたので、友人宅で聴いたアンセルメのベートーベンの第九を聴いた時のショックはいまだに忘れられません。

研ぎ澄まされた刀のように、クリアーな解釈に圧倒されてしまったのです。音楽以外の一切のものを取り払った純粋無垢な造形美が今まで聴いた演奏にはない魅力を感じたものです。

今回、久しぶりに聴いてみてもその時の印象は全く変わりません。

でも今ではアンセルメの手法が分かったように思いました。昔は演奏がぶっきらぼうだと思っていたのですが、これは演奏する際に"ビブラート"をかけさせないことによって起こるものだとわかりました。これによって弦楽器のふっくらとしたふくらみは感じられませんがその代わり透明な鋭い独特の響きになったのではないでしょうか。

実際に演奏しているところを見ていないので確証はありませんが、最小限度のビブラートしかかけていないように聞こえます。
これによって、音楽がクリアーになり媚を売らないストレートな表現になり、迫力も増すように思います。今ベートーベンの第7交響曲を聴いていますが、これもオーボエなど木管楽器、弦楽器もビブラートが極力抑えられているようです。

先日テレビでNHK交響楽団の客演をしたロジャー・ノリントンがリハーサルの最初にメンバーに向かって「ノン・ビブラートでやれますか?」とたずねていたのを思い出しました。

アンセルメはまさに60年も前からこの手法で演奏していたのですね。だから現代的なドライな印象があったのでしょう。今ではアーノンクール、グッドマン、ガーディナーなど古楽器出身の指揮者がこのノン・ビブラート奏法を用いていますが、アンセルメはこれらの指揮者の先駆的開拓者だったのかもしれません。(この印象は、耳で聞く限りでのものなので実際にはどうだったのかは確かめていません。)

また、アンセルメは若い頃ディアギレフ・バレエ団の指揮者に就任いていたこともあって、バレエ音楽もたくさん録音していてその全てが名演として残っていますね。
耳だけで聞くバレエなのに、さすがにバレエを長年指揮してきただけのことはあり、そのリズム感の素晴らしさは、まるで目の前でバレエを見ているような臨場感にあふれています。
 白鳥の湖、くるみ割り人形やコッペリアのCDは21世紀の現代でも存在価値のある立派な演奏です。<ページトップへ>

87・アンセルメの「禿山の一夜」

アンセルメはこれほど素晴らしかったのか、と再認識したことは前回書いたとおりですが、今日は交響曲などの大曲ではなくアンコールピース的な小曲にも優れた演奏がたくさんあることをお話したいと思います。

アンセルメはデッカ・レコードのドル箱スターであったのであらゆる管弦楽曲を録音していました。得意のフランス物のほかにロシア音楽にも、相当な数を演奏していました。R・コルサコフ、ボロディン、グリjンカ、リャードフ、チャイコフスキーのバレエ曲などです。
中でもムソルグスキーの展覧会の絵は録音のよさと色彩感あふれる演奏で当時のベストセラーレコードでした。

CDで再発されたのを聴いてみても、クールな客観性が今だに強烈な異彩を放っている名演だと思いました。
また余白に録音されていた、交響詩「禿山の一夜」は数ある演奏の中でも、最も迫力のある恐ろしい演奏だと思います。

最初にこのレコードを聞いたのは学生の頃でしたが、地の底から湧き出てくる亡霊たちの、うめき声が聞こえてくるような恐ろしい迫力を感じたものです。テンポは中庸でじっくり聞かせているのですが、そっけないくらいに客観的に演奏する背後から、この音楽の狂気がにじみ出てきて聞くものを震撼とさせるのです。

終盤で悪魔たちの饗宴が教会の鐘の音とともに消え去り、その後に天上から聞こえて来るようなフルートの音色の美しさはいつまでも心に残ります。(右の写真はディズニーのファンタジアの一場面からです)

この曲は今まで、いろんな指揮者で聴いてきましたが、みな一様にテンポが早くさらりと流しすぎて単なるこけおどしの音楽でしかありませんでした。アンセルメの曲を聴いてからというもの、他の演奏が物足らなかったのです。

このように、いまだに忘れられない強烈な印象のあるアンセルメの演奏は、他にはオネゲル作曲の「機関車パシフィック231」の機械文明の強烈な標題音楽です。これを聴いてしまったら他の演奏は子供だましのような気がするほどでした。アンセルメが振ると楽器の音ではなく本当の機関車から発する音に聞こえるほどです。

アンセルメは通俗有名曲を数多く録音していますが、その音楽はどれを聴いてもテンポ感のよさと、ロマンティックなどという甘さを一切排した、ピュアな表現に統一されていました。

晩年はバッハ、モーツァルト、ハイドン、ベートーベンなどのドイツ古典派に傾倒して行き、いくつか録音もありましたがそれは高齢のため中途半端で終わってしまったのが惜しまれます。

アンセルメの冷徹な感覚で指揮したモーツァルトやハイドンの交響曲は興味深いですね。またバッハのブランデンブルグ協奏曲や管弦楽組曲なども聴いてみたかったです。CDは出ているのでしょうか?<ページトップへ>

88・ブクステフーデとバッハ

バッハの若い頃(18歳)アインシュタットの町でオルガニストをしていましたが、その頃北ドイツのリューベックという町でオルガニストをしていたブクステフーデという作曲家の作品を知りました。

そしてその作品の素晴らしさに青年バッハは何とかして自分の目でこの作曲家に会って勉強したいと思い、教会から4週間の休暇をもらって約400キロの道のりを歩いて行ったということです。

苦労して会いに行った甲斐がありバッハはすっかりブクステフーデの素晴らしい作品とその演奏技術に心酔してしまい、3ヶ月以上もこの地に滞在してしまうのです。
後にアインシュタットの教会では大目玉を食らうことになるのですが、向上心に燃えたバッハとしては、止むぬ止まれぬ行動だったのでしょう。

ブクステフーデは当時68歳のドイツ中に名が知れ渡った大音楽家でしたが,バッハに会うなり才能を高く評価し是非とも自分の後継者にしたいと思ったのです。ところが彼の勤めていた聖マリア教会のオルガニストの地位は代々世襲制になっていて、息子が継ぐ決まりになっていたのです。

でも彼には息子がいなかったのでバッハを娘婿にしてその跡継ぎにしようとしました。ところが娘は30歳を過ぎた決して美しいといえる女性ではなかったので、バッハは丁重にお断りして帰郷したということでした。
その頃バッハには、いとしい恋人、マリア・バルバラがアルンシュタットに待っていたというのが真相でしょう。

実はこの2年前にもこの地位を断った音楽家がふたりもいました。ヘンデルとマッテゾンです。彼らもオルガニストの地位を得る為にはブクステフーデの娘を嫁にしなければならないと知り丁重に断っていたのです。

この逸話を知ってから、ブクステフーデの作品を聴くと、何回もお見合いを振られた大作曲家の娘の嘆きが聴こえてくるような気がして仕方ありません。
 (YouTube の画像はパッサカリアです。若きバッハが影響を受けただろう名作です)
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B00005F6IQ "いかに美しきかな,暁の明星は〜"
鈴木雅明 ブクステフーデ
キングレコード 1995-12-21

by G-Tools

ブクステフーデ:パッサカリア 


89・世界一幸せな指揮者、クーベリック

クラシック・ファンなら一度は指揮台に上がって交響曲を振るのが夢ですね。
100人もいる音楽のエキスパートを前に、自分の解釈を思う存分披れきできるのですから、これほど爽快な気分になる仕事もないでしょう。また指揮者になったからにはいろんな世界の一流のオーケストラをドライヴしてみたいと思うのは当たり前ですね。

ところで昔レコード時代に夢のような企画の交響曲全集が発売されたことがありました。ベートーベンの交響曲全曲を全て違う一流の楽団で録音した世界一幸せな指揮者がいたのです。

それはチェコの大指揮者ラファエル・クーベリックでした。1971年から75年にわたって世界一流ののオーケストラと全9曲を録音しました。

交響曲第1番はロンドン交響楽団、第2番はアムステルダム・コンセルト・へボウ管弦楽団、以下ベルリン・フィル、イスラエル・フィル、ボストン交響楽団、パリ管弦楽団、ウィーン・フィル、クリーヴランド管弦楽団、そして第9番はクーベリックが常任をしていた、バイエルン放送交響楽団でした。
このラインナップを見ただけでもあまりにも豪華なのでため息が出そうです。

このレコードが発売された時、買って毎日聴いていましたが、それぞれのオーケストラの個性が出ていて本当に面白いものでした。そしてどの楽団も対抗意識があるのでしょうか、いつもよりは「力」のこもった超名演になっていたように思います。

こんな楽しい夢のような企画はもう出来ないのでしょうか?21世紀の今だと誰がこの壮大な企画を成功させる力を持っているのでしょうか。人気、実力、人望と3拍子そろった指揮者じゃなくては勤まりませんね。

この条件に当てはまるのは、今ではマリス・ヤンソンス、サイモン・ラトル、くらいでしょうが彼らは忙しすぎて無理でしょうね。

とにかく、どこかこんな夢のような企画をやってくれるレコード会社はないでしょうか? <ページトップへ>

90・ハイドンのピアノ協奏曲

ハイドンと言えば交響曲が有名ですが、十数曲あるピアノ協奏曲も見逃せない名曲です。
チェロ協奏曲やトランペット協奏曲のように有名でないのでCDはあまり出ていませんが、聴けば聴くほど魅力的な曲です。 特に4番と11番は有名で、モーツアルトに引けをとらない傑作といえるでしょう。 第1楽章の軽快で愉悦的な楽想、そしてまた第2楽章のチャーミングなこと、思わず聞き惚れてしまいます。

モーツアルトは明るい日差しの中にも必ず影があるように、ふとした瞬間なんと もいえない寂謬感が漂うのですが、ハイドンの音楽はどこまでも澄み切って明朗 な響きがあります。

交響曲も協奏曲もすべてが明るく一点の曇りもない爽やかさです。 心が疲れているときまた病んでいるとき、これほど優しく愛撫してくれる音楽は他にはないでは、と思ってしまいます。

今、ミケランジェリのピアノソロで協奏曲第4番を聴きながらこれを書いていま すが、心が弾むような幸せなメロディにうっとりしてしまいつい書くの を忘れてしまいそうです。 この演奏の他には、アルゲリッチの指揮&ソロのCDもあり一聴の価値がありま す。私はまだ全曲を聴いたことはありませんが機会があれば全部聴いてみたいと思っています。

さて、写真のCDはARTSレーベルから出ている、ハイドン:ピアノ協奏曲全集の第2集です。偶然輸入CD店で見つけて購入したのですが全部で第5集まで出ているようです。2000年に録音されたものです。

軽快なテンポで底抜けに明るい演奏です。ピアノも弾むように生き生きと演奏されていて全く、屈託のない音楽といえるでしょう。第2楽章も交響曲の緩徐楽章のように親しみやすいメロディで綴られており、実に爽やかです。

レコード雑誌などの曲目紹介ではピアノ(チェンバロ)協奏曲と書かれているので、当時はチェンバロで演奏されたのでしょうか。CDで聴く限りではバッハのチェンバロ協奏曲をピアノで弾くような違和感はなく、ごく自然に聴こえます。

でもわずかに第1・3楽章の早いパッセージを弾くときに、チェンバロ的な音形が出てくるのでピアノの初期の楽器の為の曲だと分かるだけです。 
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協奏曲第11番/ホメロ・フランチェス(ピアノ)/マリナー:アカデミー室内管弦楽団


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