名曲の森・08  

今年はオリンピックイヤーでもあります 世界中のアスリート達が北京に集まって
技を競いあいます どれだけ日の丸が表彰台に上がるか 今から楽しみです 
でも私は今年も相変わらず音楽の話題に明け暮れますが どうぞお付き合いくだい



トップページ 名曲の森05 名曲の森06−1 名曲の森06−2 
名曲の森07年 名曲の森09年  名曲の森18年 森のこかげ 1 
森のこかげ 2  シベリウスのある部屋  演奏会の思い出

 【メニュー】

1・プレートルのニューイヤーコンサート 2・年の初めに聴いた音楽 3・のだめカンタービレinヨーロッパ 4・ヴィヴァルディ協奏曲集作品6  5・モーツァルト:ピアノ協奏曲  6・いにしえのドレスデンの響き  7・2つの禿山の一夜  8・アルビノーニの協奏曲 9・アンコールはサービスか? 10・指揮者になる夢 11・調和の幻想 12・バッハ:組曲ロ短調 13・栄光の60年代! 14・カラヤン生誕100年 15・モーツァルト:Ob四重奏曲 16・「名曲探偵アマデウス」を見ました 17・日本人は短調がお好き? 18・ケネス・ブラナーの魔笛  19・アランフェス協奏曲 20・パーセル:ディドとエネアス 21・スメタナ:わが祖国より 22・テレマンの魅力 23・久しぶりのコンサート 24、ヤンソンスのハイドン

●スポンサー・サイト:もし、あなたにもピアノが弾けたなら・・・
初めてでも名曲を楽しく弾ける練習法があります。

1・プレートルのニューイヤーコンサート

明けまして おめでとうございます。干支の最初の「子年」が明けました。
今年もクラシック・ファンにとっていい年でありますようお祈りしています。

さて、たった今、恒例のウィーンフィル・ニューイヤー・コンサートが終わったところです。
今年はフランス人では初めてというジョルジュ・プレートルが指揮台にあがりました。今年84歳になるという大変高齢な指揮者ですが、姿を見る限り、背筋もしゃんと伸びて歩く姿も颯爽として、決してこんなお歳だとは信じられないものでした。

私は写真ではよく見ていましたが動く姿を見たのは初めてなので、とても興味津々でした。昔からオペラやフランス音楽では定評があり、メロディラインのくっきりした力強い演奏をする指揮者でしたが今日の演奏も全くその通りでした。老成など薬にもしたくないといった、気概が全編からあふれていて、まるで若い指揮者が指揮しているような錯覚に陥りました。

さすがに、お顔は歳のためだいぶ皺が増えていましたが、以前アメリカの俳優のジャック・パランスに似ていると思ったほどの精悍な容貌にそんなに変わりがありませんでしたね。
若いときはあれほどイケメンだったバーンスタイン、カラヤンの晩年の痛々しい姿を見て知っているものにとって、ジョルジョ・プレートルの姿と音楽の若さにはとても驚いてしまいました。

新年にあたって、このような美しいワルツと84歳という高齢にもかかわらず、元気でいる姿を見られて何よりの素晴らしいお年玉になりました。 [ページトップへ]
CD:ニューイヤー・コンサート2008
プレートル(ジョルジュ) J.シュトラウス Jo.シュトラウス

DVD:ニューイヤー・コンサート 2008
プレートル(ジョルジュ) J.シュトラウス(1世) ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

2・年の初めに聴いた音楽

元日のウィーン・ニューイヤー・コンサートを聴いた後は、どんな曲を聴いてこの一年をスタートしようか?と思案して選んだのは、やはり大好きなヴィヴァルディでした。

年末に買った、イタリア合奏団の作品4の「ラ・ストラヴァガンツァ」から聴きはじめました。有名な作品3「調和の幻想」の後の充実した音楽にもかかわらず、あまり人気のない曲ですが全曲斬新な仕掛けがあり、聴いていて気分がウキウキするので年頭に聴くには一番いい音楽だと思ったのです。

第1番変ロ長調からエネルギッシュなリズムで明るく始まり、全曲の期待が高まります。続く第2番はホ短調でヴァイオリンのソロのパッセージが華々しく活躍して聴くものの心を鷲づかみにしてしまいます。この曲集はソロの腕の見せ所が随所にあり全12曲最後まで一気に聴かせてくれます。

演奏しているイタリア合奏団は60年70年代はファザーノの率いる「ローマ合奏団」として活躍していましたが、ファザーノが死去したあと新しいメンバーと再結成して、今度は指揮者を置かないイタリア合奏団として甦りました。
私は前身のローマ合奏団の来日公演には聴きに行ったので余計に親しみがあります。ローマ合奏団はEMIレーベルでしたが、イタリア合奏団はDENONレーベルで録音技師に日本人がかかわっているので以前とは比べ物にならないほど美しい録音になりました。

私の個人的な感想ですが、イ・ムジチやベネチア合奏団の録音よりもずっと素晴らしい音楽的な音に収録されていると思います。弦楽器の潤いのある音色といい、適度の残響といい、本当に美しく録られていますね。惚れ惚れしてしまいます。
さて、2008年もこのように素晴らしいバロック音楽をどんどん聴いてゆきたいものです。 [ページトップへ]
                      
                 ★CD:ヴィヴァルディ:協奏曲集「ラ・ストラヴァガンツァ」全曲/イタリア合奏団

3・のだめカンタービレ in ヨーロッパ

待ちに待ったテレビドラマ「のだめカンタービレ in ヨーロッパ」を見ました!
面白いのなんのって、一部二部の全5時間興奮のしっぱなしでした。

と言うのは忙しくて、テレビを見れなかったので、ビデオ録りしておいたものを昨日の夜一気に見たからです。明け方まで見ていたので、お陰で今朝は寝不足です。

こんなに面白くウキウキするドラマを見たのは初めてです。06年の秋から始まったドラマは主人公のふたりが海外留学が決まったところで終わっていたので、いずれ続編があるだろうと密かに待っていましたが、こんなに早く実現するとは嬉しい誤算でした。お正月早々うれしいお年玉をもらったような気分です。

日本国内のロケはともかく、音楽の本場のプラハ、パリでのロケは難しいだろうな、と予想していましたが、ドラマを見てびっくりしました。外国人役にウエンツやベッキーらを起用して見事に雰囲気を作っていましたね。またプラハ放送交響楽団のメンバーの人々も登場していたので、このドラマに重みを持たせていました。
コミック本である原作に忠実なコメディータッチは健在で、この難解なクラシック音楽ドラマを楽しく見ることが出来ました。このドラマはクラシックに興味のない人にも楽しめるように出来ているなあと思いました。ましてや少しでも音楽にかかわっている人にとっては指揮者コンクールや音楽院の様子がうかがわれて興味も倍増したことでしょう。
天才的な音楽の素養のある「のだめ」が世界中のエリートが集まる、音楽院で授業について行けなくなり、落ち込む様は音楽や芸術の奥の深さを感じさせ(コミック漫画が原作とはいえ)鬼気迫るものがありました。やはり音楽は趣味として気楽に演奏したり聴いたりするのが一番身体にいいんだと思い知らされましたね・・・・。

最後にはふたりにとって明るい将来が待っているかのような結末でしたが、果たして順風満帆にことが進むでしょうか?原作はまだ続いているようなので、今後もテレビドラマの続編を作って欲しいものだと強く思いました。
                [ページトップへ]

4・ヴィヴァルディ:ヴァイオリン協奏曲集 作品6

ヴィヴァルディで作品番号がついているのは現在14番まであります。特に3,4,8、9番の4作品にはそれぞれ標題がついています。調和の幻想、ラ・ストラヴァガンツァ、和声と創意の試み、ラ・チェトラなどとなっていて人気のある作品だといえます。

この中で作品1,2,5はヴァイオリンの為のソナタ、10番はフルート協奏曲集、13はフルート・ソナタ(偽作)、14はチェロ・ソナタとなっています。

残りの6,7、11,12番はヴァイオリン協奏曲集ですが、標題がありません。人気がなかったから標題がないのでしょうか。でも標題(タイトル)が無いとはいえ、素晴らしい作品には違いはありません。

私個人としては標題付きの有名協奏曲よりも、内容的には素晴らしく味わい深い作品そろいだと思っています。

前置きが長くなりましたが、私は作品6の協奏曲集が大好きです。学生時代にLPでエフリキアン指揮のミラノ合奏団の演奏を聴いて以来のお気に入りです。

特に第1番はト短調という調性で、全曲にしっとりとした憂いが漂っています。ヴィヴァルディにしては丁寧に書かれた第2楽章はヴァイオリンとチェロが静かに対話するように哀愁のメロディを紡いでゆきます。続く第3楽章は軽快なテンポですが全曲を支配する憂いは晴れず、ヴァイオリンがすすり泣いているように奏されます。わずか10分ほどの協奏曲ですが初めて聴いた時から心に深く残りいまだに大好きな一曲なのです。

この協奏曲集は全6曲のうち4曲も短調で書かれていて、他の協奏曲集に比べてロマンティックな作品集となっています。私はこの曲集が大好きなので色んな演奏家で聴いてみたいのですが、CDは殆ど出ていなくてイムジチ合奏団とベネチア合奏団のがあるのみです。これも今ではどちらも廃盤ですので今はカタログには無いわけです。

ヴィヴァルディの協奏曲全曲録音を目指している、イタリア合奏団がもう既に録音しているかも知れませんので発売されるのを楽しみに待っています。[ページトップへ]

協奏曲作品6第1番:アルベルト・マルティーニ(Vn)/オルケストラ・ダ・カメラ


5・モーツァルトのピアノ協奏曲

2006年はモーツァルトの生誕250年ということで、クラシック界は大いに盛り上がりモーツァルトに関する書物、CDが多く発売され、演奏会も例年になく沢山取り上げられました。記憶に新しいですね。

私もその恩恵に浴しまして、廉価で発売された交響曲、ピアノ協奏曲、四重奏曲、ピアソナタ、ヴァイオリンソナタ、やオペラなど大量に買い込みました。

今頃になって、徐々に聴き比べをしていますが、どんな演奏家であれ全て素晴らしいので驚いています。極端に言えば百人の演奏家がいれば百人の違ったモーツァルトが存在して、どんな解釈で演奏しても素晴らしいのです。

モーツァルトほど完全な音楽はないのでどのように料理されようと、その本質は全く変化はないように思えます。もちろんCDで演奏する程の音楽家ならそのレベルは既に高いものですから、悪い演奏であるはずがありません。

そんな中で、最近はピアノ協奏曲に一番魅力を感じています。交響曲は20番以前のものは子供の作品で、深みもないので印象は薄いのですが、ピアノ協奏曲は一番最初の作品とされる第5番K175でさえ既に大人の味わいがあり、堂々たる協奏曲になっています。

それもそのはずで、ちょうど交響曲25番ト短調を作曲した17歳の時に作られているのですから。

モーツァルトの協奏曲は自分が弾きながら演奏するのを念頭に書かれているので、聴いているとモーツァルトのその時の感情がありのままに込められているように感じます。
特に第2楽章の美しさはどうでしょう。まるでモーツァルトが心の中で歌っているようです。よくグレン・グールドのように歌いながら弾く演奏家がいますが、きっとモーツァルトも歌いながら弾いていたのではないでしょうか。

そんな気にさせる美しい協奏曲に毎日聞き惚れています。(お気に入りは下記にご紹介するシュミット/マズア指揮ドレスデン・フィルの演奏です)軽やかなテンポと弦楽器の美しさとピアノの音色のバランスが最もよく、モーツァルトの愉悦感を程よく表現しています。また値段もお手ごろなところもいいですね。[ページトップへ]
●アンネローゼ・シュミット/モーツァルト:ピアノ協奏曲全集

6・いにしえのドレスデンの響き

先日、輸入盤CD専門店で面白い演奏を見つけました。フランスのナイーヴというレーベルから「ヴィヴァルディ全集」よりの一枚を買いました。

この「ヴィヴァルディ全集」というのはトリノの国立図書館に眠っている、およそ450にのぼるヴィヴァルディの自筆譜のコレクションを全て録音しょうとする意欲的な企画でした。

これは10年以上もかかる計画で最終的にCDは100枚以上になる予定です。現在カタログで紹介されている数は、30点あまりですがその全てが古楽器を使用して当時の響きを再現しているところに特徴があります。

私の購入したのは「ドレスデン宮廷楽団のための音楽集」でした。
1716年宮廷楽団長のヨハン・ピゼンテルの依頼によって作られた5曲が収録されていました。
楽器編成はヴァイオリン、オーボエ、ファゴット、リコーダー、狩猟ホルン、狩猟トロンボーンといった多数の楽器の為の協奏曲で、ヴァイオリン協奏曲とは違った楽しいものでした。

これらの多彩な楽器の特徴を生かした協奏曲を聴いていると当時のドレスデンの楽団の優秀なソリスト達の姿が彷彿としてきます。

ヴィヴァルディといえばヴァイオリン協奏曲が最も有名ですが、このドレスデンではその想像力を羽ばたかせて、色彩感に富んだ素晴らしい合奏協奏曲を誕生させました。

このCDを聴いていると、18世紀初頭の世界で最も優秀なオーケストラの響きはこのようなものだったのだと理解させてくれます。今の大ホールでは各楽器の音量の差が激しすぎてアンバランスになるのでしょうが、いにしえの宮殿ではこの響きは優雅に聴こえたのに違いありません。
私はこれこそ「18世紀の宮廷音楽会」の響きだろうと思いました。

ちょうどこのCDは見つかりませんでしたので、他のCDをご紹介します。このレーベルはバロックとは思えない、モデル写真をジャケットにした珍しいものです。
Vivaldi: Operas
Vivaldi: Operas Sergio Foresti Antonio Vivaldi Alessandro de Marchi

Naive 2004-08-17
売り上げランキング : 24104


Amazonで詳しく見る
by G-Tools
 [ページトップへ]

7・2つの禿山の一夜

このところ続けてムソルグスキー作曲の交響詩「禿山の一夜」を聴く機会がありました。世間で広まっているリムスキー・コルサコフ編曲版と、作曲者自身の原典版です。

この2つの音楽を聴いて、あまりの違いに驚いてしまいました。原典版の常識を超えた異常な展開と、まとまりのない猥雑な雰囲気はまさに禿山で行われた悪魔の饗宴そのものです。
ムソルグスキーは急進的な表現でロシア5人組のメンバーからも非難され孤立して最後には精神も病み、酒に溺れて夭折したというのが理解できる異常な音楽でした。

その鋭い感性と天才的な個性を持った音楽は時代を先取りしていたかも知れません。この原典版を聴いていると精神を病んだ危うさと、不気味ささえ漂う緊張と迫力は編曲版の比ではありません。

長い間、R・コルサコフ版を聴いてきた耳には、全く別の音楽のように聴こえました。ところどころなじみの主題が顔を出しますが、それも束の間に消え圧倒的な地獄の饗宴に飲み込まれてゆきます。

コルサコフ版では最後の教会の鐘と共に悪魔どもは消え去り、聖なるフルートのメロディが穢(けが)された場所を清めるかのように奏されて終わるのですが、原曲では地獄の饗宴がいつ果てるかも分からないほど続き、音楽はいきなり途切れて終わります。まるで救いがなく聴くものは地獄へ落ちてゆくようです。

こんな音楽を書けるのはムソルグスキーしかいないでしょう。さすがの親友であったコルサコフは「魂の救いの音楽」を追加したのでしょう。今改めて編曲版を聴いて・・・なんとまともな美しい音楽だろうか・・・と安心してしまいます。

いかにR・コルサコフが普通のまともな音楽家だったかという証明でしょう。私はムソルグスキーの原曲は一度聴けば充分で、あまり聴きたくありませんが、コルサコフ版は何度でも聴きたいと思います。

編曲版では、ムソルグスキーの狂気と迫力を感じる演奏は、唯一アンセルメ指揮スイスロマンド管弦楽団の演奏だと思います。ゆったりしたテンポで不気味な内声部の響きを強調した演奏は他では味わえない凄みがあります。
ムソルグスキー:展覧会の絵&禿山の一夜・ほか
アンセルメ(エルネスト) ムソルグスキー ラヴェル
B00005HW1Q
★ムソルグースキー研究の第一人者アバドの異稿版はこちらです。
ムソルグスキ-/交響詩「禿げ山の一夜」
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 ムソルグスキー アバド(クラウディオ)
B00005G7X9                <ページトップへ

8・アルビノーニの協奏曲

ヴィヴァルディとほぼ同時代に活躍したアルビノーニは経済的に裕福な家庭に育ったせいか、音楽も憂いがなく晴朗で美しいものばかりです。現存している楽譜は協奏曲が主で、ヴァイオリン協奏曲、オーボエ協奏曲に優れた作品が多くあります。

オペラ作品も数多く書いたとされているのですが、現在ではほとんどが失われていて聴くことが出来ません。私はアルビノーニと言えばすぐにオーボエ協奏曲を思い浮かべますが、作品7と9の傑作が残されています。

16曲にも及ぶ協奏曲はひとつのオーボエと、2つのオーボエのためによる協奏曲で出来ています。これらに共通するのは、全て明快で全く憂いのない明るさで統一されていることです。作品9の2番と8番のみが短調で書かれているだけで、他は全て長調です。

CD3枚組になったオーボエ協奏曲を聴いていると、今何番を聴いているのか?全く分かりません。全てがスムースに気持ちよく耳をくすぐって通り過ぎてゆきます。こんなに気持ちのいい音楽もありません。悪く言えば「個性がない」とも言えるし、また「金太郎飴」のようなどこを切っても同じ楽想が連なっている・・とも言えるでしょう。

でも、こんなに美しく優しい音楽はヴィヴァルディもモーツァルトも書けなかったと思います。一点の曇りもない明るい音楽は、あえて言うなら「ハイドン」がアルビノーニの精神とよく似たものを持っていたのではないでしょうか。

アルビノーニこそ、過激なものは一切なく聴くものの気持ちを幸せにしてくれる音楽の女神「ミューズ」を感じさせる芸術家だったと思います。

今、私はオーボエ協奏曲を聴きながら今これを書いていますが、今何番の協奏曲なのか?全く分かりません。何度聴いても覚えられません。空に浮かぶ「雲」や「水」に形がないように、アルビノーニの協奏曲も形がないように思えてなりません。聴くたびに印象が変わり正体がつかめないからです。       【ページトップへ
アルビノーニ:オーボエ協奏曲全集(3枚組) アルビノーニ:オーボエ協奏曲全集(3枚組)
アルビノーニ ニコル・マット シュテフファン・シーリ(Obe)

by G-Tools

*2つのオーボエの為の協奏曲作品9−9/メリーランド大学交響楽団


9・アンコールはサービスか?

アンコールとは英語で「もう一度」という意味で「もう一度ステージに出てきて!」と叫んだり拍手をするのです。だから必ず一曲披露してくれるとは限りません。

NHK交響楽団の定期演奏会などは絶対にアンコール曲はありませんね。だから観衆も良く知っていて拍手はすぐやんでしまいます。あっけないくらいに静かになってしまいます。

でも外国のオーケストラの場合はほとんど例外なく(私の聴いた演奏会に関しては)アンコール曲を披露してくれました。ドイツの楽団なら、ブラームスのハンガリー舞曲、チェコならスラブ舞曲、ロシアならチャイコフスキーのバレエ曲からなどです。大抵なら演奏曲目に関係するような小曲を演奏してくれますね。聴衆もせっかくの外国の有名楽団だし、また高い入場料も払っているので、ちょっとでも多く聴きたい気持ちがあるので、アンコールをせびっているような感じもしたことがたびたびありました。

初めはこういうアンコール曲はとっさに決めるのかと思っていましたが前もって準備してあるのですね。そうでないと楽譜がないでしょ。

以前、私が参加していた学生オーケストラでもきっちりアンコール曲を練習しました。アマチュアにしたらわずか数分の小曲でも負担は大きいのです。だから本番の出来が悪くて拍手もまばらで、「アンコール」のお声もかからないのに2度ほど指揮者がステージに出たところでアンコール曲を演奏したことがあります。そうしないと拍手が終わってしまうからです。

こんなのがアンコールと言えるのでしょうか?無理やりのお仕着せサービスじゃないでしょうか。でもせっかく練習したのですから、聴いてほしいのは正直な気持ちです。

アンコールで有名な逸話は、ベートーベンの交響曲第7番の初演時、第2楽章があまりにも素晴らしかったので、いつまでも拍手が鳴り止まず2度この楽章を演奏したということです。

こういうのが本当の「アンコール」というのですね。  【ページトップへ
B0009H9YA6 ベートーヴェン:交響曲全集
スウィトナー(オトマール) ベートーヴェン クノーテ(ディートリヒ)
コロムビアミュージックエンタテインメント 2005-06-29

by G-Tools

10・指揮者になる夢

日曜日の朝の楽しみはテレビの「題名のない音楽会」を見ることです。民放では唯一のクラシック番組なのでファンとしては絶対に見逃せません。

私はこの番組とのお付き合いは長く、(といってもただ見るだけですが・・・)初代の司会者・黛敏郎、2代目・芥川也寸志、そしてこの間亡くなった羽田健太郎と全ての司会者を見てきました。いずれの司会者も音楽家として一流の素晴らしい人ばかりで、娯楽番組としては、民放では珍しい見ごたえのある番組です。現在の司会者は日本のみならず世界で活躍している佐渡裕(さど ゆたか)が司会者に抜擢されたので更なる発展が期待できます。(敬称略)

さて、私が見た企画は「指揮者になる夢をかなえる」と銘打って素人の指揮自慢の人たちが指揮者となって腕を競うものでした。この回では小学生、中学、幼稚園の先生、自営業者、校長先生など色んな経歴の人たち8人が出演していました。

指揮するのはたった1分間だけですが、プロの東京シティ・フィルを振れるというのは、それこそ夢のような出来事だと思います。みんなの指揮振りを見ていても、ほほえましい限りで自己満足の陶酔に浸っている人もいて本当に楽しいものでした。

他人がどう思うとも、自分の思いをプロのオーケストラにぶつけて指揮できるのはどれほど気持ちのいいことでしょうか。見ていて自分も参加したいような気分になりました。

昔からレコードを聞きながら、こんな演奏が出来たらなあ・・・と思い色んな楽器に挑戦してきましたし、実際にアマチュアのオーケストラに参加して演奏してきましたが、やはり一番やってみたいのは指揮者ですね。数十人の楽団員を思い通りに指揮して見たいというのは音楽が好きな人の究極の望みではないでしょうか。

この番組を見ていて、音楽っていいなあ・・・・とつくづく思いました。素人の指揮者たちの幸福な表情を見ていてそう思ったのです。
写真は終了した後、カルメン前奏曲を全員で振っている風景です。   【ページトップへ

11・ヴィヴァルディ:協奏曲集「調和の幻想」

今日は久しぶりに「調和の幻想(霊感)作品3」を聴きました。
この曲集は12曲からなり1つのヴァイオリン、2つあるいは4つのヴァイオリンの為の協奏曲などからなっています。ヴィヴァルディの初めての協奏曲の出版とあって、聴衆の好みに合わせて選曲したものと思われます。

この楽譜は当時、出版されるや否やヨーロッパ中に驚異的な反響を巻き起こしたといわれています。バッハもこの曲集の6曲をチェンバロ協奏曲として編曲したことは有名です。初めはバッハのオリジナル曲だと思われていたのですが、後にヴィヴァルディの曲の編曲だと分かり、にわかにヴィヴァルディが注目されたのです。バッハが夢中になり何曲も編曲していることから、「一体ヴィヴァルディとはどういう作曲家だったのか?」と音楽学者は研究したのです。

私はヴァイオリンを習った当時、第6番イ短調が教則本に載っていたので、必死に練習した思い出があります。譜面上は簡単なのですが、CDの演奏のように快速テンポではとても無理でした。CDを聴いているとどうしてこれほど指が回るのかと、不思議でなりませんでした。

最近はほとんど練習していないので、全く指が回りませんが聴くだけでも楽しい曲ですね。CD、レコードはイ・ムジチ、ベネチア合奏団、マリナー/アカデミー合奏団などと聴いてきましたが、目下のところイタリア合奏団の演奏が最も気に入っています。

1979年にローマ合奏団を解散させて新しく編成したこのイタリア合奏団は、ローマ合奏団の指揮者ファザーノの遺志を継いだ素晴らしい演奏をしています。私はこのローマ合奏団が大好きで来日公演(四季でした)を聴きに行った思い出があるので、余計に思い入れがありました。
とにかく明るく屈託のない美しい音楽ですね。  [ページトップへ]

ヴィヴァルディ:協奏曲集「調和の霊感」
イタリア合奏団 ヴィヴァルディ

12・バッハ:管弦楽組曲第2番 ロ短調

このところの暑さであまり音楽を聴いていません。ましてや楽器の練習も全くやっていません。必死に練習しているときでも大したことはなかったのに、練習をサボると全く指が回りません。聴く方は寝る前にヘッドフォーンで子守歌代わりに聴く程度です。

そんな中でも、比較的よく聴くのはバッハです。中学生の頃から好きだった管弦楽組曲はいまだに好きで良く聴きます。4曲ある組曲の中で最も好きなのが第2番ロ短調です。これはフルート協奏曲といってもいいほどフルートが活躍するものです。

バッハの当時の「組曲」とは任意に何曲かの舞曲が組み合わせられているもので、全体が同じ調性で演奏されているものです。作曲家はそれぞれの舞曲のリズムや速度の変化の違いを生かして、いかに効果的に配列するかということに工夫を凝らしたのです。

その結果、アルマンド、クーラント、サラバンド、ジークという「古典組曲」の定型に落ち着くことになったのでした。バッハはこれらの組曲にフランス風の大規模な序曲を一曲目に置いているところに特徴があります。全曲の半分かあるいは三分の一にあたるほどの演奏時間を要する序曲が華やかな気分を盛り上げてくれます。それに続く軽快で優雅な舞曲の数々が聴くものを中世の宮廷に誘ってくれるようです。

第2番はロ短調という厳かな中にも憂いのある調性で、美しい旋律がフルートの音色ととてもマッチしてこの世の音楽とは思えないほどの高貴さを漂わせています。私はこの曲が大好きでレコード、CDを何枚買ったか知れないほどです。目下のところの愛聴盤はアーノンクール盤です。

ところで、以前、組曲第5番もバッハの作品とされていましたが、第1曲目がイタリア風であるし弦楽器のみの管楽器を含まない編成なので、近年では作風からしても息子の「フリーデマン・バッハ」の作品ではないだろうかとされています。
私も聴いてみましたが、そういわれれば「ト短調」で暗い雰囲気があり、音楽に深みがなくバッハとしては異質の感じがします。もし聴く機会があれば一度聴き比べてください。(あまりCDは出ていないようですが・・・。)[ページトップへ

バッハ:管弦楽組曲(全曲)
ゲーベル(ラインハルト) バッハ ムジカ・アンティクワ・ケルン

13・栄光の60年代!

「栄光の1960年代」という特集があったので久しぶりに「レコード芸術」という雑誌を買いました。この雑誌はクラシック・レコード・ファンにはバイブル的雑誌でレコードを買うときには前もって、この本から情報を仕入れて熟考に熟考を重ねて買ったものです。音楽之友社「レコード芸術」

昔のレコードは非常に高価でサラリーマンや学生などおいそれと買える物ではありませんでした。60年代の学生アルバイトの時間給が100円の当時、新譜レコードは3000円もしていました。だから一枚のレコードを買うためには大きな決断が必要でした。

この雑誌はいつ頃から発行されていたのか知りませんが、私は中学生の頃から読んでいました。60年70年代と日本の経済発展と共に、レコードなど音楽業界も活況を呈してきて、多くの外国の有名指揮者とオーケストラが来日したのでクラシック音楽界は賑わうばかりでした。

本の内容は:この頃の指揮者の動向やレコード業界のエピソードが年代を追って書かれていて当時クラシック音楽の魅力に目覚めた頃だった私にとっては、懐かしい記事ばかりでした。

19世紀生まれのワルター、ライナーなど巨匠と呼ばれる人が去り、カラヤン、バーンスタイン、ケルテス、などの若手指揮者が台頭してきた頃です。レコードもモノラルからステレオになり音質も格段に良くなりました。

この本を読んでいて「本当に夢のような素晴らしい時代だったんだなあ・・・」とため息が出るほどでした。カラヤン/ベルリンフィルのベートーベン交響曲全集が発売された時は、ちょっとした事件でした。高校のときのクラスメイト(繊維会社の社長の息子)がドイツグラモフォンの輸入盤を持っていたので、毎日のように家に寄って聞かせてもらったのも懐かしい思い出です。日本盤と輸入盤の音の違いに唖然としたのを覚えています。

1963年のイタリア歌劇団とベルリン・ドイツ・オペラの日本公演。などいまだに音楽愛好家からはその時の熱き思いを聞くことが出来ます。
この頃は私にとっては、クラシックを知り始めた頃で何もかも新鮮で刺激的なことばかりでした。お金に余裕のない学生の頃だったのでこれらは全てテレビや雑誌から情報を得るばかりでしたが何となく心がときめいたものです。

現在の日本の経済は落ち込んで活気がなくなっていますが、その頃は90年代のバブルの時代のようにクラシック界も音楽バブルで大いに盛り上りました。街角からレコード(CD)屋がすっかり姿を消した今日この頃、無性にレコード・ラッシュだった1960年代が懐かしいです。  【ページトップへ
レコード芸術 2008年 07月号 [雑誌]
音楽之友社 2008-06-20

14・カラヤン生誕100年

今年は20世紀の「クラシックの帝王」と呼ばれた、カラヤンの生誕100年だそうですね。
生前あれほど人気のあったカラヤンも没後はすっかり影が薄くなりました。とくに音楽評論家と称する人たちからの人気の凋落は激しいものがあります。当時は毎月新譜レコードが発売されるとその全てが「推薦盤」として紹介されていたのに信じられないほどの凋落ぶりです。

カラヤン全盛時代には、ベルリンフィルとの来日公演の高価なチケットは発売するや否やすぐに売り切れになるほどでした。カラヤン指揮のDVDも発売されていますがその映像は、指揮者カラヤンのアップばかりで団員の映像は背景として扱われ、自分の見せ方に徹底的にこだわったものでした。これほど「ナルシスト」の指揮者も珍しいものですね。
でもカラヤンの指揮姿の優雅なこと・・・素晴らしいですね。カラヤンの奏でる音楽と同じで「スマート」で「洗練」されたものでした。本当にかっこよかった!

私もカラヤンのレコード、CDを多く持っていますがどの演奏も素晴らしいもので駄作が全くありません。今年が生誕100年と言うことで彼の演奏したものを聴きなおしていますが、本当に名演ばかりですね。一流の演奏家たちが当時最高の録音技術で作り上げた音楽が悪いはずがありません。
今日はベートーベンの交響曲1番から3番まで聴きましたが、やはりすごい演奏でした。

久しぶりに聴いた印象は一言で言うと「優雅」で「芳醇」なものです。そこには苦悩と闘う苦虫を噛み潰したような顔をしたベートーベンの姿は想像できません。実にふくよかな洗練された美しい仕上がりです。最近の古楽器使用のやせぎすの交響曲を聴いてきた耳には、かえって新鮮な響きがするほどです。

カラヤンはドイツの敗戦とともに演奏を禁止されていたのをイギリスのEMIが手を差し伸べてフィルハーモニア管弦楽団とのコンビでレコードをヒットさせ、その後デッカレコードと契約しウィーン・フィルとの3年にわたる間に数々の名演奏を作り上げました。

そして、最終的には当時ドイツのローカル・レコード会社であった「ドイツ・グラモフォン」一社と専属契約するに至ったわけですが、カラヤンはドイツ・グラモフォンの録音技術の高さと製盤の優秀なところに将来性を嗅ぎ取ったのかも知れません。レコード業界ではEMIやデッカに比べると発展途上のグラモフォンを選んだということはカラヤンのビジネスマンとしての直感が正かったのでしょう。その後のグラモフォンの隆盛は目を見張らせるものがありました。

今振り返ると、カラヤンはレコード業界の成長とともに人気を得て、その業界が衰退する直前に没したので、まるでバブル期そのものではなかったのでしょうか?今ではカラヤンに匹敵するスターもなくレコード業界も衰退の一途です。クラシックファンの私としては、さびしくてなりません。【ページトップへ
ラスト・コンサート1988 モーツァルト&ブラームス
ブラームス モーツァルト カラヤン(ヘルベルト・フォン)
B00144661S

15・モーツァルト:オーボエ四重奏曲K370

野にひっそり咲く花にふと目をやると、その初々しく可憐な美しさにおもわず感動してしまうような音楽があります。それは・・・モーツァルトのオーボエ四重奏曲です。15分足らずの小品ですが全編モーツァルトの歌心と哀愁にあふれた傑作です。オーボエの名曲は少ないので、余計にこの曲の素晴らしさが引き立ちます。

この曲は、モーツァルトが23歳の時にミュンヘン宮廷楽団のオーボエ奏者だった親しい友人フリードリッヒ・ラムのために書かれたものです。
小品ですが、当時としてはテクニックが抜群に難しく、最低音から最高音まで駆使されて書かれていて、ラムの腕前が相当高度だったことがうかがわれます。(昔のオーボエはキーが少なく指使いが困難でしたから・・・・)

第1・3楽章の明るい表情に比べて第2楽章はほのかな哀愁が感じられます。この音楽を聴いていると過ぎ行く青春を惜しむかのようなはかない気持ちでいっぱいになります。モーツァルトの音楽には明るい中にも憂いを含んでいてとても味わい深いのですが、このオーボエ四重奏曲は、特に「はかなく」「可憐」でまるで満開の最高潮で「はかなく」散ってしまう桜を思い起こしました。

モーツァルトがもし、日本の桜を見ていたら、果たしてどんな音楽を書いてくれたでしょうか。そんなことを想像するだけでも楽しいですね。   [ページトップへ]
モーツァルト:オーボエ四重奏曲 モーツァルト:オーボエ四重奏曲
青山聖樹 モーツァルト 大林修子

マイスター・ミュージック 2008-01-25
売り上げランキング : 221827

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

*オーボエ四重奏曲/(Ob)アレクセイ・オグリンチョーク


16・「名曲探偵アマデウス」を見ました

「名曲探偵アマデウス」というのをご覧になったことがありますか。筧利夫が扮する探偵、天出臼夫が数々の難事件を解決するという、ミステリー仕立ての音楽(バラエティ?)ドラマです。(助手の響カノン役には黒川芽衣が演じています。)

NHKの衛星放送でしか放送していなかったので最近まで知りませんでしたが、先日偶然に、モーツァルトのピアノ協奏曲第20番の回を見ることが出来ました。

銀座の高級クラブのママさんの依頼によるもので、モーツァルトの最高傑作のピアノ協奏曲20番の作品に潜む秘密とママさんの恋を絡めて依頼を解決するというたわいもないお話ですが、実際の演奏を紹介したり音楽学者による解説があったりして、単なるバラエティでもないしまた教育番組でもないという不思議な音楽ドラマでした。

私はこの番組を見るなり、すぐにファンになってしまいました。クラブのママさんが事務所に飛び込んでくるなり「テレサ・テンのつぐない」に似たメロディのことを訪ねるところからこの不思議な世界にはまり込んでしまいました。この曲とモーツァルトの協奏曲の主題と似ているということから、どんどんモーツァルトの作曲の秘密へと入り込んでゆく手法は見事なものです。

実際の演奏を交えて聴くものを一瞬たりとも飽きさせません。気がついたら45分があっという間に過ぎてしまいました。こんなにワクワクする楽しい番組は「のだめカンタービレ」以来です。


こんな素晴らしい番組なのに、既にここまで14話が終わっていました。今まで全く知らなかったことが残念でなりません。このモーツァルトのあと、サラリーマンが家に帰ると「ブラ4」とメモされた書置きを残して妻が姿を消したというブラームスの交響曲第4番の回も見ましたが、これも見事な謎解きで抱腹絶倒のラストは本当に面白かったです。・・・・・・・・
ブラームスの交響曲4番との謎かけだと思い込んだ「ブラ4」というメモは、実は奥さんの旦那さんへの依頼メッセージで、洗濯したブラウス4枚を干しておいてというものでした。

堅苦しい音楽理論のクラシック音楽を良くぞここまで面白く脚色したものだと感心してしまいます。次回はガーシュインのラプソディ・インブルーの巻きなので、どんな展開になるのか楽しみでなりません。これからは見られないときは留守録するようにセットしようと思っています。

クラシックファンでまだこの番組を知らない方はどうぞご覧になってください。本当に面白いですよ!
そしてNHKさんどうかまた再放送をしてください。お願いします!!【ページトップへ

17・日本人は短調がお好き?

長いこと童謡など聴くこともないし歌うこともなかったのですが、鳥取県の白兎海岸を観光バスで走っている時、バスガイドさんが美しい声で・・・♪〜大きな袋を肩にかけ、大黒さまがきかかると〜♪・・・という童謡「大黒さま」を歌ってくれました。

ご存知のようにその昔、あのあたりの海岸でワニ(鮫)を騙してその罰として皮をはがれた”しろうさぎ”をやさしくいたわり怪我を治してあげた大黒さまの、おとぎ語を歌にしたものです。最近この歌を聴くことはめったにありませんが、鳥取県では地元の歌として盛んに歌われているのでしょうね。

ところが、こども相手の童謡だと思っていたその歌が、なんともいえない哀調を帯びてぐいぐい胸にとびこんできたのです。それ以来その歌や他の童謡が気にかかり家にあった子供に聞かせるために何枚か買っていた童謡レコードをいろいろ聴いてみました。

私が子供の頃には気がつかなかったのですがテンポが速く明るい曲だと思っていたほとんどが短調で出来ていることに気が付きました。「仲良し小道」「うれしいひな祭」「あのこはだあれ」「月の砂漠」などを聞いてみてください。こんなに情感のこもった美しいメロディがあるでしょうか。・・・・・だから歳をとっても心に残っているのですね。

童謡ではないでしょうが、日本で最も売れた「およげたいやきくん」も哀調のある短調だからあれだけ売れたのだと思います。もし長調の明るい曲だったら果たして売れたでしょうか。

そして子供のころは短調、長調など知らずに歌ったり聴いたりしていましたが、いまだに心に残っている歌はほとんどが「短調」の曲だと知りました。
外国の童謡はどのような曲があるかあまり知りませんが、日本の童謡のようにこれほど「短調」の曲が多いのでしょうか?ちょっと知りたい気がします。

それとも、日本人が特別短調の曲がすきなのか?・・。ということを。【ページトップへ

18・ケネス・ブラナー監督の映画「魔笛」

ちょっと変わったオペラを見ました。モーツァルトの傑作「魔笛」でした。英国の天才ケネス・ブラナーがモーツァルトの名作オペラ「魔笛」を完全映画化したものです。

モーツァルトの原作ではどこかエジプトを思わせるオリエンタルなムードを漂わせたおとぎ話のような設定になっていましたが、この映画では第一次世界大戦下のヨーロッパが舞台となっていました。

あらすじはこうです。「前線の塹壕で、若い兵士タミーノは毒ガスに命を狙われ気絶する。それを救ったのは夜の女王の侍女を務める三人の従軍看護婦だった。タミーノの前に現れた夜の女王は、さらわれた娘パミーナの救出を依頼し、彼に魔法の笛を託す。タミーノは兵士パパゲーノと共にザラストロの城砦へと向かい、そこでパミーナを見つけた。二人はすぐに恋に落ちるが、タミーノは愛を成就するため、困難な試練に立ち向かうことになる。」・・・と原作とほぼおなじです。

しかしながら、舞台を第一次世界大戦中に定めることで、戦争と平和、生と死、愛と憎しみ、光と闇の対比がオペラ以上にくっきりと描き出されていました。

絶対絶命の危機に「魔法の笛の音」が鳴り響くと、兵隊たちは武器を捨て心穏やかになり笑顔で踊りだす、というところはまさにおとぎ話ですがこの陰惨な殺戮の場でのモーツァルトの天国的な音楽は従来のオペラで聴くよりもずっしりと心に染み渡りました。
もしこのように音楽の力によって悪魔のような憎悪の感情が癒やされるのは音楽家にとってはこれ以上の喜びはないでしょう。


劇中で敵だと思っていたザラストロが傷ついた兵隊や民間人を手厚く看護する場面や、民主的な指導者ぶりを見てザラストロに心酔する「タミーノ」が最後にはパミーノと共に「魔法の笛」を持って和平交渉に行く場面はこのオペラのクライマックスとなっていました。
オペラだと後半は説教がましく退屈するのですが、このオペラ映画では後半のザラストロが登場するところからが見ごたえありました。この映画を見てつくづくモーツァルトは時代を超えた真の天才だと思いました。暗い世の中に一条の光が差すようにモーツァルトの音楽が鳴り響くのは感動的でした。

この作品の白眉はザラストロが民衆と共に世界中の若き戦没者の墓標の前で粛々と平和を説く場面です。そして静かに魔笛の主題である管楽器によるおごそかな和音が響き渡りザラストロのバリトンの詠唱が始まると、画面が俯瞰に変わり山を覆う何万、いや何百万という白い墓標が表れます。この時、もう私は涙をこらえることが出来ませんでした。

原作ではフリーメイスンの入信儀式の場面なのですがケネス・ブラナー監督は「平和への祈願」へと見事に脚色していました。

さて、コンロン指揮ヨーロッパ室内管弦楽団の演奏も、きびきびとしたリズムと生命力にあふれたものでした。

映画とオペラを見事に融合させたこの作品は本当に大きな感動を与えてくれました。 【ページトップへ

魔笛 [DVD] 魔笛 [DVD]
ケネス・ブラナー

ショウゲート 2008-01-25
売り上げランキング : 26657
おすすめ平均

Amazonで詳しく見る
by G-Tools
           モーツァルト:魔笛序曲

*モーツァルト:魔笛よりザラストロのアリア

*スポンサー・サイト:娘が弾いていたピアノ。私が弾けたら・・・
お任せください。楽譜が読めなくても30日で上達するピアノレッスンです。


19・ギターの傑作〜ロドリーゴ:アランフェス協奏曲

ピアノやヴァイオリンに比べてギターは音量が小さく、音色も地味なので協奏曲には不向きな楽器といえるでしょう。実際ヴィヴァルディの協奏曲が有名のみであとはほとんど聴く機会がありません。バロック時代のヴィヴァルディやジェミニアーニなどの協奏曲は何曲かはありましたが、その後古典派、ロマン派の時代を経ても一向にギターの協奏曲の有名曲が現れませんでした。

そんな中で20世紀に書かれた、このアランフェス協奏曲はギター協奏曲の傑作として最も有名です。
作曲家のロドリーゴはギターが民族楽器であるスペインで生まれました。3歳の頃病気で失明してその後苦労して、パリに留学して「魔法使いの弟子」で有名なデュカスに師事しました。

このタイトルのアランフェスとは、マドリード郊外の緑豊かな、中世から王の離宮や庭園が置かれていた土地の名前です。ここを訪れた盲目のロドリーゴは、美しい風景は見ることは出来ませんでしたが、それにも勝る「心の目」で感じたインスプレーションをこの曲の中に込めてくれたのです。

細心に気配りの行き届いたオーケストレーションのお陰で、音量の小さいギターが全くオーケストラの中に埋没しないように非常にうまく作曲されています。
全曲の白眉である第2楽章はイングリッシュ・ホルンのもの悲しいソロと弦楽器の静かな伴奏が「ロドリーゴ」が心の目で感じた風景を感じさせてくれてアランフェスの風景が聴くものの頭いっぱいに広がります。この楽章では控えめにソロを弾くギターのメロディは本当に心に響きます。

また師匠のデュカス譲りの近代的な響きが時折顔を出し「この曲は20世紀の音楽なんだ」と思わせてくれます。そして盲目というハンディがこの美しい内省的な音楽を生み出したのだと思わずにはいられないほど繊細な音楽です。

ポピュラー曲だけあってCDの数は無数にあります。中でもブリーム(ギター)とラトルとの共演がベストではないでしょうか。(90年録音) 数あるCDの中でも表情の濃厚な演奏で。強弱が雄弁で、音色は絶えず変化して聴き手は一瞬たりとも気を抜くことが出来ません。第2楽章もリズムも歌い方も次々に変化して、ポルタメントが多用されます。本当に夢の中をさまようような幻想的な音楽です。

このスペイン情緒に溢れた協奏曲は、ロドリーゴの代表曲のみならず今やクラシックのギター協奏曲の代表曲になっています。
ロドリーゴ:アランフェス協奏曲|ある貴紳のための幻想曲           【ページトップへ

*アランフェス協奏曲第2楽章 (ギター)ジョン・ウィリアムス/パウル・ダニエル指揮BBC交響楽団


20.17世紀の傑作オペラ〜パーセル:歌劇「ディドとエネアス

久しぶりに、ヘンリー・パーセル作曲オペラ「ディドとエネアス」を聴きました。
1689年に作曲されたイギリスでは初のオペラと言われる作品です。

これはトロイ陥落によって、放浪の身になったトロイの王子エネアスとカルタゴの女王ディドの悲恋物語です。オペラはソプラノのディドが主体となって進行し相手役のエネアスの出番が少ないので、ディド役のソプラノ歌手の出来で全体を左右することになります。

この、古いオペラを初めて聴いたのは、70年代に買ったバルビローリ指揮イギリス室内管弦楽団、ソプラノはビクトリア・デ・ロス・アンヘレスのレコードでした。(今はもう手元にありません)

パーセルはイタリアやフランスの影響を受けつつ独自の音楽を生み出した、最も優秀なイギリス人の作曲家の1人として知られています。生涯に残した曲はおよそ400曲以上あるといわれていますが、どれもエリザベス朝時代のイギリス音楽と取り入れたイタリア・フランスの様式が巧く融合し、当時では斬新な自由奔放な作風が人気を博していました。

パーセルは1695年僅か36歳で死去しています。この短い生涯に最も有名なオペラと劇付随音楽は40曲もあり、その他器楽曲、宗教曲、合唱曲など約400曲が残されているとは驚きです。夭折の天才と呼ばれるモーツァルトが生まれる100年も前にイギリスに天才が存在していたということですね。

今日はアンドリュー・パロット指揮でエンマ・カークビーのソプラノのCDを聴いていますが、17世紀の古めかしいオペラかと思いきやメロディも斬新だしオペラの進行も劇的で、60分あまりが短く感じるほどの充実度でした。久しぶりに聴いてみてあまりにも素晴らしい出来なのであらためて驚いた次第です。ヘンリー・パーセルはブリテンの「青少年の管弦楽入門」のテーマが有名ですが、天才的な才能を持った大作曲家だったのですね。

オペラの最後で歌うディドの哀歌はこの時代としては、非常に斬新なものだったでしょう。21世紀の現代にも通じる哀切のメロディでした。以前よく聴いていたバルビローリの演奏もCDとして復刻して欲しいな思いました。(出ているのでしょうか?) 
今回序曲のみをお届けしますが、この3分足らずの序曲ですが斬新な展開と劇的な迫力はどうでしょう。17世紀の音楽とは思えません。確かに時代を先取りしていた天才のなせる業ですね。
         【ページトップへ

*オペラ「ディドとエネアス」序曲


21、スメタナ:わが祖国よりモルダウ、ブラニーク

1526年以来ハプスブルク家のオーストリア帝国の支配下にあった祖国ボヘミア(チェコ)の首都プラハに捧げられた6曲の交響詩のうちの第2曲目がこの「モルダウ」です。ボヘミアの郷土の伝説と英雄そして風景を謳った6曲の交響詩はスメタナの祖国への愛と国民の独立への憧れが感動的に綴られています。

ボヘミア(チェコ)の中心を南北に横切るモルダウ河は民族そのものの象徴であり、第2曲の「モルダウ」にあらわされている音楽はただの描写音楽ではなく、民族の発祥、発展、民衆の生活、伝説、などが音楽によって表現されていて最後には大海に注ぐ大河になって祖国の永遠の発展を願うかのような輝かしい調べで終わります。

こういう祖国愛にあふれたこの曲ですが、こういうことを知らずに聴いても、非常に美しい曲です。

ボヘミアの緑濃い森から生まれた小さな流れが、やがて村々を流れてゆき、水の精が舞う月夜を静かに流れやがて堂々たる大河になりプラハの町を潤してはるか彼方に消えてゆく・・・。そんな情景が浮かぶ見事な交響詩です。

モルダウとはドイツ語で、チェコ語では「ブルタヴァ(Vltava)」というれっきとした祖国の名前があります。長い間オーストリアの支配を受けていたため「モルダウ」と呼ばねばなりませんでした。最近のチェコのCDの表記では”Vltava”のみが表記してありました。間違っても「モルダウ」なんては書いていません。ですからモルダウ大好きなファンがチェコのCD店で一生懸命「モルダウ」を探しても見つからないでしょう。

6曲の交響詩は「高い城、モルダウ、シャールカ、ボヘミアの森と草原より、ターボル、ブラニーク」とそれぞれが独立した祖国愛に溢れた連作交響詩です。
最後の第6曲「ブラニーク」というのは、祖国の伝説の英雄たちが眠る山の名で、民族存亡のとき眠りから覚めて敵を滅ぼしてくれるという伝説を標題にしています。「わが祖国」全曲を締めくくるこの曲では、チェコの明るい未来を連想させる感動的な調べで終わりますが、実際にはこの曲集が作られてから100年以上も他国の支配を受けていたのは皮肉なことです。

最後の勇壮なコーダはいつ聴いても感動的でつい目頭が熱くなるほどです。このドラマティックな展開に私はシベリウスのフィンランディアを思い起こしてしまいました。1882年のプラハでの初演は大成功だったのですが、スメタナは耳の病が悪化していて、全く聞くことが出来なかったという事実も痛々しいものです。                   <ページトップへ
スメタナ:交響詩《わが祖国》
クーベリック指揮ボストン交響楽団
 

スメタナ:交響詩《わが祖国》

*わが祖国より第6曲「ブラニーク」/ロジャー・ノリントン指揮
ロンドン・クラシカル・オーケストラ

モルダウほど有名じゃないのでめったに聴く機会がないと思いますが傑作だと思います


22、テレマンの魅力

暑くも寒くもない一年で一番いい気候の10月が過ぎてしまいました。今度は朝晩の冷え込みが厳しくなり、木々が紅葉し、意味もなく何となく感傷的になる11月です。夜が長くなり空気がしんしんとしてくるこの季節、ひなびたクラシック音楽が最も似合うのではないでしょうか。・・・・テレマンのトリオ・ソナタのCDを聴きたくなりました。

テレマンはバッハ、ヘンデルと同時代の作曲家ですが、その当時、名声はこの二人をしのいで全ヨーロッパに鳴り響いていました。全ての人々に音楽を開放し平易にまた魅力的に語りかける、サービス精神こそテレマンの魅力であり大衆に受け入れられた原因でしょう。

宗教音楽から独奏曲、ソナタ、オラトリオ、管弦楽組曲、協奏曲などなどその数は膨大なものです。生前の名声も死後忘れ去れ20世紀になってやっと復活したので、まだ作品の整理がつかず番号もつけられていないのが多くあります。

そういうわけで私は同じ曲のCDを重複して買ってばかりですが、最近は徐々に整理番号を付けられつつあります。
バッハ全集とかヴィヴァルディ全集CD160〜200枚組など発売されていますが一体テレマン全集はCD何枚組になるのでしょうか?

さて、テレマンの有名な12曲の「メトーディッシュ・ゾナーテン(整然としたあるいは演奏技法つきソナタ集)」はアマチュアの演奏家のために装飾譜と原音譜を列記して出版しているので現代でも当時のバロック様式が研究できてとても貴重な資料になっています。

このように一般大衆を念頭に入れた音楽はアマチュア向きと思えない深みとメロディの魅力があふれていてますますテレマンが好きになるほどです。私は最初の伸びやかなオーボエの音色を聴いただけで、すっかり引き込まれてゆきました。このほかヴァイオリン、リコーダー、フルートがソロを受け持つので変化があって楽しいものです。

私の生きている間に全曲が出版されるのでしょうか?・・・・出来れば全部聴いてみたいと思っています。

★ブリュッヘン/テレマン:12のメトーディッシェ・ゾナーテン・CD2枚組       【ページトップへ
ブリュッヘン/テレマン:リコーダー・ソナタ集

23・久しぶりのコンサート

といってもレコード・コンサートですけど。
学生時代のクラブの友人の家で、お気に入りのレコード、CDを持ち寄っての鑑賞会です。

友人は大のオーディオ・マニアでマッキントッシュの真空管アンプとイギリスから直輸入のスピーカー(タンノイ)などを設備しているのです。あまりにも高価なので、奥様には内緒で買って、後で大喧嘩になったという曰く付の装置です(もちろんローンだそうですが)。
マッキントッシュ/イメージです
私は日本製のミニコンポでご近所を気にしながら、小音量でバロックなどを静かに聴くしかないのですが、この時ばかりは大編成の交響曲や管弦楽などが思う存分聴けます。今日はまずモーツァルトのピアノ:幻想曲をピリスと内田光子の演奏で聞きくらべしました。演奏時間が6分と7分10秒と大幅にテンポが違うのに驚きました。

その後は、マスカーニ歌劇「友人フリッツ」間奏曲をカラヤン、フォスター、の指揮で聴きました。重々しいカラヤンと優雅なフォスター、全く解釈が違い面白かったですね。興が乗ってくると、次々とお互いのお気に入りの音楽の紹介しあいました。ドリーブのコッペリア、新世界交響曲、ブランデン協奏曲、バッハ:オルガン曲など結構大音響の音楽ばかりです。

友人はいまだにレコードを所持していて、ドイツ原盤の高価なLPレコードなども聴かせてくれました。やはり真空管アンプとレコードの相性はとてもよくCDにはない音の広がりが感じられました。私は数年前に、LPレコードはほとんど処分してしまったので、とても懐かしい音源と出会えて嬉しかったです。

日が暮れて、そろそろ奥様がご帰宅だというのでおいとますることにしましたが今日の最も印象に残ったレコードは、クリュイタンスとウィーン・フィルとのプレミア録音盤が聴けたことです。

パリ音楽院、ベルリンフィル、フィルハーモニア管弦楽団などとの録音盤は聴いたことがあったのですが、ウィーンフィルとのベートーベン;運命は初めてでした。運命の第1楽章だけしか録音しなかったというのが、本当に惜しい名演奏だと思いました。

今日は久しぶりに音楽談義で楽しく過ごせた一日でした。(アンプの写真はイメージです)【ページトップへ

24、ヤンソンスのハイドンを聴いた

FMで海外オーケストラのライヴ放送を聴きました。

指揮はマリス・ヤンソンスでバイエルン放送交響楽団の演奏でした。曲はヤンソンスお得意のチャイコフスキー第5交響曲とブラームの第2交響曲でした。
これらは、ヤンソンスの十八番で素晴らしいものでしたが、一番最後にハイドンの交響曲104番を聴いて驚きました。

ヤンソンスがハイドンを演奏することを知らなかったし、その演奏がまた見事だったからです。古典派のカビの生えたような古めかしい演奏が多いハイドンですが、ヤンソンスのはつい最近作曲されたかのような新鮮な解釈にあふれていたからです。

104番はハイドン最後の交響曲とあって、落ち着いた枯れた演奏が多い中、生気にあふれ今にも飛び跳ねんばかりの迫力がありました。

こんなに生き生きした交響曲が作れるのに「なぜこれが最後になったのだろう?」と思わせてくれるほどの若々しい息吹にあふれていました。
今まで、たくさんこの曲を聴いてきましたが、このように感じたのは初めてです。・・・・こんな、見事な演奏だと他の交響曲も聴いてみたくなりました。・・・果たしてCDは出ているのでしょうか?

アマゾンで調べたら下記のような素晴らしいCDが出ていました。今度買ってみようと思っています。

このように、今日は偶然に聴いたFMで新しい発見がありました。【ページトップへ
ハイドン:交響曲第104番「ロンドン」&第100番「軍隊」、協奏交響曲 ハイドン:交響曲第104番「ロンドン」&第100番「軍隊」、協奏交響曲
ヤンソンス(マリス)

SMJ 2009-09-02
売り上げランキング : 3740

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

*ハイドン:交響曲第104番「ロンドン」/ヤンソンス指揮バイエルン放送交響楽団2009年ライヴ

●スポンサー・サイト:もし、あなたにもピアノが弾けたなら・・・
初めてでも名曲を楽しく弾ける練習法があります。



inserted by FC2 system