森の木陰でひと休み 2

お弁当でも食べながら音楽以外の話題でちょっとひと休みしましょう!

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森の木陰でひと休み シベリウスのある部屋 演奏会の想い出

<メニュー>

1・犬は信頼できる友達か?  2・犬と話ができる女性  3・よろしかったでしょうか  4・訳せない日本語「いただきます」  5・クイズ番組全盛 6・地球温暖化で海に沈む国  7・青空に似合う蝶  8・間違って覚えている言葉 9・駅はどうして左側通行か? 10・ニホンそれともニッポン? 11・ウルルンついに終わる 12・留学の成果 13・台湾のチャンクー祭り 14・世界一受けたい授業 15・熟年離婚ー別れた理由 16・最近気になるCM 17・青葉の笛 18、想い出の歌謡リサイタル 19、最恐!怪談夜話 20、ゲゲゲの女房 21、オーストラリアからのお客様 22、オーストラリアのお客様その後 23、東北大地震発生 24、がんばれ関東、東北地方 25、謝謝!台湾人の思いやり

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*セルゲイ・チェカリンの音楽をBGMとしてお読みください


1・犬は信頼できる友達か?

犬って本当に可愛いですね。飼い主の顔を親しそうに見てくれる、その目は愛らしくてたまりませんね。

以前テレビの「トリヴィアの泉」という番組で、雑種の飼い犬が主人と散歩中に、その主人が突然倒れて意識不明になったら、果たして助けを呼びに行くか?・・・というのを検証していました。

100匹の雑種犬を対象に行いましたが、結果を言いますと全く助けを呼びに行きませんでした。たいていの犬は、始めは心配そうに倒れているご主人の周りをうろうろしますがすぐに忘れてしまい、自分の家に帰りえさを食べたり、水を飲んだりするのでした。

最もひどいのはご主人の背中におしっこをしそのまま歩き回る犬でした。この結果に飼い主のがっかりする表情がとても面白かったのを覚えています。この番組の他の日に今度は、飼い主が「熊」に襲われたら、果たして助けに行くか?という検証をしていました。これも前回同様、全く調教してない普通の雑種の犬が対象でした。熊といっても人間が熊のぬいぐるみの中に入って、飼い主を襲うだけなのですが。

この実験では100匹中5匹の犬が、熊に向っていったり吼えたりで何らかの攻撃をしました。95匹のイヌは飼い主をほったらかしにしてどこかへ行ってしまったり、全くおびえて役に立たない犬でした。

結論から言うと若い犬は情が薄くすぐに逃げて行きました、その点年寄りの犬の方が助ける率は高かったようです。それだけ一緒にいる時間が長く情も深くなったというのでしょうか。

昔飼っていた犬が懐かしくなったので、パソコンのペイント機能(ウィンドウズではどの機種にも付いています)、で描いてみました。マウスをペン代わりにすると結構描けます。色はほとんど無限にあるので幾らでも好きな色に塗ることが出来ます。

今日描いた絵は、以前飼っていた犬の絵です。スピッツと何かの雑種で駅前の繁華街をうろついていた子犬を拾ってきたものです。はじめは白い毛だったのに大きくなるとちょっと茶色がかった色も出てきてびっくりしました。
この犬が家に来てから、父が亡くなって寂しかった家がいっぺんに明るくなり、小さかった私たち兄弟をどれほど慰めてくれたか知れません。今でも心の中に思い出が鮮明に残っています。

多分テレビで出ていた、ご主人を助けない役に立たない雑種犬だったに違いないのでしょうが、一度 大手柄をあげたことがあります。

それは夜中に隣の家の屋根伝いに忍び寄る「怪しい奴(どろぼう?)」に激しく吠え立て、近所の人が警察に通報したので被害が出なかったことです。
       
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2・犬と話ができる女性

またまた犬の話題ですが・・・・、
以前、テレビで見たのですが「動物と話が出来る」という女性が登場していました。どこの国の人かはっきりとは記憶がないのですが、世の中には昔童話で読んだ「ドリトル先生」のような人がいるんだなあと驚いたことを覚えています。

その番組とは、・・・下半身が麻痺して歩けなくなった犬を見て欲しいと視聴者からの依頼があり、はるばる外国から犬の訴えを聞きにやって来たのでした。
飼い主によると、その犬は最近は食欲もなくなり餌をあげても自分からは食べようとしなくなったと言うのです。そこで女性が犬の目を見つめ(テレパシーでしょうか?)犬の考えていることを読み取ろうとしました。

そして、おもむろに話したことはみんながびっくりする内容でした。・・・犬は自分が飼い主やその家族から必要とされていない余計者だと思っていて、生きる意欲を失っている・・・と言うのです。それを聞いた飼い主は、なぜこれほどまでみんなが心配して気配りをしているのにそんなことを考えるのかと驚いていました。

犬が言うには「以前はみんな明るく自分に接してくれたのに、最近ではみんな暗い顔をして、自分に笑いかけてくれない・・・。」と訴えているというのです。
そしてその外国人女性が(テレパシーで)犬に話して聞かせたところ番組の最後にはこの犬が力をふりしぼって立ち上がろうと体を起こしたではありませんか!私はそれまでは半信半疑でしたが、犬の目に輝きがもどり必死に立ち上がろうとした姿に驚きとともに感動してしまいました。

確かに犬は飼い主の表情を良く観察していて、こちらが考えていることを良く察知する動物だと知っていましたが、これほど敏感だとは思ってもいませんでした。その後この犬がどうなったかは知りませんがこの時の情景は忘れられません。
人間も動物も笑顔で接すれば、お互い幸せになるのかも知れませんね。そんなことを感じさせてくれた番組でした。  【ページトップへ

3・よろしかったでしょうか?

ファミリー・レストランなどに行ったとき、注文したものを復唱して最後に「ご注文は以上でよろしかったでしょうか」と聞かれることがあります。

なぜ過去形になるのでしょうか。聞いていて違和感がありますが、こういう言い方は良く聞きます。コンビニやファースト・フード店でもしばしば聞かれます。
それも決まって店員が若い女性(未成年のバイトか?)のときです。

注文が過去のことだから、復唱した段階では「注文が以上で間違いがない」ので「よろしかったですか」と過去形で言ってもおかしくはないのですが、とても変な気分になります。
皆様は違和感なしに受け取られているのでしょうか。

こういう表現が許されるなら、電話で「**様でいっらっしゃいましたか」と聞かれているようなものです。「今でも**ですけど・・・」と言いたくなりますね。
こういう表現が若い人に多いと言うことは、ひょっとして現代はスピード時代なので時間のたつのが昔より早くなったからでは・・・・などと思ったりしています。

 また、よく聞く言葉として・・・・「一万円からいただきます」というのがありますね。
これも、何かおかしく聞いていて違和感がありますが、皆さまはなんともないですか。私はとても変な気分になります。

日本語を学ぶ外国人にとって,最も難しいもの一つに助詞の使い方があります。 助詞とは簡単に言うと「てにをは」と呼ばれ「花子は学校に行った」に使われる「は」や「に」などをさします。 この他にも「が」「を」などがあり、前にある名詞と後に来る動詞との関係を表します。

外国人にとって何年日本に滞在してもこの、助詞の使い方はマスターできないそうです。私「は」**です。と私「が」**です。の違いが理解できないのです。また天気「が」いい。と天気「は」よい。の区別もつきません。
出発点をあらわす「から」も、東京「から」大阪へ・・・と使うのですが、原因や理由を表わすのにも使う「から」もあります。例えば「あわてるから失敗するんだ」というふうにです。

こういう使い方は慣れるしかないのでしょうね。・・・・・・

でも最近日本の若い店員が精算のときに「一万円からいただきます」というのに言うのに出会ったことがあります。このときの「から」は何に当たるのでしょうか?原料や材料をあらわす「から」でしょうか?それとも出発点をあらわすのでしょうか。
とても変な気分になります。・・・・皆さまは平気ですか。   【ページトップへ】

4・訳せない日本語=「いただきます」

普段の生活の中でよく使う日本語をどう訳せばいいのか分からない言葉があります。例えば「いただきます」「ごちそうさま」という言葉です。

皆さま知っていましたか?この日本人なら当たり前の言葉「いただきます」、「ごちそうさま」と言う言葉が外国にないということが・・・(全世界、全部調べたわけではないので、この言葉がある国があるかもしれません)

アメリカの友人も台湾の友人にも聞きましたが、食事の時にはこんな言葉を言わないそうです。クリスチァンなら神にお祈りをしていただくでしょうが自分の家庭でこんな他人行儀な挨拶はないそうです。

そこでヤフー・翻訳で検索してみると英語では「いただきます」は「Let's eat」となっていました。中国語では「我吃」と出ました。
これでは、日本語のニュアンスは伝わりませんね。また「ごちそうさま」はそれぞれ「Thank you for the derlicious meal」と「謝謝」となっていました。

どちらの訳も他人の家に招待された時の挨拶っぽいですね。

日本ではどこの家庭も黙って食事を始めたら叱られますし、終わったあとには必ず感謝を込めて「ごちそうさま」と言うのが当たり前ですが、外国ではこいう言葉がないと知って驚きました。

ところで、こういう言葉がないのでしたら、英語なら「Everything looks so delicious!」、中国語なら「好香!」・・美味しそう!と言って食べれば料理を作った人にも喜んでもらえるでしょう。

それから、「もったいない」や「侘び(わび)」「寂び(さび)」という言葉もこれに該当するのが英語ではないそうですね。確かではありませんが何かで読んだことがあります。このように日本はひょっとしたら世界でも不思議の国かも知れませんね。極東の世界の果てに位置し、おまけに江戸時代鎖国状態だったので、日本独自の表現が生まれたのかも知れません。

これこそ、世界遺産に指定されてもいいのではないでしょうか。  【ページトップへ】

5・クイズ番組全盛

最近のテレビの番組はクイズ番組が全盛といえるでしょう。視聴率が稼げるのでしょうか、各局が争って「クイズ番組」をやっています。回答者はほとんどがタレントか芸人が主体で、以前のような素人参加番組はなくなりました。

この一週間でどれほど「クイズ番組」があったでしょうか?日本人テスト、平成教育学院、Qさま、ザ・クイズマン、ネプリーグ、アタック・クイズ25、など思い浮かぶだけでもほとんど毎日放送していますね。厳密に言えば「ウルルン滞在記」「世界ふしぎ発見」「どうぶつ奇想天外」などもクイズ番組と言えるでしょう。

このほか 4月・10月の番組改編のときは各社が競ってクイズ番組のスペシャル番組を放送します。TBSでは恒例の「クイズ祭り」があり、夜6時半から12時前までの長時間クイズ番組をしていました。

俳優、タレント、芸人などが250人も集まって繰り広げるクイズ番組は壮観ですね。一般のクイズはもとより、ミニ・マラソンあり、ねばねば相撲(体と土俵にローションを塗りたくります)や中国雑技団の演技もあったりで、この長丁場を飽きさせない工夫がこらされています。

クイズが大好きな私ですが、さすがに長丁場ですので、時々チャンネルを合わせて見ていましたが、よくもこれだけ問題があるものだと感心してしまいます。

ところで、最近の傾向として、漢字の読み、書き取りや「ことわざ」の出題が増えたように思います。若い人は苦手でよく間違えますが、これはパソコンや携帯電話のメールが影響しているかも知れません。

それと気になるのは、頭のよさを競うのではなく、珍回答の面白さを「売り」にしている番組が増えたことです。昔はクイズマニアが出場して、問題が一言出ただけで正解を出すような「白けた」ことがありましたが、最近は小学校レベルでも解けないタレントが重宝されて、お笑い番組のようになっているのが目立ちます。

例えば「クイズ・ヘキサゴン」です。これだけ物を知らないでも社会では立派に生きて行けると、頭の悪いものにも勇気を与える番組ですが、これを見ている子供たちが「この程度でも良いんだ・・・!」と誤解しては困ったことになるんじゃないでしょうか。
でも、この番組から有名になった三人組の「羞恥心」は、イケメンだということと、こんなに他人に馬鹿にされてもくじけずにいつも明るく対応しているところはとても好感が持てますね。

それにしても、クイズ番組はテレビの前の誰でも「擬似参加」出来るので楽しいですね。
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6・地球温暖化で海に沈む国

以前、読売新聞で衝撃的な記事を見ました。

「我が国は海に沈む」キリバス大統領が全10万人移住計画  9月1日10時0分配信 読売新聞  という記事でした
それによると・・・・
地球温暖化に伴う海面上昇により、国土が水没の危機にひんしている太平洋の島国キリバスのアノテ・トン大統領(55)は本紙と会見し、「我が国は早晩、海に沈むだろう」と明言。

首都タラワの大統領官邸で、30日、インタビューに応じたトン大統領は、キリバスの水没は不可避との見方を強調、「小さな我が国には海面上昇を防ぐ手だてなどなく、どうしようもない」と述べた。国際社会の取り組みについても、「温暖化は進んでおり、国際社会が(2013年以降のポスト京都議定書の枠組みなどで)今後、どんな決定をしても、もはや手遅れだ」と明確に悲観論を展開した。 ・・・・・・


海面上昇による、国土の水没があるということは、何年も前から聞いていましたが、今現在ここまで逼迫してきたのかと驚きました。キリバスのような海抜の低い国は国の存続にかかわる大きな問題でしょう。
問題がここまで深刻化しても多くの大国は他人事のように、公害や温暖化に影響のある炭酸ガスを無尽蔵に吐き出しています。

太平洋上にあるサンゴ礁で出来た小さな国々はあと何年か後には姿を消すかもしれません。これらの小国がいくら訴えても改善されるはずはなく、もうこれは地球滅亡のカウント・ダウンの段階に入ったのかもしれません。

これらの解決の為には、世界中が協力して二酸化炭素の排出量を減らし、昔の緑の大地をよみがえらさなければならないでしょう。それには道路の舗装をやめ、森林を増やし、自動車をあきらめることです。これしか方法がないかも知れません。

先月の「G8サミット」でも議題に上っていましたが、今や最大の公害垂れ流し大国のインド、中国は京都議定書に同意しませんでした。経済発展途上国にとっては今は経済発展の方が重要で、環境問題はこれを長年続けてきた先進国が責任を負うべきだと主張して譲りませんでした。

政治家、経済界の連中は目先の利益だけが重要で、先のことなど眼中にはないということがよく分かる会議でした。
・・・・・こうなれば最悪の事態を覚悟をしなければならないでしょう!

目立たない小さい記事といえども、大きなことの起こる前触れと思わせる気になる記事でした。[ページトップへ]

7・青空に似合う蝶

腹が立つほど、雲一つない晴天が続いていますね。たまには雨でも降ってもらいたいものです。暑くてたまりません。

そんな晴れた今日の昼間、「くすの木」の上のほうを飛び回る「アオスジアゲハ」を見かけました。子供のころはどこにでもいて別に気にもかけない普通の蝶だったのですが、林や森が激減したこの頃、姿を見ただけでとても感動してしまいます。

これほどまでに環境が悪くなったのに、よくぞ生き延びてきたなあ・・・という驚きを伴った感動です。

私は子供のころから、虫が好きで「夏休み」になれば虫採リに明け暮れたものですが、今のように自然がなくなった中に生き延びている「虫」たちを見ると尊敬すら覚えるほどです。気軽に採集などしようという気持ちにはなれません。

今では珍しい虫を見つけたらデジカメで撮ったり、目に焼き付けて心の中で虫取りをしています。

アオスジアゲハは黒い羽の中央部分にちょっと緑がかった淡い青色がなんともいえない美しさですね。他のアゲハチョウのようにゆったり優雅に飛ぶのではなく、すばやく羽をはばたかせあっという間に木のこずえまで飛んでいってしまいます。

この蝶は「夏の青い空と海」に特に似合う美しい蝶ですね。そこで花の蜜を吸っている姿を思い起こしてパソコンについている「ペイント機能」を使って描いてみました。本当に久しぶりに描いたので、ちょっと時間がかかってしまいましたが・・・。
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8・間違って覚えている言葉

よく卑怯な人に向かって「姑息な手を使うな!」とか言って罵倒しますが、この言葉は、実は間違っていたんですね。最近まで知りませんでした。
「姑息な手段」とか「姑息な考え」という言葉がありますが、意味は「一時しのぎ」という意味だったのです。

けれども、文化庁の日本語世論調査で、7割の人が「ひきょうな」と誤った意味で理解している事がわかりました。この言葉は日常で良く聞くのでほとんど「悪い意味」で使いますね。

また「卑劣なやり方で失敗させられることを」・・・「足をすくわれる」といいますが7割以上の人が「足下(もと)をすくわれる」と思い込んでいました。
憮然として立ち去った」の「憮然(ぶぜん)」は本来「失望してぼんやりしている様子」の意味なのに、「腹を立てている様子」と答えた人が7割もいました。

このように本来の意味を間違って覚えている言葉がいかに多いかを物語っています。今後は訂正されるのでしょうか。それとも言葉は 世につれ人につれのごとく慣用句として普及してしまうのでしょうか?

テレビの中の会話でも「全然おいしい!」とか言うのをよく聞きます。「全然」とか、「まったく」の後に続くのは否定の言葉じゃなかったでしょうか。「全然美味しくない」という風に。だから聞いていてとても違和感があります。

また、「すごく速い」を「すごい速い」、「的を射る」を「的を得る」など、本来とは異なる言い方が、日常で多く使われるようになってきました。
他にも、こういう言葉で、「〜られる」の言葉で以前は間違った使用法だとされた「ら」抜きの「れる」言葉が市民権を得たように将来は意味が変わるかもしれませんね。【ページトップへ】

9・駅はどうして左側通行か?

子供のころ、学校では「人は右、車は左」と習いましたね。
でも駅でも繁華街でもはほとんどのところが「左側通行」になっています。なぜでしょうか?

江戸時代まで、武士は刀を左に差していたので、刀が人にぶつからないように必ず左側を歩いたということです。それが日本人の習慣だったのです。

それに、鉄道と道路は明治維新後、イギリスの方式にならって左側通行にしたので線路はもちろん、信号の配置も標識も左側に設置されました。

ところが第2次大戦で敗れた後、アメリカの占領軍がやって来て、進駐軍の命令で「人は右側」を歩くと決まったわけです。

右側通行にすると鉄道も全部変えなければなりませんが、混乱が大きいというので進駐軍に事情を説明し、改造できるところから変えればいいということで左側のままのところがたくさんありました。

強制的に右側通行のところは仕方ありませんが、何にもないところは自然に左側を歩いていますね。左側に心臓があるのでそれを外敵から守る為、自然と左を歩くのだとする意見もあります。

実際、左側を歩くほうが気分が落ち着きますね。

ところで、私が小学1年生のとき、テストで「安全のために人は道路の( )を歩く」という問題がありましたが、私は(はしっこ)と答えて×をもらったのを覚えています。

この答えは今でも「正しかった」と思っています。【ページトップへ

10・ニホンそれともニッポン?

もうすぐ北京オリンピックが開催されますね。現地に見に行けなくとも各ご家庭ではテレビの前で「日本がんばれ!」といって熱い声援をおくることでしょうね。

ところで、日本の呼び方は「にっぽん」それとも「にほん」でしょうか?どうでもいいようなことですが外国人に聞かれたらどう答えたらいいのでしょうか?ちょっと気になったので調べて見ました。

実は両方使われていて、どちらも正解なのですが、正式の呼び名が決まっていないなんて不思議な国ですね。
昭和9年、文部省の臨時国語調査会が「日本」の呼び名「にっぽん」に統一しようと決めたのですが、国全体では決めることもなく、国際的にも宣言しなかったので、どちらでもいいことになっています。

日本航空はニホン、日本銀行はニッポン、などと使い分けています。
でも、お札には「NIPPON」と表記されているので、お役所では「ニッポン」に統一しているのでしょう。

我々は単純に発音しやすいほうを使っていて、スポーツの応援の時に発する「ニッポン、ちゃちゃちゃ!」など「ニホン」では気分が弾みませんね。

本来なら英語表記も「NIPPON」とすべきところ、「JAPAN」とどこから来た言葉だろうかと思っていましたが、中国語を習ってみてはじめて分かりました。

中国語の発音記号「riben」から来ている事を知りました。発音は「ジーベン」という風にするので、音から「Japan」と表記されていました。東方見聞録で初めてヨーロッパに日本のことを紹介されたときに「黄金の国ジパング」と中国語で記されたのでその発音記号からJAPANとなってしまったのでしょう。

本来ならもっと早く、国際的に「NIPPON」と宣言しておけばよかったのでしょうが、今は遅すぎますね。・・・・あまりにも深く浸透していて。
このように英語表記の国名と全く違うところには「フィンランド」があります。フィンランドは英語名であって本国では「スオミ」という正式な国名があります。こういう国が他にもたくさんあるのでしょうね。

まあ、ニホンであろうがニッポンであろうがジャパンであろうが我々庶民には関係のない話ですが、国民も国名もファジーでいいですね。
その時々の雰囲気で使いこなせばいいわけですから・・・・。【ページトップへ

11・「ウルルン滞在記」ついに終わる

とうとう終わってしまいました。心に”穴が開いた”ようにさびしい気持ちでいっぱいです。
1995年4月の放送スタート以来、13年半にわたり、104の国と地域を688人が旅してきたウルルン。“ウルルン”のタイトルに込められた「出会ウ・泊まル・見ル・体験(たいけン)」をキーワードに、ホームステイを通して、世界の人々の暮らしやそこにある文化を伝えてくれましたね。

昨日の最終回は、惜しまれながらも幕を下ろすことになったウルルンの大フィナーレでした。これまでの名場面を紹介し、旅人たちが大集合し経験を語ってくれました。たった2時間弱の番組内に13年間のエピソードが語れるはずはなく、ほんの一部だけだったので物足らない最終回になってしまいましたが・・・。

出来るなら、最終回スペシャルは日本テレビの”24時間テレビ”のように一昼夜紹介して欲しかったほどです。別れた後どうなったのか知りたいこともたくさんありました。今は有名になった俳優やタレントだけが取り上げられることが多かったのも不満です。


私は家族揃ってほとんど見てきたので、それぞれのエピソードがとても懐かしく感じられました。娘はこの番組の影響で外国留学がしたくなり、4年の留学を無事終え今でもそこで働いています。姪っ子もウルルンの影響を受け、大学で留学を希望して、今現在交換留学生としてオーストラリアで勉強しています。このように外国での生活をしないまでも、外国に対する”偏見や恐れ”を取り除いてくれる貴重な番組でした。

タレントの山本太郎が初めて、ニューギニアの現地での男性の正装のコテカ(ペニスケース)をして出てきたときの衝撃は今でも忘れることは出来ません。また村の貧弱な農業を助ける為に、俳優の津田寛治が徳島のさつま芋農家のふたりを引き連れての回はこの番組の”白眉”ではなかったでしょうか?今ではこの村も立派な「なるとキントキ」が出来、裕福になっていると締めくくっていましたね。
このように、もっともっと感動的な旅を紹介して欲しかったです。これからは出来れば年4回の特番でも紹介して欲しいです。心待ちにしています。その時もナレーターは「下条アトム」さんでお願いします。他の人ではウルルンになりません。 08.9.15  (写真は最終回の模様です) 【ページトップへ】


12・留学の成果

昨年の春にオーストラリアに交換留学した姪っ子がこの09年3月無事に卒業しました。

2月に帰国するなりあちこちの会社を受けて無事に合格し、今では貿易会社の翻訳係として毎日がんばっているようです。

オーストラリアではまず語学学校に入りそれを水準の成績を収めて初めて、正式の大学に入れるということでした。彼女は経済学部に編入されて、悪戦苦闘しながらも無事終了することができ、日本の大学の単位ももらうことができ日本の大学を卒業できたと言うことです。

オーストラリアではお金が乏しいのでアジア人3人(韓国、台湾、タイ)の人と一軒の家を借りて家賃を4分の一にしたと言うことです。お互い日本語が通じないので共通語は英語だったということが、余計に英語留学には効果があったということでしょう。ストレスと栄養不足の為あちらで円形ハゲになったとも聞きました。
それほど大変だったのでしょうね。

多くの留学生は同国人同士つるんで毎日過ごすので、全く上達しないと言うことを聞いたことがあります。
語学は多くを聞き、話し、慣れることが一番だということです。

姪は一昨年のカナダについで昨年のオーストラリアと2年続けて留学したので驚くほど上達しました。特にどちらもたった一人だけで行ったのでより効果があったのでしょう。

今では、貿易会社の翻訳係として会社の仕事をこなしています。なんと来月にはヨーロッパに通訳として部長と同行するそうです。

彼女は現在、小さいころからの希望が叶って生き生きと仕事に励んでいます。
やはり生きた語学に接しているとこれほどまでに上達するのかと驚きます。多くの人が何年も英語を勉強しているのに全くしゃべれないのは情けないことですね。

彼女に「英語上達のコツは何?」と聞いたら、返事は「とにかく英語をひたすら聞き、英語耳にすること。」ということでした。
そうですね、何を言っているのか?を聞き取るのが語学の初歩ですね。【ページトップへ

13、ウルルン滞在記で”チャンクー祭り”を見る

せっかくの休みなのに、朝から冷たい雨が降り続いています。退屈なのでテレビを見て過ごしていましたら再放送でしょうか、私の大好きな番組「世界ウルルン滞在記」がありました。

今回は台湾の東北部の宜蘭(ギラン)というところに伝わる「搶孤(チャンクー)祭り」に参加するお話でした。この「チャンクー祭り」というのは200年前の開拓時代に天災や疫病で亡くなった人々の魂を静めるために始まったお祭りです。今回は7年ぶりのお祭りでいつもより盛大だということでした。


グリース(油)をたっぷり塗った14メートルある数十本の柱の上に「ねずみ返し」がありそこからまた竹で組んだ塔が13本そびえているのです。全高40メートルにもなる「竹の塔」というのでしょうか。見ただけでも身のすくむ恐ろしいお祭りです。

その竹の先端には縁起の良い言葉を書いた旗があり、これを獲った者がその年の英雄になるわけです。(竹で組んだ塔の上には、お餅やお菓子、などがたくさんついており、上に登った者が下の観客に投げ与えます。)

一チーム6〜8人で組み、使う道具は2本のロープのみです。この困難なお祭りに挑戦したのは、何と今年50歳の俳優「石丸謙二郎」氏でした。

たった5日間の練習で、この恐ろしい体験をする度胸にも驚いたのですが、グリースでぬるぬるとすべる柱を二本のロープだけで最後まで、あきらめずに「ねずみ返し」までたどり着くまでの数十分間の死闘は心打たれるものがありました。

そして、お祭り参加者全員がもう既に旗を取り終えているので、登っても旗を取れないのは分かっているのに約10万人の観衆が日本の50歳のおじさんにあたたかく「加油(チャーユー)加油!」とガンバレの声援を送っているところなどなんとあたたかい人たちなんだろうかと涙が出るほど感動しました。

体力・気力、全てがなくなりつつある年齢なのに、これほどまで頑張る姿を見て、私もとても気力をもらった番組でした。
(写真は台湾夜市です)
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14、世界一受けたい授業

最近のテレビ番組で最も楽しくて、心がうきうきするのがこの番組です。毎週あらゆる分野の研究家や文筆家などが、素人にもわかりやすく授業をしてくれるので本当に楽しめます。
今日の放送では生活に役立つ数学、和製英語は本当の英語ではどういうか?などの他に脳の活性化をはかる「あは!ひらめき体験」についての講義や最後にはヤンキースの松井選手を招いて、緊張のコントロール術を伝授してくれたりで2時間の放送があっという間に終わり、とても充実した時間が過ごせました。

社会にでると、授業を受けるという経験はそうそうありませんね。あるとしても売上を上げるための営業会議だとか販売戦略などの会合くらいで、うっとうしい事極まりないです。

このテレビ番組のように知識欲を満足させてくれる授業は、学校を卒業すると出会えるものではありません。こんなに楽しくてためになる?勉強なら学生の時もっとまじめに授業を聞いていただろうなあ・・・と思ったりしました。

でも現実には、学生時代を思い出しても楽しい授業などなく毎日、眠気との戦いだった思い出ばかりです。(だから成績が悪かったのですが・・・)

私はこの番組を見ていて、こんな授業が受けれる学校があるのなら、また入学したいなあと思いました。
将来仕事をリタイヤしたら(もしお金と暇があればですが)また大学に入学したいなあ・・・という気にさせてくれました。(まあ、現実にはこんな楽しい授業ばかりあるはずはありませんが・・・)

とにかく毎週楽しい教授そろいで興味が尽きません。特に音楽の青島教授のクラシック音楽紹介と「でんじろう」教授の科学実験は楽しくてたまりません。
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ペイント機能を使って描きました


15、熟年離婚〜別れた理由ベスト10

TBSテレビ番組でこんな恐ろしいタイトルの番組をやっていました。熟年の妻が旦那と別れた本当の理由のベスト10(ベストじゃないでしょワーストでしょう)を発表していたのです。

これを見ていたら、中高年の私は背筋が寒くなるほどのショックを受けました。
一位は「家事をしない」という理由だったのです。まさに私は家事をほとんどしません。こんな単純な理由で離婚を迫られるなんて信じられない思いでした。

その他、甲斐性がない、仕事を換える(これは会社が倒産したので仕方がないかな?)、出世の見込みがない、事業に失敗して借金を作る、おまけに「臭い」・・・などなど私に当てはまる項目ばかり出てきました。
これなら、ある日突然「離婚」を迫られてもしようがないでしょうね。この番組は実際に離婚した熟年女性1000人にアンケートで答えてもらった事なので、まんざらうそではないのでしょう。

上位には夫の浮気、暴力、暴言などがあがっていて納得は出来るのですが、一位が「家事をしない」とは本当にびっくりしました。男女同権の世の中でも家事に追われてきた女性の本音なのでしょうか、それともあらゆる理由の集約したものが「家事をしない」という言葉になったのでしょうか。

これは奥様からの意見だったので、旦那から見た離婚の理由ならまた違ったものがあると思うのですが、離婚とは大部分が男の方の原因から来るものなのでしょうか。

この番組は、ただ単なるテレビのバラエティ・ショーと見過ごすわけの行かない深刻な問題を含んでいるように思いました。
明日から徐々に家事もするようにして、万が一離婚されてもいい様に、料理もできるようにしておこうと思いました。
そして何よりも、動揺しないように心の準備もしておこうとも思ったのです。【ページトップへ

16、最近気になるCM

このところ、テレビでよく英会話の「XXX」のコマーシャルを見ます。(2006年10月)

皆様のところでは見られないのかもしれませんが、私の住む関西地区ではしょっちゅう放送しています。
どんなコマーシャルかといえば・・・外国人のおじさんが公園のジャングルジムの下敷になって、大声で必死に助けを求める姿があります。(この設定が異常ですが・・・)

そこに通りかかる20歳くらいの女性が、一応「大丈夫ですか?」と声をかけるのですが、おじさんのしゃべるのが「英語」なので通じず「ごめんなさい・・・」と言って涙を浮かべながら急いで英会話教室に向かうのです。

そして助けられるようになるため、早く英会話を勉強します・・・と言うようなコメントが出ます・・・これを見て私は(いや家族全員が)言葉が通じる通じないの問題じゃないだろ?!!と言ってしまいました。

その後の新しいCMは、やっと英会話学校でマスターした件(くだん)の女性が、「メイアイヘルプユー?」と声をかける場面に変わりましたが・・・。その時にはジャングルジムの下敷になった外国人のおじさんの髪はぼうぼうに伸びているのです。何ヶ月もかかったという意味でしょう。

そんなに長い間誰も助けなかったのですね。本当に冷たい日本人たちですね。

こんなCMがよく放送されるものですね。言葉ができようができなかろうが状況をみたらわかるでしょう。ばかばかしいCMは数多くありますが、ここまで日本人を馬鹿にするにもほどがあります。これが正式に通って放送されるなんてテレビ局の良識はどうなっているんでしょうかね。

皆様はこのCMを見てどう思われましたか? 
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17・青葉の笛

朝から風邪?のため熱があり、その日は身体がだるくて一日中うつらうつらと寝ていました。そんな時、FM「にほんの歌せかいの歌」という番組で『青葉の笛』を聞いたのです。
明治39年「田村虎蔵」作曲の古い歌です。歌詞は・・・・

1 一の谷の 戦(いくさ)やぶれ
  討たれし平家の 公達(きんだち)あわれ
  あかつき寒き  須磨(すま)の嵐(あらし)に
  聞こえしはこれか 青葉(あおば)の笛

2 更ふくる夜半(よわ)に 門(かど)をたたき
  わが師に托(たく)せし 言の葉(ことのは)あわれ
  いまわの際(きわ)まで 持ちし箙(えびら)に
  残れるは『花や今宵(こよい)』のうた

身体が弱っている時だからでしょうか、これを聴いているとおもわず涙が頬を伝いました。(クロスロード・レディース・アンサンブルの美しい合唱でした)

源平合戦の一の谷の戦いで命を落とした笛の名手「平敦盛」和歌の名手「平忠度(ただのり)」のことを歌ったものです。日本人の持っている「無常観、もののあわれ」などの思想こもった美しい音楽なので心の奥まで染み渡る思いでした。

この音楽を聴いて学生時代愛読した「平家物語」を思い出しました。戦記物語なのになぜか全編に無常観がただよい独特の文学だと感じたものです。

「青葉の笛」は格調高い歌詞と哀愁のあるメロディで私の涙腺をふるわせてくれました。病気の時はいつもより感受性が強いように感じましたが・・・(この音楽のお陰(?)で今は熱も下がり元気にしております)

さて、余談ですが・・・この青葉の笛の作曲家「田村虎蔵(1873年〜1943)」は鳥取県の生まれで、多くの童謡唱歌を作っています。私が子供のころから大好きで、これを聴くとなぜか涙が出てくる『大黒さま』も田村虎蔵の作曲でした。今まで全く知りませんでした。どおりで聴くたびに感動したわけです。

日本人のもっている戦いに敗れた者にも、哀惜の念を持ってねんごろに弔うという外国人には絶対持ち得ない(武士道精神の)心根を表現した美しい音楽だと思います。

過去いろいろの演奏や歌で聴いてきましたが、最も感動したのは、その昔童謡歌手「小鳩くるみ」として活躍していた「くるみちゃん」が歌っている「青葉の笛」です。濁りのない清純なまっすぐな歌声が、私の心に迫ってきたのです。童謡歌手の時の可愛い声とはすっかり変わっていて驚きました。本当に美しいお声になられたのですね。本当に美しい!!
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*青葉の笛 小鳩くるみ

18、思い出の歌謡リサイタル

NHK衛星放送で”思い出の歌謡リサイタル”を放送していました。フランク永井、テレサ・テン、松山恵子、ちあきなおみ、と連日夜の9時からの放送でした。

今では亡くなった人とか引退された歌手のリサイタルの様子でしたが、曲間に彼らの人生も紹介していて、普通の音楽番組とは一味違った構成でした。全て録画して、時間がある限り家族と一緒に見ましたが、なんと歌が上手かった人ばかりでしょうか。聞いたことのない古い歌もありましたが、今でも立派に人を感動させる心の歌声でした。

フランク永井の惚れ惚れとする深みのある低音。完璧な日本語をあやつったテレサ・テンも伸びのある高音の清々しさは心に染みました。やさしさが歌詞の隅々にあふれていました。そして歌の上手さで人々を感動させた「ちあきなおみ」がなぜ引退してしまったのか惜しまれます。

今日は”松山恵子集”を家族と一緒に見ました。懐メロの範疇に入る「お別れ公衆電話」で有名でしたので母などは懐かしがって一緒に口ずさんでいました。癌に侵され、平成18年にテレビで最後に歌った「女の劇場」という歌は彼女の絶唱といえるほどのすさまじいくらいの迫力にあふれていました。

肺ガンだったというのに、苦しい息を振り絞って懸命に歌う様は、それこそ涙の『女の劇場』でした。音程の乱れもなく最後まで歌いきった涙でいっぱいになった顔を見て家族全員が泣いてしまいました。

どんな状態でも最後まで歌いぬく。これこそプロ根性だと思いました。彼女はこのあと数ヶ月で亡くなってしまったという事を聞いて余計に感動しました。『絶唱』という言葉がぴったりの悲しくもすさまじいリサイタルでした。

明日は生放送で「ちあきなおみ」集がまたあるので、見逃さないよう予約録画しようと思っています。【ページトップへ

19・最恐!怪談夜話

昨夜、家族が寝静まったあと 独りで「最恐!怪談夜話」を見ました。見たというより「聞いた」といった方が正しいでしょう。なぜなら、ドラマでも映画でもない「お話し」だからです。

タレント、作家や怪談収集家が集まって夜中2時間にわたって、自分の経験した話や、聞いた不思議な話を披露してくれました。これは年に一度だけの企画らしく、昨年に続いての「お話し会」でしたが全て実話とあって本当に背筋が凍るほどの恐さでした。怪談を聞くとその時の状況を自分なりに想像するので映画やドラマより遥かに恐いですね。

私はこわがりのくせに怪談が大好きです。今までは怪談なんて「全くのフィクションだ」として楽しんでいましたが、妹の娘(姪っこ)が霊能力の持ち主だと知ってからはこれらの体験談は全てが作り話だとは思わなくなりました。

姪っ子は今年22歳になりますが、つい最近 このことを「カミングアウト」したのです。彼女は子供のころから「不思議なものを見てきた」というのです。他人に話しても信じてもらえないのでずっと心に秘めていましたが最近、特に外国留学してからというもの、より以上に敏感になったということです。大学3年、4年の時、カナダそしてオーストラリアに語学したときにも何回か”それ”を見たと言うのです。(書いている今でも背筋が寒くなっています・・・・。)

現在は輸出企業の営業部で翻訳の仕事をしているのですが、会社でも”霊”を見るそうです。死んだことを受け入れない者がこの世とあの世の境目を浮遊しているのでしょうか。・・・彼女の体験談をこのHpで紹介したら一冊の本が出来るかもしれませんが、私には文才がないのでこの程度にしておきます。(これはクラシック音楽のHpなので・・・)

大部分の凡人(私を含める)はそんな能力を持っていませんが、この世には”それ”を感じる能力を持った人がいることは確かだと思います。昨晩は身近に霊を感じることが出来る者がいるので、いつもより興味深くまた背筋を凍らせながら見ました。

最後に昨夜のテレビの言葉がとても印象に残ったのでここにご紹介します。妖怪とは・・・”何か”で  幽霊とは・・・”誰か”だと定義されるそうです。

そしてご忠告をひとつ。決して遊び半分で”心霊スポット”などには近づかないように。”得体の知れない何か”を家に持ち帰ることになりますよ!(写真はもののけではありません、”月食”の写真です、ご安心あれ)ページトップへ

20、ゲゲゲの女房は面白い

NHKの朝ドラ「ゲゲゲの女房」を良く見ています。

今まで朝ドラなんて見たことがないのですが、今回は漫画家の水木しげるの奥さんが主人公なので興味を持ちました。母が水木しげると同じ出身地「境港市」生まれというのも毎日見る原因です。

奥さんは島根県安来市出身なのですが、方言が境港市とほとんど同じというところにも親しみを感じます。祖父母が同じような方言を使っていたのを覚えています。

私は物心がついてからはたったの一度しか行ったことがないのですが、境港市には「水木ロード」なる道が出来ていて妖怪のオブジェがたくさん並んでいるそうです。

子供のころ”貸本屋”で「墓場鬼太郎」という漫画を読んだ記憶もあります。その時はあまりにもグロテスクで恐ろしい漫画に肝を冷やしたものです。のちにアニメでは正義の味方のような可愛いキャラクターに変身していましたが、まさか同じ作者だとは思わなかったです。

このNHKのドラマでは戦争から帰った後、紙芝居作家、から貸本屋向け漫画家、などの極貧生活を経て現在の人気漫画家になる「水木しげる」とそれをささえる女房の成功談が演じられています。私はこのドラマを見るまで、水木しげるがこれほどまでに苦労して漫画を描き続けて来たのを初めて知りました。

また戦争で片腕を失うという大きなハンディキャップにもくじけずに、漫画を描き続けた創作意欲には敬服しました。あのドラマで描かれてきた多くの作品、かっぱの三平、悪魔くん、鬼太郎夜話、などの本は確か家にありました。(古くなったので処分してしまいましたが)

ドラマでは水木が漫画を描いていた雑誌「ゼタ」(実際には「ガロ」)も確か毎月購読していましたし、そこで描いていた作家「つげ義春」や「池上遼一」もアシスタントとして働いていたということもこのドラマで知ったのでよけい面白かったです。

身体のハンディキャップもものともせず、明るく自然体で生きてきた「水木しげる」とその風変わりな天才を支えてきた奥様の心温まるこのNHKドラマは本当に面白いですね!

あと一ヶ月ほどで終わりますが、どんな展開になるのか今から楽しみです。2010年8月
(漫画はパソコンのペイント機能を使って描きました。)
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21、オーストラリアからのお客様

平成23年が明けてもう20日も経ちました。時が経つのは本当に早いものです。このお正月、クラシックファンの皆様はいかがお過ごしでしたでしょうか?

私は年末年始とオーストラリアからのお客(大学生)があったので、あちこち案内することに忙しくてゆっくりお正月どころではありませんでした。日本語がさっぱり出来ないので和英辞典を手元においての説明はとても大変でした。

以前姪っ子二人がオーストラリア留学の時に世話になった人の息子なので断れなくて世話をしているのですが習慣が違うので驚くことばかりです。まず、お風呂。あちらではシャワーが中心でバスタブにはつかりません。最初の日、一番風呂をすすめたら入ったのはいいのですが、終わったあとバスタブのお湯をすっかり抜いてしまったのにはびっくりしました。また背が高く(185センチ)あちこちで頭を打つし、座るコタツでの生活は腰に来るらしく苦しそうにしています。

幸い日本料理は お寿司、ラーメンは大好きで3日に一度は連れて行っています。特に”とんこつラーメン”はメルボルンにもある「あじせんラーメン」で覚えたそうです。年末は言葉が分からなくても面白いだろうと見せた、読売テレビの「ダウンタウン、がきの使いやあらへん」という番組では腹を抱えて大笑いしていました。やはり若いということだけはあって、コマーシャルや番組での言葉を覚えるのが早くて驚きました。仲間由紀恵がお気に入りで風邪薬の「あなたの風邪はどこから?」というフレーズはすっかり覚えています。

今は夏休みだということで日本に来ているのですが、あちらの冬も結構寒いらしく、こちらがびっくりするほどの薄着でうろうろするので風邪を引かないかと心配になります。

ところで、先週から東京に行っているので久しぶりにゆっくり出来ます。昨日電話があったのでどこに行ったのかたずねたら「銀座と秋葉原」と言っていました。ひょっとしたらオタクの聖地のメイド喫茶にでも行ったんじゃないでしょうか・・・?
今は、秋葉原のたちの悪い店でぼったくられていないだろうかとちょっと心配になっています。<ページトップへ>2011年1月21日

22、オーストラリアからのお客様 その後

去年の年末から一ヶ月あまり我が家に滞在していた、オーストラリアからのお客様は1月の18日から、直接、東京に来る友達と合流して日本のあちこちを旅行して回りました。

外国人にのみ買うことの出来る「JR周遊券」を持ってきていたので、それを利用して新幹線やバスなどで好きなところに行ってきたようです。箱根温泉、名古屋、神戸、有馬温泉、京都、奈良、伊勢神宮、岡山など、ちょうど大雪だったので北部は避けて比較的温暖なところばかり行ったのは正解でした。
伊勢では「伊勢神社内宮」の参拝に2時間も並んだそうです。話を聞いて、日本人よりもよほど日本的なので感心してしまいました。

行き先は来日前からインターネットで調べて、出来るだけ日本的なところばかりを訪問したということです。2月初めに我が家に帰ってきたときには、「京都の八橋、伊勢の赤福もち」などわりと”ベタ”なお土産を買ってくれていました。
中でも驚いたのは、京都で買ったという「茶のみ道具一式」でした。まだ若いのにこんな和風のものが好きだなんてびっくりしてしまいました。
多分京都のみやげ店で上手く乗せられて買ってしまったんでしょうが、国に帰ってちゃんとお茶が点てるのでしょうか。

とにかく、相当日本が気に入ったらしく「将来は日本に留学したい」と言っていました。東京もいいが古都、京都の大学はもっと気に入ったそうで、わざわざ京都大学まで見学に行ったそうです。

2月初めには無事に帰国したので一安心ですが何かさびしい気分ですね。

先ほど、彼からメールが届きました。「こちらは暑くて雨です、28日から学校が始まります。そこでは経済学と日本語も選択するつもりです・・・。」との決意が書かれていました。

留学するには日本語検定に受からなくてはならないので、オーストラリアで一生懸命「日本語」を勉強して何年後かにはまた来てもらいたいと思っています。【ページトップへ】2011年2月19日

23、東北大地震発生!

未曾有の被害をもたらした東北関東大震災から、早いものでもう11日がたとうとしています。被害を受けられた方々に深くお見舞い申し上げます。

被害を受けなかった関西に住む私も、毎日の放送を見ていて胸がつぶれる思いでいます。震度9・0という世界最大級の大きい地震に加え大津波が襲い多くの人の命が奪われ、その上、福島の原発も被害を受けるという、史上最大級の災害となってしまいました。

台湾の日系企業で働いている私の娘は、テレビで震災報道に接して、まるで日本が滅んでしまったかのような錯覚を起こして、毎日のように電話をかけてきます。2月までホームスティしていたオーストラリアの大学生も心配してメールをしてきました。「にほん は だいじょおぶ ですか?」とたどたどしいメールでした。

娘の報告では、台湾では先日、テレビで4時間ぶっ通しのチャリティ番組で義捐金を募ったところ時間内に20億円以上もの金額が集まったそうです。台湾の総統自ら出演したり、日本ゆかりのタレントのジュディ・オングやビビアン・スーらも参加していたそうです。

台湾大地震の際には、日本の救援隊が真っ先に駆けつけて救援に当たったことを、今でもとても感謝していて援助するのは当たり前だとの報道もあったそうです。本当にありがたいものですね。台湾のテレビでは被災者の規律正しさと忍耐力には称賛の的だそうです。また決死の覚悟で原発の注水に従事している人々の勇気も大いに称賛されているとのことでした。

オーストラリアでも台湾でも津波の恐ろしい場面を繰り返し繰り返し放送したり、原発が爆発するところをことさら強調するので、まるで日本が破滅してしまうのでは・・・と取れるような報道をするので、心配で心配でたまらないそうです。

外国にいる娘は、被災者の状況を見ては涙し、原発の爆発を知っては心配し、寝不足になって仕事も手につかないと言っていました。娘に限らず多くの在外日本人は同じような気持ちでいるのではないでしょうか。

一日も早い震災の復興と原発の沈静化を祈りたいものです。【ページトップへ

24、がんばれ!関東、東北地方!

3月11日の大震災及び大津波の悲惨な災害は今なお復興の見通しが立っていないようです。特に原発の事故はかろうじて最悪の事態には至っていない様子ですがまだまだ予断は許せないですね。今この時点でも決死の復旧作業に従事されている方々には頭が下がる思いです。

毎朝、目が覚めてテレビを点けると大地震の報道をしているので「ああ、これは夢ではなかったんだ。」とがっかりして気が滅入ります。・・・このことが夢であってくれたらどれほどよかったかと思う毎日です。

タイトルではクラシックの音楽紹介ブログですが、最近はまったく音楽を聴く気分にはなれません。時々バッハやベートーベンのCDやDVDをプレーヤーにかけて見ますが,何か気分が上の空で感動できません。

阪神大地震での恐怖を経験していても、津波の恐ろしさと目に見えない放射能との戦いという恐怖感はそれとは比べることの出来ないほど大きいものでしょう。

震災だけではなく、放射能汚染の風評被害で海産物、農作物などが売れなくなることも予想されます。美しく豊かな東北地方がこれから何年も長く果てない闘いが始まるのかと思うと、自分にはどんなお手伝いが出来るのかと自問自答してしまいます。

一日も早く普通の生活が出来ますようにお祈りするしかありません。せめて節電したりここでは不必要なものを買占めしたりしないように努めるしかありません。

そしてまた復興した東北地方に家族で旅行に行きたいものです。【ページトップへ】2011年4月10日

25、謝謝!台湾人の思いやり

23,24、は2011年3月と4月に書いたものです。2018年の6月に更新した祭にアップしましたが、今でもあのときの悪夢のような状況が昨日のことのようによみがえります。オーストラリアの学生は日本滞在ですっかり日本の全てが好きになり、必ず東京の大学に留学すると決心していたのですが、地震と原発の爆発であまりにも危険がありすぎるということで(家族の反対もあり)結局フランスに留学しました。

当時の民主党政権の原発の対応のまずさもあり、経済も落ち込みそれこそ「日本沈没」寸前に陥りましたが、その後の安倍自民党政権が何とか踏ん張り、経済も民心も上向きました。2020年にはオリンピックも開催される運びになってあのときの悪夢は覚めようとしています。

今でもはっきり覚えているのは、あのときの民主党政権がいかに日本をだめにしたかということです。原発の爆発後の避難方法の拙策と政権中枢の反米思想のためアメリカとの意思疎通が円滑に行かないことなどひどい状態でした。

そして一番気になったのは地震発生直後に台湾からの援助隊がすぐ出動できるように待機していたのに、中国に遠慮して断ったと知った時は愕然としました。自衛隊の出動と台湾、アメリカの援助隊をいち早く要請するのが最も必要じゃなかったんじゃないのでしょうか。

最も腹立たしいことは、震災1周年の慰霊式典で援助を差し伸べてくれた世界各国の代表者を招いたのに、世界で最も多額の合計200億円以上もの義捐金を送ってくれた台湾の代表を一般人の席に座らせたという、恥をさらしてくれました。新聞、メディアも台湾を無視しました。

いつから日本はこんなに恥知らずの国になったんでしょうか。台湾の友人たちからも「なぜ日本は台湾を無視するのか?」とたずねられて恥かしい思いをしました。こんな思いをしている人が沢山いたのでしょう、台北に行ったときに新聞の一面広告に”謝謝台湾・・・・・”と大きく出ているのを見ましたし、台北の繁華街”西門町”の大きいビルの壁にある電光掲示板に大きく”謝謝台湾・・・・”と出ていたのを見ました。

これらは日本人の有志一同がお金を出し合って感謝広告を打ったということを知りました。本当に涙が出るほど嬉しかったです。

その後、多くの日本人、特に若者がみんな合言葉のように「台湾に恩返しをしよう」と言い出しましたね。それが証拠に多くの日本人が台湾を訪れています。親日の台湾でお金を落そうと多くの観光地に日本人が溢れるようになってきました。

以前は海外の修学旅行先は韓国が一位だったそうですが今年とうとう台湾が1位になりました。反日の韓国で慰安婦象を参観するより、日本を好いてくれる国に行ったほうがどれだけ学生たちの心に残ることでしょうか。

あの時中国と韓国がどのような態度をとったか皆さん決して忘れないようにしなければなりません!

YouTubu に震災時の台湾での募金活動の映像が見られます。こんな放送が各局で一日中何時間もあったのです。自分の国のことように心配して涙する台湾の人々に感謝いたします。(写真は台北の美しい夜景)【ページトップへ

*台湾での募金活動の映像
 

*台湾の新聞に感謝広告の報道

*「日本を助けるために、どうしてこんなにも熱くなれるのか」あの日、あの時、台湾では何が起こっていたのか。
世界のどこよりも多い、東日本大震災への義援金200億円はどうやって集まったのか。
そして、たった一人の日本人女性が巻き起こした奇跡の感謝広告「謝謝台湾計画」とは?
日本と台湾をつないだ名も無き人々の感動秘話! 


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