クラシック名曲の森・05

長い歴史の中で生き延びてきた名曲は限りなくあります。まだ知らない曲を
訪ねてみたり、好きな曲のことなどを、思いつくままに書き綴りました。
少しでも楽しんでいただければ幸いです。
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1・あなたは何族?  2・ベートーベンの交響曲  3・ベートーベンはロマンティスト?  4・ヴィヴァルディ四季  5ソノシートの想い出  6・バーンスタイン  7・吹奏楽の旅  8・月と猫とショパン  9・歌劇「魔弾の射手」  10・テレマンフルート協奏曲  11・友情から生まれた音楽  12・ブルーノ・ワルター  13・マタイ受難曲   14・創業450年!?  15・誰でも作曲家?  16・憎めないちゃっかりや   17・CPE・バッハのフルート協奏曲   18・永遠のエーデルワイス  19・悲しみのシンフォニー   20・心やさしきパパ・ハイドン   21・ブルックナーの交響曲   22・オーディオマニアなら見逃せない曲   23・趣味人ボロディン 

24・幻想交響曲   25・体によい音楽  26・美しいメロディ  27・えっ!この曲は偽物?  28・演奏会と居眠り    29・モーツァルト/ホルン協奏曲   30・トランペットの名人芸  31・フルートの貴公子  32・名曲お国自慢  33・大作曲家の自作自演  34・ヴィヴァルディ/ファゴット協奏曲  35・コンヴィチュニー再発見  36・カッチーニのアヴェ・マリア   37・スエーデンの子守歌   38・トスカと蝶々夫人   39・第九交響曲・合唱   40・交響曲の傑作   41・年末恒例の第九  42・交響曲第9番の謎  43・くるみ割り人形  44・演奏会は定食?  45・夢いっぱいの交響曲第1番  46・冬の日の幻想  47・2005年大晦日

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1・あなたは何族?

ラテン民族とかゲルマン民族などの「民族」のことではありません。
私は音楽の「ながら族」です。
いつも音楽がなっていなければ、何事もはかどりません。

勉強のときでも、仕事の時でも (さすがこれは会社勤めでは無理ですが・・)車の運転中にも食事中にも音楽がなっていなければいけません。夜寝るときも聴きながら寝ます。それくらい「ながら・・・」が身についてしまっています。

戦争中、軍歌や行進曲で精神を鼓舞したように、確かに音楽には人間の精神に作用する何かが存在しますね。

昔は家庭でもどこでも静かに一心不乱に物事をするようにしつけられてきましたが、いつの頃からかBGM(バック・グランド・ミュージック)を流すところが増えました。
野菜や果物、乳牛などにも音楽を聞かせて、おいしい果実や乳を出させるという実験もされています。〜モーツァルトの音楽が最も良いとのことですね。

植物や動物にいいのに人間に悪いはずはありません。単純な仕事をする工場など静かな音楽を流すと、仕事がはかどるし、歯医者や診療所などでは音楽を流して気分を落ち着かせるところもあります。

今ではBGMはあらゆる分野で普及していますが、この種の音楽でもっとも有名なのは
テレマン(1681-1767)作曲の「ターフェル・ムジーク」ではないでしょうか。
”食卓の音楽”という食事をするときに聴く音楽です。

いわば「ながら族」の先駆者と言うべきでしょう。当時の王侯貴族の食事の際に演奏されました。これは第1集から3集まであって、管弦楽組曲、クァルテット、トリオ、協奏曲、ソナタなどから構成されています。今ではCD4枚組になるほど、充実した曲集です。
当時は現代のようにCDで気楽に聴けるわけはなく、楽団員を雇って演奏させなくてはなりません。どれほど高価なバック・グランド・ミュージュックだったでしょうか。
さぞかし食事も豪華だったのでしょうね。

このように贅を競っていた貴族たちもやがては滅びましたが、テレマンのこの音楽は残りました。そしてわれわれ庶民も、いにしえの王侯貴族の気分でこの名曲を聴きながら食事できるのは幸せといわずしてなんでしょう。
B0001NPU0G Telemann:Tafelmusik (Complete) (Box Set)
Georg Philipp Telemann Pieter-Jan Belder Musica Amphion
Brilliant Classics 2004-06-21

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*食卓の音楽より2つのフルート、ファゴット、ハープシコードの為の四重奏曲ニ短調


2・ベートーベンの交響曲

クラシック・ファンを自認する人は、何組かのベートーベンの交響曲全曲盤をお持ちでしょう。かく言う私はレコード・CDと合せて15種類もの全集を聴いてきました。
部が素晴らしい演奏だと言いたいのですが、やはりテンポ、ダイナミックス、オーケストラの響き、録音のよさなど、でどうしてもお気に入りの演奏が出来てきますね。

レコード時代ではカラヤンのベルリンフィルの完璧な演奏にぞっこんでした。録音、演奏のスマートさどこをとっても完璧な演奏でした。CD時代になり、海外盤が全曲で3〜4000円で買えるいい時代になったので、私のコレクションはどんどん増えていくばかりです。

最近購入したCDで感銘を受けたのは、デビット・ジンマン指揮チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団のアルテ・ノヴァ盤です。ベーレンライターの改訂版による新解釈の演奏で、快速テンポとノンビブラート奏法の古楽器風の演奏です。

B000F6YSSY ベートーヴェン:交響曲全集&序曲集
チューリヒ・トーンハレ管弦楽団 ジンマン(デイヴィッド) ジンマン(デイヴィッド) チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団
BMG JAPAN 2006-05-24

by G-Tools

今まで親しんできた楽譜とは違う部分が少なからずあり、聴いていて「あっ」と驚く箇所があるのです。聞き飽きた感のある、ベートーベンの交響曲も彼の手にかかると全く新しい生き生きとした交響曲に生まれ変わりました。
テンポも軽快で硬い目のティンパニーのバチがもたらすリアルな音場感も見事に収録されています。
現代に生きるベートーベン像を見事に再現した演奏です

このごろは、昔レコードで聞いてきたベームやコンヴィチュニー、トスカニーニ、ワルターなどの名演奏も廉価でどんどんCDに復刻されているので、その日の気分によっていろんな指揮者で楽しめます。
ベートーベン・ファンにとってこんな幸せなことはありませんね

3・ベートーベンはロマンティスト?

人は見かけによらない〜とはよく言われれる言葉です。
あのしかめっ面の厳しい肖像画で有名なベートーベンは、じつは見かけによらないロマンティストなんです。
1812年の7月6・7日に書かれた「わが不滅の恋人へ・・」と始まっている手紙が残っていることからわかるように、生涯に何度も恋愛をしています。

かなわぬ恋に身を焦がし、平和な家庭生活を夢見ていたベートーベンは、伝記で残っているような英雄的な人物ではなかったようです。非常に社交的で周りには多くの友人や理解者がいたという記録が残っています。

生涯独身で、音楽家として致命的な耳の病と体中病魔に冒されながらも、あのような名曲を次々と生み出していった、という事実がベートーベンのイメージを英雄的に作り上げていったかもしれません。

でもピアノソナタ「月光」、「エリーゼのために」や「ヴァイオリンための2つのロマンス」、交響曲第7番の第2楽章など聴いてみて下さい。きっとベートーベンのイメージが変わるでしょう。

困難に立ち向かっていくすさまじい精神力に満ち溢れた英雄交響曲や運命交響曲も素晴らしいのですが、恋に憧れ傷ついていく弱い人間的なベートーベンのほうに私はより魅力を感じます。  05・10・1

4・ヴィヴァルディ:ヴァイオリン協奏曲集「四季」

雲ひとつない晴天のさわやかな日曜日の昼過ぎに、久しぶりに、ヴィヴァルデイの四季を聴きました。
戦後のヨーロッパでバロックブームのさきがけとなったこの曲は、バロック音楽の代表曲です。
イタリアの春夏秋冬を描いたソネット(詩)を踏まえて作られた描写音楽ですが、四季の変わり目がはっきりしている日本でも大人気です。イ・ムジチ合奏団のレコードはクラシック・レコードのベストセラーを記録し、いまだに人気は衰えることはありません。

楽譜は演奏家の即興を許容して、簡単に書かれているのでいろんな解釈の演奏があふれています。
本来はヴァイオリン協奏曲なのですが、リコーダー、フルート独奏、オルガン、トランペット、金管合奏団のも聴いたことがあるほどです。
このようにこの曲は、いかなる楽器でも楽しめる音楽です。

でもやっぱりヴァイオリンの演奏が最もいいですね。私は学生時代はオーボエを吹いていましたが、その後はヴァイオリンに興味がわき一から練習しました。

小学生と一緒にヴァイオリン教室に通ったのです。最初はろくな音も出なかったけど、やっているうちに虜になってしまいました。本当にヴァイオリンは奥が深い楽器ですね。

ヴァイオリンを習ってからは音楽の聴き方も変わってきました。音楽の主題とかメロディ中心に聴いていたのが、中低音部など音楽の内声部にも注目するようになり、音楽の深みが増してきたように思います。

「四季」の最近のお気に入りは千住真理子さんVn、クルト・レーデル指揮イギリス室内管弦楽団の演奏です。

1988年の録音で実に初々しいさわやかな演奏です。何年か前にNHKテレビのヴァイオリン教室の講師をされていた頃からのファンです。ビデオに撮って毎日練習しました。いわば私の師匠です。おかげで簡単なバロック音楽は弾けるようになりました。ありがとうございました。

    こんな美しい先生なら誰でも絶対に身を入れて練習しますね

ヴィヴァルディ:四季
千住真理子 レーデル(クルト) イギリス室内管弦楽団

5・ソノシートの想い出

私が子供時代には、ソノシートというレコードがありました。若い方は見たことがないものでしょうが、レコードよりだいぶ安くて、専ら本屋で売っていたので音の出る本というカテゴリーに入っていたのでしょう。この間、押入れの中を整理していたら、何冊か出てきました。

フランスで「ソノラマ」として刊行された
のは1954年頃とされています。これが「音の出る本」の最初のもので薄いぺらぺらのビニールのシートに音溝がプリントしてありました。

懐かしくて、早速プレイヤーで聴いてみましたが、雑音の中から立ちのぼって来た音楽に懐かしさでいっぱいになりました。

大抵は33回転17cm盤に6・7分収録されています。軽騎兵序曲とかダッタン人の踊り、幻想即興曲などがモノラルで録音されているシートが4枚入って、その曲の解説、作曲家の紹介などがふんだんに盛り込まれていて読み物としても充実したものでした。

いま、1812年序曲の入ったシートを聴きながら書いていますがこれは長すぎるので2枚に渡っています。聴き終わった感想は「よくこの音で満足していたなあ・・・」と感心しました。もちろんモノラルで、ダイナミックレンジも狭く、ただ音が鳴っているだけといった風情なのです。分かりやすくいえば音楽を流している隣の部屋で壁伝いに鑑賞しているようなものでした。

私が中学生の頃はもうこのソノシートというのは、だいぶ廃れてゆきましたが最後の頃はステレオでも出ていました。音質もだいぶよくなりましたが程なく廃刊に追い込まれていったようです。幾ら安くともこの音質では次第に耳の肥えてきた音楽ファンにはソッポを向かれるのは当たり前でした。

当時LPレコードステレオでは2,300円していましたが、ソノシートでは4枚入って350円〜560円でした。これでも相当高価でした。何しろラーメン1杯が100円の頃でしたから。

演奏家を少し紹介しますと
・・・・ゾルキン指揮ミュージカル・アーツ交響楽団、アルフレッド・ヴァン・ヴェス指揮ベルリン交響楽団やディーゼンハウス指揮シュトゥッツガルト・フィルなどの合唱交響曲もありました。これのテノールにはあの有名なフリッツ・ヴンダーリッヒが参加していました。この頃は演奏家などこだわりがなく曲目だけで選んでいたので、今見てみると割といい演奏家だったんだなあと今更ながら驚いた次第です。

子供のころはLPを買うお金もないのでこれらのソノシートを、安っぽいプレーヤーで連日聴いていたのです。でもこの貧弱な音響なのに、感動は今の何倍もあったように思います。音楽に飢えていたのでしょう、これらの名曲が私の心の中に、日照りの砂漠の大地に降った雨のようにしみこんでゆきました。多くのお金の乏しい音楽ファンも同じ気持ちで聴いていたのでしょうね。

この頃聴いた名曲の数々は、今でも私の音楽生活の原点になっています。今ではCDは廉価盤では500円を割るような価格になり気軽に買える時代になったのですが、感動もその分薄くなったように思います。(これは自分に問題があるのでしょうか・・・・?)

この素晴らしい音響のCDも後何年かで消えて行くかも知れませんね。現在では小さいICチップに何十曲、何百曲と録音できるので、これひとつでベートーベン全曲が入ってしまうので、聴く曲を選ぶのに苦労しそうです。もしこんな時代になったら音楽のコレクションする楽しみはなくなり今のようなCD販売店は全てなくなっているでしょうね。

小遣いを工面してお金をためて、熟考に熟考を重ねてようやく手に入れたレコードをそれこそ大切に扱って、溝にレコード針を落とす時の感動の瞬間がとても懐かしく感じるこの頃です。   05・10・2

6・レナード・バーンスタイン

1960〜80年代のヨーロッパの音楽界を牛耳っていたカラヤンに対抗できたのは、アメリカ出身のバーンスタイン一人ではなかったでしょうか。当時CBSコロンビアのドル箱指揮者としてあらゆる名曲を録音していました。

バーンスタインは「ウエストサイド・ストーリー」の作曲家としても有名なことで分かるように、彼の指揮する音楽は作曲家の頭脳を通して演奏される非常に分析的で知的な解釈でした。アメリカの青少年向きのテレビ番組で「交響曲が出来るまで」というのを見たことがありますが、ピアノを弾きながらベートーベンの運命などを分かりやすく解釈してくれたのをよく覚えています。

このように世界中の青少年に音楽を啓蒙してゆくというのがバーンスタインのライフ・ワークだったのでしょう。
病で倒れる寸前まで多くの若手演奏家を育てた偉大な啓蒙音楽家でした。彼のもとから飛び立った有名指揮者は数え切れないほどです。

以前のニューヨーク・フィル時代の演奏からは派手なパフォーマンスの目立った現代的な演奏だな、との印象が強かったのですが、私の鑑賞力がいたらなかったのでしょうか、最近CDで再販された過去の演奏を聴いたところ、作曲家としての視点から楽譜を分析しその裏に隠された本質をえぐり出すような鋭い解釈に今更ながら驚きです。

でもこれは同じ立場のピエール・ブーレーズとはちょっと違っています。外科医のような冷静で分析的なブーレーズとは違う、ロマンの衣をまとった情緒的な解釈もありとてもバランスの取れた素晴らしい演奏だと思いました。

来日コンサートの折にベルリーオーズの幻想交響曲を聴きに行きましたが、若き日のバーンスタインのスマートな体が指揮台狭しと飛び回る姿を見てびっくりしました。髪を振り乱しての大熱演は弟子である小澤征爾氏にきっちりと受け継がれているんだなあと思わずにはいられませんでした。

バーンスタインの代表曲を挙げるとしたらベートーベンの交響曲全集です。私は晩年のウイーン・フィルのではなくニューヨーク・フィルの演奏のほうがよほど好きです。快速テンポで音符が踊っているようで、歌うところは徹底的に歌い感情剥き出しの若々しいベートーベンについつい興奮してしまいます。

この他、感情移入が激しい新世界交響曲ブラームスやマーラーの交響曲と明るく屈託のないハイドンの交響曲など、それこそ素晴らしい演奏が目白押しです。
      Beethoven: Symphonies Nos. 1-9; Overtures; Violin Concerto (Limited Edition)
Norman Scott Ludwig van Beethoven Leonard Bernstein
B00006OA68
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7・TV番組〜吹奏楽の旅〜を見て

「所ジョージの笑ってよろしく」の中の吹奏楽の旅のコーナーは面白いですね。
先日は特集をしていたので2時間たっぷり学生時代に戻って楽しみました。

音楽の素人の高校生たちが熱心な顧問の先生やパートリーダーたちの指導と同級生たちとの協力で合奏の力を高めてゆく姿は、なんと純粋で美しいものでしょうか。
そしてコンクールで勝っても負けても涙にくれる学生たちの姿は、見ているこちらも思わず目頭が熱くなるほどでした。

私の場合は吹奏楽部ではなかったので、コンクールはなかったのですがやはり演奏会に向けて必死に練習した思い出が甦ってきました。
毎年東京の普門館で開催される全国大会は全国の各地区を勝ち上がってきた強豪校たちの戦いで、まるで、野球の甲子園のような熱い戦いが繰り広げられています。
見ていても手に汗を握る緊迫感があります。

普門館での実況録音CDは何枚か持っていて聴きましたが、どの学校も「これが中学生?高校生?」と信じられないくらいの音楽性と演奏技術の高さに圧倒されます。たった2〜3年でこれほどまで上達するとは・・・本当に驚くばかりです。

高校野球でもいつも感じるのですが、吹奏楽の戦いもやはり名門校というのが出来上がり毎年、金賞を勝ち取る学校は決まってくるようですね。
上位入賞校には、いい部員が集まり、いい先輩がいて指導するので毎年上位入賞するといういい流れになってきているようです。

私の母校でも、ある顧問の先生の在学中は金賞常連校でしたが、その先生が転勤になったとたん腕が落ちて、全く入賞しませんでした。
やはり、いい指導者がいてはじめていい結果が出るのでしょうね。大阪の淀川工業高校や千葉の習志野高等学校などの優秀校もいい指導者に恵まれているからここまでうまくなったのでしょうか。

今後これら入賞常連校の課題は、指導者が代わった時でしょうね。

それにしても、ひとつのものにみんなが力をあわせて作り上げてゆく、そして入賞を目指して全力で大会に臨む・・・・甲子園での野球の試合にも勝る緊迫感と重圧があり、その結果金賞を手にするというのは何ものにも替えがたい達成感があるのでしょうね。

あれほどの涙にくれる学生の姿を見ていると・・・・自分もあんな感動を味わいたかったなあ・・・・・とちょっぴリ羨ましく思いました。 

B000666XJ0 第52回全日本吹奏楽コンクール全国大会ライブ録音盤 Vol.8:高校編IV
コンクール 鈴峯女子高等学校吹奏楽部(広島県) 東京都立杉並高等学校吹奏楽部
ビクターエンタテインメント 2004-12-08

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8・月と猫とショパン

女優の小雪が出演しているTVコマーシャルが新しくなりましたね。パナソニックのプラズマ・テレビジョンのコマーシャルです。
今回は猫に変身して、なまめかしい身体をくねらしてこちらを見つめています。
その神秘的な表情に私はもう メロメロです。

新しいコマーシャルもいいのですが、私は以前の、女性の後姿からするっと衣が滑り落ちて片肌がはだける場面にもくぎづけでした。

そして、その美しい姿にも増してこの世のものとも思えないような美しい音楽ショパン「ノクターン第20番嬰ハ短調遺作」の素晴らしいこと!
この音楽とこの映像、見事にマッチしてとても印象深いコマーシャルになりました。
ぴんと張り詰めた冷え冷えとした青白い明かりをあたりに撒き散らす月夜に 人か妖精か、はたまた猫の妖怪か?・・・そんなのが現れてもおかしくない神秘的な雰囲気にぴったりの美しい曲です。

ショパンのピアノ曲をコマーシャルに使ったのはよく見ますが、このシリーズは近年にない傑作だと思います。数あるショパンの曲の中から、この曲を選んだ時点でこのコマーシャルは成功だといえるでしょうね。

ノクターン第20番は素晴らしい!悲しいほど美しく印象的でいつまでもこのままずっと浸っていたいという思いに駆られます。  <ページトップへ
 
下記のアドレスで新しいコマーシャルとKOYUKIの美しい姿が見られます <ページトップへ
http://panasonic.jp/viera/gallery/  05/10-4

*ノクターン第20番/ユンディ・リー(ピアノ)楽譜つき


9・ウェーバー歌劇「魔弾の射手」

高校一年生の時、お年玉を全部はたいてLP3枚セットを買ったのが初めての歌劇「魔弾の射手」でした。
ヨーゼフ・カイルベルト指揮ベルリン・フィルの演奏でした。以前から序曲は好きでいつかは全曲を聴いてみたいと思っていたので、学生にとって5000円という金額はとてつもない高価なものでしたが、一大決心をして買いました。

有名な序曲についでいきなり猟師が撃つ鉄砲の音で幕が開く衝撃的なオペラに、夢中になってしまいました。毎日毎日対訳とにらめっこでレコードを聴いたものです。しまいにはなんとなくドイツ語が分かったような気がするほどでした。

この歌劇はベートーベンが亡くなる6年も前に初演されたのですが、全曲にわたって新しい工夫がされています。合唱を重要な要素とした画期的な作品でもありました。

音楽の自由な展開と意表をついた管弦楽法など、ベートーベンなどの古典派の時代を飛び越えたロマン派の時代の幕開けだと言える作品でした

実際主人公のマックスが射撃試合で的をことごとくはずし、猟師達に嘲笑される合唱など、ヘッヘッへッなどという笑い声を合唱として歌わせたり、魔弾を製造する悪魔的な場面の衝撃的な管弦楽法を駆使した表題音楽は当時ベートーベン、モーツァルトを聴いていた聴衆には、それこそ腰を抜かさんばかりの現代音楽だったはずです。

この悪魔的なおどおどろしい物語にちりばめられた、女声の美しいアリアは谷間に咲く白いユリのように清らかで聴くものの心を慰めてくれます。雄渾な男声合唱あり、演劇の要素のある台詞を有効に使った劇的な場面あり、清楚な美しい女声コーラスありで、この2時間ほどのオペラがあっという間に終わってしまいます。これほど面白いオペラは他にはないなと思わせるほどの素晴らしさでした。

カイルベルトのベルリンフィルは演奏技術の高さで他を圧倒しています。ひらめきにあふれたカルロス・クライバー盤はウェーバーゆかりのドレスデン・シュターツカペレのくすんだ響きがなんともいえません。その他、ドイツ的ながっしりとしたいかめついヨッフム/バイエルン放送響も魅力的ですね。

マタチッチ/ベルリン・ドイツ歌劇場管弦楽団のは狼谷の場面で、悪魔が登場する場面で風や狼の声などの効果音を使用して雰囲気を盛り上げていました。
このように色んな演奏で聴いていますが、曲が素晴らしいのでどの演奏も甲乙がつけがたいですね。 05・10・6
ウェーバー : 歌劇 「魔弾の射手」全曲
カイルベルト(ヨゼフ) プライ(ヘルマン) グリュンマー(エルザベート)


10・テレマン:2つのフルートの為の協奏曲・ロ短調

このレコードは、私のテレマンとの初めての出会いの曲でした。
テレマンの音楽はバッハのような内面的に深い精神性を持つものではありませんが、美しいイタリア風の旋律と微妙な陰影に富む和声と明るく変化にあふれたリズム感を特徴とするものでした。この協奏曲は14分ほどの曲ですが一目ぼれというのでしょうか、初めて聴いた瞬間からこの音楽が好きになってしまいました。

演奏は、カール・グレーベ指揮ハンブルク・テレマン協会室内合奏団です。確か1970年代に買ったものです。この協奏曲は4楽章からなっていて、抒情的な歌謡性にとむ曲想が魅力的です。当時この曲ばかり聴いていてテレマンの音楽世界に浸りきっていました。

2つのフルートがまるで恋人同士が愛の語らいをしているように音が絡み合ってかもし出す美しくも悲しみを湛えたような抒情世界に、身も心もとろけるほどでした。

ロ短調と言う調性が優雅な雰囲気をかもし出していたのでしょうね、バロック協奏曲の魅力を充分に味わせてくれました。

あまり聴きすぎて溝も擦り切れてきたので、長い間この曲のCDを探していましたが、最近やっとめぐり合うことが出来ました。カプリッチョ・レーベルのエックハルト・ハウプトのフルートとドレスデン・バロックゾリステンの演奏でした。タワーレコードで偶然見つけて買って家に帰るまでの間、早く聴きたくて我慢が出来ないほど興奮したのを覚えています。

何十年も探していた音楽にまた出会えるなんて、こんな幸せな瞬間があるでしょうか。音楽ファンならきっとわかっていただけると思います。


ところがこの期待が、聴くなり失望に変わってしまいました。同じ音楽なのですが第1楽章に関して言えばCDではフルートの吹く装飾音符が省略してあったのです。原符はどうなっているのかは知らないのですが、明らかにLPレコードにはあった装飾音符がすべてないのです。
これでは私にとっては同じ曲とはいえません。装飾音符はそれこそ装飾で付け足しでしょうから省略もあるのでしょうね。

しかしながらこのCDを聴くと、音が抜けているように感じてとても気分が悪いのです。もしこの曲を初めから聴いていればそうは感じなかったでしょうが、反対にこれほどまでは好きにはならなかったことでしょう。

何十年もたって、初恋の人に出会って、よく見ればそれはただのよく似た人だったというような気分でしょうか。がっかりしました。またこの曲のほかの演奏が出ていれば買ってみて調べたいと思います。どちらが原曲に近いのかと・・・・。 05・10・7     
     
B00005YAB4 Telemann: 5 Concertos for 2 flutes
Gunter Klier Georg Philipp Telemann Eckart Haupt
Capriccio 1996-01-01

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11・友情から生まれた音楽「展覧会の絵

交響詩「禿山の一夜」や組曲「展覧会の絵」、オペラ「ボリス・ゴドノフ」などの個性的で独創的な音楽を残したムソルグスキーはアルコール依存症と貧困と病苦にさいなまれて、42歳という若さでなくなりました。
 いかにも「アル中」というような表情の肖像画でわかるように、彼の作る音楽は型破りで破天荒で、よく言えば個性的、悪く言えば異常なものでした。
それまでの音楽の形式を無視した瞬間の感覚の閃きをを捕らえたような、独創的な印象主義の先駆ともいえる作品を書き上げました。
 現代最も有名なのは「展覧会の絵」でしょう。唯一の親友ともいえる画家の「ハルトマンが残した、絵画の印象をもとに作り上げた友情の証のような作品でした。

39歳の時に心臓病で亡くなった親友の遺作展覧会で見た、作品の印象を組曲にしたのです。 このときのムソルグスキーの悲しみは相当大きかったのでしょう。この組曲を聴けばすぐにムソルグスキーの悲しみと愛惜の情がひしひしと伝わってきます。全曲をおおう悲しみの旋律とどうしようもない慟哭が心に突き刺さってきます。

 原曲はピアノ曲ということもあって、人気はなくムソルグスキーの存命中には一度も公開の席で演奏はされなかったそうです。でもこの曲はドビュッシーなどの印象派の作曲家に与えた影響は大きかったといいます。

 しかしながら一般に現在これほどまでに有名になったのは、1922年にラヴェルの編曲版が発表されてからというから驚きです。原曲の良さを全く壊すことなく、見事にオーケストレーションされたこの編曲版を聴くたびにムソルグスキーと親友ハルトマンの交友の深さが感じられて大きな感動を呼びます。
     ムソルグスキー/ラヴェル編:「展覧会の絵」&ラヴェル:「ボレロ」   
      チェリビダッケ(セルジュ) ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団 ラヴェル
       B00005HWWP

12・ブルーノ・ワルターの芸術

ブルーノ・ワルターのレコードはコロンビア・レコードのドル箱的扱いでした。後にバーンスタインが出現するまで、日本ではベストセラーを続けていました。
初めてその芸術に接したのは、中学生の頃、母がレコード屋で廃盤セールがあるというので30センチのステレオ盤「ベートーベン田園交響曲」を買ってくれたその日からです。

この母の選択がよかったのでしょう、感動的な演奏でまさにこの交響曲の傑作、田園交響曲にのめりこみました。

歌謡曲、ポピュラー音楽にない本当の芸術に触れた心の震えでしょうか、毎日レコードの溝が擦り切れるほど聴いたものです。後で知ったのですが、この演奏は(評論家によると)いまだにこの曲を代表する名演だと知りました。

残念なことにその時はとっくの昔ににワルターは亡くなっていて晩年の録音がCBSコロンビアに残っていると言う状態でした。
何も知らずに一流の音楽に接したのがよかったのでしょうか、それからクラシック音楽が好きになり、現在にいたっているのです。

同じ世代のトスカニーニ、フルトヴェングラーと並び巨匠と讃えられるワルターですが、他の2人と決定的に違うのはステレオ時代まで生きていてくれたということでした。

その頃ステレオ時代に入りつつあったので、57年に心臓疾患で静養していたワルターをCBSのプロデュサー、ジョン・マックルーアが説得してドイツ音楽を中心とした名演奏を録音しなおして残してくれたということは我々ワルター・ファンにとっては奇蹟と言うほどの出来事でした。
 ロスアンジェルス・フィルが主体の臨時編成のコロンビア交響楽団にはワルターを慕ってニューヨークやヨーロッパから優れたプレーヤーが馳せ参じたということです。その録音セッションは大変和やかに進められ、ワルターは大きな声を出すこともなく音楽の流れを重視して要所要所をまとめて行くといった録音風景だったそうです。

こういうことは音楽にもよく現れていて、厳しい中にもどこか優しい歌にあふれ音楽がのびのびと呼吸しているように思えます。同じころ活躍したトスカニーニとは対照的な暖かい演奏でした。

この頃のステレオ録音盤は80歳を超えた老人が指揮している音楽だとは信じられないくらい、歌にあふれ瑞々しい感情をあらわしています。この残してくれた名演奏に接する度、もう少し長生きしてくれて来日してくれればなあと思わずにはおれませんでした。

最近はソニー・レコードがデジタル技術を駆使して、60年代の古い録音を現代の水準まで高めてくれました。以前聴いたちょっと高音の抜けの悪さと、低音に偏り過ぎの重たい音が、すっきりとスマートになり最近の録音と思うくらいのいい音で甦りました。

またモノーラル時代の貴重な録音も廉価でどんどんリリースされているので、ワルターファンにとっては嬉しい限りです。この頃はCD化されたのをどんどん集めて聴いています。 
ベートーヴェン:交響曲第6番 ベートーヴェン:交響曲第6番
コロンビア交響楽団 ベートーヴェン ワルター(ブルーノ)

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13・バッハ:マタイ受難曲

クラシック音楽の最高傑作は?と問われたら「マタイ受難曲」と答える人は多いと思います。
レコードやCDで、3時間もある大作を対訳を見ながらじっくり聴くというのはそうそうできるものではありませんが、テレビ放送やDVDなどの映像で見ると歌手の表情や演奏者の姿が現実感を持って迫ってくるので感動は何倍も大きいものです。
そりゃ生演奏が一番いいのですが、地方に住んでいる人にはなかなかチャンスがありませんね。

私はBS放送でカール・リヒター指揮ミュンヘン・バッハ管弦楽団&合唱団の演奏を見ました。バッハへの限りない愛を感じるこの演奏は最初からただならぬ迫力で、聴くものの心にぐいぐい迫ってきます。

全曲の白眉第47曲の「憐れみたまえ、わが神よ」のアルトのアリアまで来ると、もう涙でいっぱいになります。
私はこの曲に接するたびに身も心も打ち震えるくらいに感動してしまうのですが、気軽に聴くにはちょっと大作過ぎますね。

この曲はバッハが44歳のころ約3年を費やして完成させました。1729年4月15日にライプチッヒの聖トーマス教会で初演されましたが、その後は長い間忘れられたのです。

1829年、ちょうど100年後にメンデルスゾーンが復活演奏して以来、クラシック音楽の最高峰として現代に至っています。
こんな傑作が100年も眠っていたなんて信じられないですね。

写真のCDはクレンペラー指揮フィルハーモニアの演奏です。フィッシャー・ディースカウ、シュワルツコップ、クリスタ・ルードビッヒ、ニコライ・ゲッダ、ワルター・ベリーなどの錚々たるメンバーが独唱です。クレンペラーはゆったりとしたテンポで静かな中にも深い悲しみとキリストへの愛をこめて演奏しています。    【ページトップへ
バッハ:マタイ受難曲
クレンペラー(オットー) フィルハーモニア管弦楽団 フィルハーモニア合唱団

*第47曲”主よ憐れみたまえ”(アルト)デルフィーネ・ギャロウ指揮フランソワ=クサヴァー・ロス


14・創業450年!?

呉服屋でも鰻屋でもありません。オーケストラです。
世界最古の歴史を誇る「ドレスデン・シュターツカペレ(ドレスデン国立歌劇場管弦楽団)」は昨年創立450年を迎えました。

ザクセン選帝侯モリッツが1548年に聖歌隊を創設したのが始まりだとされています。その後この合唱団に1554年にオランダから7人の楽士が参加してドレスデン宮廷管弦楽団としてはじめて発足しました。実際、団員は1554年を創立としています。
日本ではまだ戦国時代の真っ只中で国中が荒れていた時代とは驚きです。

この世界最古のオーケストラが今でも健在で、我々はこれを聴くことができるのは驚異的だと思わずにはいられません。
先祖代々直伝の「たれ」を継ぎ足し、継ぎ足しで使い、味を保ってきた老舗の鰻屋のように、このオーケストラも昔ながらの音色を保ってきたのでしょうか?

事実ドイツでもこの管弦楽団は特別で、全てのオーケストラのルーツだとして敬意を払っています。この楽団の歴史こそヨーロッパのクラシック音楽の歴史だといえるほど栄光に輝いているのです。

この楽団の基礎を築いたのは1617年ハインリッヒ・シュッツが楽長に就任してからだということですが、その後作曲家としても有名なアドルフ・ハッセ、ウェーバー、ワーグナー、リヒャルト・シュトラウスなどが指揮者を務めています。
(なんと、豪華な指揮者ぞろいでしょうか。)

職業指揮者としても、ライナー、ブッシュ、ベーム、カイルベルト、コンヴィチュニー、ケンペ、スウィトナーなど挙げればきりのないほど有名指揮者で占められています。
 
                     ******

ヴィヴァルディ作曲ドレスデンのオーケストラの為の協奏曲・RV577

1716年ドレスデン宮廷楽団の楽長であったヨハン・ピセンデルがヴィヴァルディのもとを訪れて教えを請いました。帰国の際に記念の作品を依頼し、その時に誕生したのが、ドレスデンのオーケストラのための協奏曲ト短調・RV577でした。

シノーポリ指揮による楽団の創立450年記念コンサートのオープニングを飾る一曲でした。映像で見る楽団員の自信と誇りに満ちた表情はどうでしょう。300年も前のこの曲が間違いなくこのオーケストラで演奏されていたのだと思うと感慨もひとしおです。

オーボエ、ファゴット、フルート、ヴァイオリンをソリストとする10分足らずの協奏曲ですが、歴史の重みを感じさせる迫力を感じました。★ヴィヴァルディ:木管と弦楽のための協奏曲集
ピノック(トレヴァー) イングリッシュ・コンサート ヴィヴァルディ

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*シノーポリ指揮ドレスデン国立歌劇場管弦楽団/
ヴィヴァルデイ:ドレスデンのオーケストラの為の協奏曲


15・誰でも作曲家?

誰でも一度は、作曲してみたいと思いますね。
いい作品を書いて後世に名を残したい・・・音楽が好きな人なら一度はあこがれたでしょう。
でもここに誰でも作曲でき、誰でも演奏できるという曲があります。
ジョン・ケージ(1912-1992)作曲の「4分33秒」という曲です。聴いたことありますか?
1952年ニューヨークで初演されました。

当時の状況はこうです・・・
ステージ上にふたの開いたピアノが置いてあります。登場したピアニストが一礼するとピアノの前に座り呼吸を整えて、やおら手を伸ばしピアノを弾くと思いきや、ふたをおろしそのまま数十秒。やがてまたふたを開けまた閉める。そしてまたふたを開けて数十秒。そして客席に一礼してステージを去る。

聴衆はピアノの蓋の開閉を見せられただけで、合計4分33秒の沈黙に耳を傾けただけでした

作曲者ケージによると、この音楽の真の狙いは、ステージ上でピアニストが沈黙を守っている間、会場内外ののざわめきや物音が偶然聞こえてくることになります。これが音楽だというのです。
この初演?の時に「4分33秒」だったことからこの曲名になったと言うことです。

こんな曲だったら私でも作れますが、これは有名な作曲家が作ったから値打ちがあるんですね。ピカソがメモ帳の端に落書きした絵でも値打ちがあるのと同じです。
この他、作曲者は忘れたけど、いすや机をステージ上に引きずる音を、音楽だとする曲も聴いたこともあります。 
B00005EPA0 夢〜プレイズ・ジョン・ケージ
フッソング(シュテファン) ケージ 岡野博行
コロムビアミュージックエンタテインメント 1997-12-20

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                       05・10・14

16・憎めないちゃっかりや、ヘンデル

ヘンデルはバッハと同じ年に生まれましたが、この二人ほど対照的な人生を歩んだ芸術家も珍しいです。
バッハがその一生をほとんどドイツ国内にとどまって送り、主に教会音楽を書き続けたのに対して、ヘンデルはもっと国際的でその作品もバラエティーに富んでいます。
 
25歳の1710年にドイツのハノーファー選挙侯ルートヴィッヒの宮廷楽長の座につくと、まもなく休暇をもらってイギリスに旅立ちました。
当時イギリスではイタリアオペラが流行していたので、ヘンデルはオペラで一儲けをしようと思ったのは間違いがないでしょう。

新作のオペラ「リナルド」の大成功ですっかりイギリスに腰を落ち着け、今度はちゃっかりイギリスのアン女王から2百ポンドの年金を受け取るという地位まで登り詰めました。

ところが「好事魔多し」ということはこの事でしょうね。 ハノーファー侯からの帰国命令を無視してロンドンでぬくぬくと平和な暮らしを享受していると、思いがけず庇護者アン女王が急死しました。1714年ヘンデル29歳の時でした。

もっと悪いことに、新しいイギリス国王に、不義理を重ねていたハノーファー侯が就いたのです。一計を案じたヘンデルは、この新国王のテムズ河の舟遊びの折に有名な「水上の音楽」を自ら指揮して披露し国王の怒りをといたということです。

今の独裁者なら、ヘンデルは即刻牢屋に放り込まれるでしょうが、根っからの音楽好きの国王はヘンデルの才能に免じて、許したというエピソードもよき時代の優雅さを感じますね。       
ヘンデル:水上の音楽
ムーティ(リッカルド) ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 コッホ(ロータ)
                 ************


バッハの芸術は内へ内へと向かい、自らの内的宇宙の充実のために作品を創り続けて、珠玉の作品群を我々に残してくれました。
ヘンデルは対照的に外へと広がる自由な精神を持っていました。そのことは作品にもよく表れていて、聴くものの心を解き放してくれるようです。

劇的で美しいオラトリオやオペラは、バッハの声楽曲(カンタータや受難曲)にはない人間の欲望や悲しみが込められていて、現代人にとっても身近に感じられるほどです。
ヘンデルでは、合奏協奏曲作品6全12曲が特に好きです。長調と短調の対比が素晴らしく、長調の曲でも、そこはかとなく憂いを含んだ表情が時々顔を出し、うっとりとさせてくれます。

その作風は後のモーツァルトにも通じるものがあるように思います。モーツァルトは長調の曲でもたまらなく憂いに沈んだ表情がありますね。・・・・(でもこれは私だけの感想なのでしょうか?)
ヘンデルではこの他、オルガン協奏曲も外せないでしょうね。これまたメロディスト、ヘンデルの面目躍如という名曲ですから。  
ヘンデル:合奏協奏曲
イングリッシュ・コンサート スタンデイジ(サイモン) ウィルコック(エリザベス)
B00005FHM1
ヘンデル:オルガン協奏曲集(作品4&7全曲)
コープマン(トン) アムステルダム・バロック管弦楽団 ヘンデル
B00005J40G

17・きれいなお姉さんはお好きですか?

エマヌエル・バッハ:フルート協奏曲


フルーティストは美人が多いですね。ジャケット写真があまりにも美しいのでつい買ってしまいました。写真にあるのはジェニファー・スティントンのソロでエマヌエル・バッハのフルート協奏曲集です。姿が美しいだけではなく、今まで聴いたCDの中で最も美しい演奏だと思いました。

高校時代、クルト・レーデルのフルートソロでバッハの次男、エマヌエル・バッハのフルート協奏曲のレコードを持っていましたが、当時は興味も無くそれ以降あまりエマヌエル・バッハのレコードも出なかったので、忘れていました。

最近になって盛んに海外盤で、珍しいこの時代のCDが出るようになったのでまたよく聴くようになりました。

シュトルム・ウント・ドラング(疾風怒濤)と呼ばれる感情の自由な表現を音楽様式の中心軸に置いた「多感様式」で知られるエマヌエル・バッハの曲は、謹厳実直な父、バッハにはない激しい感情の爆発があります。

5曲あるフルート協奏曲は有名ですが、その中でも特に「短調」の2曲は情熱的で心躍る佳品です。
弦楽のみの伴奏なのに、それまでのバロック音楽に無い迫力で聴くものの心に迫ってきます。音量の大きさではなく、音楽自体が内蔵する「力」が全く違うのです。聴くたびに心を震わすほどの感動を与えてくれます。

Wq22のニ短調協奏曲はフルート協奏曲の傑作と言えるほどの作品でしょう。

私はこの曲を聴きたい為にあらゆる演奏家のCDを買い求めました。パトリック・ガロワ、レイチェル・ブラウン、イングリッド・ディングフェルダー、コンラート・ヒュンテラー、エックハルト・ハウプトなど海外盤ばかりですが、時間があれば聞き比べています。

ブラウンとヒュンテラーはフラウト・トラベルソですがどの演奏も甲乙つけがたいいい演奏です。線の太い男性的なガロワに対して、まろやかな潤いのある低音ときらびやかな高音の素晴らしいスティントンの演奏に今はぞっこんです。

これは個人の好みの問題だから他人には押し付けることは出来ませんが・・・私はテンポといいフルートの音色といい、目下のところこの演奏が一番です。・・他のCDはしばらくレコード棚の奥に入っていてもらいましょう・・・

                      ********

それにしても、この時代(バロックから古典派に至る間)は協奏曲の黄金時代でしたね。
クバンツ、ベンダ、シュターミッツ、ホフマンなど大作曲家の陰に隠れたこれらの作曲家がいろんな優れた協奏曲を作曲しています。聴き逃せない、いい作品が綺羅星のようにあるので,お金と時間が許す限り、どんどん聴いてみたいと思うこのごろです。    05・10・19
B00002DFMV C.P.E. Bach: Flute Concertos
Karl-Heinz Schroter Carl Philipp Emanuel Bach Hartmut Haenchen
Delta 1plus 2002-10-14

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18・永遠の名曲・エーデルワイス

ミュージカルの傑作映画の「ウエストサイド・ストーリー」と「サウンド・オブ・ミュージック」を監督したロバート・ワイズ監督が9月14日に亡くなりました。享年91歳でした。
「ウエスト・サイド・ストーリー」はシェークスピアの「ロメオとジュリエット」を現代アメリカに舞台を替えた躍動感あふれるダンスと斬新なカメラワークに見るものを虜にしました。


レナード・バーンスタインの音楽が素晴らしく、今でもクラシック音楽の定番になっていますね。その後、このウエストサイド・スートリーを凌駕する、素晴らしいミュージカルが誕生しました。それが「サウンド・オブ・ミュージック」です

これこそ現代のオペラというべき名曲の宝庫です。ドレミの歌、エーデルワイスもうすぐ17歳、一人ぼっちの羊飼い、など時代を超えて色あせることの無い輝を放つ永遠の名曲です。

この映画で一番印象的なのは、なんといっても名曲「エーデルワイス」を歌う場面ではないでしょうか。この曲は重要な場面で2回出てきます。まず始めは子供たちの前でトラップ大佐が歌う場面です。

子供たちの家庭教師だったマリアは一段奥まったところで聴いていましたが、明らかに大佐は愛をこめてマリアのために歌いました。

  このとき、お互いは愛を確信したのです!

そしてもう一度は、祖国を捨てる覚悟で歌う音楽祭の最後の場面で歌う
「エーデルワイス」です。

  エーデルワイス エーデルワイスよ 
   毎朝お前はあいさつしてくれる
    小さく白く 清楚で明るく
      私に会えた喜びを見せる
      
   雪のように白い花よ 
      花をつけて命を育め
    咲き誇るのだ いつまでも 
        エーデルワイス
        エーデルワイスよ
    わが祖国に
        永遠の祝福あれ・・・・・


最後のところで感極まって、大佐が詰まって歌えなくなるところを、マリアをはじめ子供たちが歌い続けるのですが、ナチスの併合で祖国の前途に不安を覚えるオーストリア人の観衆が共に合唱する場面は、涙が出てしょうがありませんでした。

このときの「エーデルワイス」は国の前途を案じながらも、国民に誇りを失わないようにとの願いをこめて歌ったものです。同じ曲でも、歌う人の気持ちでこれほど印象が変わるんだなあと映画を見るたびに思いました。

多感な高校生時代だったので、この映画は最も印象に残っています。以前はビデオも無いので、6回も映画館に通い、見たのを昨日のように思い出します。

こんな素晴らしい作品を残してくれたことに感謝しつつ、ご冥福をお祈りいたします。   ページトップへ戻る

★サウンド・オブ・ミュージック
ジュリー・アンドリュース ロバート・ワイズ クリストファー・プラマー    
エーデルワイス、この映画で最も感動的な場面だと思います            

19・悲しみのシンフォニー

モーツァルトはわずか35年の生涯で数々の珠玉の名作を残した、真の天才ともいえる作曲家でした。
あまりにも名作が多すぎて語り尽くせません。今日は手はじめに、交響曲についてちょっと書いてみましょう。

第1番は8歳頃の作品というから驚きです。モーツァルトの交響曲の代表曲といえば第25番以降から41番「ジュピター」までになりますが、後期の35番以降はどの曲も甲乙つけがたい傑作ですね。
中でも40番は「悲しみのシンフォニー」というポピュラー音楽にもなっていて、広く普及しています。

ト短調という悲しげな調性で、聴くものを感傷的にさせるのでしょうが、モーツァルトの音楽は長調でも、そこはかとない憂いを含んでいます。

ピアノ協奏曲でもヴァイオリン、フルート協奏曲、ホルン協奏曲どんな曲を聴いても、しっとりと憂いを含んでいるのです。輝かしい日の光の裏には必ず影があるようにモーツァルトには悲しい影が潜んでいます。

肖像画に見るモーツァルトの哲学的な遠くを見つめているような目にもそれを感じます。

ハイドンやそれまでのバロックの音楽の長調の曲は、底抜けに明るく人生を享受する楽しさがあふれているのに、モーツァルトはどうでしょう。
まるではかない人生、青春を惜しむかのような美しい哀愁が漂っています。・・・・・・・・・
これは私だけの想いでしょうか?

ちょうどどこまでも澄み渡った秋の空を眺めていると理由も無く、ふと涙が流れ落ちるという感じなのです。

私は心に悩みのあるときは、モーツァルトは聴けませんでした、ハイドンの屈託の無い明るい音楽が癒してくれました。(異論があるでしょうが、私はそうでした。)
モーツァルトは表面上では軽く、明るく見えて、実は内面にやりきれないほどの寂寥感を秘めているようです。

若い時にはそんなことは感じなかったのですが、年を経るごとにモーツァルトの楽譜に込めた魂の「叫び」が少し見えてきたように思います。

交響曲のお気に入りは目下のところ34番、36番、39番これらがベスト3です。特に39番はモーツァルトの「白鳥の歌」と呼ばれるほどの清楚な美しさにあふれた交響曲です。
目下のところ」と言ったのは、実のところ聴いた曲が全て素晴らしいのでどの曲も聴くたびに、その曲がベスト・ワンになってしまうからです。 
モーツァルト:交響曲第38番〜41番 モーツァルト:交響曲第38番〜41番
アーノンクール(ニコラウス) ヨーロッパ室内管弦楽団 モーツァルト

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20・心やさしきパパ・ハイドン
若い頃は劇的で深刻な音楽に夢中で、ハイドンには関心が無かったのですが、このごろでは穏やかなハイドンの作品に愛着を感じています。ハイドンは104曲も交響曲を書いて「交響曲の父」と称されています。

これほど多くの交響曲を書いて粗製濫造に思われるかも知れませんが、驚くことに全ての曲が名曲なのです。初期の6・7・8番は「朝」「昼」「晩」といいかげんな名前がついていますが、思いのほか充実していて後期の交響曲に負けないほどの感銘があります。

ハイドンの曲は明るく素朴で心を伸びやかにしてくれます。どの曲を聴いても心やさしい気配りの豊かな性格を感じますね。

交響曲45番「告別(さよなら)」など、単身赴任でなかなか家族の待つ家に帰れない、侯爵お抱え楽団員のために、彼は一計をめぐらせてこんな曲を作りました。
最終楽章で団員が一人づつ舞台から去ってゆき最後には誰もいなくなる・・という交響曲を作って侯爵に「謎かけ」をしたのです。これを見た侯爵はその真意を察し即刻休暇を与えたといいます。

このように楽団員、侯爵に愛されたハイドンが「パパ・ハイドン」という愛称で呼ばれたのは全くふさわしいことですね。
交響曲93番から始まる12曲の「ロンドン・セット」はハイドンの音楽の集大成といえる傑作そろいです。12曲全てが素晴らしく、全く甲乙がつけられないほどです。

CDでは晴朗な響きの暖かい演奏のヨッフム指揮ロンドン・フィルを愛聴しています。この他コリン・デービス指揮コンセルトへボウ管弦楽団のはじけるようなリズムとオーケストラの魅力的な響きの演奏にも心惹かれます。

モーツァルトとベートーベンの陰に隠れて人気はいまいちですが人気と作品の出来は全く関係はありません。あなたも一度じっくり聴いてみて下さい。きっとお好きになることでしょう。
 
ハイドン:ロンドン(ザロモン)交響曲集 ハイドン:ロンドン(ザロモン)交響曲集
クイケン(シギスヴァルト) ラ・プティット・バンド ハイドン

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21・ブルックナーの交響曲

夏の暑いときはブルックナーを聴く気にはなりませんでしたが、秋になるとなんとなく聴きたくなります。
全曲で1時間を超す大作が多いのと、音のダイナミックスが大きいので全曲を聞くには相当の体力が要るからです。その点、秋は空気が澄んでいてこの大交響曲が爽やかに感じられますね。

ところでブルックナーほど大器晩成の作曲家も珍しいですね。最初の本格的交響曲を書きあげたのが42歳だったのですから。モーツァルト、シューベルトならもうとっくに生涯を終えていた年代でした。

私が最初にブルックナーを聴いたのはオーディオマニアの従兄弟宅ででした。交響曲6番という9曲ある中でも最も地味な交響曲を最新のオーディオセットで聴いたのです。(カイルベルト指揮のベルリンフィル・テレフンケンレコードでした)

高校生だった私は、「ブルックナー開始」といわれる奥深い森の中の霧が晴れるように始まる、弦のトレモノからやがて巨大な伽藍をも揺るがすオーケストラの全合奏に、それこそ度胆を抜かしました。

なんだこの音楽は?この音楽の広がりは何だろう?そして突然全休止し、また執拗に繰り返されるこの不思議な音楽はなんだろう。今まで聴いたことのない展開に圧倒されっぱなしでした。

32歳からオルガニストとして生活していたことから、ブルックナーの音楽はまるでオーケストラがまるでパイプ・オルガンのように響きます。地味で暗いといわれるブルックナーですが、一度その虜になると、深い安堵感、精神の安らぎと高揚感を味あわせてくれます。特に第2楽章のアダージョは慈愛に満ちた、安らぎの空間を感じます。

ブルックナーの特徴は交響曲全9曲が同じ水準で作られており、初期の曲も全く遜色はありません。良く言えば最初から完成された交響曲群と言えるでしょうが、あまり進歩が無かったとも言えるでしょうね。
でも、後期になるほど音楽のスケール感が増し、聴き手を壮大な宇宙へといざない、深い陶酔的感動に浸らせてくれます。

初めは有名な第4番「ロマンティック」と5番ばかり聴いてきましたが、最近は3番、6番が最も気に入っています。

愛聴盤はヨッフム指揮の世界最古のオーケストラ、ドレスデン国立管弦楽団の演奏です。ブルックナーへの心からの共感がこの名演を生んだのでしょう。当分これを上回る録音はないだろうなと思うほどです。

★聴いたことのない方はまず手はじめに第4番「ロマンテック」からどうぞ!きっと気に入りますよ! 
    05・10・25
B000228W4M ブルックナー:交響曲第4番
ヨッフム(オイゲン) ドレスデン管弦楽団 ブルックナー
EMIミュージック・ジャパン 2004-06-23

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22・オーディオマニアなら見逃せない曲

あまりにも大げさすぎて、実際のコンサートホールでは演奏できなくて、生で聴くよりもCDのほうが迫力のある曲があります。
チャイコフスキーの大序曲「1812年」という大砲や教会の鐘が登場する大スペタクル・ミュージックです。
1812年にナポレオン率いる60万のフランス軍とロシア軍との戦争を描いた作品です。作曲されたのは1882年、実際の戦争より70年も後のことで当時ナポレオン軍に破壊されたキリスト教会寺院の再建祝賀祭に合せて、モスクワで初演されたものでした。

クレムリン宮殿前広場で演奏された時に実際に大砲が使われたところからレコード、CDでは大砲の音響をかぶせて発売しています。そして最後の戦争の勝利を祝う「教会の鐘」の音も収録してあるのが普及しています。

レコード時代にはこの場面では、あまりにも大音響の為レコード針が飛んでまともに再生出来なかったことを覚えています。
CD時代になりそんな心配は無用になりましたが、今度はマンションや壁一枚でお隣というような長屋では再生できなくなりました。

小さい音で聴いたら、これほどつまらない曲もなく面白みが半減します。大音響でこそこの曲の楽しさがわかり、狭い家に住んでいる「オーディオ・マニア」泣かせの曲といえるでしょう。
これとよく似た曲では、ベートーベンの「ウェリントンの勝利」〜戦争交響曲〜があります。この曲にも最近では大砲の音をかぶせて録音しているCDが多いですね。ベートーベンにしては決して傑作ではなく、駄作の部類に入るでしょうがオーディオ・マニアとしたら見逃せない一曲でしょう。

アンタール・ドラティが若い頃、この2曲を録音していて名演奏を聴かせてくれます。実際の大砲と鐘の音が生々しく録音されていて、LP時代の名録音とされています。
B00005FFTI チャイコフスキ-/大序曲「1812年」
ミネアポリス交響楽団 ミネソタ大学ブラス・バンド チャイコフスキー
ユニバーサルクラシック 1995-11-05

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   05・10・29

23・偉大なる趣味人ボロディン

曲を知らないのにただジャケットの美しさで買ってしまったことはありませんか?私は幾らでもあります。この写真のレコードもそうでした。
ボロディンの交響曲2番とR・コルサコフの「スペイン奇想曲」の30センチ・モノラル盤でした。
スペイン奇想曲はともかく、ボロディンは聴いた事がなかったので、聴くなりその広々とした大地を思わせる美しい音楽にたちまち魂を奪われてしまったのです。
 ボロディンの曲は同じロシアといってもチャイコフスキーとはまた違った感じですね。寒々とした冬景色とは違うもっと南の乾燥した草原が広がる暖かい大地の匂いがします。

まさに交響詩「中央アジアの草原にて」の世界ですね。特に第3楽章は広々とした草原をイメージさせる、甘い哀愁を帯びた詩情がたまりません。

ボロディンの曲は素朴で単純なわかりやすいものですが、実は本来化学者で、ぺテルブルク医科大学の教授が本職であったのです。多忙な仕事の合間をぬって作曲していたというからびっくりです。

作曲は趣味だというわけですね。もし本職として作曲に専念していたら、どれだけ素晴らしい作品が生まれていたことでしょうか・・・・・。

つい最近このレコードがCD化されたので買って聴いてみたのですが、これほどいい音で録音されていたのかとびっくりしました。何十年ぶりかに出会った初恋の人が、昔よりはるかに美しくなって私の前に現れたような気分でした。懐かしくまた嬉しいものでした。

演奏はジャン・マルティノン指揮のロンドン交響楽団です。リズム感にあふれていて、明るく洗練されているのでスラヴ情緒を求めたら肩透かしを食らうでしょうが、こういうロシア音楽の洗練された表現もいいものですね。
私にとっては、今でもこの演奏よりいい演奏はないと思うほどの、超名演です。 
05・10・30 
★プロコフィエフ:交響曲第7番&R・コルサコフ:スペイン奇想曲
パリ音楽院管&ロンドン響  マルティノン(ジャン)
B00005FLG0

24・ベルリオーズ幻想交響曲

歴史に名を残そうと思うと並みの作品ではダメです。
人が書かないような大胆な作品、あっと驚くようなユニークな展開が必要です。
ベートーベンの第9合唱交響曲は交響曲史上初の合唱つきの大作でした。今聴いてもこの曲のスケールの大きさと魂を震わす演奏効果の素晴らしさに圧倒されます。

ハイドン、モーツァルトの音楽を聴いてきた当時の聴衆の驚きは想像出来ないくらい大きかったことでしょう。
でもこの大傑作交響曲をベートーベンは耳の病のため、全く聴くことが出来なかったという事実に我々は涙を禁じえません。

ベートーベンが57歳で亡くなった3年後の1830年にフランスの作曲家ベルリオーズ(1803-1869)が「幻想交響曲」を発表しました。この交響曲は「固定楽想(旋律)」という、曲全体を貫く中心主題を用いたことでも画期的な作品でした。

「恋人の主題」というモチーフが各楽章にいろんな形で出てきます。この作品がベートーベンの「田園交響曲」の線に連なる標題音楽だと知っていても、そこに盛られたテーマの多彩さと劇的な振幅の大きさは誰もが驚嘆を覚えるに違いありません。

絶対音楽の最高の形式であった交響曲の中に標題的な要素を持ち込み、物語性を付け加えたこの「幻想交響曲」は当時の前衛音楽だったに違いありません。今聴いてもその先進性に圧倒されるばかりです。ベルリオーズこそ真の天才と言うべき芸術家でしょう。

この作品は後のワーグナーのオペラやリストの交響詩を生む素地になりました。派手好きのベルリオーズはこの交響曲を600名以上の大オーケストラで演奏したという記録も残っています。この大オーケストラで第4楽章:断頭台への行進、第5楽章:魔女の夜宴の夢が演奏されるのですから、それこそおどおどろしい地獄の饗宴だったに違いありません。

バーンスタインがニューヨーク・フィルと来日した時、この曲を聴きましたが若きスマートなバーンスタインが髪の毛を振り乱し汗だくになって、指揮台狭しと飛びはねて指揮する姿がいまだに目に焼きついています。 05・11・03 
B000MQ50TI ベルリオーズ:幻想交響曲
バーンスタイン(レナード) フランス国立管弦楽団 ベルリオーズ
EMIミュージック・ジャパン 2007-03-21

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*幻想交響曲第2楽章”舞踏会” バーンスタイン指揮フランス国立管弦楽団


25・体に良い音楽〜モーツァルト

先日「世界一受けたい授業」というTV番組で興味深い講義を見ました。音楽の青島広志教授が、クラシック音楽が人間に及ぼす治療効果をピアノとオーケストラ演奏の実例を基に楽しく講義をしてくれていました。
そこではモーツァルトの音楽がもたらす健康の効能と理由を、紹介していました。

モーツァルトの音楽に含まれる高音域と音の揺らぎが、人間の延髄と間脳に作用して副交感神経系を刺激して、生体機能を高めるのに最も効果があるといいます。

医学的にも臨床実験で脳血管障害の患者にモーツァルトの音楽を30分ずつ3日連続で聴かせると、改善効果があったそうです。その他、高血圧症、冷え性、老人性痴呆症にも効果があるということです。

そんなに身体にいいのか?不思議ですが、聴いていて気分がよくなることは確かにありますね。
モーツァルトの高音域は3000ヘルツくらいあり、これは鈴虫の鳴声や風鈴の音と同じ音域だそうです。この気持ちがよくなる「高音域と揺らぎ」が、脳に反応するということなのです。

私は2年前に病院で高血圧症だといわれて、今は降圧剤を飲んで正常な状態になっています。以前は正常な範囲だったのになぜだろうと思いました。

そういえば、あまりモーツァルトを聴いていないなあと思い当たりました。私は以前はモーツァルトが好きで演奏したりよく聴いていましたが、勤め先の倒産や転職、独立して商売の失敗などの波乱の10年の間にすっかりモーツァルトなど聴く気にならず、だいぶご無沙汰していました。

ストレスが身体に最も悪いことはわかっていますが、経済的ストレスは特効薬がなく非常に苦労しました。最近ようやく余裕が出来てモーツァルトを聴いたり、こんな気楽なHPも書ける所まで気持ちが安定してきたのです。

もし、最悪の状態の時でも、青島教授の言う様にモーツァルトを聴き続けていたら、高血圧にならなかったんじゃないでだろうか・・・・。
そう思うと残念でなりませんが、まだ遅くはないですね、好きなモーツァルトを聴き続けて身体と精神を健康に保ちたいと思っています。

「モーツァルトの音楽は身体に良い!」 このことが事実だとしたら、この美しい音楽を書いたモーツァルト自身が病気で若死にしたというのは、皮肉なことですね。
皆様は手遅れにならないうちにどんどん、モーツァルトを聴いて健康でいてください!  05・11・04  
                          ページトップへ

26・美しいメロディ・ベスト10

最近クラシック100、とかピアノ100などの親しみやすい名曲を集めたCDが人気を呼んでいるので、私ならこんな曲を収録する・・・といった自分勝手なラインナップを作ってみました。市販されているCDではなぜこんな曲が入っているんだろう、こんな曲も入れて欲しいな、と思うことが多くあるからです。

100曲全部あげていたら長くなるので、とりあえずベストテンをあげてみました。これは現在の好みで来月には変っているかもしれません。なにしろ好みは体調、精神状態で変るものですから・・・・。

美しいメロディの第1位は、ヴォルフ・フェラーリ「マドンナの宝石」の第2幕間奏曲です。ハープの伴奏に乗って清らかなフルート・ソロがやがて弦楽器に受け継がれる哀愁に満ちた旋律は一度耳にしたら決して忘れられないほどの美しさです。

2位は:イヴァノヴィチの「ドナウ川のさざなみ」。親しみやすいワルツのメロディは心に染み入ります。

3位は:ワルトトイフェルのワルツ「愛と春」。あまり知られていませんがフランス風抒情の佳品で、題名のとおり甘い甘いそれこそとろけるようなワルツです。

4位:マスカーニ歌劇「友人フリッツ」間奏曲。劇的な盛り上がりも素晴らしく歌謡的なメロディもずっしりと心に残ります。

5位はブラームス「ハンガリア舞曲第4番」全21曲の中で最もジプシー的な激しさと哀愁を秘めた一曲です。

6位:グリーグ「ホルベアの時代からアリア」。北欧の冷たく澄んだ空気のように爽やかな音楽です。
7位:イッポリトフ・イヴァーノフ「コーカサスの風景」より第2曲「村にて」。4曲目の「酋長の行進」ばかりが有名ですが、中央アジアの異国情緒にあふれたオーボエのソロが魅力的です。

8位:シューベルト「ロザムンデ」より狩人の合唱。クラリネットと合唱による美しい歌謡性にあふれた佳品です。

9位、スメタナ「モルダウ」。10位メンデルスゾーン「フィンガルの洞窟」。説明の必要のないほどの名作です。この2曲は他の曲とは充実度が違いますがいずれも魅力的なメロディにあふれています。まるで第一級の風景画を見ている
ようです。

このほか幾らでもありますが、今思いついた曲をあげてみたに過ぎません。好き勝手に並べて、自分ならこんな「名曲集」CDを作る、という風に遊んで見ました。皆様もこうしてベストテンをあげてみると「自分の好み」がよくわかるでしょう。

私は哀愁を含んだ短調の曲が好きなんだと知った次第です。

このような美しいメロディを聴くたび、いつも思うのですが「どこからこんな素敵なメロディが湧き出てくるのだろう?」と不思議でなりません。【ページトップへ

こんなきれいなメロディなら曲の構成とか展開はどうでもいいと思ってしまいますね。初めから終わりまでこれらのメロディをずっと繰り返し聴いていたいような気になります。05・11・05
名曲喫茶のクラシック~懐かしのクラシック小品集 名曲喫茶のクラシック~懐かしのクラシック小品集
オムニバス(クラシック) オコーナー(ジョン) シューベルト

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27・えっ!この曲は偽物?

えっ、この曲はその作曲家じゃないの?と驚く場合がたびたびあります。特にバッハ、ハイドン、モーツァルトなどの当時の売れっ子作曲家たちは名前を利用されたりして、少なからず被害を受けています。

楽譜を売り出す為に意図的に名前をかたられたり、後世の研究家の間違いなどでそうなった場合もありますが・・・。

ここに紹介する曲は、有名でレコードもよく出ていたし、学校の教科書にも登場するほどの名作ばかりです。

ハイドンの弦楽四重奏曲「セレナード」は、ホフシュテッターというオーストリーの作曲家の作品でした。

モーツァルトの有名な「子守り歌」はベルリンの医師であったフリースの作曲だということです。ヴァイオリン協奏曲の第6番と7番も素晴らしい曲なのに偽作とされてほとんど聴くことが出来ません。

ハイドンのフルート協奏曲はホフマンの曲だということがわかったし、傑作オーボエ協奏曲はまだ特定されていませんがハイドンでないことは確かだそうです。
私は特にこのオーボエ協奏曲が大好きで、毎日練習していたのにハイドンの作ではないと知って驚きました。

こうして、最近ではどんどん解明されていくうちにCDも出なくなるし、演奏会で取り上げられなくなり、いわば日陰の存在に追いやられて来ています。

私はどういうわけか、この偽物の音楽が好きでよく聴いているのですが、幾ら偽者だとわかってもやはり素晴らしい曲だと思っています。(何も偽物を集めたわけではありません。当時はハイドン、モーツァルトの曲だと信じてレコードを買ったのですから・・・)

なぜ、このまま真相を究明しないで置いてくれなかったのか、音楽学者を恨みたくなります。ずっと騙され続けていたほうがよかったなあと思うほどです。

とにかく、作曲家が誰であろうがいいものはいいのだ!といいたい気分です。05・11・10
B00005MXH6 ハイドン:オーボエ協奏曲/モーツァルト:同/フンメル:オーボエと管弦楽のためのアダージョ ロンボー(ob)クラフト/コンセルトヘボウco.
フンメル J.ハイドン モーツァルト
ユニバーサルミュージック 1994-12-19

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28・演奏会と居眠り

よくテレビで演奏会の実況放送を見ていると、こっくりこっくり居眠りをしている人を見かけますね。あれだけの名演なのにそして相当な入場料を払って来ているだろうにもったいない事をする人だなあと思ったりします。

でも恥ずかしながらかく言う私もよく居眠りをする方なのです。仕事を大急ぎで済ませて軽い夕ご飯をかっ込んで演奏会場に向かうのですがちょうど交響曲の第2楽章あたりで満腹感と静かな音楽との相乗効果でついつい寝てしまう事が多いのです。気がついてあたりを見渡したら私と同じようにこっくりこっくりと船をこいでいる人を見かけて何となく安心したりします。

薄暗い会場で数十分もあの気持ちのいい椅子に座って、きれいな演奏を聴いていて「寝るな!」と言うほうが間違いでしょう。ロックコンサートやイギリスのプロムス・ラストコンサートのように立ち上がって口笛吹いたり掛け声をかけてもいいようなコンサートなら寝ないでしょうが今のような形式では無理でしょうね。

私の居眠りの最長記録は昔、朝比奈隆指揮の大阪フィルの定期演奏会でのシベリウス交響曲第2番の時でしょうか、あの交響曲の第1楽章が始まって5分くらいした頃から意識が飛んでいました。今度起きたのはブラボーと言う声と拍手が鳴り響いていたのでびっくりして気がついたのです。

「私は誰?此処はどこ?」状態でした。大体40分くらいは寝ていた勘定になりますね。どんな姿勢でいたんだろうか、いびきはかいていなかっただろうか、そんな事が思い起されて顔から火が出るほど恥ずかしかったのを覚えています。

それからというもの演奏会に行く前の日には充分睡眠をとるように心がけていますが・・・・。要するに寝るということは音楽に対する気持ちに緩みがある証拠でしょうね。もっと真剣に聴かなくてはと思っております。クラシックファンを自認されている皆様は決して居眠りなどはされないでしょうね。
ピエール・モントゥー指揮ロンドン交響楽団(1959年録音デッカ原盤)これはシベリウスの良さを知ってから買ったレコードなので決して寝る事はありません。モントゥー唯一のシベリウスで、北欧情緒には欠けるけれども、充実した堂々たる大交響曲に仕上がっていました。05・11・11
B00005HW2W シベリウス:交響曲第2番
オムニバス(クラシック) モントゥー(ピエール) シベリウス
ユニバーサルクラシック 2001-04-25

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29・モーツァルト・ホルン協奏曲

ホルンはあらゆる楽器の中で、もっとも演奏が難しい楽器だと聞いた事があります。音程がとりにくい上、右手をラッパの中に突っ込んで半音上げたり下げたりするのですから・・・・。
私はホルンを演奏したことがないので、詳しくは知りませんが、このホルンを演奏していた友人が言うので多分そうだと思います。

演奏会でホルンが音を外したりするのを何度も聴いたことがあります。ホルン奏者の良し悪しでオーケストラの技能がわかるほどです。

目立たない楽器で柔らかくとらえどころがない音色を持っているので、あまり表には出てきませんが、弦楽器と管楽器の間を取り持つ重要な楽器です。

ベートーベンの7番やドヴォルザークの8番のようにホルンの咆哮がその交響曲の重要な要素に成っているときもありますし、ブラームスの3番の3楽章のように、物悲しいメロディをも表現できる素晴らしい楽器です。


今のオーケストラではなくてはならないホルンですが、最も有名な曲はモーツァルト作曲の4曲のホルン協奏曲ではないでしょうか。
いや、この曲以外にホルンを代表する曲がない。といってもいいくらいです。ハイドン、ロゼッティなど前古典派の作曲家や、R・シュトラウスが作ったホルン協奏曲も有名ですが、モーツァルトほど大衆に受け入れられた曲はありません。

作曲当時は現代の楽器のようにキーもなく、音程も取りにくかっただろうに当時のホルン奏者、ロイトゲープは相当な腕前を持っていたのでしょうね。
私はこの曲を聴くたび、うっとりして心が満たされるのを覚えます。控えめな伴奏に乗ってホルンの柔らかい響きが、まるで青空を流れてゆく白い雲が風のまにまに漂うような風情をもつ独奏ホルンの長いカンタービレがたまりません。

良くぞモーツァルトはこの協奏曲を4曲も残してくれたものだと感謝の念でいっぱいになります。
カタログを見ても、有名曲だけに、多くの名手たちが録音しています。デニス・ブレイン、アラン・シヴィル、バリー・タックエル、ペーター・ダム、などどれも素晴らしく聴くたびにこの曲がますます好きになってゆきます。05・11・15  ★モーツァルト:ホルン協奏曲全集
ダム(ペーター) シュターツカペレ・ドレスデン ブロムシュテット(ヘルベルト)
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30・トランペットの名人芸/アンドレとナカリャコフ

モーリス・アンドレはフランスの今年72歳になるトランペットの巨匠です。ペットの曲だけではなくヴァイオリン協奏曲やフルート・オーボエ協奏曲などの難曲を片っ端からトランペットで演奏してしまう魔術師です。まるで初めからこの楽器のために作られた曲だと錯覚するくらい、楽々演奏してしまうので聴くたびに驚いてしまいます。

とても金管楽器から出る音だとは信じられないくらいの艶やかさと、のびやかなカンタービレが聴く者をうっとりとさせてくれます。フランスのラテン的な明るさと柔らかい音色でさまざまな楽器の協奏曲をトランペットで演奏した彼はこの楽器の可能性を限りなく広げてくれた先駆者でした。モーツァルトのFl協奏曲第2番のトランペット版などの超絶技巧を聴いていると惚れ惚れとしてしまうほどです。

ところが最近アンドレの孫くらいの年齢のロシアのセルゲイ・ナカリャコフという人が注目を浴びています。以前NHKの連続朝ドラマの「天うらら」のテーマ音楽を演奏していたと言うことで有名になり、テレビによく出演していたから知ったわけです。その初々しい美男子というのにも印象深かったのですが、それよりもトランペットを吹いていても同時に息継ぎができると言う芸当に驚いたわけです。

そんな事ができると言うこと自体信じられませんが、実際にテレビで目の当たりにしたので信じないわけには行きません。要するに聴いている限りどこで息継ぎをしているのか分からないわけです。そりゃそうでしょう楽器を吹きながら息を吸っているのですから。このような曲芸的なことが出来るにもかかわらずその演奏は意外と正統派で立派なものでした。

このCDを聴いてモーリス・アンドレを継ぐのは彼以外にはいないだろうなと思いました。曲はハイドンのチェロ協奏曲第一番で、フルーゲルホルンで演奏しています。原曲のチェロで演奏するよりも雄大で輝かしさにあふれていました。

そしてホフマイスターのビオラ協奏曲、とメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲ニ短調はトランペットで演奏していましたが本来なら演奏不可能だと思われる箇所も楽々と吹きこなし音楽的にも全く違和感が感じられませんでした。これからの活躍が非常に期待される若手です。まさにミラクル・トランペッターです!

★イェルク・フェーバー指揮ヴィルテンベルク室内管弦楽団(Tp)ナカリャコフ(1998年録音テルデック原盤)  05・11・16
超絶のトランペット協奏曲集 超絶のトランペット協奏曲集
フェーバー(イェルク) ヴィルテンベルク室内管弦楽団 ナカリャコフ(セルゲイ)

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31・フルートの貴公子/エマヌエル・パユ

パユは、1989年神戸国際フルート・コンクールで1位を取ってから、栄光の階段を登りつめ、ついには23歳にして世界最高といわれるベルリンフィルの首席奏者となりました。2000年にはソリストとして一時退団していましたが、02年に復帰して現在はソロ活動とベルリン・フィルの主席としてますます忙しく活動しています。

最近出たこのテレマンのフルート協奏曲集世界初録音を含んでいるのも話題になったのですが、そのまろやかな玉を転がすような澄んだ音色とはこのようなことを言うんだろうなと思わせる素晴らしい演奏でした。

私はこのCDをひとたび聴いた途端もうパユのファンになってしまったほどです。今までフルートの名人が数多く出てきて、その演奏を聴いてきましたがその中でもひときわ抜きん出た演奏者だと感じました。

ランパル、ニコレ、ゴールウェイなどとそれこそ綺羅星のごとく名フルート奏者がいますが、私個人の趣味としてのお気に入りはクルト・レーデル、60年代のベルリンフィル時代のカール・ハインツ・ツェラーでしょうか。

明るい輝かしいだけの音色ではなく、太い低音とどこか愁いのある音色にぞっこんだったのです。しばらくはそんなフルート奏者は出てこなかったのですが、やっとそんな私の好みにぴったりのパユが現れました。

彼の太い滑らかな低音も魅力なのですが、中高音もまったくかすれ音などない澄み切った音色に心もとろけるほどです。昔のランパルなどに代表されるように現代楽器の大音響に負けないほどの輝きに満ちたフルートの音色とは違ってパユの吹くフルートは、室内楽の小音量の合奏にも心を配り、テレマンの愉悦感をしっかりと表現しています。現代に生きるテレマン像がことのほか美しいです!私はこれほど弱音でも輝かさを維持して、あらゆる音域も魅力的なフルート奏者を知りません。

ここにある、テレマンのフルート協奏曲集は、この世の音とは思えないほどの美しい音色でバロック協奏曲の醍醐味を充分味あわせてくれました。テレマンのフルート協奏曲はあまりCDにはなっていませんが、こんなに素晴らしい曲があっただなんて驚きました。ヴィヴァルディ、ヘンデル、バッハなどの協奏曲とは違う、自由な発想と展開の協奏曲にとても新鮮な印象を持ちました。
まだまだ、知られていない曲があるはずです。どんどん発掘して演奏してもらいたいものです。

以前、ベルリン・バロック・ゾリステンの東京でのライヴ録音を聴いたのですが、それは見事な期待を裏切らない演奏でした。またバッハのブランデンブルク協奏曲第5番、管弦楽組曲ロ短調も過去の音楽に現代的生命を与えたかのような生き生きした表現でした。

これからも、あらゆる時代のフルート協奏曲を吹いて録音してもらいたいものです。     05・11・17 
★テレマン:フルート協奏曲集
パユ(エマニュエル) ベルリン・バロック・ゾリステン テレマン
                          ページトップに戻る

*フルート協奏曲ト長調 (フルート)パユ/ベルリン・バロック・ゾリステン 日本公演


32・名曲お国自慢

曲を聴いたら「ああこれは***の国の曲だ」という、いわゆるその国を代表する曲があるでしょう。(国歌とは別にです)今回はそんな曲をちょっと探してみました。あまりクラシックに詳しくない人でもそう思う有名曲を選んで見ました。

最初にお断りしておきますがこの選曲はあくまでも私の個人的な印象で選んだものです。人それぞれ好みが違うので「それはないでしょう」という抗議の声もあるでしょうがこの際そんなことは無視いたします。

まずはドイツ。有名曲が多すぎて困りますがドイツといえばやはりベートーベンの「運命」でしょう、これ以外には考えられません。クラシックと言えば誰でも「ああ、あのダダダ、ダーンね」と馬鹿にしたように言うほど有名な曲です。

ついでオーストリア。シューベルトにしようか迷ったのですがモーツァルトの方がいいでしょうね、可愛らしい「アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク」を選びます。チェコはドボルザークもいいのですがここは私の好きなスメタナの「モルダウ」にします。

ハンガリーはリストの「ハンガリー狂詩曲第2番」イタリアは、これも多すぎて困るのですがロッシーニの「セビリアの理髪師」序曲と決定。フランスはオッフェンバック「天国と地獄」序曲、あの下品なカンカン踊りがたまりません。

スペイン
はファリャ「三角帽子」イギリスは第2国歌と言われるほどの名曲エルガー「威風堂々」で決まり。ポーランドはピアノの詩人ショパンの「ワルツ」。北欧に行ってスエーデン、アルビーン「スエーデン狂詩曲」。

ノルウエーはグリークの「ペールギュント」、そしてフィンランドのシベリウス「フィンランディア」と簡単に決まりました。問題はロシアですねこれも多すぎて選ぶのに苦労しますが、やはりチャイコフスキーに登場願いましょう。「白鳥の湖」がいいでしょう。

最後にアメリカ、これは映画でもおなじみのバーンスタイン「ウエストサイド物語」。この曲はアメリカそのものです。明るくて猥雑で活気に溢れたリズムが弾む現代のクラシックです。

さて我が日本ですがこれこそ日本の曲だ!といえるクラシックの曲はあるのでしょうか?世界に通用する知られた曲です。外国では果たして日本を代表する曲は何でしょうか?知りたいものですね。

さてこのように好き勝手に選んでみましたが来月には変わっているかも知れません。
ところで皆さんは国名を聞いてどの曲をまず思い浮かべますか?             
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33.大作曲家の自作自演

作曲家の自作自演盤が少しですが発売されています。もちろんレコードなどの録音媒体が発明された20世紀前半以降しかありませんが、もしベートーベンやモーツァルトなどの自作自演盤があればそれこそ国宝級の貴重盤になっていたでしょうね。

私の知る限りではR・シュトラウス、ストラビンスキー、ラフマニノフ、シベリウス、ブリテンなどでしょうか。(他にもあるでしょうがまだ聴いていないので・・・)このうちストラビンスキー、ブリテンはステレオ時代にも存命だったので優れた録音を残していました。

特にブリテンは指揮者としても一流で彼の振るモーツァルトの交響曲は専門家を唸らせるほどでした。有名な「青少年の為の管弦楽入門」はこれ以上の演奏はないという出来で、自作自演だけあって隅々までよく神経が行き届いており、その端正な品格ある表現には強く心打たれます。

それからストラビンスキーも3大バレエ音楽を録音して遺しています。晩年にもかかわらず熱っぽい迫力と新鮮さにあふれ少しも老齢を感じさせない力演になっています。彼の自作の演奏スタイルを知ると言う意味ではとても貴重な演奏だと思います。

写真にあるのはハチャトリアンのバレエ組曲「ガイーヌ」と「スパルタカス」の自作自演盤です。この演奏を聴くと彼もまた指揮者としても一流の腕前を持っていたということが分かります。

アルメニア人の彼でしか出来ないような民族的な躍動感にあふれた演奏でした。それにこれはウィーンフィルの「ガイーヌ」ということもあって非常に珍しい貴重盤です。

マーラーも作曲家でありながら有名な指揮者であったと言われているので、もう少し長生きしていて自作自演盤を遺していてくれたらどれだけ素晴らしい演奏していたことでしょう。マーラーとウィーン・フィルの自作自演盤、想像するだけで楽しくなってきますね。

アラム・ハチャトリアン指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団バレエ組曲「ガイーヌ」「スパルタカス」(1962年録音・デッカ原盤) ご紹介するCDはドラティ指揮のロンドン交響楽団の演奏です。発売当時名録音として評判のものです。 05・11・18
B00005FGA8 ハチャトリアン:ガイーヌ
ロンドン交響楽団 ハチャトゥリャン ドラティ(アンタル)
ユニバーサルクラシック 1999-09-22

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作曲家の自作自演盤が少しですが発売されています。もちろんレコードなどの録音媒体が発明された20世紀前半以降しかありませんが、もしベートーベンやモーツァルトなどの自作自演盤があればそれこそ国宝級の貴重盤になっていたでしょうね。

私の知る限りではR・シュトラウス、ストラビンスキー、ラフマニノフ、シベリウス、ブリテンなどでしょうか。(他にもあるでしょうがまだ聴いていないので・・・)このうちストラビンスキー、ブリテンはステレオ時代にも存命だったので優れた録音を残していました。      ページトップに戻る

*ガイーヌよりレズギンカ舞曲/フェドセイエフ指揮モスクワ放送交響楽団
こんなに気持ちよく打楽器を叩く音楽も珍らしいですね


34ヴィヴァルディ作曲ファゴット協奏曲集
クラウス・トゥーネマン(Fg) イ・ムジチ合奏団

17曲収録されているので現時点では最多ではないでしょうか。ほとんどソロ楽器として取り上げられることのない楽器で「縁の下の力持ち」的な役割の地味な楽器ですが、ヴィヴァルディは40数曲作曲しています。当時よほどの名人がいたのでしょう。音色がくすんでいるし とげとげしさもないのでとても耳あたりが良くなにか”のどかな”感じがします。快速楽章は一転して縦横無尽に吹きまくる爽快さもたまりません。

このCDは名手トゥーネマンのまろやかな音色とイ・ムジチ合奏団のイタリア的な澄んだ響きが絶妙のバランスで演奏されており、この地味な協奏曲が充分楽しめます。

ヴィヴァルディはヴァイオリン協奏曲ばかりを作曲していたイメージがありますが、決してヴァイオリン曲ばかりではなく、むしろ当時としては革新的なほど様々な楽器の為の曲を作っていました。

ヴィヴァルディが協奏曲に使用した楽器をあげると、ヴァイオリンとファゴットの他、ヴィオラ・ダモーレ、チェロ、マンドリン、フルート、ピッコロ、オーボエ、ホルン、トランペット、リュート、そしてテオルボまであります。先日はクラリネットの前身のシャルモーの協奏曲のCDも聴きました。

このようにあらゆる楽器の為の協奏曲を作っているのには驚かされます。

ファゴット協奏曲は40曲ほど知られていますが、それらの多くはつい最近発見されたものなのです。ヴィヴァルディはフルート協奏曲を出版した史上初の音楽家ですが、またファゴットの協奏曲の先駆者でもありました。

1671年にパリで上演されたカンベール作曲のオペラ「ポモネ」で使用されたほか、ヘンデル、バッハでも使用されましたが、協奏曲ではヴィヴァルディが最初でした。
ファゴットのような地味な楽器の為の協奏曲をこれほど多く作曲したヴィヴァルディはよほどこの楽器が好きだったのでしょうね。また彼が指導していた「ピエタ音楽院」には相当な腕のファゴット奏者がいたということでしょう。

オーケストラでは目立たない「縁の下の力持ち」的な役割のファゴットがこれほど生命感あふれて縦横無尽に動き回るさまは、なんともいえない爽快感すら覚えます。私はこのヴィヴァルディのファゴット協奏曲が大好きです。05・11・19 

★ヴィヴァルディ / バスーン協奏曲集4
トゥーネマン(クラウス) イ・ムジチ合奏団 ビバルディ (全曲ではありません)         ページトップに戻る

35・コンヴィチュニー再発見!

この指揮者を知っている方は、もう相当なお年かと思われます。私がこの指揮者と出会ったのは中学生になってからでした。(出会ったと言ってもレコード屋さんでですが・・・。)
残念ながらもうその頃は既に亡くなっていました。音楽雑誌などで1961年の東京と大阪でのゲヴァントハウス管弦楽団との初来日ベートーベン交響曲チクルスの素晴らしさを読んでいたので、なぜもっと長生きをしてくれなかったかと悔しく思ったものでした。

最初に買ったレコードはベートーベンの交響曲第4番と5番「運命」でした。なぜこれを買ったかというと当時出ているステレオレコードで一番安かったからです。

フィリップス社の廉価盤フォンタナシリーズ
で全集が出ていました。当時カラヤン、ワルター、クレンペラー、なども出ていましたが一枚2300円もするので手が出ませんでした。財布と相談して仕方なく買ったこのレコードがあまりにも素晴らしい演奏なのでびっくりしてしまいました。

スローテンポでじっくり腰の落ち着いた堂々としたベートーベンに惚れ惚れしてしまったのです。友人が持っていたカラヤンのベートーベンに比べるとオーケストラの音量の違いや、迫力の違いがありありと感じられたものですが、その演奏される音楽の「呼吸の深さ」はコンヴィチュニーの方がより大きく深く感じられました

オーケストラもベルリン・フィルに比べれば遜色があるように思えましたが、音量とかテクニックを超えた曲本来の持っている迫力とかがにじみ出てきて聴けば聴くほど味のある演奏でした。その頃の廉価盤は音も悪く、カラヤンの最新盤とは格段の違いがあったことは確かです。英雄交響曲のレコードなど低音部(右チャンネル)の音量が異常に低くて、がっかりしたものです。

でも、CD時代になってベルリン・クラシック・レーベルから出た全集はこれらの先入観を吹っ飛ばすほどの素晴らしい音で入っていました。雑誌などで論評されていた古色蒼然とした昔ながらの演奏はレコードで聴く印象からは演奏会場で言えば一番安い場所で音がベールの向こうから聴こえてくる様な頼りない感じでした。でもこれは全くレコードプレスの問題で実際には素晴らしい音で録音されていたのです。

1959年から61年にかけての録音は当時の東ドイツの録音技術の高さを思わせる名録音です。木管・金管楽器の分離のよさ、弦楽器の衣擦れのような優雅な音色。これらが当時としては最高水準だったことの証明です。(写真はこの時の録音セッションです。)

初めてレコードで聴いてから30年後に今度はCDでの再会。これは想像以上に素晴らしいものでした。名匠が丹精こめて作り上げた手作りの暖かさを持った親しみのもてる素朴なベートーベン像です。カラヤンやアバドが水泳で例えると(変な例えですが・・・・)ノンブレスで50メートルを快速で泳ぎきるのとは対照的にゆっくりと周りの景色を見ながら悠々と泳いでいるような感じのやさしい演奏です。

では迫力はないのかと思うとそういうことはなく音楽自体が持っている迫力がじんわりにじみ出ているのです。これこそまさに名匠の技といえるでしょう。

この全集は全曲素晴らしいのですが特に第5番、7番、9番はドイツのベートーベン演奏の伝統が感じられる素晴らしいものでした。特に印象に残っているのは余白に録音されている6曲の序曲集です。レオノーレ第2番の序曲は私が今まで聴いてきた中でもっとも、心の奥から感動した迫力のある演奏でした。

コンヴィチュニーは演奏範囲が狭い指揮者でした。ドイツロマン派が中心でシューマン、シューベルト、メンデルスゾーン、そしてワーグナー、ブルックナーの一部を録音したのみでした。60歳の急逝は惜しまれます。もっと長生きしてくれて、ブルックナー、ブラームスなどの全集も残してくれていたらなあと思わずにはいられません。
    05・11・25         
★ベートーヴェン:交響曲第6番
ベートーヴェン フランツ・コンヴィチュニー ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管
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36・本田美奈子さん〜カッチーニのアヴェ・マリアを歌う

先日、繁華街を歩いていると大手CDショップから、美しい音楽が流れてきました。いつもならポップス曲が流れているのに、その日は珍しく”アヴェ・マリア”が流れてきたのです。

それは、最近評判になっている、”カッチーニのアヴェ・マリア”でした。16世紀の作曲家のこの曲は最近編曲されていろんな歌手が歌って有名になっています。そこでこの曲につられてCDショップに入りしばらく聴いていました。

約5分ある曲の歌詞はただ一言、静かに”アヴェ・マリア、アヴェ・マリア”と繰り返し歌うだけです。私はいろんな作曲家の”アヴェ・マリア”を聴いてきましたが、これほど単純で純粋で清らかな曲はないと思っています。

何人かの有名ソプラノ歌手がCDを出していますが、その時の歌声はちょっと違っていました。

少し素人っぽくて、発音が日本人ぽいなあと思いながら聴いていたのですが、それがこの間亡くなった本田美奈子さんだと分かりびっくりしました。

彼女は、ポピュラー歌手だとばかり思っていたのにこんなに高音の美しいアリアが歌えるなんて驚きました。もちろんオペラ歌手のような声量はないのですが、その心のそこから祈るような魂の歌声がひしひしと伝わってきました。

若くして亡くならなければならなかった彼女の無念を思うと、この汚れない美しい”アヴェ・マリア”の絶唱は私の心に突き刺さってきました。聴いていてCDショップでおもわず涙が込み上げてきてしようがありませんでした。

私は本田美奈子さんのファンではありませんが、アイドル歌手の彼女がこれほどまでのレヴェルまで訓練していたとは頭の下がる思いです。

私はこの曲が好きで収録されているCDを見つけると買ってしまうのですが、今回は購入するのをやめました。なぜなら、この間亡くなったばかりの人の、こんな悲しみにあふれた音楽を聴くには辛すぎるからです。

美奈子さんはこの曲をいつ頃録音したか知りませんが、もし不治の病を知ってから歌ったのだとすると、この祈りの音楽は我々が想像出来ないほど深いものだったのでしょう。・・・・・・最後に本田美奈子さんのご冥福をお祈りします。   
 05・11・26 
B00008Z6RW AVE MARIA
本田美奈子
コロムビアミュージックエンタテインメント 2003-05-21

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37・スエーデンの子守歌

今日ドイツ民謡・子守歌集の中で美しい曲を聴きました。中には6曲ヨーロッパ各国の歌も含まれていました。私が歌詞を見ながら聴いているとスエーデン民謡の子守歌「おねむり 愛しい子よ」という曲が、美しくまた歌詞が特殊なのでとても印象に残りました。
こんな歌詞です。

1・おねむり 愛しい子よ  お眠りなさい
 高い星の世界から 色とりどりの美しい夢が
 静かに下りてきますよ

2・おねむり 愛しい子よ  お眠りなさい
 今は平安がおまえを包んでいるけれど
  おまえにはまだ分からないだろう
  苦悩や心痛、不安や死がいつかは
  おまえにも訪れることを

3・おねむり 愛しい子よ  お眠りなさい
  人生は移ろうもの 
  楽しい時にも 悲しい時にも 
   短い幸せにも 長い苦しみにも
   おまえは従うことになるのです

 
こんな、内容の子守歌は初めて聞いてショックを受けたのです。

私にも可愛い子供が出来た当時、すやすやと汚れのない幼子の寝顔を見ていたらこの詩の様な思いが、頭をもたげてきたことを思い出しました。

・・・この子の将来は悲しいことも楽しいことも待っているんだな、いつかは私たち親とも別れるのだなあ・・・と思うと無性に悲しくなり涙が出てきたことを思い出しました。今は立派に成人して自分の道をしっかりと歩んでいる最中ですが、人の世の儚さを歌ったこの「子守歌」は本当に特異な歌詞だと思いました。

たいていは「すやすやと、平和な夢を見て静かにお眠り・・・」とか言ってやさしい歌詞なのに「苦悩」とか「死」などの不吉な言葉を歌う”子守歌”にびっくりしてしまいました。でもこの歌の美しさは他を圧倒するほどの名曲になっていました。とにかくこの歌は、子供に歌って聞かせるより親に聞かせる歌でしょうか。

人生の厳しさと辛さを寝ている幼子に聞かせるというより自分に歌って聞かせているのでしょうか。
こんな変わった歌詞ときれいなメロディが見事にマッチしてとても印象に残りました。05・11・27
B00005GFZC ドイツ民謡集 8 子守歌集「すべては安らぎの中で」
合唱 ベルニゲローデ少年少女合唱団 リンク
徳間ジャパンコミュニケーションズ 1998-05-21

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38・プッチーニ:トスカと蝶々夫人

プッチーニの作るオペラは多くの魅力的な女性を登場させ、またその悲劇的な結末で観衆を感動の涙でいっぱいにさせる名人でもあります。

特に主要登場人物の3人全てが非業の死を遂げる血なまぐさいオペラ「トスカ」は代表作といわれています。

政治犯の汚名を着せられたトスカの恋人が処刑を免れるために警視総監に自分の操を差し出し、代わりに恋人の助命を願い出るという悲劇の歌姫の有名なストーリーです。

この究極の選択もトスカの警視総監への殺人、そして取引であった恋人への形式だけの空砲で行う処刑も実は守られなくて実弾で血まみれで倒れた恋人を抱き上げたときのトスカの悲嘆にくれた叫び声など、いつ聞いても身の毛のよだつほどの感動があります。最後に城壁から飛び降りる場面はもう涙で前が見えないほどになります。


これに対して日本が舞台となった「蝶々夫人」は落ちぶれた士族の娘がアメリカの仕官の男に金のために売られてしまう悲劇の女性です。オペラでは結婚式をしていかにも正式に結婚したかのようになっていますが女好きなヤンキー船長がお金で遊んだだけでしょう。

何年待っても帰ってこないアメリカ人に子供まで出来た蝶々さんが恋焦がれて「ある晴れた日に」を歌う場面は涙を誘う名曲なのですが、私にはこのオペラが素直に鑑賞できないのです。

結婚した当時蝶々さんは15歳とは驚きますが、立派な日本婦人です。自分の親ほどの年齢の西洋人の現地妻にさせられ、去っていった船長が何年も帰ってこない上、子供まで産まされ、突然帰ってきたときはアメリカ人の夫人連れだったとは・・・・・。あまりにもむごすぎます。

そして絶望のあまり自害するといった日本女性を馬鹿にするのもいいかげんにしろと言いたいようなストーリーだからです。

愛する人のため、命をかけて操を守った歌姫「トスカ」とこの「蝶々さん」の差はどうでしょう。

あまりにも蝶々さんが哀れで弱い存在ではありませんか。このような隷属関係は21世紀、今でも日米の関係そのものではないでしょうか。少しうがった考えで申しわけありませんが、このオペラの時代からあまり変わっていないような気がするのですがいかがでしょう。登場人物の日本人全てがあまりにも情けないのも腹が立ってしまいます。

私はこの「蝶々夫人」もトスカの様に自分をもてあそんで、その挙句アメリカの夫人まで連れてきた情け知らずのピンカートンを刺し殺してその後自害して欲しかったと思いましたが・・・・。だめでしょうかね。

それにしてもこのオペラの音楽は美しいですね、「蝶々夫人」の絶望感、悲しみについついもらい泣きをしてしまいます。(腹は立つけど・・・・!) 05・12・5 
★プッチーニ:トスカ
テバルディ(レナータ) ローマ聖チェチーリア音楽院合唱団 パルメリーニ(エルネスト)
★プッチーニ:蝶々夫人
テバルディ(レナータ) コッソット(フィオレンツァ) ネロッツィ(リディア)
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39・ベートーベン第九交響曲「合唱」

年末になると、日本中でベートーベンの合唱交響曲が演奏されます。おそらく日本でいちばん有名なクラシック音楽でしょうね。小学校の音楽の教科書で「喜びの歌」を習い、リコーダーで演奏するほどですから。

日本では年末に演奏されることが多いのですが本場のヨーロッパでは年末には、ヘンデルの「メサイア」を演奏するのが多いと聞きました。でも日本では宗教色の少ない第9が親しまれていますね。

ドイツの詩人シラーの「歓喜に寄す」の、全人類が協調して実現すべき平和を理想主義的に歌い上げた詩をもとに創作されたこの交響曲はベートーベンの生涯の総決算となった作品です。この交響曲は第1楽章から第3楽章までは、最後の声楽つきの楽章までの序曲に過ぎなくて、聴衆は聴き進んでゆくうちに次第に、感情が高まるように設計されていますね。

「苦悩を通じて歓喜へ」これはベートーベンの人生訓でしたが、この言葉以外にはベートーベンには当てはまらないくらいの苦悩の人生を歩んできました。音楽家としての致命的な耳の病をおして作り上げてきた数々の名作。病苦に悩まされて過ごした晩年の数年。まさにベートーベンは苦悩の中を耐えてきた人生だったのでしょう。

もしベートーベンが裕福で、幸せな安定した人生を歩んでいたらおそらく第9のような傑作は生まれなかったでしょう。彼は苦しみ困難に遭えば遭うほど強くなっていった人間でした。この困難を乗り越えて創り上げた作品が我々を感動させるのですね。

私はこの曲は何度聴いても感動で涙があふれてきます。まず第3楽章では精神の崇高さを感じ目頭が熱くなり、そして最終楽章の「相抱かれよ、何百万の人々よ!」が全合唱で歌われついで全合奏で終結部になだれ込む感動的なコーダではもう前が見えないほど涙でいっぱいになります。

この交響曲が初演された時はベートーベン自身が指揮をしましたが、このとき完全に耳が不自由だった彼がまともに指揮できるはずはありませんでした。正指揮者のウムラフがこれを補佐したといいます。オーケストラと合唱団はウムラフの棒を見つめ、ベートーベンの棒はいたずらに空を舞うばかりだったのです。

この画期的な交響曲が終わった時、聴衆は熱狂的な拍手で、巨匠の新作をほめたたえました。しかし聴衆に背を向けたままのベートーベンは茫然と立ちすくんでいたのです。聴衆はその姿に涙したと言います。今、現代の我々もその姿を思い起こしてこの名作を苦悩の末に創り上げたベートーベンの心情を思い涙を禁じえません。

この第九交響曲が終わると よく合唱団やオーケストラのメンバーも涙をぬぐっている姿を見ることがあります。
このように演奏家、聴衆ともに感動のあまり涙してしまう音楽も珍しいですね。

今年もこの曲を聴きに行くのが楽しみです。 05・12・10  ページトップに戻る

40・交響曲の傑作?ドヴォルザーク交響曲第8番

交響曲第8番はドヴォルザークの作品の中でも傑作ですが、私はあらゆる交響曲の中でも最も完成度の高い曲だと思っています。

旋律の美しさ、展開の充実度、オーケストラ楽器の演奏効果の素晴らしさ、4つの楽章全てのバランスのよさ、晦渋さがなくあらゆる人に受け入れられる旋律の親しみやすさ、と人気曲になる要素が満載の傑作交響曲です。

ベートーベン、ブラームス、ブルックナーなどの交響曲作曲家の全作品も素晴らしいのですが、上にあげた要素を全て持った曲はそんなにはありません。ブルックナーなど素晴らしい交響曲なのですが、長すぎるのと旋律の変化のなさで途中緊張が途切れて眠くなることが多くあります。

その点、ドヴォルザークの8番と9番「新世界」は全曲を通して全く飽きることなく、聴衆の興奮を高める構成の充実さに聴き終えたあと大きな感動も与えてくれます。

ドヴォルザークほど一曲一曲と目覚しく進歩していった作曲家もありません。全9曲のうち初期の曲は習作の域を出ない退屈な曲でしたから後期の3曲を聴いた時など信じられないほどの変化と充実度に驚いてしまいます。

最後の新世界交響曲とチェロ協奏曲は8番の続編ともいえる充実した作品で、民族的な要素と音楽の普遍性を兼ね備えた素晴らしい作品群でした。
もっともっと長生きして、あと何曲か交響曲を残してくれていたら、どれだけの大傑作が生まれていたでしょうか。残念でなりません。

初めてこの曲を聴いて、大きな感動を得たのは、1960年代のカラヤン指揮のウィーン・フィルの演奏でした。ベルリン・フィルの常任になる前の意気揚揚とした壮年期のカラヤンの颯爽たる熱演に感動したのです。

その後、カラヤンほどの鋭さはないのですが、ゆったりとした堂々たる風格のあるブルーノ・ワルターの演奏にもぞっこんでした。

交響曲8番はチェコの音楽家がよい録音を残していますが、ジョージ・セル指揮クリーヴランド管弦楽団の最晩年の70年に録音したEMI盤はまさにセルの「白鳥の歌」となった素晴らしい演奏も心に残っています。

ところが最近メニューイン指揮のロイヤル・フィルのCDを聴いてあまりの素晴らしさに驚いてしまいました。廉価盤ですが、楽器の鳴り、テンポ、録音のよさ、と3拍子揃った名演奏に圧倒されてしまいました。

二流だとされているロイヤル・フィルですがこんなにいい演奏に接したら、他の曲も聴いてみたくなります。もちろんメニューインの指揮でですが。CDは出ているのでしょうか?

本当にこの第8交響曲は聴くたびに感動が得られる、交響曲の傑作というべき作品でしょう。05・12・20    
B00005G83V ドヴォルザーク:交響曲第8番
コロンビア交響楽団 ドヴォルザーク ワルター(ブルーノ)
ソニーミュージックエンタテインメント 1999-06-19

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41・年末恒例の第九交響曲

2005年も暮れようとしています。毎年この頃になるとあちこちで”第九”が演奏されますね。特に大阪フィルは世界で最も数多くこれを演奏して「ギネスブック」に載ったとか・・・。
その真偽はともかくとしてこの第九が日本人の大好きな曲には違いありません。

またその異様なことにこの曲の演奏が年末に集中しているという事です。まさにNHKの紅白歌合戦のように年末恒例行事になっているのでしょう。
N響と違って資金難の民営楽団としては集客が見込まれ安定した利益を出せるとしたら演奏せずにはおれないでしょうね。

理由はいずれにしろ”第九”をこよなく愛する私としては年末の”第九ラッシュ”はうれしいことです。

ベートーベンの作品の全てが好きな私は”第九”だけでCDを24種も持っていました。自分でも驚きました。よほど好きなんだと改めて知った次第です。

極端に言うとこの曲は誰が振っても大きな感動が得られます。それほど曲が立派なのです。
おごそかな堂々たる第1楽章、ティンパニーが躍動する第2楽章スケルツォ、つづく美しくも崇高な第3楽章と、徐々に合唱楽章への期待を高めてくれます。

そしてついに音楽史上初めての独唱と合唱付きの交響曲の全貌を現す第4楽章へと突入するのです。
あの有名な”喜びの歌”が全合奏されると会場はもう興奮の坩堝と化してしまいます。シラーの歓喜の頌が独唱と合唱で高らかに歌われてゆき、全曲の頂点に達した時最後のコーダへとたたみ込まれて力強く全曲を締めくくります。
ここではあまりの感動の為何度聴いても目頭が熱くなります。

この曲を作曲した頃ベートーベンは完全に聴力を失っていて、一応指揮台に立っていたのですが彼を助ける為に副指揮者が実際のタクトを振ったといいます。
そして演奏が終わっても後ろを振り向かなかった彼をメゾソプラノの歌手が手を取って観客の方へと振り向かせたそうです。その時初めて熱狂する観衆の姿を見て大成功を知ったとするエピソードは、いやがうえにもこの名曲への興味を駆り立ててくれます。

まさしく「苦難を乗り越えて歓喜へ!」というテーマそのものじゃないでしょうか。この曲を1年の締めくくりに聴いて来年への希望へと向かおうとするには これほどふさわしい曲はないと思います。

2005年も耐震偽造問題、JR西日本の鉄道脱線事故の大惨事、そして最近のJR東日本、山形での脱線事故。外交では韓国、中国での反日運動。また幼い子供が犠牲になる事件が続出して暗いことばかりが目立った一年でした。

一見何でも不足のない満ち足りた世の中のようなのに、人の心は「拝金主義」に陥り大切なものを忘れたかのような風潮になっていることに心が痛みます。
来るベき2007年は少しでも明るい年になってもらいたいものです。05・12・29
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42・交響曲第9番の謎

19世紀の交響曲では9番はなかなか超えられないようでしたね。ベートーベンは9番を書いて10番に取り掛かりましたがスケッチを残しただけでした。
シューベルトは9番まで(今では8曲となっていますが)。シューマンが4曲、メンデルスゾーンは5曲、ブラームス4曲、チャイコフスキーはマンフレッド交響曲を入れても7曲、ドヴォルザークは9番まで。ブルックナーは9番は未完成でした。

こうして見て行くと「9」番という数字は19世紀の作曲家にとっては越すに超えられない「不吉な」数字になってくるのでしょうか?

この「9」の魔力を最も恐れたのがマーラーでした。不吉な数字を恐れるあまり、9番目の交響曲「大地の歌」を番号を付けずに発表したのです。その結果何事も起こらなかったので9番を書きあげました。そして10番にかかったのですが結局未完成に終わったのです。

18世紀の交響曲作家のように、規模の小さい交響曲だと貴族の依頼により何十曲も量産できたのでしょうが、19世紀になると規模も大きくなり、作曲家の全身全霊をあげて創り上げる芸術作品なので、9曲も創り上げると身も心も、疲れ果て人生を終えるのでしょうか。

現代では、医学が発達して多少の病気ではなかなか死には至りませんが、医学が十分ではなかった時代では50歳を超えるのが難しかったので、仕事が出来る年月も短かったのです。

15曲も交響曲を作曲したショスタコーヴィチなどは心臓が悪かったのに69歳まで活躍しました。19世紀だったら9曲も作曲できたか怪しいものでした。
それに反してベートーベンがもし20世紀の人間だったら、2〜30曲は作っていたかも知れませんね。

こういうジンクスはともかくとして、この「魔の9番」といわれる作品群はどの作曲家も円熟の極みに達していて人生の総決算と言うべき優れた作品が多いのも事実です。
マーラー、ブルックナーと未完成に終わったのも残念なのですが、私は92歳の長寿を全うしたシベリウスが7曲で終わってしまったことに納得がいきません。

生前8番目の交響曲を書いていると言われていたのに死後発見されなかったのは自ら破棄してしまったのでしょうか。番号なしの「クレルヴォ交響曲」を入れると8番で終わってしまって、あった筈の9番(第8交響曲)を破棄してしまったということは全くもって音楽界の痛恨事でした。(シベリウスの家族が新しい交響曲を書いていたと証言していたので間違いがないでしょう。) 
★シベリウス:クレルヴォ交響曲
プヌーラ 指揮
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43・チャイコフスキー・バレエ曲「くるみ割り人形」

今日はみぞれまじりの冷たい雨が降り続いています。クリスマスが近づいてきてあちこちに雪の便りがある頃には「くるみ割り人形」が聴きたくなります。

別にいつ聴いてもいいのですが、このバレエの物語が主人公クララのクリスマス・プレゼントに貰ったくるみ割り人形をめぐるお話なので、ちょうどクリスマスにはぴったりなのです。

それに曲想が冬の雪の降る夜の雰囲気にあふれています。この曲はチャイコフスキーの3大バレエ曲の最後になるのですがメロディが美しく最も幻想的な出来になっています。

白鳥の湖150分、眠りの森の美女160分、これらに比べて90分足らずと非常に簡潔に出来ています。いや全く無駄がないといったほうがいいでしょう。

最初の軽快な可愛い序曲を聴いた途端にもう童話の幻想世界に引き込まれてしまいます。序盤のクリスマス・パーティが終わって、寝静まった夜に起こるねずみの妖怪との戦いの場面など幾つになっても心躍る展開です。

戦いに勝って、くるみ割り人形は実は呪いをかけられていた王子だと分かり、彼の案内でお伽の国に入ってゆく第2部などはもうメロディスト・チャイコフスキーの独壇場です。美しい音楽が次から次へと登場して全く時間のたつのを忘れさせてくれます。

夢から覚めたクララが愛しげにベットの傍らのくるみ割り人形を抱き寄せる最後の場面など「終わらないで!このままずっと音楽に浸っていたい!」と言いたいくらいの名残惜しさです。

ベートーベン、ブラームスのように数少ない主題(テーマ)を手を変え品を変えて展開してきた作曲家に比べて、チャイコフスキーは美しいメロディーを惜しげもなく使い、我々を楽しませてくれまね。以前ボリショイ・バレエ団のを見たのですが幻想的で楽しくてまるで夢の中にいるような気分になったのを今でも覚えています。 05・12・22
B00005Y14E チャイコフスキー:バレエ音楽「くるみ割り人形」(全曲)
プレヴィン(アンドレ) ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団 アンブロジアン・シンガーズ
EMIミュージック・ジャパン 2002-03-06

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*チャイコフスキー:バレエ「くるみ割り人形」より「雪のワルツ」
 ロシア・マリインスキーバレエ団





44・演奏会は定食?

演奏会のプログラムはよく出来ていますね。たいていは序曲から始まって、協奏曲そしてメインの交響曲と大体こんな感じで組まれています。

ベートーベンの合唱のように大作は一曲だけという時もありますが、例えばもし新世界交響曲一曲だけで終わったなら、観衆はなんとなく寂しい気がしますね。やはりチェロ協奏曲も付けて欲しいし、同じチェコの作曲家の交響詩モルダウも前菜で聴きたいですね。

食事で言えば、「定食」のようなものです。とんかつを食べたいと注文して出てきたのがとんかつだけだったら、物足らないのと同じです。味噌汁、おしんこ、ご飯とこれだけ揃って初めて「とんかつ」を食べたなあと満足感に浸れるのです。出来れば、食後のデザートやコーヒーなどがサービスでつけばこれほどうれしい事はありませんね。

コンサートでも時々はうれしいアンコールというサービスを受けられて得をしたという気持ちにさせてくれます。
でも、いつ頃からこういうプログラムの組み方になったのでしょうか?

文献を読むと、昔ベートーベンが運命を初演した時、演奏会は2部に分かれていて、一部では田園交響曲とアリアほか、ピアノ協奏曲。2部では運命交響曲、ラテン語による聖歌、ピアノの為の合唱幻想曲など、と盛りだくさんのプログラムでした。

1808年の12月22日木曜日夜6時半開演となったこのコンサートは、いったい終わるまで何時間かかったのでしょうか?
2つの新作交響曲と合唱幻想曲などの練習不足と、長時間の厳寒の中での鑑賞は絶えられない事だったのでしょう。この初演は大失敗だったと伝えられています。

食事で例えると、「とんかつ」と「うなぎ」や「焼肉」をいっぺんに食べるようなもので、胸焼けするのは当たり前でしょう。それも出される食事が全てはじめて食べるのもの(新作)だったから、たまりませんね。

こういう失敗を重ねていって、現在のような「定食」のようなバランスのよいプログラムになっていったのでしょう。時間も2時間ほどでちょうどいいですね。

でも時々「三大交響曲の夕べ」などと銘打って新世界、運命、悲愴、などの交響曲の演奏会がありますが、これはちょっと胃(耳)にこたえますね。   <ページトップへ戻る>

45・夢いっぱいの交響曲第1番

どの作曲家も最初の交響曲は、己の最もいいものを発表しようと力がこもるものですね。この作品の出来、不出来で作曲家としての将来が決まると思えば、がんばらずにはいられないでしょう。・・・・・・
だから交響曲第1番は結構名曲が多いですね。そして夢と希望が目いっぱい詰まっています。

ハイドンやモーツァルトの時代は室内楽的な小規模の交響曲だったし、貴族の依頼により量産した交響曲と19世紀の芸術的に独立した作品とは違うのは当たり前でした。

ハイドンの交響曲から脱却したベートーベンの第1番は新しい時代の到来を告げる堂々たる交響曲です。第3楽章はメヌエットと表示されていますが内容はスケルツォそのものです。その激しさにあふれた推進力はベートーベンのその後を暗示するような素晴らしい作品です。

ブラームスの交響曲第1番はベートーベンに追いつき追い越そうと推敲に推敲を重ね、ついに完成させたのは43歳の時でした。それほどベートーベンの交響曲のハードルは高かったということでした。

この交響曲はベートーベンの遺鉢を継ぐ作品とされるほどあって、最初からただならぬ熱気に包まれています。まさにベートーベン以降最高の交響曲だといわれるほどの大傑作です。

この他、シューマン、ブルックナー、チャイコフスキー、マーラー、シベリウスと交響曲作家の第1番は全て名作でその後の交響曲作品と全くの遜色がないばかりか、大衆の人気をも独占しています。

これらの作品は既に認められて大衆の人気も獲得している有名曲ですが、シューベルト、メンデルスゾーン、ドヴォルザーク、ボロディン、サン=サーンスなどの交響曲第1番はあまり人気がありません。作品が荒削りでまとまりがなく、習作の域を出ていない作品もあるので人気は出ないでしょうが、既にその作曲家の体臭はしっかりあります。


このように交響曲第1番は、未完成で荒削りではありますが、新鮮な息吹が感じられ、とても好感が持てます。私は後期のじっくり落ち着いた風格のある交響曲も好きですが、若さあふれる青春の香りがする美しい第一番目の交響曲が好きです。

特に好きなのはチャイコフスキー交響曲第1番「冬の日の幻想」とシベリウス、マーラーの交響曲第1番です。若書きとは思えないほどの力作ぞろいで、いつ聴いても感動してしまいます。
B00006AM33 チャイコフスキー:交響曲第1番「冬の日の幻想」
スヴェトラーノフ(エフゲニ) ロシア国立交響楽団 チャイコフスキー
ポニーキャニオン 2002-08-21

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46・冬の日の幻想

韓国の恋愛ドラマ「冬のソナタ」が大人気でしたね。世の奥様方は主演の男優”ペ・ヨンジュ”を"ヨン様!ヨン様!”とか言って追いかけて社会問題にもなったほどでした。
ドラマは今どきの日本ではあまりお目にかからないちょっと古いはかない恋愛話ですが、どうしてこれほどまでも人気が出たのでしょうか?・・・・・
私なりに少し分析してみました。

主演のペ・ヨンジュンと女優のチェ・ジウの二人のなんともいえない清純さがはかなく、また恋のすれ違いと、複雑な人間関係が面白く、なかなか恋が成就できないところが観客をどんどん引き込んで行きますね。

でも、、私はあの舞台設定の雪の冬景色が大いに影響していると思います。それと、あの題名の「冬のソナタ」という言葉の響きとイメージが悲恋物語にはぴったりだったと思うのですが・・・。如何でしょうか。

新聞で知ったのですが、あの「冬のソナタ」という題名は韓国語の原題では「冬の恋歌」とか言う題だったということです。(はっきりとは覚えていないので間違っていましたらすみません)

もしそんな題だったらこれほどまでヒットしたでしょうか。この題をつけた人のセンスには感心します。もし設定が夏で「夏のソナタ」だったらどうだったのでしょうか。これほどまでヒットしたでしょうか?

冬のソナタ 総集編~私のポラリスを探して~ Vol.1
ペ・ヨンジュン ユン・ソクホ チェ・ジウ


それにしても日本人は冬が好きですね
。あの悲しげな演歌の世界では冬は無くてはならない舞台です。「津軽海峡冬景色」「襟裳岬」「越冬つばめ」などとざっと思い浮かべるだけで幾らでもあります。これら失恋や物思いに沈んでいる時には夏より冬のほうがぴったり来るから不思議です。

シューベルトの大傑作「冬の旅」も絶対に冬でなければ絵になりません。仮にこれが「夏の旅」だと、どこかまた避暑にでも出かけるんだろうなと思うだけです。

このように秋から冬にかけての寒々した風景は人を詩人にしてくれます。物思いに沈むこの季節、何を見ても何をしても内向的になります。だから素晴らしい芸術作品が生まれるのでしょうね。

音楽では北国のチャイコフスキー、グリーグ、シベリウス、ラフマニノフなど冬のイメージの強い作曲家のほうが多いですね。南国のメキシコやブラジルの作曲家もいることはいるのですがどちらか言うと聴くとか観賞するとか言うより踊って体を動かす音楽のほうが多いような気がします。

チャイコフスキーの交響曲第1番は「冬の日の幻想」というサブ・ネームが付いています。私は全6曲ある交響曲の中でこの曲が一番好きです。寒々としたムードがあるまさにロシアの冬景色を音楽にしたような美しい交響曲です。高校生の頃、FM放送で聴いた瞬間から好きになったほどです。(ドラティのロンドン響でした。)

何よりもこの「冬の日の幻想」というタイトルが素晴らしい!

厳しい冬の情景を知り尽くしているロシア人だからこそ出来た、美しい冬の交響曲ですね。チャイコフスキーの全6曲のなかで最も好きなのでいろんな指揮者で聴いていますが一番は本場のスヴェトラーノフ指揮ロシア国立交響楽団のものです。
第二楽章のオーボエの澄み切ったメロディがロシアの冬を感じさせてくれます。

★チャイコフスキー:交響曲第1番「冬の日の幻想」
スヴェトラーノフ(エフゲニ) ロシア国立交響楽団 チャイコフスキー

47・2005年の大晦日

早いですね。もうあと少しで2005年が終わろうとしています。
毎年大晦日は、テレビでは紅白歌合戦、お笑い、格闘技と大体固定してきましたね。
どれを見てもたいしたことがないので、こうしてをホーム・ページ書いていますが、2005年の有終の美を飾るにはどんな、音楽がいいだろうかと思案した結果・・・

モーツァルトの交響曲第33番を聴く事にしました。これはモーツァルト23歳の時に書き上げられた実に生き生きとした青春を謳歌するような心がうきうきする音楽です。特に第4楽章のディベルティメントのような弾むようなメロディは一度聴いたら耳から離れないくらい魅力的です。

建築偽装問題、幼児誘拐殺人、などなど暗い事件の多かった今年も、モーツァルトの美しい音楽を聴いて新しい気持ちで、新年を迎えたいものだと思いました。

新年には、毎年楽しみな「ウィーンフィルによるニュー・イヤー・コンサート」が始まりますね。指揮者はマリス・ヤンソンスだということで、今から楽しみです。

底抜けに明るい、ヨハン・シュトラウスの円舞曲の数々を新しい年に鑑賞出来る事はクラシック・ファンにとっては、これほどうれしいお年玉はありません。
それもウィーンの聴衆と同時に鑑賞できるなんてこんな贅沢なお正月はないと思っています。
そして、今から新年早々「一番最初に聴く曲」は何にしょうかな?と考えるのも楽しいものです。
さて、皆様はどんな曲で締めくくり、どのような曲で新しい年を迎えられるのでしょう
それではクラシック・ファンの皆様、よいお年をお迎えください! 05・12・31

★モーツァルト:交響曲第28番&33番

スウィトナー(オトマール) モーツァルト シュターツカペレ・ドレスデン
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