名曲の森 07

暖冬で始まった2007年は干支では最後の「亥年」になりました。猪突猛進というように
闇雲に突進するのではなく、良く見極めてじっくり進んでゆきたいと思っています。

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森の木陰2 シベリウスのある部屋 演奏会の思い出

【 メニュー 】

1・07年ニューイヤーコンサート 2・アンセルメのベートーベン 3・音楽コンクールを見て 4・シューマンの音楽 5・ビゼーの交響曲 6・スメタナ:モルダウ 7・ブラームスはお好き 8・リスト:ファウスト交響曲 9・カルミニョーラの四季 10・エリーゼの秘密 11・ウェーバー:クラリネット協奏曲 12・ドリーブ:コッペリア 13・バッハ家の集い 14・オンブラ・マイフ 15.ハイドン?オーボエ協奏曲 16.サウンド・オブ・ミュージックのその後 17・オーケストラのチューニング 18・驚愕?の交響曲 19・メンデルスゾーン:Vn協奏曲 20・ワルター生誕130年 21・ベートーベン:ピアノ協奏曲4番 22・アルビノーニの魅力 23・芸術家と安定した生活 24・ヴィヴァルディの冬景色 25・低音楽器の魅力 26・バッハ:トッカータとフーガ 27・モーツァルト:ジュピター 28・ヘンデル:ハープ協奏曲 29.ヘンデル:私を泣かせてください 30.ヘンデル:合奏協奏曲 31.幻想即興曲とスペイン奇想曲

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1・2007年ニュイヤーコンサート

2007年明けましておめでとうございます!
先ほどまでクラシック・ファン待望のウィーンフィル・ニューイヤーコンサートがありました。今年は9年ぶりのズビン・メータの指揮でした。今回はめったに聴けない曲や、ヨハン・シュトラウスだけではなく弟のヨーゼフの音楽も多く取り上げられていましたね。

ウィーン・フィルは相変わらず美しい音色で、極東に住む我々日本にも同時放送で演奏を聴かせてくれました。

ところで、私の個人的なニューイヤー・コンサートは(といってもCDを聴くだけなのですが・・・)プログラムを紹介すると・・・

朝一番に聴いたのは、新年にふさわしい爽やかな希望に満ちた雰囲気のモーツァルト:コンサート・ロンドK382でした。そのあとクラリネット協奏曲、ピアノ協奏曲第20番、とモーツァルトで始めました。

午後は、元気を貰う意味で、ベートーベン:レオノーレ序曲2番、シベリウス交響詩「フィンランディア」を聴き、今年一年への意気込みを注入したわけです。これらは本当に心の底から力の出る音楽です。

そして最後はショスタコーヴィチの交響曲第8番で締めくくりました。これは強圧的な政治的強制にも負けない強靭な魂の爆発を表わしたショスタコーヴィチの傑作なので久しぶりに聴いてみました。我ながら一貫性のない変な選曲になってしまいましたが無意識にこれら曲になったのです。

そして夜はテレビでウィーンからの実況放送を聴いた訳ですが、今年も音楽三昧の幸せなお正月を迎えました。
明日は神社に初詣に行こうと思っているので、音楽はちょっとお休みになりそうですが・・・ところでクラシック・ファンの皆さまはどんな音楽を聴いてこの新年を迎えられたのでしょうか?[ページトップへ]

★ニューイヤー・コンサート2007年・2CD
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 メータ(ズービン)

2・アンセルメのベートーベン

今日久しぶりに、アンセルメ指揮のベートーベン交響曲を聴きました。
60年代の古い録音盤で長い間廃盤になっていましたが、数年前にCDとして復刻したのを買っていたものでした。

レコードのステレオが開発された頃ハイファイ録音で一世を風靡したアンセルメとスイスロマンド管弦楽団のレコードは、我々クラシックファンの垂涎の的でした。色彩感豊かなR・コルサコフのシエラザードやストラヴィンスキーの春の祭典などはベストセラーでした。

金銭的に余裕のない学生だった私は、この頃もっぱら廉価盤ばかりを買っていたので、友人宅で聴いたアンセルメのベートーベンの第九を聴いた時のショックはいまだに忘れられません。

研ぎ澄まされた刀のように、クリアーな解釈に圧倒されてしまったのです。音楽以外の一切のものを取り払った純粋無垢な造形美が今まで聴いた演奏にはない魅力を感じたものです。また当時のデッカの録音は素晴らしいものでした。今回、久しぶりに聴いてみてもその時の印象は全く変わりません。

定評のあったラヴェル、ベルリオーズ、ドビュッシーなどのフランス音楽に比べてベートーベン、ブラームスなどのドイツ音楽は異色の演奏だとされて異端視されていましたが、今回ベートーベン交響曲7番と8番を聴いた印象は、現代的とも思えるそのドライな解釈はアーノンクールやノリントンの音楽を知っているものにとっては、全く異色の演奏でもなくベートーベンそのものの純粋な素晴らしい演奏だと思いました。

ビブラートを極力抑えた奏法はアーノンクール、ジンマン、ノリントンなどの古楽器演奏家の先駆けだとも感じましたし、とにかく、音楽がストレートでまっすぐ心に飛び込んでくるのです。もう50年も前の録音なのに全く古さを感じさせない演奏は驚異的ですらあります。

新年早々、やっとアンセルメの本当の良さが分かったように思いました。今年はアンセルメをもう一度聴きなおしてゆこうと思っています。[ページトップへ]

★ベートーヴェン:交響曲全集
アンセルメ(エルネスト) スイス・ロマンド管弦楽団

3・音楽コンクールを見て     

成人式でお休みの今朝、NHKで日本音楽コンクール本選会の模様を放送していました。
ピアノ、バイオリン、クラリネット、声楽、トランペット、作曲の6部門で、各部門何百人もの中から勝ち残った6名による決勝大会でした。

6人に入る事すら難しいのに、本選はオーケストラをバックに協奏曲を演奏するのですからその緊張感は並大抵のことではないでしょうね。

ヴァイオリンは全員メンデルスゾーンの協奏曲で一人一人が緊張の中にも溌剌として演奏する様子にとても感動しました。クラリネットはモーツァルトのクラリネット協奏曲で競っていましたが、トランペットでは課題曲がプロでも難しいと言う”ジョリヴェ”の曲で、見ていてもどきどきハラハラの連続でした。

最年少は15歳の少女もいて、音楽家の低年齢化もどんどん進んでいる気がしました。高校生までにはほとんど完成していなければならないなんて、なんという過酷なことでしょうか。

これら、コンクールに選ばれた人たちは、子供時代の遊びたい盛りの年齢に必死に楽器を練習したのでしょうね。それを思うとなんか残酷な気がしますが、それでも選ばれた人は幸福なほうで、本選にも選ばれないで落選した多くの音楽家の卵はどうするのだろうか?といらない心配もしてしまいました。

一人前の音楽家になるためには、両親の理解と経済力そして優秀な教師は絶対条件ですね。またこれらが揃っていても本人のやる気と才能がなければ、成功しない本当に険しい道なんだなあと今日のコンクールを見ていて感じました。[ページトップへ]

★メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲
五嶋みどり ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 ヤンソンス(マリス)

4・シューマンの音楽

ドイツ・ロマン派の旗手といわれるシューマンは、大恋愛の末、恩師の娘クララと結婚したことは有名ですね。苦労の末結婚できた喜びにあふれた彼はその年一年間に100曲あまりの歌曲を作曲しています。

彼自身がこの年のことを”歌の年”と言っているように、シューマンのめぼしい歌曲はこの年(1840年)に生まれました。彼の健全な精神の最も輝いていたときだったのでしょう。

その後、関心は交響曲に注がれて、交響曲1番4番2番と大作が次々と作られました。3番は最後の作品で1850年に作られています。

シューマンは晩年、精神に異常をきたしライン河に投身自殺を図るのですがちょうど船着場にいた船員に助けられて2年後に精神病院で亡くなるという悲劇的な晩年を送ったことでも有名です。シューマンの家系には精神病の血統があった事ということだし、子供にもその病気があったということです。

そういう先入観で音楽を聴いても、私にはさっぱり異常な音楽には聴こえないのですが、皆さまはどうでしょうか?交響曲に限って言えば第1番の幸せな「春」の雰囲気があふれているし、最後の交響曲3番は美しいメロディに富んだ素晴らしい交響曲ではありませんか。

少し晦渋な2番やロマンティックな幻想的な4番など、音楽史に残る傑作ですね。特に最後の協奏曲になったチェロ協奏曲は病魔と闘うシューマンの最後の精神のきらめきが垣間見られ目頭が熱くなるほどの感動を覚えます。

私はベートーベンほどは頻繁には聴きませんが、ときどき無性に聴きたくなるのは不思議な魅力のあるシューマンの作品たちです。[ページトップへ]

★シューマン:交響曲全集
バーンスタイン(レナード) ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

5・ビゼーの交響曲

37年の短い人生で優れた作品を書き続けたビゼーはモーツァルトに匹敵するくらいの天才だったかもしれません。

ビゼーは自ら破棄したとされる交響曲を何曲か書いていますが、現存している有名な交響曲は作品番号が与えられておらず、長い間日の目を見なかったのです。

ビゼーの唯一の交響曲ハ長調がなぜ”まぼろし”かというと、この曲はビゼーが17歳でパリ音楽院の学生の時に書き上げた習作で、作品番号もなく作曲から80年後の1935年にやっと日の目を見たと言う「幻」の交響曲だからです。

17歳の少年が書いた曲だとは信じられないくらいの素晴らしい作品で全編に青春を謳歌するかのようなうきうきとする精神の高揚があります。もしこの作品が世に認められ、その後交響曲作家としてどんどん作品を書いていったのならロマン派の交響曲作家の一角を担ったかもしれませんね。この曲を聴くたびにそんな思いに駆られます。

こういう素晴らしい交響曲を聴くと、破棄されたという第2番と第3番がどこかから発掘されたりしないものだろうか・・・とないものねだりをしてしまいますが、いったいどんな曲だったのでしょうか?

余談ですが、今日、アルルの女が聴きたくなりCDを聴いていましたがその後でちょうどNHK・FMでも交響曲とアルルの女の放送がありました。今日はビゼーにちなむ何かの記念日なのでしょうか?

ところで、私はビゼーではアルルの女の第1組曲「カリヨン(鐘)」の中間部のオーボエとフルートの2重奏が大好きです。こんなに優雅で美しく、まるで明るい日差しのアルル地方を思い浮かべるような音楽を知りません。聴き終えてもいつまでも心に残る傑作だと思います。    [ページトップへ]

★ビゼー:交響曲ハ長調
プラッソン(ミシェル) トゥールーズ・カピトール国立管弦楽団

*ビゼー:交響曲第1番/ビーチャム指揮ロイヤル・フィル(1959年)


6・スメタナ交響詩「我が祖国」より”モルダウ”

ハプスブルク家のオーストリア帝国の支配下にあった祖国ボヘミア(チェコ)の首都プラハに捧げられた6曲の交響詩のうちの第2曲目がこの「モルダウ」です。

ボヘミアの郷土の伝説と英雄そして風景を謳った6曲の交響詩はスメタナの祖国への愛と国民の独立への憧れが感動的に綴られています。

ボヘミア(チェコ)の中心を南北に横切るモルダウ河は民族そのものの象徴であり、その音楽はただの描写音楽ではなく、民族の発祥、発展、民衆の生活、伝説、などが音楽によって表現されていて最後には大海に注ぐ大河になって祖国の永遠の発展を願うかのような輝かしい調べで終わります。

こういう祖国愛にあふれたこの曲ですが、こういうことを知らずに聴いても、非常に美しい感動的な音楽です。

ボヘミアの緑濃い森から生まれた小さな流れが、やがて村々を流れてゆき、水の精が舞う月夜を静かに流れやがて堂々たる大河になり、プラハの町を潤してはるか彼方に消えてゆく・・・。そんな情景が浮かぶ見事な交響詩です。たった12分ほどの音楽の中にチェコの辿ってきた苦難の歴史が河の流れに置き換えて描かれているように思わずにはいられません。それにしても何度聴いても心から感動する傑作ですね。

1882年のプラハでの初演は大成功だったのですが、悲しい事にスメタナは耳の病が悪化していて、全く聞くことが出来なかったということです。
CDは長らくチェコから亡命していた大指揮者クーベリックの望郷の念のこもった感動的な演奏がお薦めです。
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★スメタナ:我が祖国(全曲)

クーベリック(ラファエル) ボストン交響楽団

*モルダウ/ビエロフラーヴェク指揮チェコ・フィルハーモニー管弦楽団


7・ブラームスはお好き?

久しぶりにブラームスの交響曲第1番を聴きました。

冒頭のただならぬ緊迫した雰囲気は来るべき新しい交響曲の幕開けが感じられます。ブラームスはベートーベンを敬愛するあまり、この偉大な大作曲家に負けない作品を送り出そうと実に21年もの歳月をかけてこの第1番を完成させたのです。初演当時第4楽章にベートーベンの第9交響曲の喜びの歌とよく似たメロディがあるため、第10交響曲との別名もありました。

全曲が劇的な緊張と、ロマンあふれる美しい旋律に満ちていてこれほど充実した交響曲もめったにありません。あまりにも内容が濃いのでこの曲を聴き終えるとぐったりしてしまいます。

実際この交響曲の重量感は並みの交響曲の比ではありませんね、楽譜の情報量が多いといおうか、込められた感情が重いというか、とにかくずっしりとした重みがあります。

ところで、ブラームスの音楽ほど好き嫌いがはっきりしている作曲家もないでしょう。特に女性には人気がないようです。「私はモーツァルトが好き、ショパンが好き!」などとはよく聞きますが、めったにブラームスがお好きな女性にはお目にかかれません。でも好きになってしまうと、これほどのめりこむほどの魅力にあふれた作曲家も珍しいですね。

ブラームスの交響曲の特徴として内声部の充実があります。ヴィオラやチェロ奏者などの普段目立たない人たちが俄然張り切るのがブラームスの交響曲です。とにかく音楽が重く感じるのには内声部がしっかりしていることころから来るんでしょう。またヴァイオリン協奏曲や2曲のピアノ協奏曲もソロつきの交響曲かと思うほどの充実度です。

なぜメンデルスゾーンのようにソリストにスポットライトを当て、もっとすっきりとできなかったのでしょうか。もし出来ていれば協奏曲ももっと人気が出たかもしれません。(まあ、これがブラームスの作風なのだから仕方がないですが・・・。)

ところでブラームスは第1交響曲のあと3曲交響曲を書き上げますが、それらは全て肩の力の抜けた円熟の音楽です。短時間のうちに作り上げられたこれらの交響曲は、ベートーベンの呪縛から解き放たれた素顔のブラームスが感じられとても親近感があります。

もしまだブラームスを聴いたことのない方がいらっしゃるなら、第3交響曲を聴かれることをお薦めします。第3楽章のホルンで奏されるメロディは映画音楽にも使われたほどの美しいメロディですから。[ページトップへ]

★ブラームス:交響曲全集
ヴァント(ギュンター) 北ドイツ放送交響楽団

8.リスト:ファウスト交響曲

日曜日の昼下がり、ちょっと珍しい交響曲を聴きました。

リストのファウスト交響曲です。ゲーテの”ファウスト”をもとにしたこの交響曲は第1楽章《ファウスト》、第2楽章《グレートヒェン》、第3楽章《メフィストフェレス》からなっています。

このゲーテのファウストはヨーロッパ中を席巻した大ベストセラーですが、多くの作曲家もこの題材をもとに作曲しています。ベルリオーズがリストに「ファウストの劫罰」を献呈し、それに応える形でリストはこの「ファウスト交響曲」を献呈したのです。

全曲で78分もある大作ですが、あまり有名ではありませんね。CDもあまり出ていなくて人気のないことがよく分かります。幻想交響曲のように標題交響曲なのですが特徴的な主題もなく全体の印象として、とても地味だからです。

ハンガリー狂詩曲をイメージして聴くと肩透かしを食らいます。第3楽章でようやく音楽は活気を呈し面白くなりますが、とにかく地味で哲学的な音楽なので大衆的な人気を博することは絶対にないと思われます。

ピアノ協奏曲や超絶技巧のピアノ曲で有名なリストですが、彼の作る交響詩、交響曲は思索的で難解なものが多いので同じ作曲家かしら?と戸惑いがあるかも知れませんがじっくり聴きこむにつれてその素晴らしさに気づくでしょう。

もし有名交響曲を聴くのに飽きた方は一度この交響曲と同じリストの”ダンテ交響曲”を聴いてみて下さい。人間の欲望と絶望そして愛による救済といった人間ドラマが音楽によって綴られた新しい交響曲にしばし時間を忘れることでしょう。[ページトップへ]
★リスト:ファウスト交響曲
フィッシャー(イヴァン) ブダペスト祝祭管弦楽団

9・カルミニョーラのヴィヴァルディ・四季

先日、またヴィヴァルディのヴァイオリン協奏曲四季を買ってしまいました。これで何枚四季を買ったか分からないくらいです。CD店の店長に「これはすごい衝撃的な演奏ですよ!」と言われたことがきっかけなのですが・・・。私はこの言葉には弱くつい買ってしまいます。

聴いた感想は、店長の言うとおり、やりたい放題の斬新な演奏でした。即興的なトリルや突然テンポを落したり速めたりのそれこそ衝撃的なものでした。

古楽器の鄙びた音色からは想像のできない、現代的な解釈でひと時も気をそらせません。マルコン指揮のバロック・オーケストラもこのやりたい放題のテンポによく付いていって、この協奏曲を見事にまとめていました。

この協奏曲四季は日本人には人気が高く、どれほどレコードCDが発売されたか想像できないほどですが、このバロック音楽がなぜこれほど人気があるのでしょうか?

音符は単純で伴奏も最小限度あるだけなのですが、演奏家による即興の許される範囲がひろく、あらゆる解釈が可能なところが演奏者、聴衆ともに好まれる要素なのでしょうか。

以前にはマリナーやアーノンクールの斬新な演奏があって、これ以上のものは現れないだろうと思っていたら、ビオンディの古楽器による演奏が出て驚かせましたが、このカルミニョーラの登場によってまたまた驚かされました。

ノンビブラートのヴァイオリンによる明るい音色と、音楽の本質をえぐるような求心力と爽快なスピード感は今まで聴き飽きた四季に新しい風を送り込んできたようです。

またこれについで買った、後期ヴァイオリン協奏曲集も四季とは比べ物にならないほどの、驚異的演奏でした。ちょっと聴くとパガニーニのヴァイオリン協奏曲のようにも感じるほどのヴィルトゥージ性抜群の協奏曲集に驚いてしまいました。

このCDはヴィヴァルディのバイオリン協奏曲から、今まで知られていなかった6曲を初めて収録したもので、いずれもヴィヴァルディが金持ちのパトロンから依頼されて作った自家用協奏曲なのです。

彼の円熟期に書かれたこの6曲は、大量生産的な趣きのある前期のとは、かなりスタイルが違い、ハーモニー、構造で思いきった冒険をしています。聴いた感想は《もうバロック音楽を超越している!》というものでした。とにかくどきどきハラハラ連続でした。

私はいま、彼のヴァイオリンでヴィヴァルディの協奏曲を全部聴きたいと思っています。[ページトップへ]
★ヴィヴァルディ:後期VN協奏曲
カルミニョーラ(ジュリアーノ) ヴィヴァルディ ヴェニス・バロック・オーケストラ
★ヴィヴァルディ:VN協奏曲集四季
カルミニョーラ(ジュリアーノ) ヴィヴァルディ

10・「エリーゼのために」の秘密

あのいつも いかめしい顔をしていたベートーベンには似合わない優しいロマンティックな小品です。いまでは子供でもよくピアノで弾いているおなじみの曲ですね。

この曲にはベートーベンの自筆で「エリーゼの思い出のために」と記されているところからこの名前で広く親しまれています。

彼は一生結婚はしませんでしたが女性に興味がなかったわけではありません。生涯のうち何度か恋愛はしていますが成就しなかっただけです。

このエリーゼなる女性がどんな人だったかベートーベンの記録には全く出てこないのです。だからこの「エリーゼの思い出のために」というのは謎だったのですが、この楽譜がテレーゼ・ドロスディック夫人の手紙を入れた箱の中から発見されたことで、今ではこのエリーゼはテレーゼ夫人のことだったと推測されています。

そして、ベートーベンの筆跡は乱雑に書かれていて読みにくいということもあって後世の研究家がエリーゼとテレーゼとを読み違えたのかもしれません。けれども現在は当の楽譜はすでに無くなっており、真相は闇の中です。

また、ベートーベンの女性関係には謎が多く、遺品の中から見つかった「不滅の恋人」への手紙が誰に宛てられたものだったかいまだに解明されていません。

とにかくベートーベンも恋愛をしている時にはこんな優しいロマンティックな曲を作るんですね。
こんなことにちょっと感動してしまいます。[ページトップへ]
★不滅の恋~ベートーヴェン~
サントラ 〜エリーゼのために他

11・ウェーバー:クラリネット協奏曲

クラリネットという楽器は、今ではどこの学校でもブラスバンドクラブがあって、最もポピュラーな楽器になっていますが、楽器としての歴史は新しく、バロック時代以降、急激に発展して行き使用されるようになりました。

高音のトランペットのクラリーノという楽器が変化してゆき、クラリーノの小型楽器という意味でクラリネットと名づけられたようです。ヴィヴァルディやテレマンが初期の頃のクラリネットのための音楽を書いていますが、まだソロ楽器としての域には達していず、後の時代を待たなければなりませんでした。

今ではシュターミッツやクロンマー、などの18世紀の優れたクラリネット協奏曲を聴くことが出来ますが、この楽器の傑作として最も有名なのが、モーツァルトとウェーバーの協奏曲ではないでしょうか。

モーツァルトがシュタットラーというクラリネットの名人のために、名曲クラリネット協奏曲作ったように、ウェーバーもハインリッヒ・ベールマン(1784-1847)という名人のために協奏曲を作曲しました。

ウェーバーは全部で6曲クラリネットの為の曲を作っていますが、これらは全て、ミュンヘン宮廷楽団のクラリネットの名手ベールマンに刺激されてのことでした。

現在、クラリネット協奏曲の傑作として、残っている2曲はいずれも高度な技術と音楽性が要求され、クラリネットの特色を最大限に発揮できるように作られています。

また、第2楽章のロマンティックな雰囲気は完全にロマン主義の時代を先取りした美しいもので、このクラリネットの明るい音色と優雅でリリカルな表現は管楽器の新しい時代の到来を感じさせるものでした。

現在聞いても、至難な演奏技術が必要なことを考えても、当時のベールマンの技術がいかに高かったかうかがい知ることが出来ます。

クラリネット協奏曲第2番は1811年に初演され、熱狂的な称賛を受けましたが、ウェーバーは「ベールマンの神業のおかげだ」と言ったそうです。 

クラリネットの音色はまろやかで深みがあり、ビブラートもかかりにくくストレートに音が出て、音程も安定しているので、ブラスバンドでは管弦楽団のヴァイオリンのような位置にあります。
全ての音が他の楽器とよく調和して、とても耳に心地よく聴くものの気持ちをやわらげてくれますね。

私は以前はオーボエが好きで、オーボエを練習していましたが、次第にクラリネットに魅力を感じ出しました。今ではクラリネット協奏曲を聴くことのほうが多いくらいです。[ページトップへ]
ウェーバー:クラリネット協奏曲
マイヤー(ザビーネ) ウェーバー ブロムシュテット(ヘルベルト)
B0000896NG

12、ドリーヴのバレエ曲「コッペリア」
チャイコフスキーの有名なバレエ「白鳥の湖」に先立つこと6年前に、初演されたドリーブの「コッペリア」はロマンティック・バレエの傑作です。

ETA・ホフマンの原作による「コッペリア」は、精巧に作られた美しい機械人形に恋した若者の物語を見事にバレエ音楽にしたものです。このバレエ音楽は見るだけでなく、耳で聴くだけでも充実しています。

ホルンの幻想的な響きで始まる前奏曲は、やがて弦が加わって華やかに高潮しマズルカのリズムをとって力づよい舞曲調になります。この音楽は昔、民放テレビのニュースの番組のタイトルバックで使われていました。今でもこの曲を聴くと子供のころを思い出します。毎晩ニュースの時間になるとこの曲が聴きたいがためにテレビの前に座って惚れ惚れとしながら聴いていました。〜なんていう曲なんだろう?こんなに心がウキウキするリズムと和音の美しさ、もっともっと聴いていたい!〜と思ったものです。でもたったの数十秒間で終わるので本当に残念でした。

音楽は全編洗練された幻想味にあふれたもので、楽想も現代感覚に富んだ完成度の高いものです。また新鮮な管弦楽法を駆使した音楽でチャイコフスキーをして「私の白鳥の湖は到底ドリーブの音楽のそばにも寄れない・・・」と嘆かせたほどの美しさです。

ドリーブはこのあと「シルヴィア」も作曲して、フランスバレエ音楽の巨匠としてゆるぎない地位を獲得するのです。
私はこのバレエ音楽が大好きでよく聴くのですが、管弦楽の変化に富んだ曲想はどの場面を聴いてもわくわくするほどの楽しさです。

チャイコフスキーは死の前年1892年に、同じホフマンの原作の童話「くるみ割り人形」からバレエ音楽を書き、ついにドリーブに並ぶ傑作を作り上げたというのは単なる偶然からでしょうか?

「コッペリア」と「シルヴィア」は多少録音が古くなりましたが、アンセルメ指揮の名盤が未だに最高でしょう。リズム感のよさが抜群で音楽に勢いがあり元気が漲ってきます。聴いていると自然に身体を動かしたくなります。

ドリーブ:コッペリア
アンセルメ(エルネスト)指揮 スイス・ロマンド管弦楽団              [ページトップへ]

バレエ「コッペリア」よりマズルカ/ボリショイ・バレエ団


13・バッハ家の集い〜チェンバロ協奏曲

40歳を目前にして、ケーテン公レオポルトの宮廷楽長の職を辞してライプツィッヒに移ったバッハは、その生涯の最後の27年間をライプツィッヒ聖トーマス教会のカントルとして過ごすことになりました。

ザクセン地方の商業の中心であったライプツィッヒでは、市民の音楽が盛んで大学生の音楽同好の集まりであるコレギウム・ムジクムの指導などもしました。ここではチェンバロ協奏曲などが演奏されたであろうと考えられています。

大学生の中に優れたチェンバロ奏者がいたので、バッハは彼らを自宅に招いて演奏会を開いていたかも知れません。

当時バッハの住まいには4台のチェンバロ、2つのバイオリン、ヴィオラ、チェロ、ヴィオラ・ダ・ガンバがいつも奏きてを待ち受けていたということです。

そのうえ、長男フリーデマン、次男のエマヌエルというチェンバロの名手がいたので、3台、4台のチェンバロの為の自作の協奏曲を演奏したのは間違いがないでしょう。

このような豪華なバッハ家の音楽の集いを頭に描いて、チェンバロ協奏曲を鑑賞するのも楽しいものですね。
バッハ:チェンバロ協奏曲全集
ピノック(トレヴァー) イングリッシュ・コンサート バッハ



ところで現存しているチェンバロ協奏曲のほとんどが、自作か第三者の作品からの改作なのです。あるものはヴァイオリン協奏曲、オーボエ協奏曲から、またあるものはヴァイオリン、フルート、オーボエなどの複数の楽器の為の協奏曲からの編曲と多岐に渡っています。

これらの多くは自筆楽譜が残っていないので、確証はないのですが、多くの音楽学者によって原曲の復元が試みられました。現在ではチェンバロをソロ楽器とされるよりも復元されたヴァイオリンやオーボエ協奏曲のほうが人気もあり評価も高いのです。

その原因として、チェンバロは歌いにくい楽器であることがあります。それにもまして音量が小さく現在の大ホールでの演奏には適さないし、弦楽器や管楽器のようにふくらみのある豊かな表現が出来ないというところがあるのです。CDで聴く場合は音量を調節してあるので、オーケストラ伴奏とのバランスがいいのですが実際となると、バランスが悪すぎます。

今では、歴史的価値としてチェンバロ協奏曲を聴いていますが、一般の人気としては復元楽器やピアノで演奏されるほうが聴いていても楽しいものです。

私も3台4台ものチェンバロがガチャガチャとクツワ虫が鳴くような協奏曲よりも、ピアノやフルートヴァイオリン、オーボエの為の協奏曲のほうがよほど好きです。[ページトップへ] 
B000I6BLZY バッハ:ピアノ協奏曲第1番&第2番&第5番
シュタットフェルト(マルティン) ルツェルン祝祭弦楽合奏団 フィードラー(アヒム)
ソニーミュージックエンタテインメント 2006-10-18

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14・ヘンデル:オンブラ・マイ・フ(懐かしい木陰)

アリアといえば、オペラなどの見せ場で恋人に思いを寄せる感動的な詠唱が多くあります。
オペラ魔弾の射手のアガーテの詠唱はこのオペラのクライマックスでしょう。そのほか、カンタータで歌われる神に捧げる数々のアリアも印象に残っています。

今日のテーマ、ヘンデルのオペラ「セルセ」の中にある「オンブラ・マイ・フ」は人に向かって歌われているのではなく、木々の思い出を切々と歌い上げているところに特徴があります。

日本語訳では「なつかしい木陰」とされていて、愛するすずかけの木々とその木陰の優雅で優しい光景を歌い上げています。

ヘンデルはこのほかオペラ「リナルド」で「私を泣かせてください」という痛切なアリアも作曲していて、オペラ作家としての力量を見せてくれています。

以前はヘンデルのオペラはほとんど聴く機会がありませんでしたが、最近ではCD,DVDで紹介されることが多くなりました。
これには、本来、カストラート(去勢された男性のソプラノやアルトの歌手)の役だった重要な役をこなせる、メゾ・ソプラノやカウンター・テナーの歌手が多く現れたからでしょう。

ヘンデルのラルゴとして有名なこの「オンブラ・マイ・フ」は宗教的な深みも湛えた素晴らしいアリアですね。聴くたびに感動してしまいます。私はこれからはヘンデルのオペラに注目です。
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B00013YRJG 涙のアリア
岡本知高 松本隆 ヘンデル
ユニバーサルクラシック 2004-01-21

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15・ハイドン?オーボエ協奏曲

1790年代に書かれたとされる、この作品は、古典派後期におけるオーボエ協奏曲の名曲のひとつです。でも、残念なことにまだはっきりハイドン作とは証明されていないので「伝ハイドン」と表記されています。たとえハイドン以外の誰であっても、このように素晴らしい作品を書ける作曲家は限られているでしょうね。
いずれ、自筆譜が発見されれば決着が付くのですが、私はどう聴いても、ハイドンのように思えるのですが・・・・。

第1楽章のトランペットとティンパニを伴った輝かしい開始から、もうハイドンの世界が広がっているように思います。
2分ほどの長い前奏が終わると、愛らしいチャーミングな音色のオーボエが登場し、ソナタ形式の12分もあるこの楽章を心置きなく吹きまくり、聴くものをひと時も飽きさせません。

第2楽章は魅力的なロマンツェで全編歌にあふれています。続く第3楽章ロンドは、オーボエの特徴である小気味良いスタッカートが聴かせどころであり、技巧的にも奏者を満足させる見事な作品です。全曲二十数分もある充実した協奏曲は後のモーツァルトのオーボエ協奏曲にも引けをとらない傑作だと思うのです。

私は、ハイドンの代表作トランペット協奏曲との共通点を強く感じます。トランペッターのモーリス・アンドレがこのオーボエ協奏曲をトランペットで演奏しているCDを聴きましたが、まさしくトランペット協奏曲第2番だと思いました。だから今度は、トランペット協奏曲をオーボエで演奏してもらいたいものですね。そうすれば、偽作とされているオーボエ協奏曲といかによく似ているか分かるはずです。

以前ハイドンのチェロ協奏曲第1番と2番が偽作だと疑われていましたが、近年(1961年と64年に)自筆譜が発見されて、ハイドン作と決着がついたように、オーボエ協奏曲も発見されるかも知れませんね。
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 ハイドン:オーボエ協奏曲
グレッツナー(ブルクハルト) ライプツィヒ放送管弦楽団 ハイドン


YouTube の演奏はクリストフ・ハルトマン(ob)


16.実話、サウンド・オブ・ミュージックのその後

NHKテレビで映画「サウンド・オブ・ミュージック」で有名なトラップ一家の次女、マリアの証言によるドキュメンタル番組を放送していました。

私はこの映画が大好きで何十回見たか分かりませんが、アメリカに亡命した以後は全く知りませんでした。

アメリカではナチスのスパイの疑いをかけられたり、脱出時に借りた巨額の借金の為、貧しい生活がつづいたとか、長男と次男が徴兵されヨーロッパ戦線に従軍したりして、我々が想像できないくらいの大変な苦労をしたそうです。

でも、母マリアはいつも笑顔を忘れず、歌を仕事にして一家を支えてゆき、やがて市民権も得てバーモントに家を建てるまでになったということでした。今ではそこは立派なホテルになって、マリアの子孫が経営に当たっていることを知りました。

映画の影響で世界各地から多くの観光客が訪れているそうですね。私もいつかは家族みんなで訪れたいものです。

番組では92歳になる次女マリアがアコーディオンでオーストリー民謡を歌ってくれました。

そして、トラップ一家の全員が揃って公演しているもようの映像もあり、全く映画と同じ情景だったので懐かしさでいっぱいになりました。その情景を見ていると、映画の一場面にある愛らしい子供たちと、美しいジュリー・アンドリュース扮するマリアが歌う姿とダブって目の前に広がって来るのでした。

そして、この番組を見たあと、無性に「エーデル・ワイス」が聴きたくなりました。

この曲は本当に美しい音楽ですね。聴くたびにトラップ一家のことを想い感動してしまいます。
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B000EZ8CHE サウンド・オブ・ミュージック <ファミリー・バージョン>
ジュリー・アンドリュース クリストファー・プラマー エレノア・パーカー
20世紀 フォックス ホーム エンターテイメント 2006-05-26

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17・オーケストラのチューニング

演奏会で一番どきどきする瞬間は、オーケストラ団員が舞台に揃ってチューニングするときですね。その日の演奏の期待感が一気に盛り上がる時です。

コンサートマスターの合図によって、オーボエがA(ラ)の音をまっすぐ、長く伸ばし、弦楽器、管楽器などがそれに合わして行く時の高揚感はなんとも言えませんね。A音が定まれば各楽器が、てんでに音階を鳴らし、さながらひとつの曲のように響きます。私はいつもこの演奏会が始まる前の雰囲気が大好きです。

張りつめた緊張と、大きな期待感が入り混じったこのわずかなチューニングの時から演奏会はすでに始まっているのですね。

ところで、なぜオーボエのA音に合わせるのでしょうか?オーボエが最も正確だから、という説や、その反対に最も湿度、温度などの気候の変化に敏感で不安定だからそれに合わせるという説があります。

でも、今ではチューニング・メーターという機械を持って上がるので音程が狂うということがないので、多分オーケストラの中で倍音がなく一番通る音色だし長く伸ばせるからだと思います。
管楽器の中でロングトーン(音を一息で長く伸ばす)の試合をすると、オーボエはいつも第一位になるので、これは間違いがないでしょう。

指揮者によっては、このチューニングに特に注意深くすることがあり、楽章ごとにチューニングする光景を見ることがあります。
弦楽器は弓を弦に押し付けてこするので、次第に緩んで低くなり、管楽器は息や、会場の熱気で楽器が暖まり、音程は上がってきます。だから頻繁に音程を合わしますが、アマチュア・オーケストラの場合、いくら合わせても肝心のテクニックが不足しているので音程の怪しい事がよくあります。そんな時、聞いていても何となく落ち着かなく、気持ちの悪いものですね。

何かの本で読んだことがあるのですが、ヴァイオリンとか管楽器のソリストがオーケストラの音量に埋没しないように、人間の耳には感じないほど”わずかに音程を上げる”ということです。これは本当のことでしょうか?

もし、こんなことがもし出来るとしたら、それは相当な腕前のソリストですね。[ページトップへ]
B0006FGWZ6 ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲
ハイフェッツ(ヤッシャ) ミュンシュ(シャルル) ボストン交響楽団
BMG JAPAN 2004-12-22

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18・驚愕!?の交響曲

たいそうな名前の交響曲ですね。初めて聴いた時、「驚愕」とサブネームがあったので、さぞかし度肝を抜かすような交響曲だろうなと思ったら、ティンパニが一発鳴るだけなんですね。

18世紀の人たちはこれくらいの音で驚いていたのでしょうか?今ならテインパニに加えて大太鼓、シンバル、おまけに銅鑼も一緒に思い切り叩いて欲しいくらいです。これくらいの音じゃなければ「驚愕」はしないでしょうね。

この94番交響曲は「びっくり交響曲」と書かれたCDもありますが、このほうがあっているような気がします。”驚愕”とは漢字から受けるイメージが大げさ過ぎます。

私はハイドンの交響曲では、本当にびっくりするのは第45番「告別(さよなら)」だと思います。と言うのは最終楽章では、楽団員指揮者が全て、舞台から姿を消し、空っぽになってしまうからです。演奏家がみんなどこかへ行ってしまうんですよ、未だにこれほどびっくりの仕掛けのある交響曲はありません。

これこそ、観客を驚かせる「びっくり交響曲」ではないでしょうか?

ハイドンの交響曲にはこの他、名前のついた曲が何曲かあります。96番の「奇蹟」は曲とは全く関係がなく、この曲があまりに素晴らしいので、聴衆がハイドンを称えるため舞台袖まで押し寄せたそのとき、ちょうど空いた観客席にシャンデリアが落下したのです。”奇蹟的”に誰一人としてけが人がなかったということでこの名前がついたそうです。関係がないとはいえ、この曲を聴いているとなぜか奇蹟が起こるような気がするから不思議ですね。

このほかネームつき交響曲では「火事」「校長先生」や「うすら馬鹿」などとおよそ交響曲とは縁のない名前が付いています。ベートーベンの英雄、運命などとは、比べ物にならない”軽い”名前ですね。

でも、私はそんな、人を楽しませてくれる諧謔に満ちた軽い乗りの音楽が大好きです。[ページトップへ]
B00005HICV ハイドン:交響曲第101番「時計」&第94番「驚愕」
ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団 ハイドン アーノンクール(ニコラウス)
ワーナーミュージック・ジャパン 2000-06-21

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19・メンデルスゾーン・ヴァイオリン協奏曲

若いときに聴いたのと年齢がいったときに聴く音楽の印象が全く変わったことに驚くことがあります。

そんな曲にメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲があります。以前はチョコレートとクリームの上から砂糖をまぶしたケーキのような甘く胸焼けしそうな印象しかなかったのですが、最近ではこの甘さと美しさがたまらなく恋しくなってくるのです。

過ぎ去った若く輝かしい青春時代を懐かしむかのようなやるせないメロディが胸を締め付けます。

特に第1楽章中間部のカデンツァが終わってヴァイオリンはアルペジオの音形を繰り返すうしろでオーケストラがあの有名なメロディを奏でるところは思わず涙が出てくるほどです。(ヴァイオリンにメロディを弾かせずにただアルペジオのみを弾かせるところなど憎い仕掛けですね)

この曲は、演奏の難易度からすると、それほど難しい曲ではありません。技巧でごまかせないので下手な演奏家が弾くと無残な結果になりかねません。演奏家にとっては気の抜けないこわい曲だとも聞いたことがあります。

この曲はメンデルスゾーンが友人のヴァイオリニスト、ダヴッドの助言をもとに作曲されたとあってヴァイオリンの魅力が最大限に発揮されています。チャイコフスキーやパガニーニの協奏曲のように超絶技巧はない代わりに音楽に潜む気品と哀愁が全編にあふれています。

名前は忘れたのですが音楽評論家が「この曲は若いときにみだりに弾くべきではなく、長い人生を歩んでさまざまな事を経験した後に弾いてもらいたい曲である」と言っていた言葉を思い出します。

そういえば、ハイフェッツ、シェリング、オイストラッフ、スターンなどの大成した名人に名演が多いはずですね。なるほど楽譜に書かれていないところににじみ出る気品が若い演奏家とは違うはずです。[ページトップへ]

B00005EGW5 メンデルスゾーン & チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲 他
ハイフェッツ(ヤッシャ) シカゴ交響楽団 チャイコフスキー
BMG JAPAN 1999-11-20

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20・ワルター生誕130年

昨年はモーツァルト生誕250年祭でしたが、ワルターの生誕130年祭でもありました。

私は、ベートーベンの田園のレコードで初めてワルターを知りましたが、その時にはもうすでに亡くなっていました。日本にはワルター・ファンが多くいたのに生前は一度も来日しなかったのは本当に残念なことでした。

ところで、同じ頃に活躍したフルトヴェングラー、トスカニーニと決定的に違うのは晩年ステレオで過去の演奏曲目を録りなおしてくれたことでした。今ソニーに残っている全てのステレオ録音はクラシックファンにとって大切な宝となっています。

マーラーの弟子であったワルターは直接マーラーから教えを受けたので直伝といってもいい演奏ですし、そのほか19世紀の香り漂うベートーベンやモーツァルトの演奏は現代の演奏家からは感じられないロマンティックな雰囲気が漂っています。

幾分遅い目のテンポでじっくり歌いこむモーツァルトの交響曲など、ぬくもりと歌心にあふれています。

実はワルターの生涯はユダヤ人というだけで迫害を受けた悲惨なものでしたが、残された音楽にはそんなことは微塵も感じさせません。また老ワルターのために集まったコロンビア交響楽団の心のこもった温かい演奏は聴いていても幸福感でいっぱいになります。

ワルターは守備範囲が狭く、残された録音のほとんどは、ドイツ・オーストリー音楽で占められています。亡くなってからもう半世紀になろうとしていますが、残された音楽の瑞々しさはどうでしょう。ふくよかで優しさにあふれていてしかも洗練されているのです。

かといって迫力に欠けるというわけではありません。曲想に応じてテンポを動かし、表情が絶えず変わって行きます。現代ではこのような指揮をする人を見かけません。

今、ハイドンの交響曲を聴きながらこれを書いていますが、今流行りの古楽器での快速演奏ではなく、一音一音を慈しむようにたっぷりと情感を込めています。それによりワルター自身の穏やかで温かな人柄がそのまま伝わってくるようです。

私は文章と同じように音楽にもその人柄が出てくるものだと信じています。ワルターの指揮した音楽は全て、優しく温かく微笑みにあふれているからです。中学生の時初めて買ってもらったベートーベンの田園交響曲を聴いたときから今まで、ワルターの音楽を聴き続けてきて、なおさらながらそう感じます。子供の心に感じたものがいまだに続いているわけです。

私の中ではワルターは過去の指揮者ではなく、いつまでも心の中で生き続けています。折に触れて彼の指揮する音楽に触れているからです。  [ページトップへ]

B00005G83Y マーラー:交響曲第2番
クンダリ(エミリア) ウエスト・ミンスター合唱団 フォレスター(モーリン)
ソニーミュージックエンタテインメント 1999-07-23

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ベートーヴェン : 交響曲第2番、6番
コロンビア交響楽団 ベートーヴェン ワルター(ブルーノ)
B00005G8L3

21・ベートーベン:ピアノ協奏曲第4番

5曲あるピアノ協奏曲の中で、もっとも地味な協奏曲ですが、よく聴くとこれほど内面的な充実した音楽もありません。

いきなりピアノ・ソロから始まるのも個性的だし、第2楽章から3楽章へ切れ目なく続き曲想を重視する書き方は時代を先取りしていたといえるでしょう。

音楽は終始、瞑想的で穏やかに進んでゆき第5番とは正反対の雰囲気を持っています。5番が”皇帝”ならこの4番はギリシャの彫刻にあるような均整の取れた気高く美しい”女神”を思い浮かべます。

ベートーベンの協奏曲の中では最も思索的で室内音楽のような静かな展開は珍しく、とても新鮮に感じます。この後の5番「皇帝」と対比するように、全てが女性的で優しい温かさにあふれています。

ベートーベンの創作活動を眺めてみると、このように作品を「柔」と「剛」の雰囲気に見事に分けて作られており、無意識か作為的にかは判断できませんが、精神のバランスをとっていたかのように思われます。

英雄交響曲の後の4番、運命と田園交響曲、第7番と8番、みんな正反対の楽想で作られています。したがって鑑賞する時、対にしてみるとその時のベートーベンの心情がとてもよく理解できます。

よく「緊張と緩和」と言う言葉を耳にしますが、いつも緊張していては精神が持たないように、時々はリラックスして楽にならなければならないように・・・・作品にもそういう気分が働いたのかもしれません。

さて、このピアノ協奏曲第4番の初演は、1808年12月22日運命交響曲と田園交響曲、そして合唱幻想曲やミサ曲ハ長調などと同じ日にされました。
全曲初演ということで演奏家の準備不足や聴衆のレベルが低かったこともあって大失敗だったそうです。聴衆の入りも悪く、耳の悪いベートーベンがピアノ協奏曲を弾いたということで、楽団員も馬鹿にしてひどい演奏をしたと伝えられています。

そして、この協奏曲の再演はベートーベンの死後の1830年ということで、20年以上も忘れられていたことになります。もったいない話ですね。

それにしてもこの日の演奏会の豪華なこと!ベートーベンの最高傑作が”ひと盛いくら”というように売りに出されたようですね。しかもピアノはベートーベン自身が弾いたということですから、もし”タイムマシン”があればこの日に行って聴いてみたいものです。

楽聖ベートーベンの自作自演
が聴けるということで、さぞかし夢のような一日だったに違いありません。   [ページトップへ]

22・アルビノーニの魅力

アルビノーニはヴィヴァルディより7歳年上で水の都”ヴェネツィア”で活躍した音楽家です。裕福な紙商人の息子として生まれ音楽を職業としないディレッタント(趣味)作曲家として有名でした。

けれども後には商売が上手く行かなくなり、結局は音楽を仕事として晩年をすごしたそうですが、育ちがいいのでしょう。どんな曲を聴いても、暗さや深刻さがなく美しい調べで満ち溢れています。

現存する作品は器楽作品ばかりなので器楽作曲家として認識されていますが、オペラ、独唱カンタータもレパートリーにありました。当時は50をこえるオペラが公演されていたはずでオペラ作曲家としての名声は1700年頃から高まっていたのです。

しかしそのほとんどが失われているので器楽作曲家として顔しか見ることが出来ないのは残念なことです。(第2次世界大戦末期のドレスデン大空襲の時にその作品の大部分が焼失したと言われています。)

アルビノーニといえばオーボエ協奏曲が有名で、彼の協奏曲はヴァイオリンの為とオーボエの為しかないのでオーボエに対する愛情は並々ならぬものがあったのでしょう。ヴィヴァルディの音楽には時々やりきれないほどの暗さがありますが、アルビノーニの音楽には屈託のない大らかさと明るさがあり、短調の曲でも淡いメランコリーがあり深刻にならないところが魅力です。

作品7と9のオーボエ協奏曲集は珠玉の名作で、オーボエがお好きな方は一度はお聴きになってください。アレグロ楽章の歯切れの良いタンギングと緩徐楽章のカンタービレの妙味にはきっと惚れ惚れされることでしょう。

ヴィヴァルディはヴァイオリンの名手とされていたので、大量のヴァイオリン協奏曲が残されていますが、アルビノーニもヴァイオリンと声楽を学んだとされているので、もっと多くヴァイオリン協奏曲を残していたかも知れません。

ところで映画音楽に使われて有名になった「アルビノーニのアダージョ」は20世紀になってソナタの断片から編曲したもので完全に彼の作とはいえません。このアダージョはバロック音楽にしては深刻過ぎると私は思いますが、それにしても美しいアダージョですね。[ページトップへ]

B000091L2Y アルビノーニ:オーボエ協奏曲集
ホリガー(ハインツ) アルビノーニ イ・ムジチ合奏団
ユニバーサル ミュージック クラシック 2003-05-28

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23・芸術家と安定した生活

1957年に亡くなったシベリウスは今年が没後50年の節目の年です。92歳の長寿を全うした大作曲家は、さぞかしたくさんの作品を残したと思われるでしょうが、60歳以降はほとんど作曲をせずに沈黙を通したことで有名です。

家族の証言によると、晩年シベリウスは交響曲第8番を書いていて近い将来完成して披露されるでしょうとのことでしたが、死後その楽譜は発見されませんでした。こうして全世界のシベリウス・ファンの期待が潰えたのですが、確かに楽譜は完成されていたようです。

シベリウスは若い頃から自己批判が強く、一度出版した楽譜を何度も書き直したり、演奏することを禁止したりしたことがありました。こういう性格が晩年、よりひどくなり未発表の曲を廃棄してしまったのかも知れません。残念でなりません・・・。

永く他国の支配を受けていて、音楽の辺境国フィンランドに生まれた大作曲家シベリウスにかける国民の期待は非常に大きいものでした。若くして政府から終身年金が与えられて生活には何不自由なかったのですが、それが大きな負担になったのではなかったのでしょうか。

国民の期待を一身に背負い、いい作品を書かなければならないシベリウスと、モーツァルトのように浪費家の嫁をもらって借金の返済の為、死の床まで作曲を続けたのとは雲泥の差です。

芸術家にとって安定した生活は果たして創造への後押しとなるのでしょうか

もうひとり、人生の半ばで富と名声を獲得しながら、音楽の道を退いた「ロッシーニ」も有名です。37歳の絶頂期にあっさりと作曲の筆を折り、後半生を旅と美食に明け暮れたというのにも驚いてしまいます。

晩年のモーツァルトのように、あまりにも貧乏で食うものにも困り、おまけに身体も壊すほどの状態では生きていくのすら難しくて、芸術どころではありませんが、中の下くらいの経済状態が一番いいのではないでしょうか?      [ページトップへ]
B000NDFKDQ シベリウス:交響曲全集
コリンズ(アンソニー) ロンドン交響楽団 シベリウス
ユニバーサル ミュージック クラシック 2007-04-25
モノラル時代の代表的録音の登場!
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ロッシーニ:作品集 ロッシーニ:作品集
オムニバス(クラシック) サザーランド(ジョーン) ベルガンサ(テレサ)
序曲集&オペラ・アリア集2CD/カラヤンほか
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24・ヴィヴァルディの冬景色

ヴィヴァルディの四季といえばバロック音楽の代表曲で、今までどれほどレコード、CDが発売されたか数知れないほどです。四季がはっきりした日本では特に人気があります。

この4曲の協奏曲は3楽章形式をとっていて、14行のソネットに沿って作曲されています。のちの時代の描写音楽の先駆的作品といってもいいでしょう。

曲は長調と短調を交互に配置して変化をもたせて、連続して鑑賞しても飽きさせないようにした心憎い構成になっています。

特に派手な第1・3楽章の間に挟まれた緩除楽章の描写が見事で、全てその季節の雰囲気がよく出ています。

春には花盛りの牧場で羊飼いが遠くに犬の鳴き声を聞きながらうとうとする様や、夏はけだるい暑さの中、時おり遠くで雷鳴がとどろく不安な心情まで感じます。

第3番秋は収穫の祭りの終わった、心地よい爽やかな夕べのほろ酔い気分にあふれています。そして4番冬。全曲の白眉です。暖かい暖炉がある部屋でのひと時の休息。窓の外には白い雪が音もなく降り続く・・・・。そんな冬の光景が目の前に浮かびます。

私は特にこの「冬」が好きです。10分ほどの短い協奏曲ですが、この中に冬の厳しさと春を待ちわびる心情さえ描いた作曲技法の冴えに感動してしまいます。
また第2楽章で弦楽器のピチカートに乗って歌われるヴァイオリンのソロのメロディはヴィヴァルディの全作品の中で最も美しいものでしょう。

このように単純な音楽とはいえ、これほどの感動があるからこそ、何十年もクラシック音楽の売り上げのトップを独走しているのだと思います。
これほどの人気の名曲です。今まで数限りない演奏が発売されて来ましたが、私の好きな演奏は、どこまでも明るいイタリアの空を思い起こさせてくれる、アーヨ/イ・ムジチ合奏団とイタリア合奏団のものです。

古楽器演奏では典雅な趣のあるホグウッド./エンシェント室内管や快速テンポで意欲的なピノック/イングリッシュ・コンサートがお気に入りです。

このほか、色んな演奏がありますが、それぞれに工夫があり聴くたびに感動してしまいます。下記の最近ベストセラーを続けているカルミニョーラの演奏は斬新で刺激的なものです。[ページトップへ]

B000GBEQ7Q ヴィヴァルディ:「四季」、ヴァイオリン協奏曲(3枚組)
Carmignola ジュリアーノ・カルミニョーラ(Vln) ヴィヴァルディ
Brilliant Classics 2001-12-01

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ヴィヴァルディ:協奏曲集〈四季〉 ヴィヴァルディ:協奏曲集〈四季〉
イ・ムジチ合奏団 アーヨ(フェリックス) ヴィヴァルディ

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25.低音楽器の魅力

最近、低音楽器に興味が出だしました。低音楽器とはコントラバス、チェロ、ファゴットなどの低音部を受け持つ楽器です。ヴィオラも入れてもいいでしょう。

普段は目立たない、縁の下の力持ち的な存在ですが、これがしっかりしていないと音楽は成り立ちません。しかもこれらの楽器にはきらびやかな派手な音色はない代わりに、しっとりと落ち着いた温かさがあります。

私はヴィヴァルディのファゴット協奏曲とチェロ協奏曲の大ファンですが、どちらも地味で目立たない楽器を引き立てるオーケストレーションが素晴らしく、疾走する弦楽合奏の切れ目から顔を出す、チェロやファゴットのチャーミングさはどうでしょう。

深く豊かな音色から来るしっとりとした味わいはヴァイオリンやフルートなどの高音楽器からは得られないものです。

とにかく何時間聴いていても耳を刺激せずに、音楽にやさしく愛撫されているような錯覚に陥ります。共演する弦楽合奏も低音楽器に合わせて幾分低く音符が書かれているので、腰の低い安定した雰囲気があります。

音楽史上初めてファゴット協奏曲を作曲したヴィヴァルディは、キーのまだ発達していない不器用な楽器を快速でこれだけのものを語らせる優れた作曲技巧もさることながら、当時これを弾きこなせる名手が存在したことに驚いてしまいます。

チェロ協奏曲、ファゴット協奏曲、ヴィオラ・ダ・モーレ協奏曲など中低音の魅力的な音色を生かして、短調の曲が多く、ヴィヴァルディとしては落ち着いたロマンティックな曲想が多いのが特徴です。
特に6曲現存しているヴィオラ・ダ・モーレ協奏曲は楽器に共鳴弦が張られていることもあって、甘く媚びたような響きがあるので音楽は独特の雰囲気を持っています。

因みにヴィオラ・ダ・モーレとはイタリア語で「愛のヴィオラ」という意味です。

これらの明るく力強い長調の曲に比べて短調の曲の哀愁のある深い音色には、鳥肌が立つほど感動してしまいます。ますますヴィヴァルディが好きになりそうです。
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ヴィヴァルディ作品集 ヴィヴァルディ作品集
ヨーヨー・マ アムステルダム・バロック管弦楽団 コープマン(トン)

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ヴィヴァルディ:ヴィオラ・ダ・モーレ協奏曲
パリス(マッシモ) イ・ムジチ合奏団 ビバルディ
B00005FF7J

26・バッハ:トッカータとフーガ

オルガン曲の中で最も有名なこの曲は、映画やテレビなどあらゆる場面でよく使われていますね。いきなり稲妻のように鳴り響く出だしは、衝撃的な場面に使われて、見るものに強烈なインパクトを与えます。

ディズニー・アニメの傑作「ファンタジア」の冒頭を飾るのもこの曲でした。若き日のストコフスキーがシルエットとなっておごそかに指揮する姿は、今でも目に焼き付いて離れません。

私は子供のころこのアニメを見て、感動のあまり身体に衝撃が走ったのをつい昨日のことのように覚えています。

このアニメでは、オルガン独奏曲をストコフスキーがオーケストレーションしたものですが、原曲のオルガンで聴いても、全く印象は同じです。また、このアニメ映画「ファンタジア」には音楽からイメージを受けて具象化した色々な物語があるのですが、このバッハの曲だけは光と色の抽象的なイメージだけで作られていました。

ディズニー自身が語っていたテレビ番組を見ましたが彼は「バッハの音楽から、何らかの具体的なイメージを創造しようとしたがどうしても出来なかった。」と言っていたのを覚えています。

バッハの音楽は文学や絵画その他もろもろの俗世間のイメージはなく、音楽そのもの、純粋無垢な音の芸術だ。・・・という意味のことを話していました。

なるほど、バッハの音楽は人智を超越した何かがあるようですね。苦悩、欲望、死と生などを超越したところにある音楽なのかも知れません。私はバッハの作品を聴くたびにそんな想いに駆られます。

機会があればドイツの教会の大オルガンでこれらバッハのオルガン曲を身体いっぱいに浴びたいと願っていますが、叶わなければ、せめて家のステレオのボリュームをいっぱいに上げてパイプ・オルガンの重低音の響くおごそかな音の洪水に身を委ねてみたいものです。(マンション暮らしでは無理ですね。)

オーマンディ指揮のバッハのオルガン曲管弦楽版は、オーケストラの機能を生かした豪華絢爛の演奏です。一聴の価値はあります。                         [ページトップへ]
B00005EGZC バッハ・トランスクリプション
オーマンディ(ユージン) フィラデルフィア管弦楽団 ランシー(ジョン・デ)
BMGメディアジャパン 1999-06-23

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バッハ:オルガン名曲集
松居直美 バッハ  

27・モーツァルト:交響曲第41番「ジュピター」

モーツァルト最後の交響曲第41番は、ジュピターと呼ばれています。このジュピターとは惑星のことではなく、ローマ神話の最高神のことです。

モーツァルト自身が命名したのではなく後世の人が付けたということですが、なるほど、おごそかな雰囲気を持った第1楽章の出だしを聴いただけで、ジュピターと命名したのが分かります。ハ長調の晴朗な響きはまるで天国から聴こえて来るかのようです。

この交響曲の前の第40番はト短調の悲しみをたたえた音楽なので、より一層この41番の天国的な明るさが印象的なのです。

モーツァルトがこれらの交響曲を作曲した頃は、経済状態、健康もどん底の時期で、誰の為になぜ作曲されたのかも分かっていません。その上実際に演奏されたのかも不明のままなのです。

もしモーツァルトのことを知らずにこの曲を聴いたなら、決して死を前にした人間の作った音楽とは信じられないでしょう。なぜなら、どこまでも明るく希望に満ちた、躍動する魂の輝きを感じるでしょうから・・・・。

39番から41番の最後の交響曲作品は亡くなる3年前の1788年に、何と約2ヶ月の間に完成したのです。これらの3曲はそれぞれ違うカラーを持っていて、一度に書かれたとするなら一体どんな頭を持っていたことでしょうか。

この他、ピアノ協奏曲第27番、クラリネット協奏曲、歌劇魔笛などの最晩年の音楽の透明な清らかさはどうでしょう。生活、健康状態が悪くなればなるほど、彼が作り出す芸術の純度はますます高まりました。生や死をも超越した悟りの境地にあったかも知れません。

研ぎ澄まされた天才の手になるこれらの傑作群は音楽史の貴重な財産になっています。

もしモーツァルトが現在生きていたら、莫大な著作権料で王侯貴族も顔負けの生活が享受できたのに残念なことです。生まれるのが200年ほど早すぎましたね。

・・・・・・とにかく交響曲の分野でも新しい萌芽が芽生えてきたのに残念でなりません。せめて後10年でも長生きしていれば、ベートーベンの交響曲のような劇的で英雄的な作品を書いたかも知れません。

ところで私は、若いときはヴァイオリン協奏曲やフルート協奏曲などの初期の曲ばかりが好きでしたが、歳をとるにつれてこれら晩年の音楽の美しさに魅了されています。あまりにも美しすぎて涙が出るほど感動してしまいます。
ジュピターはベーム指揮ウィーンフィルの感動の演奏がお薦めです。    [ページトップへ]
モーツァルト交響曲第40番&第41番 モーツァルト交響曲第40番&第41番
ベーム(カール) ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 モーツァルト

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28・ヘンデル:ハープ協奏曲

あらゆる楽器の中でも、最も古いのはハープではないでしょうか?古代エジプトの壁画のレリーフにも描かれているほどです。

中世ヨーロッパの吟遊詩人が携えていたのが竪琴(ハープ)でした。ルネッサンス時代の音楽にはよく使用された楽器でしたが、バロック以降これをソロ楽器とする協奏曲はほとんど書かれていません。
そんな中で例外的にヘンデルはハープのための音楽を多く書いています。最も有名なのが作品4ー6の協奏曲です。(後にオルガン用に編曲されています。)

曲はいきなり晴れやかな主題が軽やかに現れ、そのあとハープの独奏がその主題をきらびやかに展開してゆきます。

伴奏もハープの音色を引き立てるために最小限度におさえ、非常に簡潔に作られています。ピアノにはない柔らかで繊細な音色はどのフレーズを聴いても夢の中を漂うような風情があります。

柔らかい指ではじくハープは音にとげとげしさは全くなく、どこまでも暖かく優しく響きます。この曲を聴いていると心のとげとげしさがなくなり、優しい気分になってゆくから不思議です。これと同じ気分にさせてくれるのはモーツァルトのフルートとハープのための協奏曲があるくらいです。

ヘンデルはバッハに先立つこと約1ヶ月早く、ドイツのハレで生まれましたが、バッハとは全く違う生い立ちでした。バッハは音楽一家に生まれ、将来音楽を生業とすることを運命づけられていましたが、ヘンデルは音楽には縁のない家庭に生まれました。ところが才能にあふれていたヘンデルは宮廷つきの医師だった父の反対を押し切って、若くしてハレの町の教会つきオルガニストとして活躍し、17歳の時にはハンブルク・オペラのヴァイオリン奏者となっています。

このように、自分の道を切り開いていったヘンデルの音楽と、バッハの音楽とは大きな違いがあるはずです。
外へ外へと広がっていく開放的なイメージのヘンデルと、内へ内へと奥深く内省的なバッハとは対照的です。

こうしたヘンデルの音楽ののびやかな情感を最大限に発揮しているのはこのハープ協奏曲ではないでしょうか。この10分ほどのヘンデルの協奏曲は典雅な響きを生かして聴くものをいにしえの宮廷へと誘ってくれます。      [ページトップへ]
ロマンティック・ハープ協奏曲集(2枚組)
Handel Wa Mozart Krumpholtz
B00004S7QY

*ウルスラ・ホリガー(Hp)/ピノック指揮イングリッシュ・コンサート


29・オペラ「リナルド」より|〜私を泣かせてください

ヘンデルのオペラ「リナルド」のアリア「私を泣かせてください」という哀切の音楽がテレビでよく放送されていますね。テロで高層ビルが炎上している画面と子供が餓死しかけているのを抱きながら嘆く母の姿をバックに歌われる痛切のアリアです。(ソプラノ)セシリア・バルトリ

確か「公共機構のコマーシャル」だったと思いますが(間違っていたらすみません)、世界平和を願う気持ちを表わした主張にこの哀切のアリアが心に響きました。私はこのオペラを聴いた事がありませんがこの「私を泣かせてください」と訴える美しいアリアは何回も聴いた事があります。出来ればこの「リナルド」というオペラを見て聴いてみたいと思っています。

ヘンデルはオペラで大成功した作曲家で、その作品も多くあるのですが今までほとんど上演されませんでした。私も輸入盤で「ユダス・マカベウス」というオペラを買いました。対訳がついていないのでさっぱり分かりませんが、その音楽の素晴らしさには圧倒されました。

日本では体育大会などで優勝した時によく演奏されます。「見よ!勇者は来たる!」という「優勝讃歌」で有名なこのオペラですが、全曲が有名になる日は近いと思っています。

どんどん対訳つきのCD,DVDでも発売してくれて、日本でも上演して欲しいと思うこの頃です。
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30.ヘンデル:合奏協奏曲作品6〜光と影の交錯

ヘンデルはオペラの分野で目覚しい活躍をして、当代一のオペラ作曲家としての地位を確立していましたが、オルガン協奏曲や合奏協奏曲の分野でも傑作を残しています。特に合奏協奏曲は有名で、木管楽器とのコラボである作品3の6曲と、弦楽のみの作品6の12曲があります。どちらも甲乙つけがたい傑作なのでよく鑑賞して来ました。


学生時代には音楽仲間数名が友人宅などに集まって、何曲か演奏した思い出があります。今でもその時のパート譜が残っています。

さて、先日懐かしい演奏のCDを購入しました。1968年録音のネヴィル・マリナー指揮のアカデミー室内管弦楽団のヘンデルの合奏協奏曲作品6と3の全曲演奏CDです。このレコードは1970年代に買ってヘンデルの魅力を味あわせてくれた思い出の演奏でした。マリナー自身もヴァイオリン・ソロを弾いてその意欲的なアプローチは当時話題を集めたものです。今聴いてみても流麗な優雅さの中にも、現代的なテンポ感が爽やかで全12曲がそれぞれ表情があり心温まるひとときを演出してくれています。

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ヘンデルがイタリア留学中にコレルリのの確立した合奏協奏曲のスタイルを学び、作り上げたのがこの作品6の曲集でした。全12曲は長調と短調の曲がちょうど6曲ずつで、全曲を通して聴いても「光と影」の交錯がたまらずついつい聴き惚れてしまいます。ヘンデルは真面目一方のバッハの宗教的雰囲気の音楽ではなく、どこか微笑みを湛えたような優しい曲想もあり、また失意に嘆くような悲しみの音楽もさりげなく表せます。後のモーツァルトの音楽を先取りしていたようにも感じます。明るい長調のメロディのなかにもほのかな悲しみが顔を出すように・・・・。

今までいろんな演奏を聴いてきましたが、私はこのマリナーの68年録音盤が一番好きです。81年に同じアカデミー室内管弦楽団とアイオナ・ブラウン指揮の演奏もありましたが、あまりにもそっけないほどの現代風の解釈で(私は)失望してしまいました。アーノンクールのはあまりにも過激な演奏で違和感がありました。リヒターとミュンヘンバッハ管弦楽団のは、真面目すぎて遊びがなく楽しめませんでした。

そういうわけで今はレコードの思い出しかない、マリナー盤を探していたのでしたがとうとう見つけることが出来ほんとうにうれしいです。
バッハのブランデンブルク協奏曲の6曲と並んでこの作品6の12曲はバロック時代の最高傑作というべき作品でしょう。幾ら聴いても飽きると言う事がありません。

★画像の演奏はマリナー指揮アカデミー室内管弦楽団の名演奏です。ヘンデル:合奏協奏曲op.6の第1番ト長調   <ページトップへ


31、幻想即興曲とスペイン奇想曲

この2曲はどういう関係でしょうか?

答えはフィギア・スケート・グランプリシリーズのカナダ大会での1位と2位の音楽でした。

浅田真央、中野友加里選手が1・2位を獲得したのです。本当に嬉しいことですね。浅田選手は前日は転倒したのですがフリーでは逆転をしての優勝でした。その滑りは、爽やかで回転技での着地も全く重さを感じない天使の舞いの様な優雅さでした。

ショパンの幻想即興曲の美しいメロディがその優雅な滑りにマッチして夢のようなひと時でした。見ていても競技だということを忘れるほどの美しさで全く気負いのない演技は他を圧倒していました。

また嬉しいことに、中野選手も目にまばゆい真っ赤な衣装で情熱的なスペイン奇想曲をバックに素晴らしい演技を見せてくれて、見事2位になったことです。

アメリカ大会2位だった安藤美姫選手も含めて、今の日本のフィギア・スケート陣は最強のメンバーではないでしょうか?来るオリンピックでは表彰台全部を日本人で占められる日も来るのでは・・・と思わせてくれます。

それにしてもフィギア・スケートは選ぶ音楽がとても重要ですね。優雅な舞いを見せるかと思えば3回転、4回転と人間の限界に挑むハードな演技を完璧にこなさなければ上位には上がれません。

これには演技とコラボさせた音楽が重要な要素になります。10分20分の音楽を演技のショートとフリー長さに縮めるので、不自然にならないようにまた原曲の良さも壊さないようにしなければなりません。

いつもフィギアの競技を見ていますが、上位に来る演技者のほとんどは劇的な短調の音楽が多いように思いますがどうでしょうか?例えば仮面舞踏会、白鳥の湖、ショパンのバラード、など劇的な展開が豊富な音楽が上位を占めていましたね。【ページトップへ

*ショパン:幻想即興曲/(ピアノ)シプリアン・カツァリス

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